Kai Po Che

4.0
Kai Po Che
「Kai Po Che」

 現グジャラート州首相であるナレーンドラ・モーディーのインド首相就任が現実味を増す中、彼の12年以上に及ぶグジャラート州統治の最大の汚点となっている、2002年のグジャラート暴動も再び脚光を浴びるようになって来ている。ヒンディー語映画界は、いわゆるコミュナル暴動を比較的よく題材として取り上げて来ており、1947年の印パ分離独立に伴う暴動、1984年のインディラー・ガーンディー首相暗殺の反動として起こった反スィク教徒暴動、アヨーディヤーのバーブリー・マスジド破壊事件を原因とする1992-93年のボンベイ暴動など(参照)、何度も映画化されて来ているが、その中で最も新しいグジャラート暴動も、やはり好んで映画の題材に採り入れられている。「Parzania」(2005年)や「Firaaq」(2008年)、ドキュメンタリー映画を含めると「Final Solution」(2004年)などであるが、その一番新しい例が、2013年2月22日に公開の「Kai Po Che」となる。

 実はこの映画が公開されたときにはインドにおり、頑張ればそのとき映画館で鑑賞することも不可能ではなかったのだが、完全帰国前の忙しい時期だったために気力が出ず、見逃してしまっていた。その後、DVDを手に入れて観た次第である。

 今回「Kai Po Che」を観ようと思った理由は、先日、京都大学で月に一度開催されているインド映画研究会で「Parzania」について議論が行われたからである。現在グジャラート暴動の研究を行っている中溝和弥准教授から、最新の動向や研究結果を基に、この事件について解説があった。研究会の題材に「Parzania」が選ばれたのは、どちらかというと暴動以後の状況に焦点が当てられていたからであるが、「Kai Po Che」も十分リアリティーのある内容となっているとの話だったので、興味が沸いた。

 「Kai Po Che」の監督は、「Rock On!!」(2008年)で名を上げたアビシェーク・カプール。この映画は、人気小説家チェータン・バガトの「The 3 Mistakes of My Life」(2008年)を題材としている。チェータン・バガトと言えば、日本でも大ヒットとなった映画「3 Idiots」(2009年)の原作「Five Point Someone」(2004年)を書いた人物である。音楽はアミト・トリヴェーディー、作詞はスワーナンド・キルキレー。キャストは、スシャーント・スィン・ラージプート、アミト・サード、ラージクマール・ラーオ、アムリター・プリー、アースィフ・バスラー、ディグヴィジャイ・デーシュムク、マーナヴ・カウルなど。

 2000年、グジャラート州アハマダーバード。ゴーヴィンド・パテール(ラージクマール・ラーオ)とイシャーン・バット(スシャーント・スィン・ラージプート)とオームカル・シャーストリー(アミト・サード)は幼少の頃からの仲良しで、青年となった現在、人生において自力で何かを成し遂げたいという野望を持っていた。ゴーヴィンドは三人の中では最も学業成績優秀で、ビジネスマンになることを夢見ていた。イシャーンはクリケット大好きで、県レベルの選手でもあった。イシャーンにはヴィディヤー(アムリター・プリー)という妹がいた。オームカルは、父親が寺院の僧侶で地域から尊敬を集めていたが、自分は宗教の道を歩むつもりはなかった。オームカルの叔父ビットゥー・マーマー(マーナヴ・カウル)は寺院の基金を管理しており、ヒンドゥー教至上主義政党ヤギャ党の熱心な党員でもあった。

 三人はビットゥーから寺院の敷地内の空き部屋を貸してもらい、スポーツ用品ショップ兼クリケット塾を始める。元々イシャーンは、クリケット選手を夢見る近所の子供たちから尊敬されていたため、生徒もよく集まり、ビジネスも順調に軌道に乗る。近所の子供の中から、アリー(ディグヴィジャイ・デーシュムク)という逸材も見つかる。イシャーンはアリーに熱心にバッティングを教える。また、ゴーヴィンドはヴィディヤーの家庭教師となり、数学を教えるようになる。

 そんな中、ゴーヴィンドはショッピングモールに出店することを考え始める。イシャーンとオームカルは、まだビジネスを始めたばかりで店舗を移すことに反対であったが、ゴーヴィンドはモールにこそ未来があると見抜いていた。だが、モールに出店するためには前金として50万ルピーが必要であった。またもビットゥーから借金することになったものの、モールに店舗を確保することに成功する。

