Rang De Basanti

5.0
Rang De Basanti
「Rang De Basanti」

 今日はPVRプリヤーで待望の「Rang De Basanti」を観た。「Rang De Basanti」はアーミル・カーン主演の新作ヒンディー語映画である。彼が主演した歴史映画「Mangal Pandey: The Rising」(2005年)は昨年の独立記念日(8月15日)に合わせて公開されたが、最新作の「Rang De Basanti」は共和国記念日(1月26日)に合わせての公開となった。本当は1月20日に公開予定だったのだが、インド動物福祉局(AWBI)のメーナカー・ガーンディー局長が、映画制作者がAWBIの許可なく動物を映画撮影に使ったとして文句を言い、公開が1週間遅れた。

 かつて、アーミル・カーン渾身の歴史映画「Lagaan」(2001年)が公開された数ヶ月後に、同じくアーミル・カーン主演の、ムンバイーのハイソな若者たちの青春を綴った「Dil Chahta Hai」(2001年)が公開されたことがあった。「Lagaan」と「Dil Chahta Hai」、全く趣を異にする映画であったが、両方とも2001年を代表する大ヒット作品になった。てっきり僕は、この「Rang De Basanti」も「Dil Chahta Hai」のような青春グラフィティーかと思っていた。だが、いい意味で期待を裏切ってくれた。一言で表現するならば、「Rang De Basanti」は「Mangal Pandey」以上にインド人の愛国主義に呼びかける作品であり、しかもそれは偏屈なナショナリズムとは一線を画していた。1920年代~30年代にインド独立運動に関わったフリーダムファイターたちと、現代の若者たちをシンクロさせた映画だった。もちろんインド人の期待も非常に高く、PVRプリヤーは満員御礼、異常な盛り上がりを見せていた。僕は数日前に予めチケットを予約していたので苦労なく見ることができた。

 題名の「Rang De Basanti」とは「黄色に塗れ」という意味。監督は「Aks」(2001年)のラーケーシュ・オームプラカーシュ・メヘラー、音楽はARレヘマーン。キャストは、アーミル・カーン、アリス・パッテン、クナール・カプール、アトゥル・クルカルニー、ソーハー・アリー・カーン、マーダヴァン、シャルマン・ジョーシー、スィッダールト、アヌパム・ケール、モーハン・アーガーシェー、キラン・ケール、ワヒーダー・レヘマーン、オーム・プリー、スティーヴン・マッキントッシュなど。

 英国人の若手女性映画監督スー(アリス・パッテン)は、1920~30年代に英領インドで警察をしていた祖父の手記を見つけ、チャンドラシェーカル・アーザード、バガト・スィン、ラージグル、アシュファークッラー・カーンらフリーダム・ファイターの伝記映画の撮影を思い付く。ロンドンでスポンサーを見つけられなかったスーは撮影道具一式を持って単身デリーに降り立つ。

 スーは、インド人の友人ソニア(ソーハー・アリー・カーン)を通して、デリー大学の卒業生DJ(アーミル・カーン)のグループと出会う。DJは既に大学を卒業していたが、何もせずに仲間たちとパーティーに明け暮れている男だった。だが、不思議なカリスマがあり、彼は常に友達に取り囲まれていた。DJの親友は、敬虔なムスリムの家庭に生まれたアスラム(クナール・カプール)、実業家ラージナート・スィンガーニヤー(アヌパム・ケール)の息子カラン(スィッダールト)、お調子者のスキー(シャルマン・ジョーシー)、ソニアの恋人で空軍のパイロット、アジャイ(マーダヴァン)などであった。スーはDJたちを見た瞬間、自分の映画の俳優は彼らしかいないと感じ、彼らに演技をするように頼む。また、撮影の過程で、DJのグループと犬猿の仲だった、右翼政治家の卵ラクシュマン(アトゥル・クルカルニー)も映画のキャストに加わる。

 DJたちは、国のために命を投げ出す精神など全く理解できない今時の若者たちであった。最初は英領インド時代に自由と独立のために命を捧げた若者たちの行動を馬鹿にしながらもスーの映画のためにセリフを覚えたりしていた。だが、次第にアーザードたちの人生が彼らに影響を与え始める。映画も無事に完成する。

