21世紀に入り、ヒンディー語映画は米国映画に倣って様々なジャンルを確立させたが、その中でもっとも成功しているもののひとつがスポーツ映画である。かつて、インド映画界では、「スポーツ映画はヒットしない」というジンクスがあり、スポーツを題材にした映画の製作は敬遠されていた。だが、クリケットを題材にした時代劇映画「Lagaan」(2001年/邦題:ラガーン~クリケット風雲録)の大ヒットにより、そのジンクスは突如として完全に打ち破られ、以後、様々なスポーツを取り上げた映画が作られるようになった。
スポーツ映画には一定の特徴が見られる。実在のスポーツ選手の半生または一生を映画化した伝記映画が多いこと、女性が主人公の映画が多いこと、そして、分断しがちなコミュニティーの団結や愛国心高揚をテーマとした映画が多いことなどである。また、現在、インドにおいて有能なスポーツ選手育成に最も成功しているのはハリヤーナー州であるため、ハリヤーナー州が舞台になることが多いのも特徴だ。
ちなみに、クリケットやカバッディーなど、日本人にはあまり馴染みのないスポーツのルールを勉強しようと思った際、映画はとても良い手段である。親切な映画だと、映画の中でルールを細かく解説してくれており、一本見終わるとそのスポーツについて詳しくなれている。とりあえずインド人の人気のクリケットについて知ろうと思ったら、「Lagaan」を鑑賞することをお勧めする。
以下、ヒンディー語映画が題材にしたスポーツを分類して紹介する。
クリケット
インドで最も人気のあるスポーツはクリケットである。その熱狂は宗教と呼んでも差し支えないほどで、広大かつ多様なインド亜大陸を結びつける唯一の事物とも言える。その人気は、他のスポーツの発展を阻害する要因にもなっている。インドは、人口の割には五輪のメダル数が少ないが、その原因のひとつは、運動神経の優れた者が、五輪競技になっていないクリケットを志向してしまうことにあるとも言われている。
ただ、インド発祥以来、国民の間でクリケットが絶大な人気を誇っていたかと言えばそうでもない。クリケットは英国発祥であり、英領植民地時代にインドに伝わった。だが、伝統的にインドで最も人気のあったスポーツは、同じく英国発祥のホッケーであった。人気スポーツの座をクリケットがホッケーから奪ったきっかけは、1983年のクリケット・ワールドカップでの初優勝だった。英国で開催されたこの大会において、カピル・デーヴ主将率いるインド代表は下馬評を覆して優勝を果たした。この後、インドでクリケットが大人気となり、今に至るのである。
ヒンディー語映画においてクリケットを題材にした映画が本格的に作られるようになったのは、2001年に公開された上述の「Lagaan」がきっかけである。以降、以下のようなクリケット映画が作られており、映画の世界においても、映画化されているスポーツとしては最大となる。
- Lagaan(2001年/邦題:ラガーン~クリケット風雲録)
- Iqbal(2005年)
- Hattrick(2007年)
- Jannat(2008年)
- Victory(2009年)
- Dil Bole Hadippa!(2009年)
- Patiala House(2011年)
- Ferrari Ki Sawaari(2012年/邦題:フェラーリの運ぶ夢)
- M.S. Dhoni: The Untold Story(2016年)
- The Zoya Factor(2019年)
- Torbaaz(2020年)
- 83(2021年)
- Kaun Pravin Tambe?(2022年)
- Jersey(2022年)
- Ghoomer(2023年)
- Mr. & Mrs. Mahi(2024年)
ボクシング
インドは東京五輪までにボクシングにおいて3つの五輪メダルを獲得しており、インドでは比較的盛んなスポーツと言える。それは映画の世界にも表れており、ボクシングを題材にした映画は多い。もちろん、米国映画「ロッキー」シリーズの影響もあるだろう。ハングリーなボクシング選手が苦労の末に勝利を勝ち取る筋書きが多い。
格闘技
2012年にインドで総合格闘技のプロリーグであるスーパー・ファイト・リーグが開幕して以来、総合格闘技の熱狂がインドにももたらされた。それを受けて、ヒンディー語映画でも総合格闘技を題材にした映画が作られるようになった。
それ以外にも、インド相撲のダンガル(クシュティー)、インド土着のマーシャルアーツであるカラリパヤットゥ、そして空手・テコンドーなどが登場する映画も増えている。以下、上述したボクシングを除き、格闘技関連と言える映画を列挙した。
- Chandni Chowk to China(2009年/邦題:チャンドニー・チョーク・トゥ・チャイナ)カンフー
- Brothers(2015年)総合格闘技
