マハーバーラタ

 「ラーマーヤナ」に並ぶインド二大叙事詩のひとつ「マハーバーラタ」は、世界最長の文学作品として知られる。北インドの王族内で起こった内紛を基軸とする物語だが、その中に様々な神話や伝承、そして偉大な知恵の数々が重箱式に入れ込まれており、まるでインド文明の百科事典だ。その成立年には諸説があるが、紀元前4世紀には原型となるものが存在していたと思われ、現在の形になったのはグプタ朝期の紀元後4世紀頃だとされている。インドの古典語であるサンスクリット語で書かれている。

 以下は、「マハーバーラタ」の特徴を言い表す際に「マハーバーラタ」本文内からよく引用される一節だ。

धर्मे चार्थे च कामे च मोक्षे च भरतर्षभ।
यदिहास्ति तदन्यत्र यन्नेहास्ति न तत्क्वचित् ।।

ダルマ(使命)、アルタ(経済)、カーマ(欲望)、モークシャ(解脱)に関し
この本に書かれていることは他にも存在する
この本に書かれていないことは他のどこにも存在しない

 「ダルマ、アルタ、カーマ、モークシャ」とは人生の4つの目的のことである。それらについてここで書かれていないことは他のどこにも存在しない、とはつまり、「マハーバーラタ」には人生に関する全てのことが書かれていると豪語しているに等しい。さらに言い換えれば、世界中のあらゆる物語は「マハーバーラタ」に内包されているということだ。

 当然のことながら、物語の一種である映画についてもそれが適用される。インド映画のあらゆるストーリーは「マハーバーラタ」に源流を求められると極論できる。いや、インドのみならず、世界中のあらゆる映画は、いくら頑張って独創的なストーリーを生み出そうとしても、結局は「マハーバーラタ」に収められたどれかの物語の焼き直しでしかない。

作者

 「マハーバーラタ」の作者とされる聖仙ヴャーサは、そんな誇りと共にこの壮大な叙事詩を作り上げた。ただ、ヴャーサの実在を証明するのは不可能である。「マハーバーラタ」はそれまで口頭で伝承されてきた物語が長い時間を掛けて熟成され、集約されたものと考えるべきで、もし作者がいるとしても、それは編集者に過ぎないと考える方が実態に近いだろう。実際、「ヴャーサ」とは「編集者」という意味である。ちなみにヴャーサは、聖典ヴェーダを4つに分類して編集し直したことからその称号を得たとされている。

 「マハーバーラタ」の物語中にはヴャーサも登場し、重要な役回りを演じることにも注目したい。実はヴャーサは、「マハーバーラタ」で骨肉の争いを繰り広げる兄弟たちの生物学的な父親にあたる。王が子孫を残さないまま死んだため、当時の風習に従って、残された妃たちが王母の隠し子である聖仙ヴャーサと交わって子種を宿し、王統を存続させたのである。だが、18日間にわたる戦争を経て、ヴャーサの子孫たちはほとんど死に絶えてしまう。物語の中には英雄譚、冒険譚、恋愛譚など様々なエピソードが盛りだくさんなのだが、「マハーバーラタ」の基本的な情感(参照)は一般に「悲哀」とされている。

「マハーバーラタ」の時代

 一般的に「マハーバーラタ」で叙述された物語は神話とされているが、一方では、何らかの歴史的な出来事に基づいて形成されたとの説もある。ただ、たとえそうだとしても、元になったのは、遊牧民同士の小規模な衝突だったのではないかとされる。

 もし「マハーバーラタ」で起きた戦争に何らかの歴史的な事実が含まれるとしたら、その年代にも興味が沸く。

 「マハーバーラタ」には150前後の天文学的な記述が散見されている。特に有名なのが、山場となる戦争が起こる直前に日蝕があり、その13日後に月蝕があったという記述だ。それを正確な天文学的データだと仮定し、その他の天文学的記述と照合して、数千年間のデータの中からその時間を算出することで、「マハーバーラタ」の年代を特定することが可能となる。ただ、ユニークな天文学的イベントも解釈の仕方で複数に読み取ることができ、学者の間で昔からマハーバーラタ戦争の日付に諸説がある。その中でも、物理学者BNナラハリ・アーチャールは論文の中で先行研究を検証しながら、マハーバーラタ戦争は紀元前3067年に起こったと結論付けている。

「ジャヤ」から「マハーバーラタ」へ

 「マハーバーラタ」の物語は元々「ジャヤ(勝利)」と呼ばれていたとされる。これが後に増補されて「バーラタ(バラタ王の末裔の物語)」になり、さらに後に再増補されて「マハーバーラタ(長大なバラタ王の末裔の物語)」になったとされる。

