Kurbaan

3.5
Kurbaan
「Kurbaan」

 今年6月に公開されてヒットとなったヒンディー語映画「New York」(2009年)は、ニューヨークを舞台としたイスラーム教徒テロリストの物語であった。「New York」公開時から、ヒンディー語映画界の重鎮カラン・ジョーハルが制作中の映画「Kurbaan」のプロットが「New York」に酷似しているとの噂があった。だが、公開日が近付くにつれて、むしろそのポスターが話題の中心となった。ポスターでは主演のカリーナー・カプールが裸の背中を露わにしている。マハーラーシュトラ州を拠点とする極右政党シヴセーナーがこのポスターにケチを付けたことで大々的に取り上げられ、思わぬ宣伝効果となった。また、映画中ではカリーナー・カプールのベッドシーンがあるとの情報も流れた。その「Kurbaan」が明日(2009年11月20日)より公開となる。たまたま前日に近くの映画館でプレビュー上映があったため、それを観に行くことにした。

監督:レンジル・デシルヴァ(新人)
制作:ヒールー・ヤシュ・ジャウハル、カラン・ジャウハル
音楽:サリーム・スライマーン
歌詞:ニランジャン・アイヤンガール、イルファーン・スィッディーキー
振付:ヴァイバヴィー・マーチャント
衣装:アキ・ナルラー
出演:サイフ・アリー・カーン、カリーナー・カプール、ヴィヴェーク・オーベローイ、キラン・ケール、オーム・プリー、ディーヤー・ミルザー(特別出演)、クルブーシャン・カルバンダー(特別出演)
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞、プレビュー。

 ニューヨークの大学で教授をしていたアヴァンティカー(カリーナー・カプール)は、父親の病状悪化によりデリーに一時的にやって来て、デリーの大学で教えていた。そこで出会ったのが同じく大学教授のエヘサーン・カーン(サイフ・アリー・カーン)であった。アヴァンティカーはエヘサーンと恋に落ちる。だが、父親の病状も回復し、ニューヨークの大学へ戻ることになった。エヘサーンは、アヴァンティカーと共にニューヨークへ行くことを決める。二人は結婚し、ニューヨークへ移る。アヴァンティカーが務める大学でエヘサーンも教えることになった。また、二人は南アジア人が多く住む地域に家を見つけ、そこに住み始める。

 引っ越してすぐにエヘサーンとアヴァンティカーの家に近所の人々が挨拶に来る。彼らは皆イスラーム教徒であった。だが、ある日アヴァンティカーが家に一人でいるときに、近所に住むサルマーが駆け込んで来る。サルマーは夫に殺させると言い、報道機関に勤めるリハーナー(ディーヤー・ミルザー)に連絡するように頼む。その夜、アヴァンティカーはリハーナーが夫から暴力を受けているのを目撃し、不安になる。

 アヴァンティカーはリハーナーと連絡を取り、会いに行く。リハーナーは急に翌日イラクへ取材に行くことになり慌ただしかったが、彼女の住所を聞き、対応する。また、その場には同じくジャーナリストで、イラクから帰って来たばかりのボーイフレンド、リヤーズ(ヴィヴェーク・オーベローイ)もいた。そのミーティングの後、アヴァンティカーは病院へ行く。そこで妊娠していることが分かる。

 その夜、アヴァンティカーはサルマーの家に行こうとするが、家の地下室で偶然、近所のイスラーム教徒たちがテロ計画を練っているのを目撃してしまう。また、そこにはサルマーの遺体もあった。アヴァンティカーは逃げ出して家に閉じこもるが、テロリストたちは追いかけて来た。絶体絶命のピンチに陥ったアヴァンティカーの前に突然、エヘサーンが現れる。アヴァンティカーは安堵のため息を付くが、実はエヘサーンもテロリストの一味であった。エヘサーンは、米国に移住するため、米国の永住権を持つアヴァンティカーを利用したのだった。一味のボス、バーイー・ジャーン(オーム・プリー)は、秘密を知ってしまったアヴァンティカーを殺そうとするが、彼女が妊娠していることを知ったエヘサーンはそれを制止する。アヴァンティカーは監禁状態に置かれることになった。