 ところが、2001年1月26日、突如グジャラート州をマグニチュード7.7の大地震が襲う。建設中のモールも倒壊し、前金は持ち逃げされてしまった。ゴーヴィンドは夢絶たれて寝込んでしまう。また、イシャーンはアリーが心配だった。アリーは貧しいイスラーム教徒が住む居住区に住んでおり、彼の家は崩壊してしまっていた。イシャーンはアリーの家族を、ヤギィヤ党の被災者キャンプに連れて行くが、イスラーム教徒は入場を拒否される。このときイシャーンとオームカルは殴り合いの喧嘩をし、しばらく二人は絶縁状態となる。また、イシャーンは無断で店の売上金4万ルピーを持ち出し、アリーの家の修理に宛ててしまう。ゴーヴィンドも激怒し、イシャーンを追い出す。

 2001年3月11-15日、コールカーターのエデン・ガーデンで行われたインド対オーストラリアのクリケット・テストマッチで、当時連戦連勝の世界最強チームだったオーストラリアをインドが打ち負かすという、スポーツ史に残る歴史的な勝利を収めた。この勝利をきっかけにして、ゴーヴィンド、イシャーン、オームカルは仲直りする。また、子供たちの間でクリケット熱が沸騰し、彼らのビジネスも再び軌道に乗る。学校の課外授業としてクリケットの主張授業を行う話も舞い込んで来る。一方、ビットゥーが州議会選挙に立候補することになり、オームカルはその助手として次第に政治の世界にのめり込むようになる。ビットゥーの対立候補を支援していたのがアリーの父親(アースィフ・バスラー)であった。ヤギャ党は勝利して与党となったものの、ビットゥー自身は落選となった。

 2002年2月27日。ゴードラー駅でアヨーディヤー帰りのヒンドゥー教徒巡礼者たちが乗った列車の車両がイスラーム教徒によって焼き討ちされるという事件が起こる。死者の中にはオームカルの両親も含まれていた。怒りと悲しみに支配されたオームカルは刃物を持って党員と共にイスラーム教徒居住区を襲撃する。アリーの父親はビットゥーと揉み合いになり、彼をナイフで刺してしまう。それを見たオームカルはさらに激昂し、アリーの父親を追う。だが、そこにはアリーを心配して駆けつけていたゴーヴィンドとイシャーンもいた。二人はアリーと父親を逃がそうとするが、オームカルは拳銃を持って彼らを追い、発砲する。だが、銃弾に倒れたのはイシャーンであった。イシャーンはそのまま絶命する。

 それから10年後。オームカルは刑期を終え、釈放された。そこにはゴーヴィンドが迎えに来ていた。このときまでにゴーヴィンドはスポーツ選手養成アカデミーを経営していた。二人は一緒にスタジアムへ向かう。そこではちょうどアリーがインド代表としてデビューをしようとしていた。また、オームカルはゴーヴィンドとヴィディヤーの息子イシャーンと初めて顔を合わす。

 この映画はいくつかの観点から分析することができるだろう。グジャラート暴動を始めとした当時の社会情勢を映像化した映画であるという観点から、クリケット映画としての観点から、友情映画としての観点から、などなど。だが、間違いなく最も重要なのは一番最初の観点であり、グジャラート暴動を時代背景に設定した点であろう。

 グジャラート暴動に関する一連の事件は、今まで何度も調査や捜査がされているにも関わらず、謎の部分が多い。だが、なるべく事実として認められていることを抜き出して簡潔に説明したい。2002年2月27日、ゴードラー駅近くで、アハマダーバード行きサーバルマティー・エクスプレスS-6号車が出火して全焼し、この車両に乗っていた乗客58名が死亡した。この列車には、ウッタル・プラデーシュ州アヨーディヤーでラーム生誕寺院建設のための儀式を行って帰途に就いていた多数のグジャラート人ヒンドゥー教徒巡礼者が乗っており、火災の死者もヒンドゥー教徒であった。すぐに、イスラーム教徒によってヒンドゥー教徒が焼き討ちされたとの噂が広まり、グジャラート州各地でヒンドゥー教徒の暴徒によるイスラーム教徒の殺戮が始まった。当時グジャラート州の州首相に就任したばかりだったナレーンドラ・モーディーはこの暴動を扇動したと糾弾されており、合計1,000人から2,000人の人命が失われたとされている。21世紀のインドにおいて最も不幸な事件であった。

