イスラーム教

 一般的な日本人はインドをヒンドゥー教の国、もしくは仏教の国と考えているかもしれない。だが、例えばインドの観光地を巡ると、イスラーム教関連の史跡が多いことに気付くだろう。世界的に有名なタージマハルもイスラーム教建築である。インドは、意外にもイスラーム教の影響が強い国なのである。印パ分離独立時に多数のイスラーム教徒が新国家パーキスターンに移住したとはいえ、現在でもイスラーム教徒はインドの全人口の約15%を占めている。インドではイスラーム教徒は「ムスリム(Muslim)」とか「ムハンマダン(Mohammedan)」などと呼ばれる。

インドとイスラーム教

 イスラーム教は、7世紀にアラブ地方においてムハンマドによって創始された宗教である。元々はアラブ人の宗教だったが、勢力を拡大するに従って周辺民族を取り込み、世界宗教へと発展した。

 インド亜大陸にはムハンマド存命中の7世紀前半にイスラーム教が伝わった可能性も指摘されている。イスラーム教徒の為政者がインド亜大陸の一地域に初めて支配権を確立したのは8世紀初頭である。その後も、移民や貿易などを通してイスラーム教は波状的にインド亜大陸に伝わったと考えられるが、13世紀初頭にデリーにサルタナト朝が確立して以降、インド亜大陸で継続的にいくつものイスラーム教政権が興亡することとなり、イスラーム教徒人口の増加につながった。

 現在、南アジアはインド、パーキスターン、バングラデシュ、アフガーニスターン、スリランカなどの国に分かれているが、もしこれらをひとつの地域と捉えると、この地域のイスラーム教徒人口は6億人に達する。一般には2億人のイスラーム教徒人口を抱えるインドネシアが世界最大のイスラーム教国とされているが、南アジア全域のイスラーム教徒人口はそれを遥かに上回る。東南アジア全域で見ても、南アジアの優位は揺るがない。また、南アジアのイスラーム教徒人口は、イスラーム教本家本元のイメージがある中東のイスラーム教徒人口の2倍に達する。

イスラーム教の教義

 イスラーム教は、アッラーを唯一の神として信仰する一神教の代表である。偶像崇拝禁止でもよく知られる。イスラーム教を創始したムハンマドは「神の使徒」であり、神からの啓示を受けた「預言者」と呼ばれ、彼が受けた啓示をアラビア語で記述した聖典「クルアーン(コーラン)」や、彼の言行をまとめた「ハディース」がイスラーム教徒の信仰や生活規範の拠り所になっている。

 インド土着の宗教であるヒンドゥー教が、教義の曖昧な宗教であるのに対し、イスラーム教には文書化された厳格な教義が存在し、イスラーム教徒は、個人差や地域差、そして時代の差などはあれ、それを守ろうとする。いわばヒンドゥー教が校則の緩い自由な校風の学校だとしたら、イスラーム教は躾を重視した校則の厳しい学校である。

 クルアーンやハディースを根拠にイスラーム法が整備されており、それは「シャリーア」と呼ばれる。イスラーム教を国教にしている国ではシャリーアを国家の正式な法律にしてしまっていることもあるが、インドではそれは当てはまらない。よって、インドに住むイスラーム教徒は、インドの憲法・法律とシャリーアという2つの法体系に身を置いて生活しているといえる。

 イスラーム教の有名な教義は「5行」または「5柱」とよばれる下記のものである。

  1. シャハーダ(Shahada):信仰告白
  2. サラー(Salah):礼拝
  3. ザカート(Zakat):喜捨
  4. サウム(Saum):断食
  5. ハッジ(Hajj):巡礼

 イスラーム教徒になるのは簡単で、イスラーム教徒の証人の前で、「アッラーの他に神はなく、ムハンマドは神の使徒なり(ラー・イラーハ・イッラッラー、ムハンマドゥン・ラスールッラー)」という信仰告白をアラビア語で3回唱えればいい。とあるパーキスターン料理店で、これを3回唱えたら割引というキャンペーンを呑気な日本人客相手に行っているのを見たことがあるが、実はとんでもないことをしている。

 イスラーム教徒が1日に5回、聖地マッカ(メッカ)の方角に向けて礼拝を行うのは有名だ。インドでは、仕事を放り出してまで礼拝をしている人をあまり見ないが、イスラーム教の国では、タクシーに乗っていたら急に運転手が車を道端に止めて礼拝をし出して列車に乗り遅れた、などというハプニングは日常茶飯事である。モスクからは、礼拝を呼び掛けるアザーンが大音響で放送されるが、この毎度の騒音に旅情を感じるようになる旅行者は少なくない。

