Haddi

3.5
Haddi
「Haddi」

 2023年9月7日からZee5で配信開始された「Haddi(骨)」は、実力派俳優ナワーズッディーン・スィッディーキーがヒジュラー役を演じることで話題になっていた映画である。近年、ヒンディー語映画ではLGBTQ映画がトレンドになっているが、その一環として、インドに昔から存在した「第三の性」のコミュニティーであるヒジュラーにも改めて焦点が当てられる機会が増えた。トップスターの一人、アクシャイ・クマールが「Laxmii」(2020年)でヒジュラーに扮したのは記憶に新しい。

 監督はアクシャト・アジャイ・シャルマー。「AK vs AK」(2020年)の助監督であり、アヌラーグ・カシヤプの弟子と考えていいだろう。現にアヌラーグも俳優としてこの映画に出演している。ナワーズッディーンとアヌラーグの他には、ムハンマド・ズィーシャーン・アユーブ、サウラブ・サチデーヴァ、ヴィピン・シャルマー、イーラー・アルンなどが出演している。

 ハリ(ナワーズッディーン・スィッディーキー)は、男性の身体を持っていたが内面は女性であった。ハリはヒジュラーが集住する館の主だったレーヴァティー・アンマー(イーラー・アルン)に引き取られ、性転換の手術と儀式を受けてハリカーになる。ハリカーはイルファーン・リズヴィー(ムハンマド・ズィーシャーン・アユーブ)という男性と恋仲になり、遂に結婚をする。

 地元のチンピラを束ねていたプラモード・アフラーワト(アヌラーグ・カシヤプ)は、再開発のため、レーヴァティーに立ち退きを要求していた。レーヴァティーが自分の師匠から受け継いだ館を守ろうと拒否を続けたため、ある日プラモードは手下たちと共に館を訪れ、レーヴァティー共々、館に住んでいたヒジュラーたちを皆殺しにする。結婚したばかりだったハリカーとイルファーンは隠れており無事だったものの、プラモードによって仲間たちが殺される様を目撃する。

 その後、プラモードは選挙に出馬し、政治家になった。ハリカーはプラモードに復讐するため、髪を切って男性の姿になる。そして、ウッタル・プラデーシュ州イラーハーバードにて、プラモードが密かに手を染めている骨密売ビジネスに関わるようになる。いつしかハリカーは「ハッディー」と呼ばれるようになった。また、イルファーンはNGOを立ち上げ、プラモードを訴える。

 ハッディーは警察の急襲をきっかけにプラモードの住むノイダに移る。そこで、プラモードの手下の一人インドラニール(サウラブ・サチデーヴァ)の仲間になる。インドラニールを通してハッディーはプラモードに接近する。同時に、レーヴァティーの館でヒジュラーの皆殺しに関わった者を徐々に排除していく。そして、頃合を見計らってプラモードの骨密売ビジネスの情報をリークし、彼の政治生命に打撃を与える。

 一方、プラモードはハッディーの素性を疑い、息の掛かった警察官に調べさせる。ハッディーはインドラニールも殺すが、プラモードには正体がばれていた。プラモードはハッディーの弱点であるイルファーンを捕まえて殺す。それを知ったハッディーは崩れ落ち、プラモードは彼に何発も銃弾を浴びせる。だが、ハッディーは一命を取り留める。

 回復したハッディーはヒジュラーの一団と共にプラモードを襲い、彼を殺す。そして政界に進出する。

 ポスターにはヒジュラーの姿をしたナワーズッディーン、そして題名は「Haddi(骨)」。どこか違和感を感じたのだが、それは映画を見終わった後も完全には払拭されなかった。「ニコイチ」という言葉で表現してもいいかもしれない。異なる2つの脚本をひとつの映画に無理矢理詰め込んでしまったのがこの「Haddi」ではなかろうか。

 ひとつはヒジュラーによる復讐の物語だ。ハリカーは母親同然の存在だったレーヴァティーや、家族同然だった仲間のヒジュラーを殺され、そのボスであるプラモードへの復讐を誓う。劇中で、「ヒジュラーの祝福は強力で、ヒジュラーの呪いは恐ろしい、だが、それよりも恐ろしいのはヒジュラーの復讐だ」と語られているが、ハリカーは復讐を成し遂げるために冷酷な殺人マシーンに変化する。

 もうひとつは骨密売ビジネスという聞き慣れない犯罪の物語だ。死体を盗み、骨を抽出して国内外に売り飛ばすビジネスらしく、かなり儲かるらしい。人口が多く死体に事欠かないインドは世界の中でも骨の一大輸出国になっているという。臓器密売は聞いたことがあるが、骨密売は初耳だった。どうも世界中の医科大学から学習用に需要があるらしい。男性から性転換して女性になったハリカーは骨密売ビジネスに関わるようになり、骨を肉から切り離す高い技術が認められて「ハッディー」と呼ばれるようになった。プラモードは骨密売ビジネスの総元締めであり、このルートを通してハッディーは彼に近づこうとしたのである。

