Bhaag Milkha Bhaag

4.5
Bhaag Milkha Bhaag
「Bhaag Milkha Bhaag」

 先日、ヒンディー語映画界でもっとも権威のある映画賞であるフィルムフェア賞が発表された。インドに住んでいた頃は毎週ヒンディー語映画を観ていたため、フィルムフェア賞にノミネートされるほど重要な作品くらいは全て鑑賞済みであるのが普通であった。しかし、やはりインドを離れてしまうとそういうことも難しい。今年からは、フィルムフェア賞を参考にヒンディー語映画をDVDで地道に観て行くことになるのだろう。

 さて、2014年のフィルムフェア賞でもっとも多くの賞を獲得したのは、ラーケーシュ・オームプラカーシュ・メヘラー監督の「Bhaag Milkha Bhaag」であった。作品賞、監督賞、主演男優賞、作詞賞、プロダクション・デザイン賞、衣装賞などを受賞した。現地の評判も良く、是非観てみようと思い、DVDを取り出した。2013年7月12日公開の映画であり、その頃の重要な作品は既にDVDを取り寄せておいてあった。

 「Bhaag Milkha Bhaag」は、独立インドにおいて最も華々しい業績を上げた陸上競技選手ミルカー・スィンの人生を題材にした伝記映画である。200m走や400m走の選手だったミルカー・スィンが活躍したのは1950年代~60年代で、1956年のメルボルン五輪、1958年のアジア競技大会(東京)と英連邦スポーツ大会(カーディフ)、1960年のローマ五輪、1962年のアジア競技大会(ジャカルタ)、1964年の東京五輪などに出場、いくつもの金メダルを獲得している。21世紀に入ってヒンディー語映画界の中で完全にジャンルとして確立した「スポーツ映画」群の一種であり、陸上競技を題材にしている点では僕の出演した「Paan Singh Tomar」(2012年)とも似ているが、この伝記映画の中心テーマとなっているのは、スポーツ選手としての成功よりもむしろ、印パ分離独立問題であった。映画は、ミルカー・スィンが娘のソニア・サーンワルカーと共に執筆した自伝「The Race of My Life」(2013年)を原作としている。映画制作にあたって本人の協力も得ており、映画のストーリーはかなりの部分が実話に基づいていると考えられる。インド初代首相ジャワーハルラール・ネルーやパーキスターンのアユーブ・ハーン大統領など、実在の人物も登場する。

 監督のラーケーシュ・オームプラカーシュ・メヘラーは今まで「Rang De Basanti」(2006年)や「Delhi-6」(2009年)などの名作を送り出して来た俊英である。デリー出身、デリー大学卒であることから、僕は彼を「デリー派」監督の一人に数えている。音楽はシャンカル・エヘサーン・ロイ、作詞はプラスーン・ジョーシー。主役のミルカー・スィンを演じるのはファルハーン・アクタル。時代を変えた名作「Dil Chahta Hai」(2001年)の監督であるが、最近は俳優としての評価の方が高い。その他のキャストとして、ソーナム・カプール、ディヴィヤー・ダッター、パワン・マロートラー、ヨーグラージ・スィン、プラカーシュ・ラージ、アルト・マリク、KKラーイナー、ダリープ・ターヒルなどが出演している。また、変わったところでは、パーキスターン人女優ミーシャー・シャーフィーがチョイ役で出演しており、映画監督のラーケーシュ・オームプラカーシュ・メヘラーと音楽監督の一人ロイ・メンドーサがカメオ出演している。

 伝記映画ではあるが、主人公ミルカー・スィン(ファルハーン・アクタル)の生い立ちを時間軸に沿って追って行くような単純な語り口にはなっていない。まずは、彼の選手人生の中で最も汚点となっている1960年のローマ五輪400m走決勝から話が始まる。このときミルカーはメダル獲得が期待されており、実際にレースの序盤では先頭を走っていた。しかし、中盤で他の選手を気にして後ろを振り返ってしまい、それが原因で失速して4位に終わってしまった。期待が裏切られたことからインドではミルカーに対するバッシングが起き、彼は一気にスターダムから転げ落ちる。ちょうどその頃、印パ親善を目的とした競技会の話が持ち上がっており、試合がパーキスターンで行われることになる。ミルカーはインド代表選手団の団長に選ばれる。しかし、ミルカーにはパーキスターンへ行きたくない理由があり、連絡が取れない状態となっていた。ジャワーハルラール・ネルー首相(ダリープ・ターヒル)は秘書官のワードワー(KKライナー)を、ミルカーの住むチャンディーガルへ送る。それに同行したのが、ナショナルコーチのランヴィール・スィン(ヨーグラージ・スィン)と、ミルカーのかつてのコーチ、グルデーヴ・スィン(パワン・マロートラー)だった。二人はチャンディーガルまでの列車の中で、ワードワーにミルカーのそれまでの生い立ちについて話し出す。