 バラタとは、かつてインドを治めた偉大な王のことだ。詩聖カーリダーサの有名な戯曲「シャクンタラー」にも登場するドゥシュヤンタ王とシャクンタラーの間に生まれた子供で、その血筋はチャンドラヴァンシャ(月種族)系統のクシャトリヤ(戦士階級)にあたる。「マハーバーラタ」で内紛を起こすクル族はバラタ王の末裔である。「バーラタ」とは「バラタ王の土地」も意味するが、これはそのままインドの国号「भारतバーラト」の由来にもなっている。つまり、「マハーバーラタ」はインドの国造り神話の一種でもある。

 「マハーバーラタ」は10万以上の詩節が全18巻にわたって収められた長大な物語で、様々な神話伝承が間に差し挟まれて語られる入れ子式の構造になっているが、メインとなるのは第6巻から第10巻で描かれる同族間での戦争である。俗に「マハーバーラタ戦争」と呼ばれ、この部分がもっとも古く、元々「ジャヤ」と呼ばれていた部分だともされる。だが、巻の数からも分かるように、戦争の描写は全18巻の中のほんの一部であり、戦争に至るまでの経緯と、戦争後のエピローグにもかなりの紙面が割かれている。

登場人物

 「マハーバーラタ」には、英雄を含む無数の人間に加えて、神族、魔族、精霊などのファンタジー的なキャラが登場するが、一般に主人公とされているのは「パーンダヴァ五王子」などと呼ばれる5人の王子たちである。名前は、長男ユディシュティラ(Yudhishthira)、次男ビーマ(Bheema)、三男アルジュナ(Arjuna)、四男ナクラ(Nakula)、五男サハデーヴァ(Sahadeva)になる。この中でも特に弓の名手である三男のアルジュナが最大の英雄とされる。一応彼らは人間であるが、その出生には神話的な逸話が用意されており、それぞれ別々の神様の血を引いているともされている。

 一方、パーンダヴァ五王子の宿敵であり、「マハーバーラタ」の悪役とされているのは、「カウラヴァ百王子」と呼ばれる100人の王子と、その長男ドゥリヨーダナ(Duryodhana)である。カウラヴァ百王子とはいっても、「マハーバーラタ」の中に実名と共に登場する王子の数はわずかなので、100人の名前を覚える必要はない。

 パーンダヴァ五王子とカウラヴァ百王子は従兄弟同士である。盲目の王ドリタラーシュトラ(Dhritarashtra)の息子がカウラヴァ百王子で、ドリタラーシュトラの腹違いの弟パーンドゥ(Pandu)の息子がパーンダヴァ五王子になる。ドリタラーシュトラが即位する前はパーンドゥが王だったが、彼は呪いを掛けられて退位し、王位を兄に譲った後、死んでいる。兄のドリタラーシュトラよりも弟のパーンドゥが先に即位したのは、ドリタラーシュトラが盲目だったからだ。インドでは身体的な欠陥がある人物は統治者失格という暗黙の了解がある。また、パーンダヴァ五王子の長男ユディシュティラの方がカウラヴァ百王子の長男ドゥリヨーダナよりも先に生まれている。このように、ユディシュティラとドゥリヨーダナの間で王位継承順位をすんなりと決められない状況が見事に用意されている。パーンダヴァ五王子とカウラヴァ百王子は共に育てられたが、ただでさえ彼らは幼少時から何かとライバル関係にあった。そして成長後は、その出生の複雑さから王位継承を巡って争う運命にあり、この確執がマハーバーラタ戦争の主因となる。

 もう一人、カウラヴァ側の重要人物として挙げられるのがカルナ(Karna)である。パーンドゥの妻クンティー(Kunti)が、パーンドゥとの結婚前に太陽神スーリヤとの間にもうけた子供であり、パーンダヴァの五王子から見ると異父兄になる。カルナは神様との間に生まれたクシャトリヤの血統ではあったが、まだ母親になる心の準備ができていなかったクンティーに捨てられ、身分の低い御者に育てられた。カルナは立派な戦士に成長し、アルジュナの好敵手、そしてドゥリヨーダナの親友となって、マハーバーラタ戦争ではカウラヴァ側に付いて勇敢に戦った。だが、物語中、人々から「御者の子」という卑しい身分を度々揶揄され、辱めを受ける。カルナは悲劇のダークヒーローとして、パーンダヴァ五王子に並ぶ人気を誇る。

