Kuch Kuch Hota Hai

5.0
Kuch Kuch Hota Hai

 インド映画は100年以上の歴史を誇り、珠玉の名作がいくつもあるが、1998年10月16日公開のヒンディー語映画「Kuch Kuch Hota Hai(何かが起こっている)」は、インド人の誰もが大好きな傑作中の傑作として、今後も永遠に愛される作品のひとつになるであろう。インド映画、そしてヒンディー語映画を語る上で欠かせないこの重要な作品を、2022年6月11日に改めて見返し、その価値を論じたい。

 監督はカラン・ジョーハル。後にヒンディー語映画界の重鎮となる彼にとって、「Kuch Kuch Hota Hai」はデビュー作になる。主演はシャールク・カーン、カージョル、ラーニー・ムカルジー。シャールクとカージョルは映画公開時に既に押しも押されもしないスターになっていたが、ラーニーだけはまだデビューから比較的日が浅かった。映画の中でも彼女はセカンドヒロイン扱いだ。ちなみにカージョルとラーニーは従姉妹である。

 この三人に加えて、サルマーン・カーンが特別出演しているのも特筆すべきである。既にこの頃からシャールクとサルマーンは「3カーン」と呼ばれており、この二人の共演はそれだけで話題性があった。また、特別出演とはいえ、サルマーンが演じるのは特別出演の域を超えた重要な役である。

 その他のキャストには、サナー・サイード(子役)、ファリーダー・ジャラール、リーマー・ラーグー、アルチャナー・プーラン・スィン、ヒマーニー・シヴプリー、ジョニー・リーヴァル、アヌパム・ケール、パルザーン・ダストゥール(子役)、ニーラム・コーターリーなどが名を連ねている。8歳の少女アンジャリ役を演じたサナー・サイードはその後女優になり、「Student of the Year」(2012年)などに出演したが、大成はしていない。また、言葉をしゃべらないスィク教徒の少年を演じたパルザーン・ダストゥールも男優として「Parzania」(2007年)などに出演している。

 下にあらすじを載せるが、アンジャリというキャラが2人登場してややこしいので、便宜的にサナー・サイード演じるアンジャリを「少女アンジャリ」と書くことにする。

 8歳の少女アンジャリ(サナー・サイード)はムンバイーで父親のラーフル(シャールク・カーン)、祖母のサヴィター(ファリーダー・ジャラール)と共に住んでいた。母親のティナ(ラーニー・ムカルジー)は、少女アンジャリの出産直後に亡くなっていたが、生まれたばかりの少女アンジャリに宛てて8通の手紙を残していた。少女アンジャリは、誕生日ごとに死んだ母親からの手紙を読めるのを楽しみにしていた。

 8歳の誕生日、少女アンジャリは母親からの8通目の手紙を読む。そこには、大学時代にラーフルの親友だった女性アンジャリ(カージョル)のことが綴られていた。ラーフルとアンジャリは親友だったにもかかわらず、ロンドンから転校してきたティナがラーフルと結婚し、アンジャリは大学を卒業せずに去って行ってしまったのだった。ティナは、ラーフルをアンジャリと再婚させる使命を少女アンジャリに託す。

 ところが、アンジャリはアマン(サルマーン・カーン)と婚約しており、間もなく結婚式が行われることになっていた。少女アンジャリは、アンジャリがシムラーのサマーキャンプで働いていることを突き止め、父親の反対を押し切ってサヴィターと共に参加する。そこで、少女アンジャリはアンジャリと顔を合わせ、アンジャリも、少女アンジャリがラーフルとティナの娘だということを知って心を動かされる。

 少女アンジャリはキャンプにラーフルをおびき出し、アンジャリと再会させる。そして二人をくっ付けようと画策するが、キャンプにアマンもやって来てしまい、計画は台無しになる。婚約者のアマンを裏切ることができなかったアンジャリは、ラーフルから逃げるようにキャンプを後にする。

 アンジャリとアマンの結婚式にはラーフル、少女アンジャリ、サヴィターなども出席する。そこでアマンは、アンジャリが愛しているのはラーフルであることを実感し、アンジャリをラーフルに譲る。こうしてラーフルとアンジャリの結婚式が行われた。

 カラン・ジョーハル監督は、公式に認めていないものの、ゲイである。改めて彼のデビュー作「Kuch Kuch Hota Hai」を観てみると、男性心理よりも女性心理の方がよく描かれた作品だと感じる。ラーフルやアマンの人物設定はフワフワしていて現実味がない一方で、女性キャラはアンジャリ、ティナから少女アンジャリ、母親サヴィターまで、よく描写されており、彼女たちの心の動きにほぼ集中して物語は進む。男性監督作品としてはユニークな映画だ。

