ヒジュラー

 インド映画の鑑賞を重ねると、ヒジュラーは必ず気になってくる存在である。顔や身体の造りは男性っぽいのに、サーリーなどの女性用衣服を着用している人々がよくスクリーンに登場する。彼ら/彼女らは「हिजड़ाヒジュラー」または「किन्नरキンナル」などと呼ばれている。表向きは両性具有者のコミュニティーだ。

 最近ではジェンダーに関する知識の普及が進み、性は男性と女性の2つに完全に分けられるものではなく、その間には多様な連続性があるということが広く周知されるようになった。両性具有も、男性と女性の間にある中間性(インターセックス)のひとつだ。

 ジェンダー問題は通常、社会的な性の役割や、または性的指向や性自認など、より内面的な多様性の話題であることが多いが、両性具有は、より生物学的な性の多様性だといえる。読んで字の如く、両性具有者は男性器と女性器を併せ持った人々、もしくは完全な男性器や女性器を持たない人々のことである。両性具有にも様々な種類があるが、外見から両性具有者としてはっきり分かる形で生まれる確率は2~5万人に1人とされており、決して低くはない。ちなみに、2011年のインド国勢調査で性別を「その他」にした人の人口は48万7,803人である。もちろん、その中には両性具有以外の広範なLGBTQも含む。

 インドでは、両性具有者の子供が生まれると、ヒジュラーのコミュニティーがもらい受け、育てる習慣がある。ヒジュラーは一般的に子供を生むことができないため、外部から両性具有者を取り込むことで世代をつないでいくのである。

 インド社会においてヒジュラーがいつ頃から存在したのかは不明だが、インド神話には中間性とも取れるキャラクターが複数登場するため、昔からインド社会は中間性の存在を認識し、許容していたことが分かる。例えば、シヴァ神とパールワティー女神が合わさった形であるアルダナーリーシュワラ、天女ウルヴァシーの呪いによりアルジュナが女性になった姿であるブリハンナラー、女性から男性に性転換したシカンディニー、木星神ブリハスパティの呪いにより中性として生まれた水星神ブドゥ、シヴァ神とパールワティー女神の呪いにより月ごとに性が入れ替わることになったイラーなどである。

アルダナーリーシュワラ
©Marshall Astor

ヒジュラーの実態

 上で、ヒジュラーは両性具有者のコミュニティーだと書いたが、それは一般にそう信じられているということである。つまり、多くの場合、実態は異なる。現在、ヒジュラーと呼ばれている人々の大半は、トランスジェンダーかその予備軍だ。つまり、生物学的な性と性自認が一致せず、性転換をした者もしくは性転換を望む者がヒジュラーの大半を占めている。「ニルヴァーン」と呼ばれる一連の手術と秘儀を経て、ヒジュラーは性転換をし、「再生」する。

 インド社会におけるヒジュラーの立ち位置は複雑である。生殖を司る生き神として畏れられもすれば、異常者として蔑まれもする。一口にヒジュラーといっても、絶大な権力を持っている者もいれば、売春などに手を染めて社会の最底辺で暮らす者もいる。そのため、ヒジュラーという特徴だけでその人の全てを決め付けることはできない。

 インドをバックパック旅行する者が遭遇するヒジュラーは、どちらかといえば底辺の者がほとんどであろう。長距離列車に乗って座席に座っていたり、タクシーやオートリクシャーに乗って信号待ちをしていたりすると、突然、女装した男性がやって来て、手を打ち鳴らしながらお金を要求してくる。何も知らない旅行者はギョッとしてしまう。大半の外国人にとって、ヒジュラーとの初遭遇はこんなところではなかろうか。

 一方、インド在住者がヒジュラーにもっとも出会いやすい機会は結婚式かもしれない。インド人の友人ができると、まず間違いなく結婚式に招待される。そこでインドの豪勢な結婚式を楽しんでいると、突然、女装した男性の一団が会場に乗り込んできて踊り出すといった光景を目にする。もし、インド滞在期間中に出産をしたら、家にヒジュラーの一団が訪ねてくることもある。家に居座られると、お金を払うまで帰ってくれない。

 ヒジュラーは生殖を司っており、生殖に関する出来事には首を突っ込んでくる。具体的には、結婚式や出産である。こちらが呼ばなくても、どこからか噂を聞きつけてやってくる。その対応は様々だが、大半のインド人は慶事に無下にヒジュラーを拒絶することはしない。結婚式でヒジュラーが踊るのは、健康な子供が生まれてくるのを祈るためであり、出産後の赤ちゃんのお披露目式でヒジュラーが踊るのは、子供が健康に育つことを祈るためであるからだ。また、列車や道端で金を要求してくるヒジュラーに金を渡すと、未婚の人や既婚ながら子供がいない人には将来的に子宝に恵まれるように祈ってくれるし、子供がいる人には子供の健やかな成長を祈ってくれる。