 礼拝は基本的にどこでも行っていいが、もっとも最適な場所はモスクである。ヒンディー語では「मसजिदマスジド」という。イスラーム教においてもっとも重視される曜日は金曜日で、この日、イスラーム教徒たちは地域のモスクに集まって集団で礼拝をする。イスラーム国家では金曜日が休日のことが多いが、インドでは日本と同じく日曜日が休日である。

 イスラーム教では、富める者が貧しい者に施しをすることが推奨されている。インドでは喜捨のことを一般的に「バクシーシ(Bakhshish)」という。物乞いから「バクシーシ」と手を出されることもあれば、ホテルのボーイやレストランの給仕などからチップの意味で「バクシーシ」を要求されることもある。モスクに寄進される浄財を特に「ワクフ(Waqf)」と呼ぶ。

 イスラーム教の祭事は、ヒジュラ暦という太陰暦に従っている。1年は354日になり、毎年グレゴリオ暦から11日ずつずれていく。四季のない地域で生まれた暦だから通用したと聞いたことがある。そのヒジュラ歴第9月にあたるラマダーン月(インドでは「ラムザーン」と発音される)に、イスラーム教徒が断食するのは有名だ。日が昇っている間は一切の飲食をしないが、日の入りから日の出までは飲食可能である。

 イスラーム教最大の聖地は、現在サウジアラビア領になっているマッカ(メッカ)であり、イスラーム教徒は一生に一度はマッカに巡礼する義務がある。ヒジュラ暦第12月であるズー・アルヒジャ月に行うマッカ巡礼を特に「ハッジ」という。それ以外の時期の巡礼は「ウムラ(Umrah)」と呼ばれる。

 イスラーム教徒は墓を作る宗教のひとつで、死ぬと土葬され、死後は地中で最後の審判を待つ。世界が終末を迎えたとき、イスラーム教徒たちは復活し、裁きの場においてアッラーの審判を受ける。善行が悪行に勝る者は天国に送られ、悪行が善行に勝る者は地獄に送られるとされる。

 イスラーム教徒が禁止するのは、偶像崇拝、豚肉食、飲酒などである。豚肉以外の肉なら何でも食べていいわけでもない。特別な方法で屠られた肉を「ハラール(Halal)」といい、イスラーム教徒はハラール肉しか食べない。それ以外の肉は「ハラーム(Haram)」と呼ばれる。日本でもイスラーム教徒に配慮してハラール認証のある肉類が売られるようになっている。

 イスラーム教では音楽も禁止とされることが多い。その議論はパーキスターン映画「Khuda Kay Liye」(2008年)でもされていた。実はクルアーンには音楽を明確に禁止する記述はなく、せいぜい「音楽は不適切」ぐらいである。また、礼拝を呼び掛けるアザーンや、コーランの読誦などには美しいメロディーがあり、イスラーム教にも音楽的な要素が備わっているといってもいいだろう。

 イスラーム教徒女性特有の衣装として「ブルカー(Burqa)」はよく知られている。インドのイスラーム教徒女性が必ずブルカーを着用しているわけではないが、街角で目にはする。映画ではむしろ、ブルカーは、正体を隠したい人が隠れ蓑として身に付けるというシーンで登場することが多く、特に男性がブルカーをかぶるコミカルなシーンが目立つ。スカーフで髪を隠す「ヒジャーブ(Hijab)」もインドではよく見られる。

 イスラーム教は、世界宗教として発展する中で、イスラーム教徒の共同体である「ウンマ(Umma)」という概念を確立するに至った。これは、どんな民族であれ、どんな国籍であれ、世界中のイスラーム教徒は、イスラーム教を信仰する以上、同胞という意識である。イスラーム教徒の立場から見たら、あらゆるイスラーム教徒の平等を謳う素晴らしい概念だが、一定数のイスラーム教徒人口を抱える国家から見たら問題になり得る。何しろ、このウンマの概念を適用すると、所属する国家よりもイスラーム教を優先するということになり、そのような国民は、いざというときに国家の脅威になり得るからだ。

シンボル

 イスラーム教は偶像崇拝を禁止している。特にアッラーやムハンマドの図像化は厳禁である。そのため、図像がシンボルになることはないはずだが、実際はそんなことはない。

 イスラーム教のシンボルとして真っ先に思い浮かぶのが三日月である。パーキスターンをはじめとしたイスラーム教国家の国旗にもよく使われている。アラビア語では「ヒラール(Hilal)」という。イスラーム教徒が住む地域では、無数のヒラール旗がはためいていることが多い。

ヒラール

 インドでは、マッカにあるカアバ神殿がイスラーム教のシンボルとして使われることもある。色でいえば緑色がイスラーム教のシンボルであり、インド国旗の緑色の部分はイスラーム教を示しているという解釈の仕方もある。

