Pathaan

4.5
Pathaan
「Pathaan」

 2022年のヒンディー語映画界は最悪のスランプに陥っていた。コロナ禍が収まり始め、徐々に大スターが出演する大予算型の期待作が映画館で公開されるようになったが、ほぼ全滅状態だった。アクシャイ・クマール主演「Samrat Prithviraj」(2022年)、アーミル・カーン主演「Laal Singh Chaddha」(2022年)、再びアクシャイ・クマール主演「Raksha Bandhan」(2022年)、ランヴィール・スィン主演「Cirkus」(2022年)などが大きなフロップとして記憶されている。南インド映画が好調なのとは対照的であり、ヒンディー語映画界は焦燥感を隠せなくなってきた。ヒンディー語映画界が南インド映画界のスターたちの力も借り、総力を結集してプロモーションしたランビール・カプール主演「Brahmastra Part One: Shiva」(2022年)やアーリヤー・バット主演「Gangubai Kathiawadi」(2022年)がヒットしたことがせめてもの救いだった。

 ただ、コロナ禍の3年間、まともな主演作がなかったスーパースターが一人いた。シャールク・カーンである。「Laal Singh Chaddha」や「Brahmastra Part One: Shiva」などでのカメオ出演はあったものの、彼の最後の主演作はコロナ禍前に公開された「Zero」(2018年)であった。そのシャールク・カーンの新作が「Pathaan」だ。「Bang Bang!」(2014年/邦題:バンバン!)や「War」(2019年/邦題:WAR ウォー!!)をヒットさせ、今やヒンディー語映画界切ってのアクション映画メーカーとして知られているスィッダールト・アーナンドが監督をしており、2023年1月25日、共和国記念日の週に満を持して公開された。もしシャールク・カーンが転んだら、ヒンディー語映画界は大変なことになるところだった。

 ところが、「Pathaan」は公開前から人気が沸騰し、前売りチケットの完売が続出した。一部、ボイコット・ボリウッド運動の延長で「Pathaan」のボイコットを呼びかける声もあったのだが、それへの反発としてサポート・ボリウッド運動も起こり、大衆の人気にボイコット運動はかき消された。そして期待通り公開と同時に記録的な大ヒットになった。「Pathaan」の大成功によりヒンディー語映画界は息を吹き返し、今後公開される作品にも明るい兆しが生まれた。やはり最終的には「キング・カーン」がヒンディー語映画界を救ってくれた。

 また、この映画はプロデューサーのアーディティヤ・チョープラーが社長を務めるヤシュラージ・フィルムス(YRF)社の50周年記念作品のひとつに位置づけられていると同時に、「YRFスパイ・ユニバース」というユニバースの概念が初めて導入された作品にもなる。ヤシュラージ・フィルムスのスパイ映画といえば、過去に「Ek Tha Tiger」(2012年/邦題:タイガー 伝説のスパイ)、「Tiger Zinda Hai」(2017年)、そして「War」があったわけだが、これらに加えてこの「Pathaan」が世界観を共有していることが発表され、「Pathaan」の中にもそれらの作品に登場するキャラの名前が使われる。さらに、「Tiger」シリーズの主演、サルマーン・カーンがタイガー役でカメオ出演しているという嬉しいオマケ付きだ。シャールク・カーンとサルマーン・カーンの共演はそれほど珍しくないのだが、ファンにはたまらないサービスである。

 ヒロインはディーピカー・パードゥコーン。シャールク・カーンとは相性がよく、彼女のデビュー作「Om Shanti Om」(2007年/邦題:恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム)から始まり、「Chennai Express」(2013年/邦題:チェンナイ・エクスプレス 愛と勇気のヒーロー参上)、「Happy New Year」(2014年)などのヒット作で共演している。

 悪役を務めるのはジョン・アブラハム。他に、ディンプル・カパーリヤー、アーシュトーシュ・ラーナー、プラカーシュ・ベーラーワーディー、シャージー・チャウダリー、エークター・カウル、ディガンター・ハザーリカー、ヴィラーフ・パテール、ラジャト・カウル、マニーシュ・ワードワーなどが出演している。音楽監督はヴィシャール=シェーカルである。

