Maska

4.0

 ムンバイー特産の有名な軽食にバン・マスカーがある。簡単に言ってしまえばフワフワのバタークリームパンで、これをチャーイに浸しながら食べるのがムンバイー住民のソウルフードである。19世紀末から20世紀初頭にイランからインドにやって来たイラン人拝火教徒(イーラーニー)たちがムンバイーでカフェを開業し、そこで生まれた料理だとされている。イーラーニーが経営するカフェはイーラーニー・カフェと言われており、かつてはムンバイーの至る所にあったが、時代の変遷と共に次第に数が減って来ている。

 2020年3月27日からNetflixで配信開始されたヒンディー語映画「Maska」は、イーラーニー・カフェとバン・マスカーを題材にしたユニークな映画である。監督はニーラジ・ウドワーニー。これまで数本の短編映画を撮っているが、長編映画は今回が初である。キャストは、マニーシャー・コーイラーラー、ニキター・ダッター、ジャーヴェード・ジャーファリー、プリート・カマーニー、シャーリー・セーティヤーなどが出演している。また、アビシェーク・バナルジー、ボーマン・イーラーニー、サイラス・サーフーカールが特別出演している。

 舞台はムンバイー。19歳の青年ルーミー(プリート・カマーニー)は、1920年創業のイーラーニー・カフェであるルスタム・カフェの4代目だった。父親のルスタム(ジャーヴェード・ジャーファリー)は若くして亡くなっており、母親のダイアナ(マニーシャー・コーイラーラー)が女手一つで育児をしながら店を切り盛りして来た。ダイアナは早くルーミーにカフェを継いで欲しかった。ルスタム・カフェは間もなく100周年を迎えようとしていた。

 ところが、ルーミーは俳優を目指していた。演劇学校で出会ったマッリカー・チョープラー(ニキター・ダッター)と同棲しながらオーディションを受け続けていた。だが、マッリカーが役をもらえた一方で、ルーミーに演技の才能はなく、落ち続けていた。ルーミーは、5,000万ルピーを出資してくれれば映画の主演にすると言う監督と出会い、カフェを売り払って金を工面することを思い付く。

 ルーミーは一旦自宅に戻り、カフェを継ぐ素振りを見せる。ダイアナは喜び、カフェを息子に任せて膝の手術をする。カフェの買い手が現れ、7,000万ルピーで買ってくれそうだった。それを聞いたダイアナは激怒するが、最後には折れ、委任状に署名をする。

 一方、ルーミーの友人パルシス(シャーリー・セーティヤー)は、イーラーニー・カフェの本を作るためにルスタム・カフェの取材をしていた。パルシスの取材により、いかにルスタム・カフェが多くの人々から愛されているのかが分かって来る。また、カフェ売却の頭金を受け取ったルーミーは、それを監督に渡して映画の企画を開始してもらうが、全く演技ができず、罵声を浴び続けていた。

 ルーミーは一旦、カフェ売却の契約を結んでしまうが、考え直し、契約を取り止めにする。そしてルスタム・カフェの4代目として全力でカフェの復興に精を出す。こうしてルスタム・カフェはめでたく100周年を迎えた。

 家業と夢の間に挟まれた主人公が、全てを捨てて夢の実現へ向かおうとするも、最終的には家業の方に戻って来るというストーリーだった。インド映画のストーリーは家族を大事にする方向に向かう傾向にあり、正に王道を行っていた。夢をひたすら追い、自分で自分の運命を切り拓くメッセージが込められることも多いのだが、家族を犠牲にしてまでそれが推進される訳ではない。そういう意味では非常に保守的な映画ではあった。ただ、おかげで心温まるストーリーになっていた。

 題名の「Maska」とは「バター」という意味だが、この映画の中心となっていた品物は、バターを使った軽食、バン・マスカーであった。バン・マスカーはルスタム・カフェの名物だったが、父親の死後、提供しなくなり、ルスタム・カフェもだんだん寂れて来てしまっていた。だが、ルーミーが再びバン・マスカーを作り始め、カフェは盛況になる。