 「ラーマーヤナ」には、ヒジュラーが生殖を司るようになった理由について言及されている。ラーマ王子が14年の追放刑になったとき、アヨーディヤー王国の人々も家を捨てラーマ王子を慕って付いてきてしまった。ラーマ王子は群衆に対し、「私は必ず戻ってくるから、全ての男女は今すぐ家に帰りなさい」と指示した。人々はその言葉を聞いて仕方なく踵を返したが、ヒジュラーたちだけは、男でも女でもなかったため、アヨーディヤー王国に戻らず、そこに留まることになった。14年後、ラーマ王子がその地を再訪したとき、ヒジュラーたちはそこに村を作って住み続けていた。その熱心な帰依に感動したラーマ王子は、ヒジュラーたちに、新婚夫婦などを祝福する力を与えたとされる。

 組織化されたヒジュラーは師弟制度を採ってグルが多数の弟子を指導し、自分のテリトリーを持っている。テリトリーの中で結婚式や出産などの機会に踊りを踊って収入を得るが、それ以外にも、ディーワーリー祭の際などに地域の商店を回ってショバ代を巻き上げるなど、ヤクザまがいのこともする。また、ヒジュラーへの尊敬が残っている地域では、ヒジュラーは地域の相談役にもなっている。特に生殖に関する事柄の相談に乗ることが多いようである。売春に手を染めるヒジュラーもいるが、それはヒジュラーに需要があるからだ。どうやらヒジュラーとの性行為を好む、好き者の男性も世の中にはいるようである。

ショバ代を巻き上げるヒジュラーの一団
2002年10月26日アジメールにて撮影

 一方で、ヒジュラーの局部を見ると不能者になるとも信じられている。よって、ヒジュラーが怒ると、サーリーの裾をまくり上げて局部を見せようと脅してくる。ヒジュラーがそのアクションをすると、大抵のインド人男性は不能者になるのを恐れて逃げ出す。

 法的にヒジュラーの立場は非常に弱かった。1871年に英国植民地政府によって犯罪部族法(Criminal Tribe Act)が制定されたことで、インド社会に伝統的に居場所を確保してきたヒジュラーは一律で犯罪者の集団とされ、社会における法的な尊厳を失った。それ故にヒジュラーは正規の職業に就けず、社会の辺縁で乞食や売春をして生きざるを得なくなった。ヒジュラーの置かれた状況は独立後もそう変わらなかった。インドにおいて「第三の性」が法的に存在を認められたのは2014年のことで、さらにヒジュラーのようなインターセックスの人々の権利を守る法律、性転換者権利保護法(Transgender Persons (Protection of Rights) Act)が可決されたのは2019年のことである。これらの法整備により、ヒジュラーはやっと他の国民と同等の権利を手にしたことになるが、まだ細かい部分で法的な不備があり、さらなる改善が望まれている。

映画の中のヒジュラー

 インド映画に登場するヒジュラーも、上で説明したようなシチュエーションで登場することがほとんどだ。

 例えば大ヒット映画「Hum Aapke Hain Koun..!」(1994年)では、赤ちゃんが生まれた後のシーンでダンスナンバー「Dhiktana」が始まり、そこにヒジュラーの一団が登場する。慶事に踊るヒジュラーの姿は映画でもっともよく描かれるものだ。

Dhiktana 2 - Hum Aapke Hain Koun - Salman Khan & Madhuri Dixit

 ヒジュラーが悪役になることもある。「Murder 2」(2011年)の悪役は、男性器を切り落とした男性で、ヒジュラーといってもいい。「Sadak」(1991年)でもヒジュラーは売春宿を運営し、ヒロインを売春婦にしようとする悪役だった。一般のインド人にとってヒジュラーは得体の知れない存在であり、悪役として描出しやすいのだろう。

 男性でも女性でもないヒジュラーを可哀想な存在として描く社会派映画も多い。「Darmiyaan」(1997年)や「Tamanna」(1997年)などがその例だ。その一方で、政界に進出する勇壮なヒジュラーも映画には登場する。その代表例が、州議会議員になった実在のヒジュラー、シャブナム・バーノーの伝記映画「Shabnam Mausi」(2005年)だ。映画の冒頭では、赤ちゃんが生まれたばかりの家庭にヒジュラーの一団がやって来て祝福を与えると同時に、その子供の性別を確認し、両性具有であることが分かると有無を言わせず連れ去ってしまう様子が描かれている。また、赤ちゃんのお披露目会でヒジュラーたちが踊る踊りも収録されている。「Tere Ghar Aaye Baalgopal」である。

Shabnam Mausi - Tere Ghar Aaye Baalgopal (HD)