 ちなみに題名の「Pathaan」とは、元々はパターン族のことだ。パターン族はアフガーニスターンからパーキスターン北西部を故郷とする民族で、現代のインドにも広く分布している。パクトゥーン、パフトゥーン、パシュトゥーンなどとも呼ばれる。実はシャールク・カーン自身もパターン族を自称しているが、真偽は不明である。映画の中では、シャールク・カーンが演じるスパイのコードネームに使われている。

 2019年、インド政府はジャンムー&カシュミール州の自治権を認めた憲法第370条を廃止した。その暴挙に憤ったパーキスターンのカーディル将軍(マニーシュ・ワードワー)は、インドからカシュミールを取り戻すため、元RAWエージェントで現在はテロ組織「アウトフィットX」を率いるテロリスト、ジム(ジョン・アブラハム)に連絡を取る。カーディル将軍は癌を宣告されており、余命は3年と診断されていた。

 2020年、インドの対外諜報機関RAWのナンディニー・グレーワル(ディンプル・カパーリヤー)は、有能なRAWエージェント、パターン(シャールク・カーン)の要請に応じ、不遇の待遇を受けた元エージェントを再結集し、JOCRという組織内組織を立ち上げる。彼らの上司スニール・ルトラー大佐(アーシュトーシュ・ラーナー)はJOCRに懐疑的だったが、ドバイを訪問中のインド大統領が何者かに命を狙われているとの情報をキャッチし、JOCRに大統領警護の仕事を任せる。ドバイでパターンとそのチームはジムと出会う。ジムのターゲットは大統領ではなく2人のインド人科学者だった。一人はパターンの活躍によって救出されたものの、もう一人のサーニー博士(プラカーシュ・ベーラーワーディー)は誘拐されてしまう。

 ジムの手掛かりは、パーキスターン人女医ルビーナー・モホスィン(ディーピカー・パードゥコーン)にあることが分かった。ルビーナーはスペインに滞在中だったため、パターンはスペインに飛び、ルビーナーと接触する。だが、それはジムによる罠で、パターンは捕まってしまう。ところが突然ルビーナーがパターンに味方したため、パターンは助かる。実はルビーナーはパーキスターンの対外諜報機関ISIのエージェントで、ジムの組織を潜入捜査していたのだった。パターンとルビーナーは力を合わせて、ジムが狙う「ラクトビージ」を盗み出すことになる。「ラクトビージ」が何かは不明だったが、モスクワの厳重な金庫の中に保管されていた。ところがやはりルビーナーはジムと通じており、ラクトビージは奪われ、パターンはロシア警察に捕まり拷問を受ける。絶体絶命だったが、タイガー(サルマーン・カーン)が助けに入り、パターンは脱出に成功する。それ以来、パターンはルビーナーを探し求めていた。

 ナンディニーから、ルビーナーがパリで目撃されたという情報を得たパターンはパリに直行し、彼女を捕まえる。だが、やはりそれはルビーナーがパターンをおびき出したのだった。ルビーナーはラクトビージの秘密を明かす。ラクトビージは天然痘ウイルスであり、ジムはそれを改造して兵器として利用しようとしていた。ジムの研究所はシベリアにあり、サーニー博士もそこで研究をさせられていた。ルビーナーは、生物兵器を使って罪もない人々を大量虐殺しようとするジムを恐れ、パターンを呼んだのだった。

 一度ルビーナーに裏切られていたものの、パターンは再度彼女を信じ、シベリアの研究所にチームと共に突入する。ラクトビージは2つあったが、その内のひとつを奪還することに成功した。だが、ルビーナーはインド当局によって逮捕され、尋問されることになる。一方、ラクトビージはインド伝染病研究所(IICD)に送られ、ワクチン開発のために開封されたが、それによって研究所内にウイルスが広まってしまった。ちょうどそのときナンディニーも研究所にいた。既に天然痘ウイルスに感染したことを知ったナンディニーは、ウイルスを外に広めないため、研究員共々自殺する。ジムはインド政府に対し、24時間以内にカシュミールから軍を撤退させないと天然痘ウイルスを搭載したミサイルをインドの都市に打ち込むと宣言する。