 クル族の外戚にあたるクリシュナ(Krishna)はさらに重要な登場人物だ(参照)。クリシュナは「マハーバーラタ」においてヴィシュヌ神の化身かつヤドゥ族の指導者として登場する。また、クンティーの甥に当たり、パーンダヴァ五王子とは従兄弟になる。マトゥラーに生まれ、ヴリンダーヴァンで育つが、後年はドワーラカーの王に就く。クリシュナはクル族の英雄たちと親交を持つが、特にアルジュナと親しく、行動を共にすることが多かった。マハーバーラタ戦争では、戦闘に参加しない代わりにアルジュナの戦車の御者になったが、度々パーンダヴァ五王子に戦争の勝敗を左右するような重要な助言をする。言わばクリシュナは軍事コンサルタントであった。

 クル族以外の重要人物として一人だけ挙げたいのはアシュヴァッターマン(Ashvatthaman)である。パーンダヴァ五王子やカウラヴァ百王子を訓練した軍師ドローナ(Drona)の息子であり、マハーバーラタ戦争を生き伸びた数少ない生存者の一人である。アシュヴァッターマンは戦後にクリシュナによって呪いを掛けられ、3000年間死ぬことができず世界を彷徨い続けることになる。「マハーバーラタ」の登場人物の中では、神様を除き、一番長生きのキャラだといえる。

物語の舞台

 マハーバーラタ戦争が起こったのはクルクシェートラ(Kurukshetra)という土地とされており、この地名はハリヤーナー州に今でも残っている。デリーとチャンディーガルの中間地点辺りにある。「クルクシェートラ」とは「クル族の土地」という意味である。マハーバーラタ戦争で骨肉の争いを繰り広げたのがクル族になる。

 クル族の王国であるクル王国の首都はハスティナープラであり、この地名もウッタル・プラデーシュ州に「ハスティナープル(Hastinapur)」の形で今でも残っている。デリーから見るとメーラトを越えた先、ガンガー河河畔に位置する。「象の街」を意味する。

 パーンダヴァの五王子は森を切り開いて新たにインドラプラスタ(Indraprastha)という都を建設したが、これは現在のデリーに比定されている。「プラーナー・キラー(Purana Qila/Old Fort)」と呼ばれる観光地がそれだ。ただし、現存する遺構の大半はムガル朝時代のものである。

 「マハーバーラタ」にはその他にも多くの地名が登場し、インド亜大陸北半分を網羅している。例えば、ドリタラーシュトラの妻ガーンダーリーはガンダーラー王国の王女だったが、このガンダーラー王国とは現在のパーキスターン領内に位置するガンダーラー地方のことを指す。仏教遺跡で有名な場所だ。また、アルジュナの妻の一人、チトラーンガダーはマニプラ王国の王女であったが、これも現在のマニプル州にあったと考えられている。さらに、ドゥリヨーダナの妹ドゥシャーラーはスィンドゥ王国の王ジャヤドラタと結婚する。スィンドゥ王国は、現在のパーキスターン領内に位置するスィンド州のことである。最後に、現在のマハーラーシュトラ州東部はヴィダルバ地方と呼ばれているが、このヴィダルバも「マハーバーラタ」に登場する地名だ。これらの土地、つまりガンダーラー、マニプラ、スィンドゥ、ヴィダルバは、「マハーバーラタ」に登場する地名のそれぞれ北限、東限、西限、南限になる。

 このように現存する地名が多数登場することは、「マハーバーラタ」で叙述されている出来事が多くのインド人に、単なる神話ではなく、歴史的事実と同然に受け止められている要因のひとつになっている。ちなみに、ヒンディー語で「歴史」を意味する単語「इतिहासイティハース」は、「ラーマーヤナ」と「マハーバーラタ」という2つの「叙事詩」を指す言葉でもある。

あらすじ

 「マハーバーラタ」には様々な神話・伝承・説話が入れ子式に入れ込まれているが、主筋は以下の通りである。

 ハスティナープラを首都とするクル王国の前王パーンドゥの息子「パーンダヴァ五王子」と、現王ドリタラーシュトラの息子「カウラヴァ百王子」はライバル関係にあった。カウラヴァ百王子の長男ドゥリヨーダナは、パーンダヴァ五王子に王位が継承されることを恐れ、彼らを抹殺することばかりを考えていた。ある日、ドゥリヨーダナはパーンダヴァ五王子とその母親クンティーを罠にはめて焼き殺す。

 ところが、焼け死んだと思われたパーンダヴァ五王子とクンティーは密かに生き残り、森へ逃れる。この逃亡生活中にパーンダヴァ五王子はパンチャーラ王国の王女ドラウパティーを共通の妻として娶る。しばらく彼らは正体を隠して暮らしていたが、ドワーラカー王国のクリシュナ王の助言もあり、姿を現してハスティナープラに戻る。ドリタラーシュトラ王はこれ以上の後継者争いを避けるため、王国を二分し、パーンダヴァ五王子に西半分の領土を与える。パーンダヴァ五王子は森林を焼き払ってそこにインドラプラスタと呼ばれる新都を建設する。落成式に招待されたドゥリヨーダナはインドラプラスタの威容に嫉妬し、しかも屈辱を受け、パーンダヴァ五王子への復讐を誓う。