 「Tere Ghar Aaye Baalgopal」の歌詞には、以下のような一節があり、ウルッと来てしまう。

मुन्ना हो या मुन्नी हो तो सुख-दुख कैसाムンナー ホー ヤー ムンニー ホー トー スク ドゥク カェサー
किसी के पैदा न हो कोई हमारे जैसाキスィー ケ パイダー ナ ホー コーイー ハマーレー ジャエサー

男の子でも女の子でも、悲喜はこもごも
私たちみたいには誰も生まれないように

 シャブナム・マウスィーは実在の人物であるが、ヒジュラーの政治家というのも時々目にする。「Gangubai Kathiawadi」(2022年)では、ムンバイーの赤線地帯カマーティープラーの自治会長をヒジュラーのキャラクターが務めていた。「Welcome to Sajjanpur」(2008年)では、サイドストーリーではあるが、ヒジュラーが選挙に立候補する様子が描かれており、その様子は「Munni Ki Baari」というダンスシーンになっている。

Munni Ki Baari [Full Song] Welcome To Sajjanpur

 「Shabnam Mausi」などは低予算社会派映画の作りだが、メインストリームの娯楽映画でスター俳優がヒジュラーを演じたのは、「Laxmii」(2020年)の主演アクシャイ・クマールが初となるだろう。正確にいえば、彼が演じたのはヒジュラーそのものではなく、男性がヒジュラーの亡霊に乗り移られるというものであり、ヒジュラーの直面する問題などについて深掘りした作品でもないが、ユニークな着眼点の映画であった。「Bam Bholle」というダンスナンバーでは大量のヒジュラーが踊りを踊る。

BamBholle - Full Video | Laxmii | Akshay Kumar | Viruss | Ullumanati

 「Ardh」(2022年)は、俳優志望の貧しい主人公が偽ヒジュラーになって生計を立てるという物語で、少し変わっている。どうやらヒジュラーは普通に仕事をするよりも儲かるようだ。もちろん、本物のヒジュラーから偽ヒジュラーであることがばれるとリンチを受ける。

 「Haddi」(2023年)はおそらく近年もっともディープにヒジュラーのコミュニティーに肉薄した映画だ。後述するバフチャラー女神やイラヴァーン神といったヒジュラーと深いつながりを持つ神々のことが紹介されているし、前述した「ニルヴァーン」と呼ばれる性転換の手術と儀式についても触れられている。

 インド映画ではないが、米国映画「5 Weddings」(2018年)でも外国人的な視点からインドにはヒジュラーという「第三の性」のコミュニティーが存在することが取り上げられている。「第三の性」が法的に認められた2014年の最高裁判所の判決にも触れられている。

宦官

 もうひとつ、映画に登場するヒジュラーとして別枠なのは、中国史でいう宦官のような存在のヒジュラーである。中世インドを舞台にした時代劇では、宮廷にヒジュラーが仕えていることがある。ヒジュラーは、男性器を持たない男性という特徴から、皇帝のハーレムの管理人を任されることが多かった。

 インド史上もっとも有名な宦官で、映画の登場人物にもなっているのは、14世紀、デリー・サルタナト朝の皇帝アラーウッディーン・キルジーの宮廷で権勢を誇った宦官、マリク・カーフールである。元々はヒンドゥー教徒だったが、アラーウッディーンの宮廷に召し抱えられイスラーム教に改宗し、アラーウッディーンの寵愛を受けて異例のスピードで出世して将軍にまで上り詰めた。美貌で知られた宦官であったらしい。また、アラーウッディーンの南インド征服軍を率いたのもマリク・カーフールであり、インド史で大きな存在感を放っている。

 アラーウッディーン・キルジーのチットール攻略を主題とした「Padmaavat」(2018年/邦題:パドマーワト 女神の誕生)でジム・サルブが演じたのがマリク・カーフールである。男色を匂わせる二人の怪しげな仲が「Binte Dil」で表現されている。

Padmaavat: Binte Dil Video Song | Arijit Singh | Ranveer Singh | Deepika Padukone | Shahid Kapoor

ヒジュラー寺院

 ヒジュラーが信仰する寺院はインドに主に2つある。グジャラート州のベーチャラージーにあるバフチャラー女神寺院と、タミル・ナードゥ州のクーヴァガムにあるクータンダヴァル寺院である。タミル語映画「Navarasa」(2005年)では、クータンダヴァル寺院で「ヒジュラーの結婚相手」であるイラヴァーン神を祀るクーヴァガム祭がドキュメンタリータッチで描出されているし、前述の「Shabnam Mausi」では、ベーチャラージーのバフチャラー女神やイラヴァーン神への信仰に触れられている。

バフチャラー女神寺院
2003年12月18日撮影