Gangubai Kathiawadi

3.5
Gangubai Kathiawadi
「Gangubai Kathiawadi」

 一時期、日本でも任侠映画が盛況だったのと同様に、インドにおいてもマフィア映画は人気のジャンルであり、マフィアのドンを主人公にした映画が数多く作られている。その中には女性ドンの映画もあり、例えば「Shabri」(2011年)や「Haseena Parkar」(2017年)などが挙げられる。

 2022年2月16日にベルリン国際映画祭でプレミア上映され、インドでは同年2月25日に公開された「Gangubai Kathiawadi」は、1960年代のボンベイにおいて、赤線地帯カーマーティープラーを支配した娼館主ガングーバーイーを主人公にした伝記映画である。ムンバイーのアンダーワールドをフィールドとするノンフィクション作家フサイン・ザイディー著「Mafia Queens of Mumbai」(2011年)で取り上げられたガングーバーイー・ハルジーヴァンダースの章に基づいて作られている。ザイディーの著作物は今までも頻繁にヒンディー語映画の原作になってきており、「Black Friday」(2007年)や「Shootout at Wadala」(2013年)などが作られている。

 監督は、ヒンディー語映画界を代表する映画監督であるサンジャイ・リーラー・バンサーリー。「Devdas」(2002年)や「Padmaavat」(2018年/邦題:パドマーワト 女神の誕生)など、特に時代劇映画を得意とする。

 ガングーバーイーを演じるのは、「Student of the Year」(2012年/邦題:スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え!No 1!!)でデビューして以来、高い演技力でトップ女優の地位を維持してきているアーリヤー・バット。他に、シャンタヌ・マヘーシュワリー、ヴィジャイ・ラーズ、インディラー・ティワーリー、ヴァルン・カプール、ジム・サルブなどが出演している。また、アジャイ・デーヴガンが特別出演し、フマー・クライシーがアイテムソング「Shikayat」でアイテムガール出演している。

 グジャラート州カーティヤーワール地方の裕福な家庭に生まれ育ったガンガー(アーリヤー・バット)は、ボンベイで女優になるという夢を叶えるため、両親に内緒で、恋人ラムニク(ヴァルン・カプール)と共にボンベイ行きの列車に乗り込んだ。しかし、ラムニクが彼女を連れて行ったのは、ボンベイの赤線地帯カーマーティープラーの娼館だった。ガンガーはシーラー・マウスィー(スィーマー・パーワー)の娼館に1,000ルピーで売られ、売春婦ガングーとなる。

 ガングーは娼館内で頭角を現し、仲間の売春婦たちをまとめ、シーラーにたてつくようになる。だが、ガングーは乱暴な顧客シャウカト・カーン・パターンに暴行を受け怪我を負い、シーラーはそれをわざと見過ごす。ガングーは、シャウカトのボスである、マフィアのドン、ラヒーム・ラーラー(アジャイ・デーヴガン)に助けを求める。ラヒームはガングーを妹と見なし、次に彼がガングーに暴行を振るった途端、シャウカトを公衆の面前で打ちのめす。シーラーが病死し、彼女の娼館はガングーの手に委ねられる。いつしか彼女はガングーバーイーと呼ばれるようになった。

 カーマーティープラーの自治会長選挙が近づいていた。ガングーバーイーは立候補し、現会長のラズィヤー(ヴィジャイ・ラーズ)と戦う。ラズィヤーは立候補を取り止めるようにガングーバーイーに圧力を掛けるが、ガングーバーイーはそれを跳ね返し、見事自治会長の座を勝ち取る。また、ガングーバーイーにはアフサーン(シャンタヌ・マヘーシュワリー)という恋人がいたが、彼を娼婦の娘と結婚させる。

 カーマーティープラーにはキリスト教系の学校があった。その校長がカーマーティープラーから売春婦を追い出そうと活動を始めた。ガングーバーイーは、ジャーナリストのアミーン・ファイズィー(ジム・サルブ)の助けを借りてそれに対抗し、ジャワーハルラール・ネルー首相にまで会いに行って、売春婦の権利を守るために尽力する。おかげでカーマーティープラーで働く女性たちはそのまま住み続けられるようになった。

 身売りされて売春宿に売られた不幸な売春婦の物語は、インドを題材にした映画に多い。特に外国人映画監督や、外国人的な視点を持ったインド人映画監督が好むテーマである。売春婦が主人公の映画だったり、売春婦になった女性を助ける社会活動家が主人公の映画だったりする。「Sold」(2014年)や「Love Sonia」(2018年)などがその代表例だ。