- Baaghi(2016年)カラリパヤットゥ
- Sultan(2016年/邦題:スルタン)ダンガル、総合格闘技
- Dangal(2016年/邦題:ダンガル きっと、つよくなる)ダンガル
- Mard Ko Dard Nahi Hota(2019年/邦題:燃えよスーリヤ!!)空手
サッカー
サッカーは世界で最も人気のあるスポーツだが、インドではクリケット人気に押され、全国的な人気を勝ち取るまでは行っていない。それでも、サッカーのワールドカップの時にはサッカー観戦が盛り上がるし、コルカタやゴアなど、一部地域ではサッカーがクリケット以上に人気を誇っている。また、映画業界内にもサッカー好きの人は少なくない。そういうこともあって、サッカーを題材にした映画も少数ながら作られている。
インド系英国人監督による英国映画ではあるが、「Bend It Like Beckham」(2002年/邦題:ベッカムに恋して)は、人気サッカー選手デーヴィッド・ベッカムの名前を冠しているだけあって、サッカーを主題にした映画だ。「Dhan Dhana Dhan Goal」(2007年)はインド映画だが、英国の南アジア系コミュニティーがサッカーをプレイする映画である。「Prem Ratan Dhan Payo」(2015年/邦題:プレーム兄貴、王になる)は、サッカー映画ではないものの、サッカーのシーンが映画の重要な転機として上手に活用されていた。「Maidaan」(2024年)は、サッカーのインド代表が金メダルを獲得した1962年のアジア競技大会をクライマックスに据えたサッカー映画である。
ホッケー
ホッケーはインドの国技であり、かつてインドで一番人気のスポーツだった。ホッケーのインド代表は、英領時代から五輪や国際試合の優勝常連で、独立後はパーキスターン代表と死闘を繰り広げた。だが、人工芝の導入など、ルール改編によって不利になり、以降、国際試合で勝てなくなってしまった。同時に、ホッケー人気も下火となり、クリケットに取って代わられてしまったのである。
ホッケーを題材にした映画はクリケットほどではないものの、いくつか作られている。「Chak De! India」(2007年)は、冷遇されて来た女子ホッケーのインド代表がワールドカップに挑む物語である。「Soorma」(2018年)は実在するホッケー選手サンディープ・スィンの伝記映画である。「Gold」(2018年)は、インドのホッケーが全盛期にあった20世紀前半の五輪を取り上げた映画である。
陸上競技
陸上競技はインドにおいて比較的多く映画の題材になっているスポーツである。「フライング・スィク」と呼ばれた伝説的陸上選手ミルカ・スィンをはじめ、陸上競技界の英雄は多い。東京五輪においては、インド人やり投げ選手ニーラジ・チョープラーが、インド人陸上競技選手としては初となる金メダルを獲得した。
以下、陸上競技に関する映画のリストである。
- Paan Singh Tomar(2012年)3,000m障害
- Bhaag Milkha Bhaag(2013年/邦題:ミルカ)400m走
- Budhia Singh: Born to Run(2016年)マラソン
- Rashmi Rocket(2021年)短距離走
水泳
インド文明は大河や水と共にあり、河や池を泳ぐ行為は子供たちの娯楽のひとつである。だが、水泳競技となると、大規模な施設が必要で、なかなか庶民のスポーツという訳にはいかない。よって、インドではまだまだ水泳は盛んなスポーツとはいえない。
水泳を主題としたヒンディー語映画は少ないが、「Chandu Champion」(2024年)は、1972年のハイデルベルク・パラ五輪にて男子50m自由形で金メダルを獲得したムルリーカーント・ラージャーラーム・ペートカルの伝記映画である。他には、「Khwaabb」(2014年)があるくらいで、あとは「Shiddat」(2021年)に若干水泳の要素が織り込まれていた。「My Brother…Nikhil」(2005年)や「Bhaag Milkha Bhaag」(2013年/邦題:ミルカ)には水泳選手が登場する。
トライアスロン
水泳1.5km、自転車40km、マラソン10kmで構成されるトライアスロンは、インドではまだマイナーなスポーツである。トライアスロンを主題にした映画も珍しい。「Vijay 69」(2024年)は、69歳の老人が完走最年長記録を取るためにトライアスロンに挑戦するという映画だ。
射撃
インド人は集中力を要するスポーツを好む傾向にある。射撃はそのひとつだ。射撃選手のアビナヴ・ビンドラーは2008年の北京五輪10mエアライフルで、インド人初となる金メダルを獲得した。