 彼らが計画していたのはイラク行きの飛行機の爆破であったが、ちょうどリハーナーがその飛行機に乗ることになっていた。翌朝アヴァンティカーは携帯電話からリハーナーに連絡しようとするが、ちょうど飛行機に乗り込んだ後で、スイッチは切られていた。アヴァンティカーはオフィスの電話にも電話するが、留守電になっていた。仕方なく留守録に、飛行機が爆破されようとしていることを記録する。とうとう飛行機は出発し、離陸と同時に爆発した。ちょうどリハーナーを見送りに来ていたリヤーズは、目の前で彼女の乗った飛行機が爆発するのを見る。

 オフィスに戻って来たリヤーズは留守録でアヴァンティカーのメッセージを聞く。単身テロリストの調査をするため、会社から長期休暇をもらい、アヴァンティカーの家の張り込みをし始める。リヤーズはエヘサーンに近付き、彼の授業に出席し、エヘサーンと親しくなる。エヘサーンは、リヤーズがイスラーム教徒としての義憤に燃えているのを見て、彼を仲間に加えることを考える。ちょうど不測の事故で仲間を1人失ったところであった。バーイー・ジャーンはそれに反対であったが、エヘサーンに押され、リヤーズを仲間に加えることを認める。彼らは近々大規模なテロを計画していた。リヤーズはアヴァンティカーとコンタクトを取りながら、テロの阻止に向けて動き出す。

 アヴァンティカーの協力により、テロリストたちがニューヨークの地下鉄で同時テロを計画していることが分かる。リヤーズはFBIに連絡するが、テロリストたちも発覚を恐れて計画を前倒しする。テロリストたちはそれぞれ爆弾を持ち、地下鉄に乗って移動した。リヤーズはエヘサーンやバーイー・ジャーンと一緒だった。そのとき偶然リヤーズは同僚と出会ってしまい、正体がばれてしまう。思わずリヤーズは発砲してバーイー・ジャーンを撃ち、逃亡する。バーイー・ジャーンは息を引き取るが、その前にエヘサーンに重大な事実を伝える。それは、アヴァンティカーを含む女性たちのバッグの中にも爆弾が入っているということであった。エヘサーンはリヤーズを捕まえるが、彼を敢えて逃し、アヴァンティカーたちを救出に向かわせる。

 アヴァンティカーは、バーイー・ジャーンの妻(キラン・ケール)と行動を共にしていた。リヤーズはFBIに連絡する。FBIは至急テロ阻止に奔走するが、一人は追い詰められた末に自爆し、もう一人は毒を飲んで自殺する。エヘサーンはアヴァンティカーと合流するが、バーイー・ジャーンの妻がアヴァンティカーを人質に取る。だが、エヘサーンは彼女の頭を打ち抜き、アヴァンティカーのバッグから爆弾を取り出して無力化する。そこへ警察が駆けつける。エヘサーンはアヴァンティカーをかばって警察に発砲するが、彼も銃弾を受けてしまう。倒れたエヘサーンは、アヴァンティカーを逃がし、一人自殺する。そこにはリヤーズも駆けつけていた。

 確かに「New York」と非常に似たプロットの映画であった。サイフ・アリー・カーン演じるエヘサーンは、「New York」でジョン・アブラハムが演じていたサムに、カリーナー・カプール演じるアヴァンティカーは、カトリーナ・カイフが演じていたマーヤーに、そしてヴィヴェーク・オーベローイ演じるリヤーズは、ニール・ニティン・ムケーシュが演じていたオマルに対応していた。さらに両作品とも舞台はニューヨークであり、ここまで似ていると両映画の比較は免れないだろう。しかし、違う部分ももちろんあった。「New York」では、テロリストはイスラーム教徒であったが、「イスラーム」「ムスリム」などという言葉の使用は意図的に避けられていた。一方、「Kurbaan」ではイスラーム教が前面に押し出されており、強いメッセージ性を持っていた。「New York」も「Kurbaan」も悲しいエンディングではあったが、「New York」の終わり方は悲しみの中にも希望が見出されるようなものになるように工夫されていたのに対し、「Kurbaan」の方は一貫して重厚な作品で、エンディングにも救いはほとんどなかった。プロットは似ているものの、方向性が全然違うため、優劣を付けることはできない。

