ボイコット・ボリウッド

 インドで初めて新型コロナウイルスの陽性者が見つかったのは2020年1月27日で、それ以降、感染は全国に拡大した。一時期にはインド全土に外出禁止令が敷かれ、感染拡大が深刻化する度に映画館が封鎖されたり人数制限が課されたりしたため、新作の公開が少なくなった。元々インドでは、インターネットで映画配信を行うプラットフォームが普及しつつあったのだが、新型コロナウイルスの感染拡大によりそれらが急成長し、Amazon Prime Video、Netflix、Disney+ Hotstar、Zee5などがデファクトスタンダードの映画配信プラットフォームとして定着した。劇場で公開されずに直接ネット配信される作品も増えてきて、それらはOTT(Over The Top)と呼ばれるようになった。

 このような状態であるため、2020年、2021年と、映画ビジネスを取り巻く環境は非常に厳しい。新型コロナウイルスが完全に制圧されるまでは、映画館に以前のような数の観客が戻ってくることはないだろう。小康状態になった合間合間に劇場公開される映画もあったのだが、ヒンディー語映画界に限っていえば、大ヒット作はほとんど出ていない。

 ところが、どうもヒンディー語映画の興行収入がここ2年ほど振るわないのは、新型コロナウイルスの問題だけではないようだ。その裏には、「ボイコット・ボリウッド」と呼ばれる草の根運動も関係しているとされている。映画といえばインドにおいて娯楽の揺るがぬ王様であり、ボリウッド、つまりヒンディー語映画は、インド映画の代表であった。インド人がヒンディー語映画を拒絶するような時代が来るとは夢にも思っていなかったというのは、インド人自身の正直な感想でもある。そのヒンディー語映画に今、何が起きているのか。

スシャーント・スィン・ラージプートの死

 現在起こっているボイコット・ボリウッド運動の発端は、2020年6月14日、男優スシャーント・スィン・ラージプートの死であった。一般には自殺とされており、それはほぼ間違いないとされる。スシャーントは「Kai Po Che」(2013年)や「M.S. Dhoni: The Untold Story」(2016年)などに主演し、「次世代のシャールク・カーン」とまで呼ばれて将来を嘱望されていた俳優だったが、これからトップスターの座を固めに行くという矢先に、34歳の若さで亡くなった。

スシャーント・スィン・ラージプート

 スシャーントの死を自殺ではなく他殺と主張して、真相の究明を求める声も根強くあるのだが、ここではそれは取り上げない。薬物関係の話題も取り沙汰されているが、それも今回は触れないでおく。ボイコット・ボリウッド運動に直接関係するのは、なぜスシャーントが自殺したかという動機の方である。

 スシャーントは、ビハール州パトナー出身で、デリーの大学に通った後、俳優を目指してムンバイーに出て来た。TV業界で足場を固めた後、2013年の「Kai Po Che」で銀幕デビューを果たし、注目を浴びるようになった。重要なのは、彼が映画カースト出身の俳優ではなかったことである。インドの最貧州とも呼ばれるビハール州からデリーを経由し、身一つでムンバイーに上京した苦労人であり、自らの実力でスターの階段を上ろうともがいていた。

縁故主義への批判

 だが、ヒンディー語映画界は元々、少数の家族経営企業によって牛耳られており、強力なネポティズム(縁故主義)が働いている業界である。スターの子供は簡単にデビューできる一方、「アウトサイダー」は多大な苦労をしなければデビューできない。幸運にもデビューできたとしても、スターとして定着するのは至難の業だ。才能ある俳優であればあるほど「インサイダー」からの排除圧力は強くなるようで、「アウトサイダー」ながら期待の星とされていたスシャーントには相当なプレッシャーが掛かっていたとされている。

 スシャーントの自殺は鬱病からとされているが、彼が鬱病になった理由は、ヒンディー語映画業界を牛耳る縁故主義者たちから排除されるようになったからだとされた。縁故主義者は大体ムンバイー出身であるが、スシャーントはヒンディー語話者の大票田であるビハール州出身で、縁故主義に加えて地域差別も見え隠れする。北インド出身のスシャーントは、ムンバイー出身の縁故主義者たちに殺された、という被害者意識が北インドに渦巻くことになった。

 一方で、アルジュン・カプールやソーナム・カプールといった、映画カースト出身の、演技力に難のある俳優たちが槍玉に挙がるようになった。カラン・ジョーハルやサルマーン・カーンといった、今までセレブリティーとして祭り上げられてきた大物たちも縁故主義者として批判を浴びるようになった。これがボイコット・ボリウッド運動である。

