Shiddat

3.5
「Shiddat」

 世界で難民の密入国問題が取り沙汰されるようになって久しい。難民となってヨーロッパ諸国に流入する人々は、アフリカ、シリア、イラク、アフガーニスターンなどが多いイメージだ。その中に果たしてインド人がどのくらい含まれているのかは分からない。だが、ヒンディー語映画界はこのような世界情勢を受けて、密入国問題をも映画に取り込んで来ている。「Namaste England」(2018年)は、主人公がロンドンに密入国をしてまで愛しい人に会いに行く物語であった。

 2021年10月1日からDisney+ Hotstarで配信開始されたヒンディー語映画「Shiddat」も、密入国ロマンス映画の一種と言える。プロデューサーはブーシャン・クマールとディネーシュ・ヴィジャーン。監督は「Jannat」(2008年)などのクナール・デーシュムク。主演は、ヴィッキー・カウシャルの弟サニー・カウシャル。ヒロインは「Mard Ko Dard Nahi Hota」(2019年/邦題:燃えよスーリヤ!!)などのラーディカー・マダン。他に、モーヒト・ライナー、ダイアナ・ペンティーなどが出演している。

 ちなみに、題名の「Shiddat」とは、「激しさ」とか「苦労」と言った意味だ。一般にはあまり使われていなかった単語だが、大ヒット映画「Om Shanti Om」(2007年)でシャールク・カーンが言った以下の台詞で使われ、有名になった。

इतनी सिद्दत से मैंने तुम्हें पाने की कोशिश की है, हर ज़र्रे ने तुमसे मिलाने की साजिश की है।
itni siddat se maine tumhein paane ki koshish ki hai, har zarre ne tumse milaane ki saajish ki hai.
私は君を手に入れるために一生懸命努力をし、世界が君を手に入れさせるために協力した。

 外交官のガウタム(モーヒト・ライナー)は、イラー(ダイアナ・ペンティー)との結婚式で、会場に忍び込んでただ酒を飲んでいた青年ジャッギー(サニー・カウシャル)と出会った。

 それから3年後。ジャッギーはフランスに密入国し逮捕される。ちょうどフランスのインド大使館に勤務していたガウタムはジャッギーを見つけ、話を聞く。

 ジャッギーはホッケーの選手だった。3ヶ月前、スポーツの全国大会で水泳選手カールティカー(ラーディカー・マダン)と出会い、恋に落ちる。だが、カールティカーは3ヶ月後にロンドンで結婚することが決まっていた。だが、もし結婚式前にロンドンまで来たら結婚をキャンセルすると言う。それを信じてジャッギーはロンドン行きを目指したが、ヴィザが下りず、密入国しようとしていたのだった。

 ジャッギーはガウタムとイラーのロマンスをお手本にしていたが、ガウタムの結婚生活は過去3年間で変わり果てていた。社会活動家のイラーの考えと、政府の役人であるガウタムの考えは折り合わず、衝突が絶えなくなり、現在は別居状態にあったのである。

 ジャッギーはガウタムとイラーの仲を取り持とうとし、ガウタムもジャッギーの恋愛を助けようとする。ガウタムはジャッギーのパスポートを偽造し、飛行機でロンドンに連れて行こうとするが、寸前で出入国管理局にばれてしまう。だが、ジャッギーは飛行機の車輪格納庫に隠れた。飛行機は飛び立つが、ジャッギーは着陸前に落下し、死んでしまう。

 ガウタムとイラーの結婚生活と、ジャッギーとカールティカーの恋愛がお互いに影響を与えながら進行するロマンス映画だった。ガウタムとイラーの破綻しかけていた結婚生活はジャッギーのおかげで持ち直すが、ジャッギーは自分の恋愛に命を捧げ、死亡する。ひとつのカップルが仲直りをすると同時に、もうひとつのカップルが一方の死により成就せず、複雑な感情を催すエンディングとなっていた。

 ジャッギーとカールティカーの出会いはスポーツ大会においてだった。ジャッギーはホッケー選手、カールティカーは水泳選手だった。インド映画において水泳が出て来ることはあまりないのだが、例えば「My Brother…Nikhil」(2005年)や「Bhaag Milkha Bhaag」(2013年/邦題:ミルカ)などでは水泳が出て来た。「Shiddat」では、単にカールティカーの人物設定の一環として水泳が出て来ただけでなく、水泳がストーリー上の意外な伏線になっていたのがユニークだった。金槌だったジャッギーは、カールティカーに出会ったことで水泳を学び、少し泳げるようになる。後半でジャッギーはフランスまで辿り着くが、カールティカーのいる英国に辿り着くためにはドーバー海峡が立ち塞がっていた。ジャッギーは泳いでドーバー海峡を渡ろうとする。まるで「マリリンに逢いたい」(1988年)のようだったが、素人のスイマーであるジャッギーに、34kmあるドーバー海峡を泳ぎ切ることは不可能で、途中で溺れて沿岸警備隊に救助された。また、カールティカーを演じたラーディカー・マダンは元々運動神経がよく、水泳のシーンは自分で泳いでいた可能性がある。