「Saand Ki Aankh」(2019年)は射撃を題材にした映画だ。しかも、射撃をするのは農村在住の2人の老婆である。世界最高齢の女性スポーツ選手を主人公にした伝記映画である。「Desi Kattey」(2014年)は正統派のスポーツ映画ではないものの、物語の中に25mラピッドファイアーピストルという種目が登場し、エンディングにも関係してくる。
バスケットボール
バスケットボールは、映画の中の余興として登場することは多いのだが、バスケットボールそのものを題材にした映画はない。敢えてバスケットボール関連の映画として挙げるとすれば、「Half Girlfriend」(2017年)はバスケットボールによるスポーツ推薦枠で大学に入学した男女のロマンス映画だったし、「Chhichhore」(2019年/邦題:きっと、またあえる)では、寮対抗の大会で様々なスポーツがプレイされる中で、ラストを飾ったのはバスケットボールであった。「Chhalaang」(2020年)にもバスケットボールが登場する。
米映画ではあるが、インド人初のNBA選手になったサトナーム・スィンのドキュメンタリー映画「One in a Billion」(2016年)を観ると、インドにおけるバスケットボールの状況が少し分かる。
ラグビー
クリケット、テニス、ゴルフなど、旧宗主国である英国から多くのスポーツを吸収したインドだが、意外にもラグビーは盛んではない。よって、ラグビーを主題にした映画はほとんどない。しかしながら、「Jungle Cry」(2022年)は、2007年にU-14ラグビー・ワールドカップで優勝した少年たちを描いた実話にもとづくスポーツ映画である。
カバッディー
カバッディーはインド発祥のスポーツである。一言で言ってしまえば、格闘技に近い鬼ごっこである。カバッディーが映画の主題として発掘されたのは、2014年にプロリーグであるプロ・カバッディー・リーグが立ち上げられたからだと思われる。「Badlapur Boys」(2014年)や「Tevar」(2015年)は主人公がカバッディー選手であったし、「Panga」(2020年)では、元カバッディー選手の女性が結婚・出産後にカムバックする物語が語られた。また、主題ではないが、「Chhichhore」(2019年/邦題:きっと、またあえる)や「Chhalaang」(2020年)でもカバッディーが登場した。
硬式テニス
インドには、マヘーシュ・ブーパティ、リーンダー・パエス、サーニヤー・ミルザーなど、国際的なテニス選手が何人かおり、人気のスポーツのひとつである。ただ、ちゃんとしたコートや装備がないとできないスポーツであるため、富裕層のスポーツというイメージだ。
テニスが映画になることは少なく、今まで「Tennis Buddies」(2019年)ぐらいしか作られていない。ただ、この映画では本当のテニス選手が主演している。
バドミントン
バドミントンは、狭い敷地とちょっとした道具があればプレイできるスポーツであり、意外にインド人の間で人気である。また、世界的なバドミントン選手も出ており、人気に拍車を掛けている。女優ディーピカー・パードゥコーンの父親は世界ランク1位のバドミントン選手であり、彼女自身もモデルになる前はバドミントン選手だったのは有名な話だ。
「Saina」(2021年)は、インドを代表する女子バドミントン選手、サイナー・ネヘワールの伝記映画である。
スケート/スケートボード
珍しい部類に入るが、スケートやスケートボードを題材にしたスポーツ映画も作られている。インラインスケートを題材にした子供向け映画「Hawaa Hawaai」(2014年)と、スケートボードを題材にした映画「Skater Girl」(2021年/邦題:スケーターガール)である。
登山
これも珍しい部類に入るが、「Poorna」(2017年)は登山を題材にした映画だ。2014年に13歳11ヵ月でエベレスト登頂を成功させた少女プールナーの伝記映画である。
モータースポーツ
2000年代にインド人初のF1レーサー、ナーラーイン・カールティケーヤンが登場したことで、F1をはじめとしたモータースポーツもインドで注目されることになった。モータースポーツを主題にした映画としては、「Ta Ra Rum Pum」(2007年)がある。
ビリヤード
英国の植民地だっただけあり、インドでビリヤードは比較的よく遊ばれているスポーツだといえる。有名なインド人選手にはパンカジ・アードヴァーニーがいる。ビリヤードを題材にした映画としては「Toolsidas Junior」(2022年)がある。
カロム
カロム(キャロム)はビリヤードに似たルールのボードゲームであり、インドでは非常にポピュラーである。インドでは、チェスを含め、ボードゲームはスポーツに分類される。カロムを題材にした映画としては「Striker」(2010年)がある。「Chhichhore」(2019年/邦題:きっと、またあえる)でもカロムがプレイされていた。