 ドゥリヨーダナは、パーンダヴァ五王子の長男ユディシュティラをサイコロ賭博に誘う。ユディシュティラは負け続け、財産ばかりか全ての領土、兄弟、そして妻ドラウパティーまで取り上げられてしまう。ドラウパティーも公衆の面前で衣服を引き剥がされるという屈辱を受けるが、クリシュナの助けにより、裸体を露出することはなかった。この破滅的な賭博の結果、パーンダヴァ五王子は13年間、森林に追放されることになる。

 13年の追放期間中、パーンダヴァ五王子は数々の冒険や試練をこなし成長する。13年目には、パーンダヴァ五王子は変装してマツヤ王国に仕え、13年の歳月が過ぎ去ると正体を明かす。そして、王国を取り戻すため、パンチャーラ王国やマツヤ王国の助けを借り、ドゥリヨーダナに宣戦布告をする。後に「マハーバーラタ戦争」と呼ばれることになる戦争の勃発である。

 パーンダヴァ軍とカウラヴァ軍はクルクシェートラで対峙し、戦争は18日間続いた。双方多くの死者を出したが、18日目にはパーンダヴァ五王子の次男ビーマがドゥリヨーダナを打ち倒し、決着が付いた。カウラヴァ軍で生き残った英雄は、アシュヴァッターマンら3名のみだった。しかしながら、一発逆転を狙うアシュヴァッターマンは夜営するパーンダヴァ軍を夜襲し、皆殺しにする。この夜襲を生き残ったのはパーンダヴァ五王子とクリシュナなど8名のみだった。

 パーンダヴァ五王子の長男ユディシュティラは、戦争に勝利した後、隠遁したドリタラーシュトラに代わってハスティナープラでクル王国の王として即位した。戦争から36年後、ドワールカー王国のクリシュナ王は死んで天に還った。クリシュナの死を聞いたユディシュティラは王位を後継に譲って放浪の旅に出ることを決意する。パーンダヴァ五王子とドラウパティーは、1匹の犬を連れて北上し、メール山に辿り着く。メール山を登る内に、一人、また一人と倒れて行き、最後にはユディシュティラと犬だけが残る。その犬は真理を司るダルマ神の化身であることが分かり、ユディシュティラは犬と共に天界に迎え入れられる。そこで彼は死んだ英雄たちと再会する。

善悪

 「ラーマーヤナ」は善玉と悪玉がはっきりしている物語だ。主人公ラーマ王子一行は、多少の問題行動もあるものの、基本的には善玉として扱われる。だが、「マハーバーラタ」では善悪がもっと錯綜しており、善玉と悪玉をはっきりと分けることが困難である。

 一般的にはパーンダヴァ側が善玉、カウラヴァ側が悪玉とされる。しかし、カウラヴァ軍にはパーンダヴァ五王子の大叔父にあたる尊敬すべきビーシュマ(Bhishma)や軍師ドローナなど、悪玉に分類しにくいキャラもいる。パーンダヴァ五王子の異父兄で、カウラヴァ百王子の長男ドゥリヨーダナの親友カルナも、その悲劇的な出生やアルジュナに負けない戦士としての資質から、善玉と悪玉の中間に位置するグレーなキャラである。一方、パーンダヴァ側が常に正しい行動を取ってきたかというとそういうわけでもなく、戦争中にはパーンダヴァ五王子も積極的にルールを破って何としてでも勝利をもぎ取ろうとする。そしてそのルール違反を後押しするのがアルジュナの御者クリシュナである。

 そもそも、クル族の出自から問題がある。クル族は前述の通りチャンドラヴァンシャ(月種族)に属するクシャトリヤである。チャンドラヴァンシャのクシャトリヤの祖は月神チャンドラと星の女神ターラーであるが、実はターラーは木星の神ブリハスパティの妻であり、チャンドラとの不倫の末に生まれた水星の神ブドゥがチャンドラヴァンシャの直接の祖になっている。チャンドラは感情的で倫理観に欠ける神とされ、ブドゥも「男でも女でもない」異端な存在だとされる。このようにパーンダヴァ五王子もカウラヴァ百王子も、貞操観念がなく優柔不断な祖先のDNAを受け継いでおり、そのためか、どちらも完璧な英雄ではなく、むしろ人間的な弱さを併せ持った存在として描かれている。