 ボイコット・ボリウッド運動は、正確にいえば、ヒンディー語映画全体をボイコットしようとする動きではなく、業界に根強いネポティズムに対する反対運動である。過激派は、映画カーストに属する人物が関与するあらゆる映画のボイコットを呼びかけているが、穏健派は、スターの子供がデビューすることは容認するものの、映画カースト以外の才能ある人物をあの手この手で排除しようとする業界の構造を批判している。

 例えば、スシャーントの死から2ヶ月後に公開された「Sadak 2」(2020年)はボイコットの格好の対象となってしまった。マヘーシュ・バット監督が2人の娘、プージャー・バットとアーリヤー・バットを起用して作った作品であり、しかもサンジャイ・ダットとアーディティヤ・ロイ・カプールという、これまた映画カーストに属する俳優たちが主演していたため、ネポティズムのパッケージと考えられた。「Sadak 2」は酷評を受け、興行的にも大失敗となった。

 その一方で、スシャーント・スィン・ラージプートの死後に公開され遺作となった「Dil Bechara」(2020年)は、OTTリリースだったにもかかわらず拍手喝采で迎えられた。ボイコット・ボリウッド運動には、スシャーントの個人崇拝的な運動の側面も見え隠れする。

個性派俳優の再評価

 ボイコット・ボリウッド運動は、スシャーント・スィン・ラージプートの支持層によるヒンディー語映画界の既得権益層への反撃という性格が色濃いのだが、 縁故主義に頼らずに自力でのし上がった俳優たちが再評価されるきっかけにもなっている。今まで、抜群の演技力を持ちながら、業界から冷遇され続けていた俳優たちがスシャーントと同列に並べられ、にわかに注目を浴びるようになった。彼らがなかなか日の目を見ないのは、業界を牛耳る縁故主義者たちの妨害工作に要因があるとされ、相対的に彼らの再評価が進んだ。以下の辺りがボイコット対象外としてよく名前が挙がる、叩き上げの俳優たちである。

  • マノージ・バージペーイー
  • アーシュトーシュ・ラーナー
  • ランヴィール・シャウリー
  • ヴィジャイ・ラーズ
  • サンジャイ・ミシュラー
  • サティーシュ・カウシク
  • サウラブ・シュクラー
  • パンカジ・トリパーティー
  • ラージパール・ヤーダヴ
  • ローニト・ロイ
  • ケー・ケー・メーナン
  • アーディル・フサイン
  • ニーラジ・カビー
  • マーナヴ・カウル
  • ディーパク・ドーブリヤール
  • Rマーダヴァン
  • ランディープ・フッダー
  • ナワーズッディーン・スィッディーキー
  • ジミー・シェールギル
  • アルシャド・ワールスィー
  • ラージクマール・ラーオ
  • ジャイディープ・アフラーワト
  • シャルマン・ジョーシー
  • ジム・サルブ
  • アーユシュマーン・クラーナー
  • ヴィジャイ・ヴァルマー
  • ソーハム・シャー
  • ヴィニート・クマール
  • アリー・ファザル
  • ヴィデュト・ジャームワール
  • ジーテーンドラ・クマール
  • マーヒー・ギル
  • カンガナー・ラーナーウト
  • リチャー・チャッダー
  • ラーディカー・アープテー
  • サヤーニー・グプター
  • サーニヤー・マロートラー
  • ショービター・ドゥリパーラー

 確かにいい俳優たちばかりだが、ほとんどがスター俳優とは異なる種類の俳優ばかりである。果たして豪華絢爛なインド映画は、演技力だけで成り立つものなのだろうか。彼らを主演に抜擢して、本当に観客は入るのだろうか。やはりスターのカリスマ性も重要なのではなかろうか。スターではない俳優が主演の映画は今までいくらでもあったが、ヒットすることは稀だった。それらがヒットしなかったのは、現在ボイコット・ボリウッド運動に参加しているような人々が、映画館まで観に行ってあげなかったからではなかろうか。

 それに、親が映画関係者だからといって子供に才能がないかといえば、全くそんなことはないだろう。リティク・ローシャンやアーリヤー・バットなど、才能あるスターキッドはたくさんいる。現在のヒンディー語映画界を席巻するボイコット・ボリウッド運動は行き過ぎているように感じる。

愛国主義映画

 ボイコット・ボリウッド運動に対する映画メーカー側からの対抗策として浮上したのが、愛国主義映画のますますの推進である。ヒンディー語映画界では元々愛国主義映画が好んで作られていたのだが、ヒンディー語映画界の支配者層に対する風当たりが強くなったのを見て、愛国主義で切り抜けようとする動きが出て来ているようである。縁故主義反対者であっても、愛国主義に反対することはできない。あらゆる映画に愛国主義を盛り込むことで、批判をかわし、この逆境を乗り切ろうとしている。