インドの国旗

 イスラーム教文化圏ではアラビア文字のカリグラフィーが発達したこともあり、イスラーム教のシンボルとして、宗教的に重要な事物やフレーズを書いた文字が使われることがある。「アッラー」や「ムハンマド」が代表的だ。

アッラー

 南アジアでは数字の「786」もシンボルとしてよく使われる。なぜ「786」がイスラーム教のシンボルになるのかはリンク先を参照していただきたい。

宗派

 イスラーム教には主にスンナ派とシーア派の2宗派が存在する。ムハンマドの死後に起こった、イスラーム教徒の指導者を巡る勢力争いに端を発する分派だった。批判を恐れず物事をごく単純化するならば、スンナ派の方が実力主義で、シーア派の方が純血主義を採っている。世界全体で見ればスンナ派がイスラーム教徒人口の9割を占め、圧倒的な多数派だが、国によって分布が大きく異なり、多数派も違ってくる。

 インドのイスラーム教コミュニティーの中で主流を占めるのはやはりスンナ派である。シーア派の人口の割合はインドのイスラーム教徒人口のおよそ10~15%とされている。インド亜大陸で興亡したイスラーム系王朝の大半はスンナ派である。

 ただし、インド亜大陸ではシーア派の王朝もいくつか興った。インドのシーア派王朝としてもっとも有名なのは、ラクナウーを拠点としたアワド藩王国である。現在、ラクナウーに残る史跡の多くは、シーア派イスラーム教徒の概念に従って建てられており、特徴的である。

 イスラーム教徒自体がインドでは少数派であり、その中でもシーア派はさらに少数派であるため、シーア派は特に迫害を受けることが多いようである。ただ、ヒンディー語映画ではスンナ派とシーア派の対立やシーア派の受難などが話題になっているのを見たことがない。隣国のパーキスターンで作られた「Bol」(2011年)や「Song of Lahore」(2016年/米国映画)などではシーア派に触れられていた。

宗教職

 イスラーム教には、いくつかの宗教職があり、映画にもその肩書きで登場することが多いので、覚えておいて損はないだろう。

 まず、イスラーム世界全体の指導者は「カリフ(Caliph)」と呼ばれる。これは英語であり、ヒンディー語では「ख़लीफ़ाカリーファー」、アルファベットにすると「Khalifa」になる。伝統的に、もっとも強大な力を持つイスラーム教国家の支配者がカリフに就任することが多かった。16世紀以降はオスマン帝国の皇帝がカリフを歴任するようになり、1922年のオスマン帝国滅亡を機にカリフは廃位された。

 カリフから支配権を認められた世俗の封建領主を「スルターン(Sultan)」といい、インドの歴代のイスラーム政権も好んでこの称号を用いた。日本史に無理矢理当てはめるならば、カリフが天皇、スルターンが征夷大将軍だといえるだろう。

 ただ、インドにはカリフはおらず、現代にはスルターンも存在しないため、上記の知識はあまりインド映画を鑑賞する際には役立たない。むしろ、もっと庶民の生活に密着した宗教的業務を行っている、「ウラマー(Ulama)」と呼ばれる人々の方が、映画には登場しやすい。ウラマーはイスラーム教関連の学問に精通した学識者のことであり、その役割に従ってさらに細分化される。

 ウラマーの中でも「ムフティー(Mufti)」と呼ばれる人々は、イスラーム教徒の生活指針を示す権利を持っており、彼らの発言は「ファトワー(Fatwa)」と呼ばれる布告として周知される。クルアーン、ハディース、そしてファトワーに従って宗教的な裁定を下すのが裁判官「カーズィー(Kazi)」であり、彼らは婚姻の儀式を行う役割も担っている。

 モスクにおいて金曜日の集団礼拝を指導する宗教指導者が「イマーム(Imam)」である。キリスト教でいう神父や牧師にあたる肩書きといっていいだろう。特に国を代表するイマームを「シャーヒー・イマーム」と呼ぶ。デリーのジャーマー・マスジドのイマームがこの称号で呼ばれている。

 イスラーム教の神学校を「マドラサー(Madrasa)」といい、そこの教師を「マウラーナー(Maulana)」と呼ぶ。あとは、スーフィー聖者廟の管理者を「カーディム(Khadim)」とか「サッジャーダーナシーン(Sajjadanashin)」などと呼ぶが、スーフィーについては後述する。

インドのイスラーム教徒とパーキスターン

 大部分が英国に支配されていたインド亜大陸は、1947年にインドとパーキスターンに分かれて独立した。パーキスターン建国の名目はイスラーム教徒のための新国家であり、インド領になった地域から多くのイスラーム教徒がパーキスターン領に移動した。しかしながら、インドにも依然として多くのイスラーム教徒が残ることになった。冒頭で述べた通り、インドの全人口の約15%はイスラーム教徒である。