 この点において、正義の神ダルマの子であり、パーンダヴァ五王子の長男であるユディシュティラの変節は象徴的だ。彼は基本的には正義を重んじる高潔の士として描かれるが、サイコロ賭博にのめり込んで兄弟や家族を破滅に追い込むなど、聖人君子らしからぬ行動もする。そして、絶対に嘘を付かない正直者とされていながら、マハーバーラタ戦争ではここぞとばかりに敵に嘘の情報を広めて戦争を有利に進めようとする。正義の士も戦争になると我を忘れ極悪非道の道を歩むという、戦争の悲惨さを物語っているとも捉えられるが、それよりもこの世に最初から完全な善や完全な悪はいないと受け止めた方がより「マハーバーラタ」の核心に近いだろう。インド人の国民性を理解する上でも、インド映画に登場する人物の行動原理を理解する上でも、「マハーバーラタ」のこのレベルでの読解は重要になってくる。

カルマ

 「マハーバーラタ」は、善玉と悪玉が曖昧なことからも分かるように、単純な勧善懲悪の物語ではない。「マハーバーラタ」が本筋や無数の挿話を通して繰り返し読者に訴えかけているのは「カルマ」、つまり、「因果応報」の法則である。この世界のあらゆる事象や結果には理由があり、それは本人、その人の血族、もしくはその人の前世の行い(カルマ)が原因で起こる。良い行いをすれば、それは必ず良い結果として還元される。その利益は現世に受け取れることもあれば、生まれ変わった後に受け取ることになる場合もある。もちろん、悪い行いをすればそれも必ず還ってくる。

 この法則からは、たとえ神の化身であろうと逃れられない。ヴィシュヌ神の生まれ変わりであり、マハーバーラタ戦争を積極的傍観者として見守ったクリシュナも、自身の行為の結果、命を落とすことになる。彼はドリタラーシュトラ王の妻ガーンダーリーから、戦争を止められたのに止めなかったことを咎められ、呪いを掛けられる。その呪いは36年後に成就し、クリシュナは猟師に足を射抜かれて死ぬのである。

 「マハーバーラタ」の登場人物は、血縁や人間関係のみならず、カルマによって複雑に絡み合っている。そのカルマは現世のもののみならず、輪廻転生の思想と合わさって、前世のカルマも現世に影響を及ぼす。それらのカルマが歯車となって組み合わさり、人々を突き動かす原動力になっている。カルマの結果、マハーバーラタ戦争が勃発し、カルマの結果、もしくは時にそれが利用されることによって、それぞれの生死が分かれ、両軍の勝敗が決する。

 現世のカルマはともかく、前世のカルマは生まれたときに決定しており、どうしようもない。また、たとえ現世において気を付けて行動していても、意図しない行為が破滅的な結果をもたらすこともあり、恐ろしい。例えばパーンダヴァ五王子の父パーンドゥ王は狩猟中に、鹿に変身して交尾をしていた聖仙キンダマを射てしまい、女性と交われなくなる呪いを掛けられる。決してキンダマを殺そうと思って射たわけではなかったが、このカルマによってパーンドゥおよびクル族の運命は暗転する。

 「マハーバーラタ」は、カルマによって運命付けられた人間が、どのようにそれを受け入れ、生きていくかの指針を示しているといえる。それだけならば単なる運命論で終わってしまうが、むしろこの世の不幸には全てに何らかの原因があり、究極的には前世を含む自分自身の過去の行動の結果だと考えることで、理不尽な世の中を耐え抜く力を与えてくれているとも受け取れる。

 カルマの思想から導き出される因果応報はインド映画の重要な本質でもある。ただ、原因が結果をもたらすというインド特有の考え方や、その原因が前世まで求められるという輪廻転生思想は、仏教を通して日本にも十分に浸透しており、日本人にとっては決して目新しいものではないと思われる。

ダルマ

 「カルマ」と並んでインド特有の重要なキーワードが「ダルマ」だ。「マハーバーラタ」の中でも、登場人物は「ダルマ」を強く意識して行動している。ただ、非常に訳しにくい言葉だ。一般的な文脈では、「ダルマ」は「宗教」と訳されることが多いが、それだけで説明しきれるようなシンプルな単語ではない。

 「マハーバーラタ」を読み通してみると、「ダルマ」とは何かについて、具体的な例をいくつか拾うことができる。例えば、物語の中に「ユディシュティラとヤクシャの問答」という一節があるが、その中で、「昇った太陽が必ず沈むのは、太陽にとって沈むことがダルマだからである」と述べられている。この部分からは、その者に与えられた使命、当然の義務、そして自然の摂理などをひっくるめて「ダルマ」と呼んでいることが分かる。よって、この世の全ての事物は、生物も物体も、「ダルマ」に従って存在していることになる。これは「広義のダルマ」と呼んでいいだろう。