 映画も完成し、一息ついていたDJたちだったが、そのときアジャイの乗ったソ連製戦闘機MiG-21が墜落し、アジャイは殉死してしまう。アジャイは、戦闘機が民家に墜落しないようにギリギリまで操縦し、逃げ遅れたのだった。以前からMiGの性能には疑問が投げかけられており、多くの兵士たちがMiGの墜落のために命を落としていた。アジャイもその犠牲者となってしまったのだった。ところが国防大臣(モーハン・アーガーシェー)は、MiGが墜落するのは飛行機の欠陥ではなく、パイロットの無謀な運転のためだと言い張る。それを見たDJたちは激昂する。

 「このままではアジャイの死が無駄になってしまうばかりか、アジャイに汚名だけが着せられてしまう!」DJたちは集まって相談する。いつしか彼らは、チャンドラシェーカル・アーザードやバガト・スィンのように考えるようになっていた。結論は、「国防大臣の暗殺」であった。ラクシュマンのコネを使って拳銃を手に入れたDJは、早朝散歩に出かけているところを狙って大臣を射殺する。

 大臣暗殺事件は瞬く間にインド全土に広がったが、世論はDJたちの思惑から外れた方向へ行ってしまった。国防大臣は国のために殉死した英雄として祭り上げられた。それを見たDJたちは、バガト・スィンたちのように、自首して裁判所で真実を国民に伝えることに決める。DJたちは、ラジオ局を乗っ取って、国防大臣を暗殺したのは自分たちであること、そしてその理由は法律を国民を抑圧するために利用する政治家に対する見せしめであることを訴える。そしてリスナーからの質問に答える時間も取った。

 すぐさまラジオ局は警察に囲まれる。官憲が取った手段は非情であった――全員射殺。武器を捨てて手を上げて降伏する大学生に対しても警察は容赦なく銃を放った。結局、DJ、アスラム、ラクシュマン、スキー、カランの5人は警察に射殺されてしまう。

 アジャイのお気に入りだった廃墟。ここからは戦闘機が飛び立つ様子がよく見渡せた。そこに座って空を眺めるスーとソニア。地面には一面に、真っ黄色の菜の花畑が広がっていた・・・。

 英領インド時代の1920年代後半から30年代初めにかけて、マハートマー・ガーンディーの非暴力運動とは対照的に、過激な独立運動を行ったチャンドラシェーカル・アーザードやバガト・スィンの英雄譚と、現代インドの問題のひとつであるMiG-21の墜落問題を、魔法のような手法で融合させた傑作。もちろん、英領インド時代にインド人を抑圧した英国人と、現代において国民を抑圧している汚職政治家が重ね合わされているのは言うまでもない。副題は「A Generation Awakens(覚醒する世代)」。現代のインドの若者の堕落と同時に覚醒が、そして巨大な権力による抑圧と同時にそれに対する反抗までが描かれており、ただの愛国主義には留まらない。ハッピーエンドとは言えないが、それでもこれ以上にないほど美しい終わり方であった。国防大臣暗殺のシーンがあるなど、映画の内容を巡って空軍などと多少揉め事があったようだが、結局ゴーサインが出たようだ。敵はむしろ空軍や国防省よりもメーナカー・ガーンディーであった、という訳だ。とにもかくにも、ヒンディー語映画界の2006年には、この「Rang De Basanti」から始まるとしてしまってもいいだろう。