 「Namaste England」でも密入国の「コツ」がかなり詳しく描写されていたが、「Shiddat」と共通点があった。それは、トラックの荷室に不法移民が隠れていないか確かめるために、フランスのカレー(Calais)にあるチェックポストで二酸化炭素の量が測定されることである。荷室の扉をいちいち開けなくても、荷室の空気の二酸化炭素を測定すれば、人が隠れていないか分かるようだ。「Namaste England」でも「Shiddat」でも、チェックポストに差し掛かると、不法移民たちは頭をビニール袋で覆い、息を止めて、二酸化炭素を排出しないようにしていた。「Namaste England」では成功するが、「Shiddat」では失敗し、逮捕されてしまう。なお、「Namaste England」でのインドから英国への密入国ルートは、バングラデシュ、ベルギー、フランスを経由していたが、「Shiddat」ではジャッギーはどうも陸路でヨーロッパまで来たようである。

 インドのロマンス映画では永遠のテーマだが、結婚が差し迫ったときに、本当に愛している人と駆け落ちしてでも結婚するか、両親の決めた人と無難な結婚をするか、大きな問題である。「Shiddat」では、カールティカーの許嫁がどのような人物なのか全く描写されておらず、判断がしにくいのだが、おそらくは両親の決めた、それなりに地位のある人物であろう。現実的に考えれば、許嫁と結婚するのがカールティカーにとっては賢い選択だった。しかし、自分に会うためにドーバー海峡を泳いで渡って来ようとするもう一人の男性もおり、カールティカーはどちらを選んでいいか分からなくなる。

 この映画で面白いと思ったのは、カールティカーのそんな葛藤を、母親ではなく父親が直感し、彼女にアドバイスを与えていたことだった。恋愛相手よりも両親の決めた相手と結婚することを選んだ親が、自分の子供に、同じように現実的な結婚を勧める流れは、「Barfi!」(2012年/邦題:バルフィ!人生に唄えば)などでも見られたものだ。だが、多くの場合、娘に対しては母親がそういうアドバイスをする。「Shiddat」では、母親の存在感は薄く、父親が自分の過去の経験を踏まえてカールティカーに、家族の幸せを取ることの重要性を説く。決して一方的に娘に結婚を強要するのではなく、説得しようとしているところが新しかった。21世紀に入り、ヒンディー語映画の父親像はだいぶ変化し、かなり理解のある父親が増えて来たが、「Shiddat」におけるカールティカーの父親は、また新しいタイプの父親だと感じた。

 サニー・カウシャルは、俳優としてはまだまだ駆け出しであるが、好演していたと言えるだろう。だが、「Shiddat」ではヒロインのラーディカー・マダンの演技の方が目立った。ハスキーボイスで、口の上で転がすようにしゃべる彼女の独特なしゃべり方は、今時の若者と言った感じだが、聴き取りづらいのが玉に瑕だ。しかしながら、ガウタムと電話で、許嫁を取るべきかジャッギーを取るべきか「混乱している」と涙ながらに訴えるシーンなど、強烈なインパクトを残す演技が多かった。上述の通り、水泳のシーンも堂々と自分で演じ切っていた。

 モーヒト・ライナーも、ハードボイルドな演技をしていて良かった。だが、こちらのカップルについても、ダイアナ・ペンティーの成長の方に目が行った。どちらかというとルックス優先のヒロイン女優というイメージがあったが、「Shiddat」で彼女が見せた演技は、女優としての覚悟を感じさせられるものだった。

 「Shiddat」は、「Namaste England」に続く密入国ロマンスである。2組のカップルの関係が重層的に描写される中で、男女の関係の複雑さと、その解決法の単純さが浮き彫りにされる。そのコツとは、題名にもなっている「Shiddat」である。一生懸命相手を愛し、真摯に相手に向き合うことだ。また、ラーディカー・マダンとダイアナ・ペンティーという二人のヒロインの演技が素晴らしかった。OTT(配信スルー)作品の中では良作に分類できる。