 ただ、「マハーバーラタ」では、人間と動物の違いも強調されている。「ダルマ」の対立概念として「マツヤ・ニャーヤ」、つまり「ジャングルの掟」が設定されており、これは「アダルマ」、つまり「非ダルマ」とされている。ジャングルに住む動物たちは「マツヤ・ニャーヤ」に従って生きている。すなわち、自分が生き残るためだけに自分勝手に生きている。一方、人間を人間たらしめているのは「ダルマ」への認識であり、これを「狭義のダルマ」と呼びたい。動物たちが「マツヤ・ニャーヤ」に従って生きざるをえないのも「ダルマ」の一部だが、動物たちは決して「ダルマ」を意識して生きているわけではない。「ダルマ」を意識して生きられるのは人間だけに与えられた特権であり、義務でもある。「マハーバーラタ」では、その行動が「ダルマ」に適うものかどうかがいちいちチェックされ、「アダルマ」な行為は批判を浴び、不幸な結果を呼ぶ。

 「ダルマ」とは結局、自分のみが生き残ろうとするのではなく、他者にも魂が宿っていることを理解し、他者と共生していこうとする、人間特有の行動規範のことである。ヒンディー語には「जियो और जीने दोジヨー アォル ジーネー ドー」、つまり「生きろ、そして他者を生かせ」という諺があるが、これこそが「ダルマ」の本質だといえる。マハーバーラタ戦争では日を追うごとに「ダルマ」が失われていく。これは決して血湧き肉躍る英雄譚ではなく、「ダルマ」が失われることでこの世界にどのような悲劇が起こるのかを我々に見せているのである。

誓いと呪い

 「カルマ」となる行為は一般的に能動的な行動だが、その結果の現れ方については受動的だ。その行為がいずれ自分にどのような結果をもたらすのか、大抵の人間にはそれが起きてみないと分からないからである。予め分かることは、善い行いには良い結果が伴い、悪い行いには悪い結果が伴うということだけだ。

 それとは対照的に、人間が能動的に自らの結果まで決める行為がある。それが「誓い」である。日本の言霊思想に似た考え方がインドにもあり、一度口から出た言葉は効力を持ってその人を束縛し、しかも取消不可能とされる。「マハーバーラタ」では多くの登場人物が誓いを行い、それがまた物語を決定的に左右する。中には冷静さを失ってつい口から滑り出てしまった誓いもあるが、それも取り消すことはできない。

 「マハーバーラタ」の中でもっとも有名な誓いを立てたのはビーシュマである。ビーシュマは、パーンダヴァ五王子の祖父にあたるシャンタヌ王とガンガー女神の間にできた王位継承第一位の子供であり、元々はデーヴァヴラタという名前だった。だが、シャンタヌ王がガンガー女神と別れ、サティヤヴァティーを第二の妻として迎え入れようとしたとき、サティヤヴァティーは自分の子供を王位継承者にするため、デーヴァヴラタの排除を条件として提示した。デーヴァヴラタは父親の再婚を実現させるため、自ら王位継承者としての地位を辞退し、しかも一生結婚せず子供も作らないことを誓った。つまり、一生童貞宣言である。この誓いは天界を震撼させ、彼は「恐ろしい誓いをした者」を意味する「ビーシュマ」と呼ばれるようになった。

 その後、サティヤヴァティーの息子たちが子供を作る前に相次いで亡くなったことで、ビーシュマに王位継承のチャンスが巡ってくるが、彼は誓いを頑なに遵守し、決してクル族の王になろうとしなかった。自ら立てた誓いを死ぬまで守り続けたビーシュマは、「マハーバーラタ」の中で最大限の尊敬を受けている。ただし、彼が誓いを破って王位に就いていれば、マハーバーラタ戦争が起きる余地はなかったとも読み取れる。

 「誓い」は自らを束縛する言葉だが、発せられた言葉は他人に向かう方が多い。他人の幸せを願う言葉は「祝福(アーシールワード)」だが、他人の不幸を願う言葉は「呪い(シャーパ)」である。そして「呪い」は「祝福」の何倍も力を持つ。「マハーバーラタ」では「誓い」や「祝福」以上に「呪い」の応酬があり、それが多くの登場人物の人生を変えてしまう。上で挙げたガーンダーリーによるクリシュナへの呪いや、聖仙キンダマによるパーンドゥ王への呪いもその一例である。

 言葉に関するうっかりミスの好例は、アルジュナがドラウパディーの花婿自選競技会(スワヤンヴァラ)に勝利して彼女を娶って家に連れてきたときに母クンティーが発してしまった言葉だ。アルジュナは帰宅するや否やクンティーに「いいものをもらいました」と報告するが、クンティーは食べ物でも手に入れたのだろうと早とちりし、ろくに確かめもせずに「兄弟で仲良く分け合いなさい」と答えてしまった。一度口から出てしまった言葉は取消不可能という法則はこんな些細なことでも効力を持つ。しかも、母親の言葉は絶対である。こうしてアルジュナの妻ドラウパディーは、パーンダヴァ五王子の共通の妻になったのだった。ただし、この特異な結婚形態は、原始のインド社会に残っていた一妻多夫制の名残だともされている。