 映画は基本的に現代のインドが舞台だが、20世紀初頭の英領インドのシーンがカットバックで挿入され、メインストーリーの進行上もそのカットバックのシーンが重要な役割を担っている。それはスーの撮影する伝記映画の1シーンなのだが、同時にDJたちの心境の変化ともシンクロしている。DJ(アーミル・カーン)がチャンドラシェーカル・アーザード、アスラム(クナール・カプール)がアシュファークッラー・カーン、ラクシュマン(アトゥル・クルカルニー)がラームプラサード・ビスミル、カラン(スィッダールト)がバガト・スィン、スキー(シャルマン・ジョーシー)がラージグル、ソニア(ソーハー・アリー・カーン)がドゥルガー・バービーを演じていた。マハートマー・ガーンディーのサティヤーグラハ運動のことは何となく知っていても、バガト・スィンやチャンドラシェーカル・アーザードのことまで知っている日本人はあまり多くないだろう。だが、インド人は学校でインドを独立に導いたフリーダムファイターたちの英雄譚を習うため、彼らはかなり知名度の高い歴史上の人物だ。英領インド時代のシーンに出て来る重要な出来事は5つ。1919年4月13日のアムリトサルの虐殺(ジャリヤーンワーラー広場事件)、1925年8月29日のカーコーリー列車強盗事件、1928年10月30日のサイモン委員会ラーハウル到着と同年11月17日のラーラー・ラージパト・ラーイの死、1928年12月17日のサンダース暗殺事件、そして1929年4月8日の国会爆破事件である。以下、映画のストーリーと絡めて簡単に解説する。

アムリトサルの虐殺(ジャリヤーンワーラー広場事件)

 インド政庁は、第1次大戦終了後のインドの治安を維持するため、1919年3月に予防拘禁を含む弾圧法として悪名高いローラット法を制定した。ローラット法による活動家たちの逮捕に抗議してパンジャーブ地方アムリトサルのジャリヤーンワーラー広場に集まっていた丸腰の一般市民約2万人に、ダイヤー将軍率いる完全武装の英国軍が発砲した。これは死者1,000人以上を出す惨事となり、反英運動に火をつけることになった。バガト・スィンらもこの事件をきっかけに独立運動に加わるようになる。映画中では、この事件がアジャイの死と関連付けられていた。

カーコーリー列車強盗事件

 1925年8月29日、ラームプラサード・ビスミル率いる革命グループは、カーコーリー(ラクナウー近くの都市)を通過していた列車を襲撃し、インド政庁に送付中だった現金を強奪した。逮捕されたビスミルやアシュファークッラーは、1929年12月に絞首刑になった。死を前にしても、彼らは笑みを浮かべていたという。ちなみにカーコーリーはカバーブで有名な場所で、映画中でもアーミル・カーンが「カーコーリー・カバーブを食べて強盗して・・・」と口にする。

サイモン委員会とラージパト・ラーイの死

 英国政府は、1919年のインド統治法で約束された、インドの政体を評価するための評価委員会の派遣を、1928年に実行した。ジョン・サイモンを長とする委員会は通称サイモン委員会と呼ばれたが、その中に1人もインド人委員がいなかったことに激怒したインド人たちは、サイモン委員会反対のデモ運動を行った。この反対運動の最中、著名な独立運動家であったラーラー・ラージパト・ラーイがラーティー(警棒)で強打され、それが原因で彼は11月17日に死去してしまう。映画中では、DJたちはアジャイの死に対する抗議デモをインド門で行うが、これがサイモン委員会反対デモに相当すると考えていいだろう。そしてそのデモ中にアジャイの母親が警官にラーティーで頭を叩かれて意識不明の重態となってしまうが、これもラーラー・ラージパト・ラーイの死と明らかに関連している。

サンダース暗殺事件

 ラーラー・ラージパト・ラーイを殴ったのは、スコットという英国人警官であった。1928年12月17日、ラホールのDAV大学において、チャンドラシェーカル・アーザード、バガト・スィン、ラージグルらはスコットに復讐しようとするが、間違えてサンダースという英国人警官を射殺してしまう。アーザードらは逃走する。映画中では、同じようにDJらが国防大臣を暗殺する。