 ランヴィールとグルデーヴは必ずしも時間軸通りに話をしないが、それを時間軸に沿ってまとめると、以下のようになる。ミルカー・スィンは1935年、ムルターン近くのゴーヴィンドプラーに生まれ育った。しかし、12歳の頃、印パ分離独立があり、彼の住む村はパーキスターン領となる。ヒンドゥー教徒やスィク教徒に対する虐殺が起こり、彼は目の前で両親を殺されてしまう。ミルカーはデリーの難民キャンプに辿り着き、結婚していた姉イスリー・カウル(ディヴィヤー・ダッター)の下に身を寄せる。だが、姉の旦那とは不仲で、周辺の不良少年たちと石炭を盗んでは小銭を稼ぐ小悪党となる。また、青年になったミルカーはデリー東部の移民コロニーであるシャーダラーに住むようになり、そこでビーロー(ソーナム・カプール)と恋に落ちる。

 ミルカーは陸軍に入隊し、鬼教官ヴィーラッパンディヤン(プラカーシュ・ラージ)の下でしごかれる。彼はスポーツ競技会出場に向けた強化選手に選ばれ、グルデーヴの下で訓練を積む。ミルカーは中距離走選手としての才能を開花させ、代表選手に選ばれ、すぐに国内チャンピオンとなる。しかし、このときまでにビーローは誰かと結婚して行方不明となっており、1956年のメルボルン五輪では、現地人女性ステラ(レベッカ・ブリーズ)との情事に溺れ、予選落ちの結果で終わってしまった。心を入れ替えたミルカーはインドに帰ると厳しい訓練に打ち込むようになり、1958年に東京で開催されたアジア競技大会を皮切りに、様々な大会で金メダルを獲得する。

 これらの話を聞いたワードワーは、ミルカーのトラウマを理解し、彼をパーキスターンに送ることを躊躇うようになる。だが、チャンディーガルでミルカーをデリーに招待し、ミルカーはネルー首相直々に説得され、最終的にはパーキスターンへ行くことになる。そこで彼と争ったのが、「アジアの台風」と呼ばれたパーキスターンが誇る陸上競技選手アブドゥル・カーリク(デーヴ・ギル)であった。二人はアユーブ・ハーン大統領の前で走り、ミルカーはアブドゥルを打ち負かす。大統領はミルカーを絶賛し、彼に「フライング・スィク」の称号を与えた。

 フィルムフェア賞の中でも作品賞、監督賞、主演男優賞など、重要な賞を多数勝ち得ただけあり、叙事詩的なスケールを持つ力作であった。伝記映画と言うと、ヒンディー語映画では過去に「Netaji Subhas Chandra Bose: The Forgotten Hero」(2004年)や「Mangal Pandey: The Rising」(2005年)など、期待外れの作品も少なくなかったのだが、さすがメヘラー監督、史実をなぞるだけの退屈な展開になってしまいがちなこのジャンルに、緊迫感とミステリーを上手に加えることに成功していた。ファルハーン・アクタルの主演男優賞受賞にも文句はない。

 また、比較対象としてティグマーンシュ・ドゥーリヤー監督の「Paan Singh Tomar」が挙がって来るのも避けられないだろう。パーン・スィン・トーマルはちょうどミルカー・スィンと同時代の陸上競技選手であり、スポーツよりもむしろ彼らがスポーツを越えた人生そのものの中で直面した問題を映画で扱っていたことも共通している。味付けはかなり異なっていたが、映画作りの巧さではメヘラー監督の方が一歩抜きん出ているように感じた。特に1958年に東京で行われたアジア競技大会は両映画が言及していたが、「Bhaag Milkha Bhaag」の方がより日本人に受け容れられやすい形で映像化できていた。