 口から発した言葉が効力を持つのは神様も同様で、特に人間などから願われたり、褒美として神様から発せられた言葉は恩寵となってその人を守る。例えばビーシュマは神々から自分で死ぬ時を選べる恩寵を得ており、戦争中も容易には打ち倒されなかった。そしてその恩寵通り、自らの意思で死ぬときを選んだ。

 現代社会では、法律や契約書など、文書が何よりも重視される。英領インド時代に英国人官僚から文書主義を叩き込まれたインドでもそれは同様だ。だが、インドでは伝統的には口から発せられた言葉の方に重きが置かれており、現代を舞台にしたインド映画でも時々それを感じることがある。例えばマフィアのドンが発した口約束は絶対であり、それはどんな契約書よりも強力な効力を持つ。

超解釈

 「マハーバーラタ」のみならず、インド神話全体に度々見られることであるが、神様の恩寵や他者から振りかけられた呪い、もしくは複数の者の間で取り交わされた約束などは、一見すると発効した後は取消不可能に見える。だが、逸話の多くでは、自分に不利で取消不可能な恩寵、呪い、約束などを、トンチのような知恵、時には詐欺のような言い逃れを駆使して回避するところに重きが置かれているのである。

 例えば、パーンダヴァ五王子はサイコロ賭博に負けて13年間の追放となったが、それにはさらにもうひとつ厳しい条件が付けられていた。追放生活13年目には隠れて過ごさなければならず、もし見つかったら、追放期間が12年延長されるというものだった。追放生活13年目、パーンダヴァ五王子とドラウパディーはその条件通り正体を隠してマツヤ王国に仕えたが、マツヤ王国がカウラヴァ軍の侵攻を受けたため、正体を明かして立ち向かった。ドゥリヨーダナの計算では、まだ13年目の最後の1年が終わっていなかったため、これで追放が12年延長されたとほくそ笑んだ。しかし、この条件が出されたとき、13年という歳月が太陽暦の13年なのか太陰暦の13年なのかはっきりしていなかった。周知の通り、1年を28日×12=336日で計算する太陰暦の方が365日の太陽暦より期間が短くなる。この曖昧さを突く形で、パーンダヴァ側は太陰暦で既に13年が過ぎたと主張し、追放期間の終了を宣言する。

 もうひとつ例を出そう。戦争14日目、アルジュナは、自分の愛息子アビマンニュ(Abhimanyu)の死を誘因したジャヤドラタ(Jayadratha)を殺す。実はジャヤドラタの父親ヴリッダクシャトラ(Vriddhakshatra)は息子を守るために神様から「ジャヤドラタの頭を地に落とした者の頭は粉々になる」という恩寵を受けており、一見するとジャヤドラタを倒すのは困難そうだった。だが、ジャヤドラタの頭を射抜いて殺したアルジュナは無事だった。それはなぜかというと、ジャヤドラタの頭を射抜いたアルジュナの矢は、クリシュナの力によって、そのままヴリッダクシャトラのところまで飛んで行き、その頭を彼の膝の上に落としたからである。驚いたヴリッダクシャトラは息子の頭を地面に落としてしまい、アルジュナではなく彼の頭が粉々に砕け散ってしまった。

 インド人と話をしていると、一見寸分も動かせないような契約や約束などを、このような独自の超解釈で乗り越えようとしてくることが多々ある。「マハーバーラタ」は単に契約や約束を遵守し、それに受動的に束縛される物語ではなく、どのように契約や約束の穴を見つけて切り抜け、自分に有利な状況を作り出していくかの物語である。これは、ヒンディー語の「ジュガール」にも通じる。インド人は古代からジュガールをしてきたのである。「マハーバーラタ」を読み解くことで、現代インド人の国民性の理解にも必ずつながる。そして当然のことながら、インド映画の理解の手助けにもなる。

バガヴァドギーター

 「マハーバーラタ」に収められている数々の逸話の中でも、マハーバーラタ戦争を前にクリシュナがアルジュナに説いた教えである「バガヴァドギーター(神の詩)」は、「マハーバーラタ」で語られる物語のエッセンスを理解する上でも、またインド文化やヒンドゥー教を理解する上でも非常に重要である。ヒンドゥー教には聖典がないとされるが、もし聖典扱いすべきものがあるとしたら、筆頭に挙げられるのがこの「バガヴァドギーター」だ。物語を通して示される人生を生きる上での知恵が、この「バガヴァドギーター」には明快な言葉で語られている。