 アフガニスタンやイラクで多くの罪のないイスラーム教が殺されている現状に対するイスラーム教徒たちの行き場のない怒りが劇中で幾度も描写されており、それがテロの動機にもなっていたのだが、この映画の真のテーマは愛である。題名となっている「Kurbaan」は「犠牲」という意味で、テロリストたちはアッラーとジハードのために自らの命を犠牲にしていたが、主人公のエヘサーンは結局妻アヴァンティカーへの愛のために命を投げ出した。エヘサーンは以前、パーキスターンに住んでいるときに米国によって妻と子供を殺されており、それがテロリストの道を歩むきっかけとなったのだが、アヴァンティカーの妊娠を知ったことで、再び生への希望を見出すようになったのだった。生と死、愛と憎悪の葛藤が、映画の核である。

 クライマックスのテロ決行シーンはかなり緊迫感があり、スリル満点であった。レンジル・デシルヴァ監督は今回が初監督作品になるが、スリラー映画に特に長けていそうだ。また、ニューヨークが舞台であるが、このテロの手法はむしろ2005年7月7日のロンドン地下鉄同時爆破テロを彷彿とさせた。

 ところで、インド映画ではほとんどの場合、ベッドシーンの後には妊娠が来る。それは、プロット上に必要な妊娠というイベントを言い訳にして、物議を醸しがちだが捨てがたい集客力もあるベッドシーンの挿入を正当化しているのだと思われる。ヒロインがいきなりオエ~ッと吐いて、それが妊娠の発覚につながるという露骨な展開も未だに多い。しかし、珍しいことに「Kurbaan」では、まず妊娠が分かるシーンがあって、その後にベッドシーンがあった。しかしそれはやはり理由なきベッドシーンではなかった。アヴァンティカーはエヘサーンらが計画しているテロの情報を盗むため、彼を誘惑したのであった。ちなみに、サイフ・アリー・カーンとカリーナー・カプールは実際のカップルであり、そのベッドシーンもかなり熱が入っていたが、前々から話題になっていたほど過激なものでもなかった。あくまでインド映画レベルのベッドシーンである。

 カリーナー・カプールがとてもよかった。彼女は「Jab We Met」(2007年)のような底抜け元気ガールが得意で、「Tashan」(2008年)や「Kambakkht Ishq」(2009年)のようなセクシーな演技もよく話題になるのだが、実は悲劇にも相性がよく、「Dev」(2004年)や「Omkara」(2006年)などの悲しい映画で非常に印象的な演技をしている。「Kurbaan」は、彼女の名作悲劇出演リストの中に含まれることになるだろう。悲しみに沈む表情がとてもうまい女優である。

 サイフ・アリー・カーンも堅実な演技であった。最近すっかり鳴かず飛ばずだったヴィヴェーク・オーベローイは、「Kurbaan」において、助演ではあるが、重要な役を演じており、演技も素晴らしかった。いい味を出す俳優になって来ている。助演男優賞が狙えるかもしれない。ベテラン俳優のオーム・プリーやキラン・ケールも、ダークな役柄をシャープに演じていた。また、特別出演で出番は少なかったものの、ディーヤー・ミルザーがとても良かった。彼女ももう一踏ん張りして欲しい女優である。

 音楽はサリーム・スライマーン。ストーリー重視で、ダンスシーンなどはなかったが、いくつか挿入歌が映画の情緒を高めていた。特にラストでエヘサーンが死ぬところは、彼の気持ちを歌が代弁していた。

 全面的にニューヨークでロケが行われていたが、冒頭部分だけは舞台がデリーであることもあり、デリーでのロケであった。インド門、フマーユーン廟、クトゥブ・ミーナールなどが登場した。

 「Kurbaan」は、「New York」と似たプロットながら、より重厚でより踏み込んだ作品となっていた。娯楽映画の要素はほとんどなく、限りなく社会派映画に近い。カリーナー・カプールの裸の背中が必要以上に取り沙汰されているが、じっくり腰を据えて見る作品になっており、軽い気持ちで観られる作品ではない。