国会爆破事件

 サンダース暗殺事件により指名手配されたバガト・スィンは数ヶ月間姿をくらましていたが、1929年4月8日に同志バトゥケーシュワル・ダットと共に国会に現れ、傍聴席から2つの爆弾を投げ込んだ。そして二人は逃げようとせずに「インカラーブ・ズィンダーバード(革命万歳!)」とスローガンを連呼し続けた。二人は逮捕され、バガト・スィンはラホール刑務所に送られた。バガト・スィンは自分を政治犯だと主張し、適切な待遇を求めてハンガーストライキを行った。また、公判中に英国人によるインド統治の不当性を主張し続けた。1930年10月7日、バガト・スィンはサンダース暗殺と国会爆破の罪により死刑判決を受け、1931年3月23日、ラージグルやスクデーヴと共に死刑を執行された。映画中では、DJたちがラジオ局を占拠して、自首すると同時に政府批判を行うが、これはバガト・スィンの公判中の行動とシンクロしている。

 また、チャンドラシェーカル・アーザードはカーコーリー強奪事件以降、官憲から巧みに逃げ回るが、1931年2月27日、とうとう警察に取り囲まれてしまう。アーザードは逮捕されることを潔しとせず、拳銃自殺をして果てる。DJは自殺はしなかったものの、DJの死とアーザードの死は重ね合わされていた。

 このように、この映画のストーリーを理解するためには、20世紀初頭の独立運動の知識があると役に立つが、もうひとつ知っておかなければならないのはMiG-21に関する議論である。インドは1960年代からソビエト連邦(現在はロシア)より戦闘機MiG-21を購入し続けている。だが、MiG-21はよく墜落する戦闘機として有名だ。「フライング・コフィン(空飛ぶ棺)」と揶揄されることまである。2006年1月17日にも、グジャラート州ジャームナガル近くでMiG-21が墜落したばかりだ。映画の最後に表示される告知によると、過去15年間で200機以上のMiG-21が墜落し、70人以上のパイロットが命を落としたという。では、なぜそんな欠陥戦闘機を購入し続けるのか?その裏には、政治家や実業家が絡んだ汚ないマネーゲームがあるようだ。映画中では、カランの父ラージナート・スィンガーニヤーが、MiG-21の取引に関わっていたことが明かされていた。カランは、ラジオ局を占拠して自首する前に、父親を自らの手で射殺する。

 自堕落な若者が愛国心に目覚めていくというプロットは、「Lakshya」(2004年)と似通っている。しかし、「Lakshya」と「Rang De Basanti」の愛国心には大きな違いがある。「Lakshya」で描かれていたのは一本調子な愛国心に過ぎなかったが、「Rang De Basanti」では、国を盲従的に愛することが愛国心ではないことが示されていた。そこには多くの苦悩が見え隠れしていた。「完璧な国なんてどこにもない。だが、完璧にしていかなければならない。それをするのは俺たちなんだ。」こういうセリフが映画中で少なくとも2回繰り返された。決してインドを無意味に持ち上げるような愛国心の鼓舞の仕方はしていなかった。そして、さらにその愛国心の描写に深みを与えていたのが、スーという外国人の視点の存在であった。スーは、いわゆるインド好きの外国人である。英国でヒンディー語を習ってインドにやって来た。そして1日目からインドを愛してしまった。僕ともとても共通点があった。だが、我々外国人にとって、インドをいくら愛していると言っても、インドは自分の母国にはなりえない。もしインドが嫌になったら、我々はすぐに自分の国に帰ることができる。外国人の「インド好き」は、多くの場合、非常に無責任で身勝手なものであることが見抜かれていた。「俺たちはどのみちこの国で生きていかなきゃならないんだ!」イスラーム教徒のアスラムはスーに叫んでいた。確かに外国に移住するインド人も少なくない。インドが嫌だったら、米国でも英国でも、移住してしまえばいいだろう。だが、それが果たしてインド人として正しい行動なのか?インドのために正しい行動なのか?映画中ではそういうインドを見捨てて外国へ逃亡するインド人に対して批判めいたセリフもあった。映画の中で、DJたちのグループは皆、「インドは駄目な国だ」と認めていた。だが、それでも、「俺たちで何とかすることができる、何とかしていかなくちゃならないんだ」そういう熱いメッセージがヒシヒシと感じられた。現代のインド人の若者の、インドに対する正直な態度がよく描写されていたのではないかと思う。