 ただ、「二兎追うものは一兎をも得ず」の諺通りになってしまっていたように感じられた。もしプラモードに復讐するのなら、骨密売ビジネスに関わるような手の込んだ方法を採ることは非現実的である。プラモードは隙だらけだったので、暗殺しようと思ったら簡単にできたのではなかろうか。ヒジュラーの復讐劇に、無理に骨密売ビジネスという珍奇なサブプロットを入れ込んだように感じた。

 とはいえ、映画の半分を占めていたヒジュラーの描写には迫力があった。何といってもヒジュラーのコミュニティーでは秘儀とされる「ニルヴァーン」が詳細に描写されていたのが驚異的であった。ヒジュラーは建前の上では両性具有者のコミュニティーとされている。だが、実際にはトランスジェンダーが大半を占める。彼ら/彼女らの人生にとってもっとも重要な転機は性転換して望み通りの性を手にしたときである。ヒジュラーの間ではそれは「再生」として位置づけられており、その儀式は「ニルヴァーン」と呼ばれる。「涅槃」の語源である「ニルヴァーナ」と同じ言葉だ。

 伝統的には麻酔を使わずに男性器を切り落としていたようだが、少なくとも「Haddi」においては、主人公のハリは病院にて性転換手術を受けていた。手術後40日間は男性と会ってはいけないというタブーもあるようだ。そしてその期間が過ぎると盛大に祝われる。

 ちなみに、映画には多くのヒジュラーが登場するが、ほとんどがトランスジェンダーか、これから性転換するヒジュラーだった。唯一、インドラニールだけは真性の両性具有者であった。

 ニルヴァーンのみならず、映画中ではヒジュラー独特の文化や逸話が紹介されており、まるでヒジュラーの百科事典のような映画だった。例えばレーヴァティーの館には、ヒジュラーたちが信仰するバフチャラー女神の絵が祀られていた。バフチャラー女神はベーチャラージーともいう。グジャラート州にその寺院があり、ヒジュラーの間では有名である。

 イラヴァーンとモーヒニーの神話も、ヒジュラーの起源が語られる際はよく触れられる。イラヴァーンは「マハーバーラタ」に登場する英雄アルジュナの息子だ。マハーバーラタ戦争開始前、パーンダヴァ軍の勝利を確実なものとするため、優れた戦士だったイラヴァーンは勝利を約束する犠牲として神に捧げられ、殺される。だが、死ぬ前にイラヴァーンは「独身のまま死にたくない」と要望したため、クリシュナが女性に変化したモーヒニーが彼と結婚し、二人は一晩を過ごした。モーヒニーは男性から女性になった存在であるため、ヒジュラーたちは自分と同一視する。そして、イラヴァーンを自分の夫と認識する。タミル・ナードゥ州クーヴァガンにイラヴァーンを祀った有名な寺院があり、祭礼の際はインド中のヒジュラーたちが集まる。

 「Haddi」では、ハッディーの夫イルファーンがイラヴァンに重ねられていた。イルファーンはハッディーの目の前で殺され、焼却炉で骨にされてしまうのだ。

 これだけヒジュラーについて深く研究し、ストーリーに盛り込むことができたなら、骨密売ビジネスの要素は蛇足だったのではなかろうか。プラモードはヒジュラーの住む不動産の所有権が曖昧なことに目を付けてヒジュラーから地上げを積極的に行っていたという設定だったが、それで十分である。

 映画全体からはアヌラーグ・カシヤプ監督の傑作「Gangs of Wasseypur」シリーズ(2012年/Part 1Part 2)からの強い影響を感じた。特にヒジュラー大量虐殺シーンは「Gangs of Wasseypur」そのままと表現せずにはいられない。悲惨なシーンにわざと軽めのBGMを付けてギャップを付け、インパクトを増す手法は、カシヤプ監督の得意技である。

 ナワーズッディーン・スィッディーキーは、現在のヒンディー語映画界において最高峰に位置づけられる演技派男優だ。これまで数々の名演をしてきたが、今回はヒジュラー役に挑戦し、またも新境地を拓いた。本業は監督ながら時々俳優として顔を出すアヌラーグ・カシヤプも見事な悪役振りであった。俳優としても十分に通用する実力を持った多才な人物である。他に、インドラニール役を演じたサウラブ・サチデーヴァなど、脇役陣の名演も光っていた。この中からまた次の実力派俳優が生まれそうだ。

 「Haddi」は、主人公を含め大量のヒジュラーが登場するヒジュラー映画としての側面と、骨密売ビジネスという聞き慣れない犯罪を取り上げた映画としての側面がある。どちらかといえばヒジュラー映画としてもっと突き詰めてくれた方が面白かったのだが、それでもかなりディープなヒジュラー文化が紹介されている。筆者はヒジュラーの研究に片足を突っ込んだことあるので出て来たものは大体理解できたが、通常のインド人観客にはそこまで分からないのではないかとも思う。そして何といってもナワーズッディーン・スィッディーキーの名演だ。多少荒削りなところがあるが、アヌラーグ・カシヤプ監督の弟子が撮っているだけあって、カシヤプ映画が好きな人ならきっと気に入る作品である。カシヤプ監督自身も悪役で出演している。