Final Solution

3.5
Final Solution
「Final Solution」

 インドでは宗教間の対立から起こる暴動を「コミュナル暴動」と呼ぶ。インドは多宗教国家ではあるが、その8割はヒンドゥー教徒であり、各宗教コミュニティーが数的な均衡を保って共存しているわけではない。そのバランスが崩れ暴動が起きると、どうしても少数派がターゲットになりやすい。1990年代以降はヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の間で緊張が高まり、数々のコミュナル暴動を引き起こしてきたが、数で圧倒しているヒンドゥー教徒がイスラーム教徒を虐殺する形の暴動が目立つ。その中でも代表的なコミュナル暴動が、2002年にグジャラート州で起こったグジャラート暴動である。

 グジャラート暴動の発端は、2002年2月27日にグジャラート州ゴードラーで発生したゴードラー列車火災事件であった。サーバルマティー・エクスプレスから出火し、59人が死亡した。全員がヒンドゥー教徒であり、彼らはアヨーディヤー帰りだった。

 ヒンドゥー教至上主義を掲げるインド人民党(BJP)やその母体である世界ヒンドゥー協会(VHP)は、インド二大叙事詩のひとつ「ラーマーヤナ」の主人公であり、神として信仰されているラーマ王子の生誕地とされるアヨーディヤーにラーマ生誕地寺院を建立することを悲願として掲げ、ヒンドゥー教徒の支持を拡大してきた(参照)。分かりやすい二項対立構造を作り上げるため、ヒンドゥー教徒の敵として設定されたのが、インドの人口の1割強を占めるイスラーム教徒であった。1992年にバーブリー・モスク破壊事件が起きたが、その理由もそのモスクがラーマ生誕地寺院を破壊して建てられたと主張されていたからだった。狂信的なヒンドゥー教徒によってバーブリー・モスクが破壊された後、その跡地は係争地となっていたが、BJPやVHPはラーマ生誕地寺院建立のための活動を続けた。2002年に火災事故のあったサーバルマティー・エクスプレスに乗っていたヒンドゥー教徒たちは、この活動に参加する、いわゆる「カール・セーヴァク」であった。

 一般的にゴードラー列車火災事故における火災の原因は偶発的なものとされている。しかし、当時グジャラート州の州首相だったナレーンドラ・モーディーをはじめ、BJPの政治家たちは、これを「ヒンドゥー教徒に対する計画的なテロ」と断定し、パーキスターンの諜報機関と、それに協力するインド国内のイスラーム教徒たちが実行したと喧伝した。これがグジャラート州全土に暴動を引き起こしたのである。

 グジャラート暴動ではヒンドゥー教徒・イスラーム教徒双方に死者が出ているが、圧倒的に多いのはイスラーム教徒である。警察は暴動を止めようとせず、むしろ暴動を煽り、しかも警察に攻撃されて命を落とした市民もいたとされる。また、ヒンドゥー教徒の暴徒は携帯電話を片手に何者かの指示を受けながら殺戮をしていたとの報告もあり、その裏にはBJPの政治家がいたと噂されている。

 ラーケーシュ・シャルマー監督のドキュメンタリー映画「Final Solution」は、グジャラート暴動を扱った映画として非常に有名だ。ヒンドゥー教徒・イスラーム教徒双方のインタビューを元に事件の真相に迫るが、同情はイスラーム教徒側に傾いており、当時州首相だったナレーンドラ・モーディーへの批判色も強い。グジャラート暴動後にモーディー州首相が州全土を行脚して行った「ガウラヴ・ヤートラー(名誉のパレード)」の映像も随所に使われているが、そこでモーディー州首相は国民会議派(INC)やイスラーム教徒に対してヘイトを煽る演説をしている様子が分かる。

 この映画は2003年には完成していたはずである。ただ、あまりにセンシティブな内容や映像を含む映画だったため、中央映画検定局(CBFC)からしばらくの間公開が禁止されていた。中央の政権がBJPからINCに移行したことも関係しているのか、2004年の終わり頃には禁止が解除されることになったが、映画館では遂に一般上映されなかったはずである。代わりにVCDが配布され、人々に届けられた。

 映画は、ゴードラー列車火災事件とグジャラート暴動の被害者を中心にインタビューを行っている。グジャラート暴動の被害者は、家族を殺されながらも何とか生き残った人たちばかりだ。中にはレイプの被害に遭った女性もモザイクなどなしで出演し、被害を受けたときの様子を赤裸々に語っている。一方、ヒンドゥー教徒の人々は、グジャラート暴動のとき、近所でイスラーム教徒に対する殺戮や暴行は全くなかったと述べていた。

 映画の題名は「最終的な解決」を意味する。少なくとも映画が撮影された時点では、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の間に深い溝が生まれてしまっており、これを埋めるような解決法は見出されていなかった。特にイスラーム教徒たちの間でヒンドゥー教徒や政治家・官僚・警察に対する不信感が強く、自国にいながら国民扱いされない苦しい境遇を吐露していたのが印象的だった。

 映画の冒頭と最後には、小学生低学年くらいの小さな男の子が登場しインタビューに答える。彼はイスラーム教徒で、グジャラート暴動で家族の多くを目の前で殺されてしまっていた。その子は夢を語る。将来兵隊になってヒンドゥー教徒を殺すのだ、と。この暴動は、こんな無垢な子供にそのような恐ろしい夢を植え付けてしまった。「最終的な解決」が提示されるばかりか、むしろさらなる動乱がグジャラート州もしくはインド全体を揺るがすことになる暗い未来が暗示されていた。

 「Final Solution」は、ベルリン国際映画祭など、各国の映画祭で上映され高く評価されており、インド製ドキュメンタリー映画の中ではもっとも有名な作品だ。しかも、将来首相になるナレーンドラ・モーディーの血塗られた過去を永久に保存しており、政治的な意義も強い。しかしながら、モーディーは首相就任直前に裁判所からグジャラート暴動での責任を放免されており、彼の政治的な猛進を止めるほどまでの影響力までは発揮できなかった映画でもある。それでも、インドの現代政治史を学ぶ者は必見の映画であることには変わりがない。