 よって、最近のヒンディー語映画はとにかく、国のために命を捧げる警察や兵士、あるいは英領時代の独立運動家や国際的に活躍したスポーツ選手などを主人公にした映画が多くなっている。国民の心をひとつにするためには、共通の敵を作るのが一番手っ取り早い。インドにとって一番の敵といえばパーキスターンであるし、潜在的に最大の敵は中国である。これらの国を悪役とした映画も増加傾向にある。

 2021年に公開されたヒンディー語映画をざっと並べてみると、上記のどれかの特徴を持つ映画が非常に多いことが分かる。「Saina」、「Bhuj: The Pride of India」、「Shershaah」、「Sardar Udham」、「Sooryavanshi」、「Satyameva Jayate 2」、「83」などなどである。ただ、結果を見てみれば、愛国主義を盛り込んだだけではヒットは約束されないことは一目瞭然だ。

南インド映画ブーム

 また、ヒンディー語映画にボイコットの動きが出ている裏で、南インド映画の人気が高まっている。OTTプラットフォームの普及によって、ヒンディー語映画以外のインド映画を鑑賞する機会に恵まれるようになったため、北インド人がこぞって南インド映画を観るようになっているようだ。もっとも有名なのはYouTubeのGoldminesである。南インド映画のヒンディー語吹き替え版を専門に配信しているチャンネルで、南インド映画スターの知名度を北インドに広めるのに多大な貢献をしたとされる。もちろん、2015年から17年に掛けて「Baahubali」シリーズが全インド的な大ヒットとなったことも大きな出来事だった。これらの要因から、ヒンディー語に吹き替えられた南インド映画が北インドの映画館でも公開され、大したプロモーションもしていないのに多くの観客が動員されて、それが南インド映画の興行収入を押し上げる現象が繰り返されている。

 ボイコット・ボリウッド運動に加担している人々は、なぜか一様に南インド映画には好意的である。南インド映画界もネポティズムはヒンディー語映画界に決して劣っていないと思うのだが、スターの態度が南インド映画業界の方が腰が低いということで、好感を持たれている印象だ。ボイコット・ボリウッド運動では、ヒンディー語映画スターたちの傲慢な発言も取り沙汰された。例えば、ヒンディー語映画界でもっとも高貴な血筋を持つカプール家出身のカリーナー・カプールは、ヒンディー語映画の縁故主義を批判する人々に対し、「嫌なら観なければいい」と発言し、火に油を注いだ。

 ヒンディー語映画に南インド映画のリメイクが多いのは昔からのことだった。南インド映画にもヒンディー語映画のリメイクは少なくないので、それだけならお互い様なのだが、どうもヒンディー語映画界は、南インド映画のヒンディー語吹き替え版公開を政治的な力で止めていたところもあるようだ。南インド映画のヒンディー語吹き替え版が公開されてしまったら、北インドの観客は、南インドのヒット映画のヒンディー語リメイクをわざわざ観ようとしなくなってしまうからである。この辺りの裏事情も次第に曝露されつつある。

 当然のことながら、現在、テルグ語映画が最盛期を迎えており、他の南インド映画からも優れた作品、優れた俳優が次々と生まれている。北インド人が南インド映画を観るようになった最大の原因はこれに尽きるだろう。

まとめ

 ボイコット・ボリウッド運動は2020年から2021年に掛けて断続的に盛り上がっており、2022年まで尾を引きそうである。ヒンディー語映画がここのところ低空飛行を続けているのは、新型コロナウイルスの影響だけでなく、こういう社会的な気運や、南インド映画との力関係の変化も関係していそうだ。

 何にしろ、映画人の仕事は映画を作ることなので、監督はいい映画を作り、俳優はいい演技をすることで、世間の批判や偏見を跳ね返すしかないだろう。一方、観客側も、監督や俳優の出自だけを見てボイコットするようでは、出自だけを見て起用する縁故主義者と変わらなくなってしまう。先入観に囚われずに客観的に評価する鑑識眼を養うべきであろう。

 今、正に変化が起こっている最中であり、新型コロナウイルス、OTTプラットフォームの普及、ボイコット・ボリウッド運動、そして南インド映画の勢力拡大などの影響について現時点での評価は難しい。マルチプレックスがインド映画の構造に多大な影響を与えた2000年代も、正に変化が起こっている最中にはなかなかマクロな視点で変化を評価できなかったのを覚えている。この2020年代前後は、もしかしたら後で振り返って見たときに、ヒンディー語映画、引いてはインド映画に大きな地殻変動が起こった時期として記録されることになるかもしれない。

 想定される潜在的に最大の変化は、今まで真の意味で存在しなかった「汎インド映画」の誕生である。OTTプラットフォームを介し、吹き替えを活用することで、それが可能となりつつあるのである。