 だが、「Gangubai Kathiawadi」は、売春婦の人生を単に不幸の一色で染めることはせず、自身の置かれた状況を受け入れると同時に、同じような境遇の女性たちの救済に向けて身を粉にして働く女傑の物語である。よって、彼女が売春婦になるまでの逸話はとても簡潔に描写され、映画の中心は、彼女がカーマーティープラーの売春婦の地位向上のために戦う場面になる。原作者フサイン・ザイディーは女性マフィアの一人としてガングーバーイーを取り上げたが、少なくとも「Gangubai Kathiawadi」を観る限りでは、マフィア映画という印象は希薄だ。

 サンジャイ・リーラー・バンサーリー監督といえば、現実を超越したような映像美と独特の世界観が持ち味の、強力な作家性のある映画監督だが、今回はかなりリアリスティックな映像にこだわっていた。長回しの多用が気になったくらいで、映像美よりもストーリーに集中していた印象である。

 ただ、ガングーバーイーの行動に一貫性を持たせることには失敗していたと感じた。売春婦になったガングーバーイーがカーマーティープラーの支配者になると決意したのは、彼女の最初の顧客が彼女を評して、その素質があると言ったからであった。よって、ガングーバーイーの自発的な希望ではなかった。いつの間にか彼女は、売春婦たちの地位向上を目的に政治活動に従事するようになるが、当初の彼女は、支配者になるために選挙を戦った、つまり単なる権力闘争であって、そこに高尚な目的意識は感じなかった。

 ガングーバーイーが具体的にカーマーティープラーで働く女性たちのために行った政治活動は、同地域にある学校が売春婦追放のために裁判所に出した請願書の却下を求めたものだった。ただ、それもガングーバーイーの自発的な行動というよりは、つながりができたジャーナリスト、ファイズィーが根回しをしてくれたおかげだった。ガングーバーイーは人々の前で演説し、ジャワーハルラール・ネルー首相に会いにデリーまで行って、売春も仕事のひとつであり、売春婦にも尊厳があると訴える。その甲斐あってカーマーティープラーの売春婦たちはそのままそこに住み続けられることになるのだが、ガングーバーイーの要求はそれだけに留まらず、売春の合法化だった。その実現は現在までされていないが、その要求も唐突に感じた。

 もっとも驚いたのは、ガングーバーイーがカーマーティープラーから一歩も出なかった理由である。終盤になって彼女は、自分を娼館に売ったラムニクを心のどこかで待ち続けているからずっとカーマーティープラーにいると語るが、そんな秘められた心情は今まで全く仄めかされていなかった。ガングーバーイーはアフサーンと恋仲になるが、彼とは結婚せず、彼を仲間の売春婦の娘と結婚させてしまう。ガングーバーイーは政治活動や社会活動に集中するために結婚を選ばなかったのだと普通は解釈するわけだが、もしラムニクへの愛情がまだ心に残っていたとしたら、解釈は全く別になってしまう。

 映画を貫く芯が脆弱な映画ではあったが、部分部分でアーリヤー・バットの集中した演技が見られ、満足度は高い映画である。彼女が売春婦の地位向上のために演説をするシーンは最大の見所だ。しかしながら、まだ20代のアーリヤーにとって、視覚的に娼館主の貫禄を出すのは困難だったといわざるを得ない。スィーマー・パーワーが演じたシーラー・マウスィーの圧倒的な貫禄に比べたら、どうしてもアーリヤーの存在感は軽く感じてしまう。また、彼女をなるべくピュアに美しく描こうとするサンジャイ・リーラー・バンサーリー監督のこだわりも、娼婦を主人公にしたこの映画にはそぐわないように感じた。

 アーリヤー・バット以外に強烈な演技をしていたのは、ガングーバーイーのライバル、ラズィヤーを演じたヴィジャイ・ラーズである。ラズィヤーはヒジュラーである。ヴィジャイ・ラーズは以前、「Shabnam Mausi」(2005年)でヒジュラーを演じているが、スレンダーな体格をしていてヒジュラー姿がよく似合い、演技もとてもうまい。

 実際のガングーバーイーもグジャラート州カーティヤーワール地方出身だったようである。ガングーバーイーの母語はグジャラーティー語だったはずで、台詞の中にも部分的にグジャラーティー語が出て来る。グジャラートといえばガルバー&ダンディヤーだ。少女時代の思い出として「Jhume Re Gori」、売春婦になってからの祭礼として「Dholida」のダンスシーンで共通してガルバーがモチーフに使われ、彼女の望郷の気持ちが代弁されていた。

 「Gangubai Kathiawadi」は、サンジャイ・リーラー・バンサーリー監督の作品群の中ではリアリスティックな部類に入る映画だ。お伽話っぽさはまだ残るが、売春婦の地位向上のために尽力した実在の女傑を題材にした伝記映画であり、2022年の期待作の一本である。アーリヤー・バットの演技もすさまじい。ただ、彼女が演じるにはまだ若すぎる役だったとの印象は否めないし、そもそも物語に一貫性がなく、完璧な映画ではなかった。