 パターンは、ジムの秘密基地がアフガーニスターンにあると知り、ルビーナーを含めたチームと共に突撃する。ジムはジェットパックを装着して逃げ出し、パターンもジェットパックで後を追う。ミサイル発射は阻止されるが、ミサイルには天然痘ウイルスは積まれていなかった。天然痘ウイルスは、デリー行きの飛行機の中に隠されていた。しかもあと数分でウイルスを拡散することになっていた。それを止めるにはジムが持っているリモコンを操作するしかない。パターンはジムと死闘を繰り広げ、リモコンを奪ってウイルス拡散を止める。また、ジムは崖の下に落ちる。ルトラー大佐はパターンに、ナンディニーの跡を継いでJOCRを率いるように頼む。

 「Bang Bang!」や「War」も世界中を飛び回るド派手なアクション映画であったが、この「Pathaan」も、アフガーニスターン、ドバイ、スペイン、ロシアなど、世界各地を舞台にし、スケールの大きな娯楽大作に仕上がっていた。また、「トップガン マーヴェリック」(2022年)のスタントコーディネーター、ケイシー・オニールを起用したアクションシーンも迫力があり、「ハリウッド映画を凌ぐ出来」と表現しても大げさではないレベルである。今回は雪上・氷上のアクションに加えてジェットパックを使った空中戦もあり、フィールドも広がっている。「Asoka」(2001年)を彷彿とさせる長髪のシャールク・カーンも渋く、筋肉にも一切の妥協はしていない。そしてWWEの必殺技を参考にしたとされる格闘シーンで見せる彼の身のこなしも美麗だった。つまり、アクション映画として高い完成度を誇る作品であった。「オールタイム・ブロックバスター」という最高級の興収評価になったのも頷ける。

 時事ネタをストーリーに織り込んでいるのも面白い。ストーリーの起点は、2019年の憲法第370条廃止だ。同年の下院総選挙に圧勝して2期目に入ったナレーンドラ・モーディー首相は、印パ分離独立の過程でジャンムー&カシュミール州に特別に認められることになった自治権(参照)に関して規定した憲法第370条を間髪入れずに撤廃し、同州を完全にインドの一部としてしまった。これはインド人民党(BJP)の長年の悲願だったが、国内外に与える影響があまりに大きく、今までどの政治家も実行に移せなかった。豪腕で知られるカリスマ政治家のモーディー首相はそれをしてしまったのである。当然、パーキスターンは強く反発した。

 パーキスターンのカーディル将軍が、インドからカシュミールを奪還するために連絡を取ったのが、テロ組織を率いるジムという人物だった。ジムは天然痘ウイルスを改造してインドを脅し、カシュミール全域を奪取しようとする。この設定を見て誰もが連想するのが新型コロナウイルスだ。まことしやかに広まっている言説に、新型コロナウイルスは中国が開発した生物兵器ではないか、というものがある。世相を反映した悪だくみだといえる。

 ジムは元々RAWのエージェントであった。「War」でリティク・ローシャンが演じたカビールの同僚という設定である。ただし、残念ながらリティクのカメオ出演はなかった。なぜジムが国家に背き、テロリストになったかというと、その裏には悲しい理由があった。かつてジムはアフリカでの任務中に妊娠した妻と共にテロリストに捕まったことがあった。インド政府がテロリストとは交渉しないとの方針を貫いたため、ジムの妻はお腹の子供共々殺されてしまった。ジムは何とか生き残ったが、以来、インドに対する復讐しか考えなくなったのである。