 これら2つの映画を並べてみると、興味深い共通点も見つかる。1950年代、まだまだインド人一般に「スポーツ」という概念が普及しておらず、スポーツ選手を輩出していたのは、比較的身体能力の長けた者が集まる陸軍だったということは、両映画から共通して読み取れる事実である。さらに、スポーツ選手を志望する若い軍人たちは、スポーツそのものや愛国心よりも、強化選手に選抜されることで特別な食事を与えられる特典があることに魅力を感じて頑張っていたという点もこれらが共通して描写していて面白い。

 しかしながら、パーン・スィン・トーマルの方は、スポーツ選手として収めた一定の業績が、その後の人生にプラスに働くことはなかった。その結果、彼は盗賊にならざるを得なくなる。一方、ミルカー・スィンは国民的英雄となり、首相から直々に声を掛けられるなど、恵まれた人生を送ったようである。この辺りはかなり違う。

 「Bhaag Milkha Bhaag」の中心的テーマは印パ分離独立(パーティション)によるトラウマだと言える。ミルカーは、分離独立時の混乱の中、両親を目の前で殺されるという悲劇に立ち会う。題名となっている「バーグ、ミルカー、バーグ」とは、「走れ、ミルカー、走れ」という意味であるが、これは単に陸上競技選手として「走れ!」と応援しているのではない。イスラーム教徒の暴徒に襲われた父親が、ミルカーだけは助けようと、彼に「立ち止まらずに、振り向かずに、逃げろ!」と叫ぶ声なのである。しかし、ミルカーは逃げながらも振り向いてしまう。そこで彼は、父親が首を切られる場面を目撃する。このトラウマが、劇中では、ローマ五輪で後ろを振り返って失速してしまった原因として理由付けされていた。それは本当の話ではないと思うが、映画的にはこれ以上ないほどうまくはまるピースとなっていた。

 そんなミルカーがトラウマを克服するシーンも用意されていた。ネルー首相に説得され、パーキスターンの土を踏んだミルカーは、記者会見をさぼって故郷の村を単身訪ねる。かつての自分の家に住んでいたのは、少年時代に共に通学していたサムプリート・スィンとその子供たちであった。彼は、イスラーム教徒の女性たちに助けられ、分離独立時の虐殺を生き延び、(おそらく改宗して)今まで生きて来たのだった。彼の家には、かつての親友ミルカー・スィンの写真が飾ってあった。サムプリートとの涙の再会は、ミルカーにとって、家族をイスラーム教徒に無残に殺されたトラウマを癒す画期的事件となり、その直後の試合でのミルカーの快走にもつながったのである。

 「Bhaag Milkha Bhaag」で最も弱いのはロマンスの部分だ。劇中にはビーロー、ステラ、そして水泳選手パリーザード(ミーシャー・シャーフィー)と、3人のヒロインが出て来るが、どのヒロインとも中途半端な関係しか持たない。そして、ビーローを演じたソーナム・カプールの演技も酷いものであった。いっそのこと彼女たちを出さなくても良かったのではないかと感じたし、どちらかというとパリーザートとの関係が気になったので、こちらに焦点を当てても良かったかもしれない。

 シャンカル・エヘサーン・ロイによる音楽は、変に時代を感じさせるようなものになっておらず、非常にモダンかつキャッチーであった。インドでは特に「Zinda」が人気のようだ。元々、映画音楽をBGM的に使う手法はメヘラー監督が始めたとされているが、音楽の使い方の巧さが光っていた。この音楽の良さも、「Paan Singh Tomar」に比べてアドバンテージとなっている。

 「Bhaag Milkha Bhaag」はロケ地もかなり面白い。ミルカーが中盤で修行をしていたのはヌブラ谷。ラダック地方の主都レーからさらに公式標高5,602m(実際は5,340mほどとされる)のカルドゥン峠を越えて行かなければならず、容易に到達できる場所ではない。少年時代のミルカーが過ごした難民キャンプはデリーのトゥグラカーバード城塞だ。デリーで最もお勧めの遺跡である。また、デリー東部のシャーダラーでも実際にロケが行われている。ミルカーの生まれ故郷ゴーヴィンドプラーのシーンは、インド領パンジャーブ州のフィーローズプルで撮影されたと言う。インド代表になってからミルカーが再訪するシーンでは、彼はロイヤルエンフィールドのミリタリー仕様バイクに乗っている。

 フィルムフェア賞に選ばれたこともあるが、「Bhaag Milkha Bhaag」は確かに2013年を代表する傑作だ。ラーケーシュ・オームプラカーシュ・メヘラー監督とファルハーン・アクタルに最大限の賛辞を送りたい。