 かなり最後まで俳優にこだわっていたルーミーの心を変えたのは、ルスタム・カフェやバン・マスカーを愛する常連客たちがパルシスに語った思い出の数々だった。初めてのデートがルスタム・カフェだったという老夫婦、ルスタム・カフェでお見合いをすると成功率100%だと言う結婚斡旋業者、ルスタム・カフェで30年間働き続けている男性など、それぞれの人がそれぞれのストーリーを持っていた。パルシスは哲学的な女の子で、この世界は原子や分子でできているだけではなく、物語でできているいのだと主張する。そして彼女はそんな物語の収集人であった。ルーミーの心を変えたのは、パルシスが集めたいくつもの物語であった。

 ルーミーの周囲には、母親を除けば、2人の女性がいた。1人はマッリカー。バツイチで女優志望の野心的な女性で、女優になるだけの美貌もあった。彼女の存在は、俳優になる夢を追うルーミーの一面を象徴していた。もう1人はパルシス。マッリカーに比べたら地味だが、物語という目に見えないものに興味を持つだけあって、見た目よりも内面に美しさのある女性であった。最終的に俳優の夢を諦めてカフェを継ぐ決意をしたルーミーは、恋愛面でもマッリカーからパルシスに乗り換える。

 意外なことに、日本語の「生き甲斐」という単語も、「Ikigai」として登場し、ストーリーの変化に少なからぬ影響を与えていた。この言葉を最初に使ったのはパルシスであった。彼女はこの言葉を「Reason for Being」と説明する。この言葉は映画の最後にも出て来る。ルーミーはマッリカーに別れを切り出すと同時に、この言葉を使って、自分の決断を説明する。ルーミー曰く、「Ikigai」とは、好きなこと、得意なこと、金を稼げること、そして社会に必要とされることの4つが揃ったものであった。ルーミーは「Ikigai」を演技に見出すことができなかった一方で、ルスタム・カフェでお客さんにバン・マスカーなどの料理を提供することでそれが得られたのである。

 特別出演のボーマン・イーラーニーの登場シーンが2回あるが、それらが「Ikigai」をよく表現していた。ルーミーは俳優を目指していた頃に憧れの俳優ボーマンと出会うが、彼は自撮りをねだる方だった。だが、名実共にルスタム・カフェの跡取りとなったときに、今度はボーマンが店を訪れ、ルーミーに自撮りをねだる。生き甲斐を見つけて生きている人のところには、ボーマンのような有名人も自らやって来るのである。

 主演のプリート・カマーニーは演技力のない俳優志望者という役柄であった。演技力のなさを表現するには、最初から演技力のない俳優を起用するか、それとも相当演技力のある俳優を起用するかの二つに一つだ。プリートに関しては、演技力のない俳優の演技に非常に長けていた一方で、それ以外のシーンでは大したものを感じなかったので、もしかしたら演技力のない俳優なのかもしれない。

 ヒロインとなるニキター・ダッターやシャーリー・セーティヤーの演技や雰囲気も、それぞれの役柄によく合ったもので、キャスティングが非常にうまいと感じた。そして何より、クレイジーな母親ダイアナを演じたマニーシャー・コーイラーラーの演技が素晴らしかった。インド映画でよく描かれるステレオタイプな拝火教徒像ではあったが、今まで彼女があまり演じて来なかったような役柄で、新たな魅力が引き出されていたと感じた。

 ちなみに、拝火教徒は異教徒と結婚すると拝火教徒と認められなくなるため、拝火教徒同士の結婚にこだわる。パルシスは拝火教徒であったが、マッリカーはパンジャービー・ヒンドゥーであった。

 「Maska」は、ムンバイーの風物詩であるイーラーニー・カフェとバン・マスカーを題材にした心温まるドラマ映画である。主人公が直面する、夢を取るか、家業を取るかの葛藤の結末は、十分に予想できるものであり、サスペンス要素には乏しい。だが、家族至上主義はインド映画の核心であり、これを失ったときはインド映画がインド映画でなくなるときだ。非常にインド映画らしい作品であった。Netflix映画の中では名作に数えられるだろう。