 今回、ジムはパーキスターン軍の依頼を受けて行動しているが、彼は別にパーキスターンに味方をしているわけでもなく、金のためにインドに対してテロをしているわけでもない。彼は自分のことを「国を超越した存在」だと語っており、国家権力を見下している。現に彼はパーキスターンの首都イスラーマーバードにも天然痘ウイルスを拡散させようとしていた。「Pathaan」ではパーキスターンは敵として描写されているものの、悪役のジムは国籍とは関係なくテロを行う存在だ。何となくISIL(イスラミックステート)を連想させる。ただ、ジムの宗教は明示されていない。名前からするとイスラーム教徒ではなさそうだ。パーキスターン人が見たら不快な映画ではあると思うが、イスラーム教徒を一方的に敵視するような映画ではなかった。そういえば、パターンの宗教も明示されていなかった。彼は孤児であり、自分の両親のことすら知らなかった。彼が「パターン」というコードネームを授かったのも、アフガーニスターンでパターン族の村を救ったからだった。近年のヒンディー語映画ではイスラーム教徒が敵役として登場する機会が目立つが、「Pathaan」からはそのような偏見は感じられず、むしろイスラーム教徒への配慮があった。

 本筋以外の部分では、シャールク・カーンとサルマーン・カーンの共演が最大のハイライトである。やはりヒンディー語映画界で人気を二分するこの二人が力を合わせて戦うシーンには興奮してしまう。しかも、映画のラストでこの二人が「次の世代」について話し合うオマケ映像があり、それが意味深だ。映画の中では、30年間現役生活を続けてきた自分たちの次に誰がエージェントとして第一線に立つかを話し合っているという体裁だが、観客はもちろん、「3カーン」の次のスーパースターのことをシャールクとサルマーンが話し合っているという風に受け取るだろう。彼らの結論は、「まだ俺たちが頑張らなきゃな」であり、二人からの現役続行宣言と考えてよい。

 シャールク・ファンは、彼の過去作のパロディーがいくつか散りばめられていたことに気づくだろう。例えば、ロシアのシーンでカレンという女性にどもりながら「K、K、K、カレン」と呼びかけるシーンがあるが、これはシャールクの出世作「Darr」(1993年)のパロディーだ。

 最近、インドではなぜか「日本思想」が流行しており、書店では日本に関する書籍の特集コーナーができている。おそらく日本人片づけコンサルタントのKonMariあたりから始まったブームなのではないかと予想する。ヒンディー語映画にも、突然日本語が登場することがある。例えば「Maska」(2020年)では日本語の「生き甲斐」という単語が出て来て説明されていた。「Pathaan」で出て来た日本語は「金継ぎ」である。バラバラに壊れたものを金でつなぎ合わせ、さらに価値のあるものにする日本の職人技だ。この言葉はパッラヴィー・アイヤル著「Orienting: An Indian in Japan」(2021年/邦題:日本でわたしも考えた インド人ジャーナリストが体感した禅とトイレと温泉と)で紹介されていた。もしかしたらスィッダールト・アーナンド監督はこの本を読んだのかもしれない。実は「金継ぎ」をヒントにしてJOCRが創設されたので、ストーリーの根幹に関わる単語になっている。

 シャールク・カーンの渋い演技もよかったが、ディーピカー・パードゥコーンの妖艶さが増しており、彼女の肢体を舐めるように映すカメラに並々ならぬ情熱を感じた。彼女の登場シーンとなるダンスシーン「Besharam Rang」は彼女の魅力を最大限にまで磨き上げている。悪役のジョン・アブラハムも素晴らしかったし、国民の命を守るために自らの命を犠牲にしたナンディニーを演じたディンプル・カパーリヤーも主演を食うほどの存在感だった。

 「Pathaan」は、不振に陥っていたヒンディー語映画界の起死回生を単身で成し遂げ、歴史的な大ヒットになった重要な映画だ。「3カーン」の内の2人が登場するという圧倒的なスターパワーだけでは飽き足らず、世界各国でロケが行われ、アクションシーンも素晴らしく、時事ネタを取り込んだストーリーも分かりやすくのめり込める。最近流行しているユニバースの概念にもうまく乗っかって、YRFの過去のスパイ映画とリンクさせ、奥行きを持たせることにも成功している。ヒンディー語映画界からこういう映画を待っていた!そんな声がインド中から聞こえてくるような傑作である。