 映画の中心議題はラーフルの再婚である。妻のティナに先だたれたラーフルは、8年間再婚せずに娘のアンジャリを育ててきた。母親はラーフルに再婚を勧めるが、彼は首を縦に振らない。それは、娘のためでもあっただろうが、大学時代の親友アンジャリ以上の再婚相手候補とは出合えず、しかもアンジャリとは音信不通だったためでもあった。通常、父親の再婚は娘から拒絶されるものだが、死んだ母親ティナの手紙というギミックを効果的に使うことで、娘のアンジャリの方が父親の再婚相手の有力候補アンジャリを探し出し、二人をくっ付けようとするという心温まるストーリーに変換されていた。よって、「Kuch Kuch Hota Hai」には悪役らしき悪役が存在しない。まるで理想郷のような環境の中で映画は進んで行く。全年齢層が楽しめる家族向け映画を志向した1990年代のヒンディー語映画にありがちなパターンだ。

 インド社会では、女性の再婚は問題視されるが、男性の再婚は許容されている。よって、ラーフルが別の女性と再婚することについて、家族の承認さえあれば、何の問題もない。しかしながら、インド社会にはもうひとつの信念があり、それが物語の枷になっていた。それは、「恋愛は一生に一度のみ」というものだ。ラーフルは何度も「恋愛は一度きり」という発言を繰り返すが、これは多くのインド人が信じていることでもある。ラーフルが再婚に否定的だった最大の理由は、この信念だった。

 ただ、ラーフルは「恋愛とは友情である」という私見も表明していた。ラーフルにとって、一番の親友はアンジャリだった。もしそれらを総合するならば、彼の真の恋愛相手はティナではなく最初からアンジャリであり、アンジャリとの再婚は「恋愛は一度きり」の信念とも矛盾しないことになる。そうなるとティナの立場が途端に可哀想なものになってしまうのだが、ティナもラーフルとアンジャリの固い絆を自覚しており、自分がラーフルをアンジャリから横取りしてしまったと感じていた。自分の死を悟ったとき、彼女はラーフルをアンジャリに返すことを決意する。

 その方法はあまりにメロドラマだ。自分の娘に手紙を書き、彼女が8歳になったときにラーフルとアンジャリを引き合わせて再婚させるように指令を出す。普通に考えたら、アンジャリが8年も未婚のままとは考えられないのだが、そこは映画なので、都合よく物語が進む。

 ラーフル以上にアマンのキャラは薄っぺらかった。特別出演だから仕方ないのかもしれないが、アマンの薄さはこの映画の欠点になり得る。長い間口説いてきたアンジャリとようやく結婚することになったのだが、その直前に彼女が昔から想ってきたラーフルの存在を知り、彼に彼女を譲ってしまう。アマンのそのジェントルマンすぎる行動は映画のハッピーエンドに大きく貢献していたのだが、現実にはほぼ有り得ない行動である。

 ドラマやロマンスに加えて、様々な要素が雑多に入っていたのは時代を感じさせる。例えばバスケットボールはラーフルとアンジャリの絆を示す事物であった。バスケの試合シーンはかなりお粗末で、スポーツ映画の走りとレッテル貼りすることには抵抗があるが、当時としては異例の扱いであろう。「Dumb Charades」と呼ばれる連想ゲームのような遊びも効果的にストーリーに織り込まれていた。

 年配層を意識してか、信仰心に訴えかけるシーンもいくつかあった。ヒンドゥー教のバジャン(宗教賛歌)がいくつか出て来る他、イスラーム教の祈りを捧げるシーンもあり、バランスが取られていた。そして、愛国心を喚起するシーンもあった。

 コミカルなシーンも秀逸だった。その大きな担い手になっていたのはアヌパム・ケールとジョニー・リーヴァルの二人だ。子役のサナー・サイードとパルザーン・ダストゥールも健気な演技で映画を盛り上げていた。

 サミール作詞、ジャティン・ラリト作曲の楽曲も名曲ばかりである。タイトルソング「Kuch Kuch Hota Hai」は、イントロが流れただけでインド人の涙腺を刺激する。「Koi Mil Gaya」、「Ladki Badi Anjaani Hai」、「Yeh Ladka Hai Deewana」など、大学時代やキャンプのシーンを彩る元気な曲も多い。

 改めて見直して気付いたが、「Kuch Kuch Hota Hai」では意外に地名が特定されている。ラーフルと少女アンジャリが住んでいるのはムンバイー、ラーフルやアンジャリが通った大学はファリーダーバード、サマーキャンプはシムラーなど、特定の地名が登場する。ただ、ロケは必ずしも当地では行われていない。映画の大部分はモーリシャスで撮られたようだ。

 「Kuch Kuch Hota Hai」は、インド映画史に永久に残る不朽の名作である。あらゆる意味で重要な映画であり、インド映画ファンには必見の映画である。また、どのインド人も大好きな映画なので、インド人との話のネタが欲しい人にもオススメだ。