 特権を要求するイスラーム教徒に譲歩し、領土の分割という痛みを伴ったインドと、インドにおいて多数派を占めるヒンドゥー教徒などにとって、いくら新生インドがセキュラリズム(世俗主義/政教分離主義)の国であっても、インドに残り続けるイスラーム教徒が存在することは、容易には納得できないことだった。

 そして、9/11事件以降、世界中でイスラーム教徒がテロリストと結びつけて考えられるようになったこと、そしてインドでテロ活動をするテロリストが、パーキスターンから越境してきたり、パーキスターンやアフガーニスターンで訓練を受けたイスラーム教徒であったことなどから、イスラーム教徒に対する反感はますます強まった。また、多くのイスラーム教徒は、国境の向こうに親戚を持っている。テロへの警戒を強めるインドにとって、パーキスターンとのつながりを持つイスラーム教徒の存在はどうしても注視しざるを得ない存在になる。

 インドに住むイスラーム教徒は、宗教的少数派というだけでなく、上記のような理由で、理不尽な扱いを受けたり、「バーキスターンへ行け」などと罵倒を浴びたりすることがあり、一般的に弱い立場に立たされている。

映画の中のイスラーム教徒

 ヒンディー語映画界の「3カーン」、シャールク・カーン、サルマーン・カーン、アーミル・カーンの3人がイスラーム教徒であることからも分かるように、ヒンディー語映画界にはイスラーム教徒が比較的多い。観客側も、スターが個人的に信仰する宗教を特に気にすることなく、贔屓の俳優を決めている。また、映画界はもっとも宗教的にリベラルな業界であり、キャストやクルーの起用などに宗教色を持ち込むことはない。映画が発信するメッセージも、ヒンドゥー教とイスラーム教の融和を訴えるものがほとんどである。

 インド社会における宗教的なバランスに考慮し、映画の登場人物にイスラーム教徒のキャラを入れ込むのはよく見られる。例えば「Lagaan」(2001年/邦題:ラガーン クリケット風雲録)では、クリケットをプレイする主要キャラ11人の内、1人がイスラーム教徒だった。また、「3 Idiots」(2009年/邦題:きっと、うまくいく)の主要キャラ3人の内、1人はイスラーム教徒だった。彼らの宗教が映画のストーリー上、何らかの深い意味を持っているわけではなく、もし意味があるとしたら、宗教的なバランスとしか考えられない。このように、ヒンディー語映画ではイスラーム教徒のキャラがわざわざ設定される習慣がある。

「Lagaan」(2001年)の11人

 9/11事件以降、世界中でイスラーム教徒に対する迫害が行われるようになったことを受け、ヒンディー語映画ではイスラーム教そのものを主題にすることが増えた。当初は、「My Name Is Khan」(2010年)など、インド人イスラーム教徒が海外で理不尽な扱いを受けたことに対する告発のような映画が多かったが、その一方で、単純に悪役としてイスラーム教徒テロリストが設定される映画が増えてきたのも事実だった。「Black & White」(2008年)や「Kurbaan」(2009年)はイスラーム教徒テロリストが主人公の映画であるし、「Aamir」(2008年)はテロリストに仕立てあげられたイスラーム教徒が主人公の映画であった。

「Aamir」(2008年)

 ナレーンドラ・モーディー政権が始まった2014年以降、ヒンドゥー教至上主義のイデオロギーに立脚して、インド国内のイスラーム教徒に不利な政策が実行に移されるようになった。ヒンディー語映画界にもモーディー支持者は少なくなく、これまで業界が守り続けてきた宗教融和路線から外れ、イスラーム教に対する憎悪を喚起するような映画が作られるようになっていることは大きな懸念材料である。例えば「The Kashmir Files」(2022年)は近年稀に見るほど反イスラーム教徒的な映画で、しかも大ヒットになった。

「The Kashmir Files」(2022年)

スーフィズム

 インドにおいてイスラーム教拡大に大きく貢献したのは、ウラマーと呼ばれる上記の正統派学識者たちよりもむしろ、「スーフィー(Sufi)」と呼ばれる草の根の宗教家たちだったとされる。スーフィーたちが信仰する形態のイスラーム教を「スーフィズム(Sufism)」と呼ぶが、それは日本語では「イスラーム教神秘主義」と訳される。スーフィズムは、ウラマーたちから異端扱いされることが多いものの、南アジア地域の宗教には、イスラーム教に限らず、多大な影響を与えてきた。ヒンディー語映画への影響も甚大である。

 スーフィズムについては別の記事で解説する。