 「バガヴァドギーター」でクリシュナは、兄弟や親族との骨肉の争いを前に戦意を喪失したアルジュナにこの世の真実を説く。その内容はとても哲学的で、かいつまんで解説するには限界があるが、それでも敢えて要約するなら以下のようになる。

肉体には限りがあるが、その中には永遠不滅の魂(アートマン)がある。動物には魂を認識できないが、知性を持った人間ならそれが可能である。しかし、人間には自我もあり、それが魂の認識を妨げる。自我は、世界を思い通りに動かし快楽を得ようとする。自我に従って行われた行為はカルマとなり、結果をもたらして、その魂が輪廻(サンサーラ)の鎖に留まる原因になる。輪廻から解き放たれ解脱(モークシャ)を得るためには、自我ではなく魂に従った行為をする必要がある。魂の入れ物である肉体の死に意識を囚われてはならない。感情が湧き上がったとしても、その根源を見つけ出し、常に冷静を保たなければならない。理解を超えた現実が存在するという宇宙の真実に無条件で降伏しなければならない。恐れに突き動かされ、自身が生き残るために行動するのではなく、愛情と共感を抱き他人を生かすための行動規範であるダルマを守るべきである。そして、ダルマに従わない者を打ち砕くこともダルマである。それを理解すれば、戦場のような場においても、怒ることなく戦い、憎むことなく殺すことができる。

 クリシュナはアルジュナに宇宙の真実を示し、ダルマに従わないドゥリヨーダナと彼が率いるカウラヴァ軍の打破を促す。アルジュナは心服してクリシュナの前にひれ伏し、戦争への参加を決める。物語の重要な転機であるが、その文脈を超越し、インド文明の知恵や思想が凝縮された「バガヴァドギーター」は現在でもヒンドゥー教徒の規範になっている。インド映画の登場人物の行動規範も、「バガヴァドギーター」を参考にすると理解しやすいことが少なくない。

「マハーバーラタ」と映画

 「マハーバーラタ」は、あらゆる物語の祖といえる偉大な叙事詩であり、全ての映画は極論すれば「マハーバーラタ」の翻案もしくは切り出しに過ぎないと述べることもできる。実際、インド映画を観ていると、「マハーバーラタ」やその登場人物が引き合いに出される機会は非常に多い。

 それでも、「マハーバーラタ」は長大な物語であるため、「マハーバーラタ」そのものが映画化された例は、3Dアニメ映画「Mahabharat」(2013年)くらいしかない。声優陣がヒンディー語映画界のトップスターばかりで豪華だが、完全に子供向けの映画で、アニメの質も低い。

「Mahabharat」

 「マハーバーラタ」がTVドラマ化された例はいくつか存在するが、国営TV局ドゥールダルシャンで1988年から90年に掛けて放送された「Mahabharata」がもっとも有名である。全94エピソードで、著名な映画監督BRチョープラーの息子ラヴィ・チョープラーが監督した。

 「マハーバーラタ」を下敷きにして作られたヒンディー語映画としては、プラカーシュ・ジャー監督の「Raajneeti」(2010年)が挙げられる。「マハーバーラタ」の物語を現代の州政治における政争に当てはめ、重厚な人間ドラマに仕上げている。

「Raajneeti」

 「マハーバーラタ」に収められた挿話を映画化したヒンディー語映画はいくつもある。「ヤヴァッキの物語」をベースにした「Agni Varsha」(2002年)、世界を放浪する不死の者アシュヴァッターマンを彷彿とさせるキャラが登場する「Valley of Flowers」(2006年)、アルジュナの好敵手エーカラヴィヤの物語をベースにした「Eklavya: The Royal Guard」(2007年)、アルジュナを主人公にしたアニメ映画「Arjun: The Warrior Prince」(2012年)などである。

Arjun The Warrior Prince
「Arjun: The Warrior Prince」

 他のインド諸語に視野を広げれば、さらに多くの「マハーバーラタ」関連映画が見つかる。その中でも特に傑作とされているのがテルグ語映画「Mayabazar」(1957年)だ。「RRR」(2022年/邦題:RRR)の主演NTRジュニアの祖父NTラーマ・ラーオが神々しくクリシュナ役を演じるなど、テルグ語映画の金字塔とされている映画である。

Mayabazar
「Mayabazar」

参考文献

 「マハーバーラタ」の内容を日本語で詳しく知りたかったら、沖田瑞穂先生の以下の著作が最適である。今回の記事でも大いに参考にさせていただいた。

  • 沖田瑞穂著「マハーバーラタ入門」勉誠出版、2019年
  • デーヴァダッタ・パトナーヤク著、沖田瑞穂監訳、村上彩訳「インド神話物語 マハーバーラタ」、原書房、2019年