 「Kai Po Che」は基本的にはフィクションであるが、物語のターニングポイントとして、2000年から2002年にインドまたはグジャラート州で起こった実際の事件が織り込まれ、それらが登場人物の人生、考え方、人間関係などにどのような影響を与えたかが描かれている。大きなものでは、2001年1月26日のグジャラート地震、2001年3月のクリケット対オーストラリア戦での歴史的勝利、そして2002年2月27日のゴードラー事件とそれに伴うグジャラート暴動である。そして、これら一連の出来事は、ひとつひとつがグジャラート暴動へのカウントダウンとして物語の中に組み込まれていた。特に、グジャラート地震によって被災者が宗教ごとに分断されて避難所に収容されたことで、宗教間の対立が深まって行く様子がよく再現されていた。また、「Parzania」でもそうだが、この「Kai Po Che」でも、グジャラート暴動は自然発生的な「暴動」ではなく、組織的な「虐殺」だったという立場を取っている。ゴードラー事件後、ヤギャ党の党員に武器が配られるシーンがある。もちろん、ヤギャ党はインド人民党(BJP)のことだ。この辺りはまだ確定した事実ではないので、注意して受け止めなければならない。

 それだけでなく、当時の細かい社会情勢やグジャラート州の様子がよく再現されていたのも面白い。例えば2000-01年の場面でショッピングモールが「インドの未来」として描写されている。正にその時期、インドの都市部にショッピングモールが登場し始めており、インドの小売をガラリと変えてしまったのである。3人が酒を飲みにディーウまで行くシーンも、グジャラート州が禁酒州であることを考えると、その興奮がよく分かる。ディーウはグジャラート州からアラビア海に突き出た島で、ディーウ&ダマン準州であり、酒を安く飲むことができる。だから酒好きのグジャラート人はディーウやダマンへ出向いて酒を飲むのである。ただ、携帯電話については多少時代錯誤があったように感じる。まだ2000-01年の段階では携帯電話が映画で描写されているほどには普及していなかった。

 そして一番注目しなければならないのは、3人の主人公の考え方である。3人ともヒンドゥー教徒であり、カーストは名前から察する限り、ゴーヴィンドのみがバニヤー(商人階級)であり、残りの2人はブラーフマンである。オームカルの方は、父親が寺院付きの僧侶であり、特に宗教的な雰囲気の中で育って来たことがうかがわれる。特筆すべきは、3人とも特に信心深かったり他の宗教に偏見を持っていたりした訳ではないことである。特にイシャーンは、アリーがイスラーム教徒であることなど全く気に掛けておらず、彼の才能だけを見ていた。イシャーンにとって宗教などどうでもいいことであった。これは、現代のインド人の若者のごくごく普通の姿である。

 一連の事件の中で、考え方に変化が表れたのはオームカルであった。叔父が政治に関わっていたこともあり、彼は徐々に政治の世界に入って行く。その中でヒンドゥー教徒を「俺たち」、イスラーム教徒を「奴ら」と呼ぶようになって行く。そして、両親の死をきっかけに吹っ切れ、イスラーム教徒の虐殺に従事することになる。宗教と政治が結び付いたときに、人の心にいかに危険な精神を植え付けてしまう恐れがあるのか、オームカルがそれを体現していたと言っていいだろう。

 一方で、この映画はクリケット映画としても鑑賞することが可能であろう。インド人がいかにクリケット好きなのか、クリケットがうまいインド人がいかに近所の子供たちから慕われる存在となるのか、クリケットの国際試合でインドが勝つと町がどんな感じになるのか、などなど、とてもよく描けていたと思う。また、イシャーンは実力がありながらクリケットの世界に蔓延する政治のせいで選手として上まで上がれず、苦杯をなめたことも示唆されており、クリケットの影の面も垣間見せてくれていた。

 重要なのは、クリケットに宗教はないということである。確かにクリケットの世界で名を成すためには、様々な障害を乗り越えなければならない。中には、出自や経済力などのせいで、不公平な仕打ちを受ける者もあることだろう。だが、本当に実力があれば、いかなる宗教であっても、いかなるカーストであっても、活躍することができる。現に、イシャーンが見つけ出し磨き上げた逸材アリーは、最後にはインド代表として国際舞台に立った。現実世界でもイスラーム教徒のインド人クリケット選手は多数存在する。そして、インド人クリケット・ファンはインド代表を宗教の別なく応援する。クリケットは、インドをひとつにする大きな力なのである。

 ちなみに、題名の「Kai Po Che」とは、グジャラーティー語で「切れたよ!」という意味だ。喧嘩凧で凧が切れたときに発せられる台詞である。

 インドの三大話題はクリケット、映画、政治だと言われる。この中で、映画とクリケットは宗教色が薄い世界である。一方、インドの政治に宗教は付きものだ。「Kai Po Che」は、映画という媒体を使い、クリケットを題材に用いながら、宗教を政治利用することへの警鐘を鳴らす作品だったと評することができるだろう。また、単純に3人の青年たちの友情物語として見ても十分楽しめる作品で、そのおかげで娯楽映画としても成功している。「Kai Po Che」は2013年の傑作の一本に数えられる作品だ。