 だが、国防大臣暗殺のプロットは唐突過ぎたようにも思える。もし主張が通らなかったら、力に訴えてもいいのか?毒をもって毒を制するしか方法はないのか?この安易な筋書きには多少落胆させられた。まるで暴力革命を流布しようとしているかのようだ。インド政府も、よくこんな筋の映画の公開を許可したな、と逆に感心してしまった。だが、ラジオ局占拠のシーンは緊迫感があってよかった。ちなみに、国防大臣暗殺のシーンでは観客から歓声が上がっていた。

 「Rang De Basanti」は前述の通り、「黄色に塗れ」という意味である。ローリング・ストーンズの「Paint It Black(黒く塗れ)」のような題名だ。この題名の意味は、最後になってようやく明かされる。それは、一面に広がる菜の花畑であった。バガト・スィンは子供の頃、実を植えるとそれが木になって多くの実を付けるのを見て、銃をたくさん作って革命を起こすために銃を地面に植えたという伝説がある。おそらくそれと少し関連しているのだろう。だが、この映画で畑一杯に広がったのは、銃ではなく黄色い菜の花であった。その畑は、DJたちがかつて裸になって走り回った場所であった。エンディングで、その一面の黄色い絨毯を、スーとソニアが見つめる。

 一応この映画はアーミル・カーンが主役ということになるが、彼の最近の映画とは違って、それほどアーミル・カーン独断場という訳でもなかった。おいしい場面を他の俳優に譲っている部分がいくつかあったように思えた。その点で、俳優としての成熟を感じた。アーミル・カーンがアドリブっぽい踊りを踊るシーンがいくつかあるのだが、同じような踊りを「Mangal Pandey」でも見せていた。クルクル回転しながら飛び跳ねるような踊りである。もしかしてこれはアーミル・カーンの素の踊りなのだろうか?

 ソーハー・アリー・カーンはだいぶいい女優に成長してきた。特にアジャイが死んだときのソニアの取り乱しぶりや、「国防大臣を殺せ!」とつぶやくシーンは迫真の演技であった。映画中、パタウディー・パレスが少しだけ登場したが、これはソーハー・アリー・カーンのコネによって実現したのだろうか?パタウディー・パレスは「Mangal Pandey」でもロケ地になった場所で、彼女やその兄のサイフ・アリー・カーンと関係の深い宮殿である。

 アーミル・カーンの映画にはなぜかよく英国人女優が出て来るが、今回スーを演じたアリス・パッテンは今まででベストと言ってもいいかもしれない。キャメロン・ディアスを若くしたような外見に、いい意味で外国人っぽいヒンディー語、そしてはつらつとした演技、彼女がいたおかげで「Rang De Basanti」は実現したと言ってもいいだろう。一緒にバングラー・ダンスを踊るシーンなんか、本当にインドを楽しんでいる感じだった。

 脇役の中では、アトゥル・クルカルニー、クナール・カプール、シャルマン・ジョーシーなどの演技が良かった。その他にも有名俳優がチョイ役で出演していて、アーミル・カーンの力を思い知らされた。中でもキラン・ケールがわずかな表情の変化で物を語る高度な演技をしていて光っていた。夫のアヌパム・ケールやオーム・プリーはあまり出番がなかった。ワヒーダー・レヘマーンやモーハン・アガーシェーは目立ちもせず、隠れもせずの適切な演技であったと言える。カランを演じたスィッダールトは、マニ・ラトナム監督の「Kannathil Muthamittal」(2002年)で助監督を務めた男で、タミル語映画に俳優として数本出演している。クナール・カプールも実は「Aks」(2001年)で助監督をしている。

 音楽はARレヘマーン。ダレール・メヘンディーが歌うパンジャビー・ナンバー「Rang De Basanti」、いかにも青春と言った感じの「Paathshala」などがよかった。「Khalbali」という曲ではNACIM(ナスィーム?)というアラビア語歌手がアラビア語の歌詞を歌っている。最近ヒンディー語映画の曲では、アラビア語やペルシア語の歌詞が登場するようになった。「Murder」(2004年)の「Kaho Na Kaho」、「Bluffmaster!」(2005年)の「Bure Bure/Boro Boro」などである(ek-japani氏のヒンズー語ではありません。のこの記事やこの記事を参照)。日本人の音楽の方向性とは別の方面で、インドでは音楽シーンのグローバル化が進みつつあるように思える。もともと中東とインドは地続きだし、歴史的にも密接な関係を持っているので、当然と言えば当然なのかもしれない。ドバイにインド人が多く住んでいることが、インド音楽に中東の音楽の影響が表れてきていることと関連しているように感じられる。また、「Paaathshala – Be A Rebel」という曲ではタミル人ラッパーのBlaaze(ブラーセーと読むようだ)が英語ラップ歌詞を歌っている。Blaazeの本名はゴーパーラクリシュナ。ARレヘマーンのお気に入りで、タミル語映画「Boys」(2003年)や「New」(2004年)などでコレボレーションをしている。Blaazeはヒンディー語映画「Bunty Aur Babli」(2005年)でもラップ調の「B n B」を歌っていた。

 映画中に出て来る詩「Sarfaroshi ki Tamanna(殉国の熱望)」は、詩人でもあったラームプラサード・ビスミルによる有名な詩である。ビスミルやアシュファークッラーは逮捕された後も、この詩を唱えることによって拷問に耐えていたという。この詩は歌となって映画中に使われているが、アーミル・カーンがヴォーカルを務めている。また、アムリトサルの黄金寺院のシーンで流れる「Ik Onkaar」は、スィク教の聖典グル・グラント・サーヒブの一節である。

 アーミル・カーンやキラン・ケールがパンジャービーという設定であるため、セリフの多くはパンジャービー語ミックスのヒンディー語になっていた。パンジャーブ圏に入るデリーの観客は大変盛り上がっていたが、パンジャービー語が分からないと笑えるシーンがだいぶ少なくなってしまうように感じた。また、スキーが話す言語はハリヤーナー州のジャートの言葉のようだ。スーのヒンディー語はなかなか分かりやすかった。「Lagaan」の英国人のヒンディー語よりも数倍うまい。ただ、欧米人はやっぱり長母音と短母音の区別が苦手みたいだ。ちなみに、スーが英国人上司に口走る「Tumhaari Maa Ki Aankh」とは、「お前の母ちゃんの目」という意味で、ヒンディー語の悪口のひとつである。

 DJたちはデリー大学の学生という設定であるため、デリーの見慣れた風景がよく出てきた。ロケ地で特定できたのは、国内線空港の到着ロビー、メディカル交差点のフライオーバー、ハビタット・センター(大学の校舎ということになっていた)、大統領官邸、インド門などだ。他に、アムリトサルの黄金寺院や、パタウディーのパタウディー・パレスなどが出てきた。DJたちが「クラスルーム」と呼んでいた階段井戸や、アジャイがソニアにプロポーズしたサラーイ(宿営所)跡は、どこにあるか特定できなかった。

 そういえば、ミュージカル「Rang De Basanti」では、ジャイアント馬場のような巨大なペヘルワーン(力士)が出てきてアーミル・カーン演じるDJを軽々と投げ飛ばすシーンがある。あれはすごい。来年くらいにK-1に出て来るのではなかろうか?

 あと、しょうもないことだが、一瞬だけドラゴンボールの絵とドラえもんが出て来るので注目。というか、これがあるせいで日本公開は難しいかも・・・!

 「Rang De Basanti」は2006年の押しも押されぬ期待作であり、しかもその期待に十二分に応えてくれる名作である。はっきり言って、「Mangal Pandey」よりも面白かった。この映画がインド全土に学園紛争を巻き起こすことはないと思うが、きっと影響される若者が出て来るはずである。最近は海外在住のインド人を主なターゲットに据えたヒンディー語映画が増えてきてしまったが、この映画は国内向けの情感と海外向けの情感のバランスがよく取れていたと思う。21世紀のインド映画の鑑のような傑作だと言える。