Valley of Flowers

3.0
Valley of Flowers

 ウッタラーカンド州に「花の谷(Valley of Flowers)」と呼ばれる地域がある。季節になると一面に花が咲き乱れる風光明媚な土地だ。だが、2006年7月15日にオシアンス・シネファン・アジア映画祭で上映された「Velley of Flowers」は、その花の谷とは全く関係ないものの、インド人監督によるミステリアスなファンタジー映画である。ドイツとフランスとインドの合作である。日本での劇場一般公開実績はないが、「花の谷 時空のエロス」という邦題と共にDVDが販売されている。

 監督はパン・ナリン。国際的に活躍しているインド人監督であり、ドキュメンタリー映画を得意とするが、「Samsara」(2001年)のようなスピリチュアルかつエロティックなフィクション映画も撮っている。

 「Valley of Flowers」には、インド人俳優ミリンド・ソーマンとナスィールッディーン・シャーの他、フランス人女優ミレーヌ・ジャンパノイ、日本人モデルERIなどが出演している。

 時は19世紀。ジャラン(ミリンド・ソーマン)はラダック地方の砂漠で仲間たちを率いて隊商を襲う強盗だった。あるときジャランはウシュナ(ミレーヌ・ジャンパノイ)というミステリアスな女性に出会い、彼女の求めに従って仲間に入れる。すぐにジャランとウシュナは恋に落ち、お互いの肉体を貪るようになる。ウシュナは乗馬に長け、地理に詳しかったが、ヘソがなかった。また、イェティ(ナスィールッディーン・シャー)という謎の男がジャランとウシュナを追っていた。

 ジャランの強盗団は、ウシュナを厄介者と考えるようになった。だが、ジャランはウシュナを選ぶ。仲間割れが起き、ジャランとウシュナは強盗団を離れる。二人はイェティに襲われ、ジャランは川に落ちてしまう。だが、ジャランは僧侶に助けられ、僧院で看病を受けていた。ウシュナはジャランを見つけ出し、再び合流する。

 ジャランとウシュナは沈黙の谷を通って花の谷へ向かう。そして僧院から不老不死の霊薬を盗み、それを飲む。ところがジャランは不老不死になったものの、ウシュナは撃たれて死んでしまう。イェティはジャランに対し、生き続けることが罰だと告げる。

 ジャランはその後も生き続け、移動し続けた。そして現代の東京で、彼は「花の谷」社を創業し、安楽死のサービスを提供していた。東京では「花の谷」社に対する反対運動が起こっていた。ジャランはマスコミが見守る中、62階のビルから飛び降りるが無傷だった。そのニュースを見たサユリ(ERI)という女性がジャランを探して警察署までやって来る。サユリはウシュナの生まれ変わりだった。二人はおよそ2世紀振りの再会を喜ぶ。そして、ジャランは残しておいた霊薬をサユリに飲ませる。

 翌朝、二人の前にイェティが現れる。二人は逃げるが、花屋のトラックに轢かれる。ジャランは死に、サユリは生き残った。イェティは、真の愛が彼女の罰だと告げる。

 19世紀のラダック地方に始まり、21世紀の東京で終わるという、かなり変わった構成の映画である。使われる言語もヒンディー語と日本語である。象徴的なシーンや台詞が多く、映画の全編を観ても全ては説明されない。起承転結は二の次の、哲学的な映画だ。

 パン・ナリン監督は、「荒野の用心棒」(1964年)のセルジオ・レオーネ監督、「2001年宇宙の旅」(1968年)のスタンリー・キューブリック監督、「惑星ソラリス」(1972年)のアンドレイ・タルコフスキー監督、そして日本の黒澤明監督などに影響を受けているようで、確かに「Valley of Flowers」からは、インド映画の伝統よりも、それらインド国外の巨匠たちの作風を感じる。

 特に、不老不死となった主人公ジャランが、100年以上の時間を生き続けたことを映像のみで表現したシーンは圧巻だ。彼のひたすら歩き続ける足のみがクローズアップされ、地面や靴が次々と変わっていく。その変遷によって、時代が近世から現代になったことが分かるのである。

 ジャランは、強盗ではあったものの、生身の人間であった。だが、ウシュナは謎の存在だ。突然ジャランの目の前に現れ、「あなたを夢で見た」と言って、彼の一団に加わろうとする。その美貌によりジャランの心を奪うのはいいが、やたらと地理に詳しかったり、ヘソがなかったりする。おそらく精霊のような存在であろうとは予想していたが、彼女の正体は明かされずじまいだった。ジャランに撃たれて死んだ後は、輪廻転生を繰り返し、ジャランを探し求め続けた。

 ジャランとウシュナを追うイェティもウシュナ以上に謎の存在であった。元々ウシュナを知っていたと見え、彼女とは何らかの関係があると思われる。そして、ジャランとウシュナに罰を与えるため、二人よりも上の存在だとも解釈できる。さらに、物語が現代に移っても彼は変わらぬ姿で登場する。ウシュナと同様に、劇中では彼の正体はほとんど明かされないが、彼も不老不死の存在であることは読み取れる。

 つまり、監督は明確な答えを映画の中で提示しておらず、全ては観客の解釈に委ねられた形だ。

 霊薬アムリタを飲んで不老不死になり、世界中を歩き回る存在になったジャランは、「マハーバーラタ」に登場するアシュヴァッターマンを想起させる。マハーバーラタ戦争終了後に夜襲を掛けてパーンダヴァ側の戦士たちを皆殺しにしたアシュヴァッターマンは、クリシュナから「不死」の呪いを受け、病に苦しみながら世界中を永遠に歩き回ることになった。

 ジャランは、とある僧院から盗み出したアムリタを飲んだことで不老不死になる。だが、同じようにアムリタを飲んだウシュナは不老不死になれず、死んでしまう。何が明暗を分けたのか分からないが、イェティの言によると、ジャランは罰として不老不死になったのだった。この辺りはアシュヴァッターマンのエピソードと共通するものがある。

 現代の東京のシーンになり、ジャランはウシュナの生まれ変わりであるサユリと出会い、残っていたアムリタを再び飲む。だが、今度はウシュナが不死身となり、ジャランは死んでしまう。もしかしたらアムリタを飲むことで、死ぬべき存在と不死の存在という2つの状態を往き来するのかもしれない。ヘソがなく人間離れしたウシュナは、元々不死身であったが、アムリタを飲んだことで死ぬべき存在になり、ジャランに撃たれて死んだ。一方、生身の人間だったジャランはアムリタを飲んで不死身になった。現代では、逆に不死身の存在だったジャランがアムリタを飲んで死ぬべき存在となり、ウシュナはアムリタを飲んで再び不死身となった。そんな風に解釈することができるのではなかろうか。

 映画の中にはもう一人不老不死の存在がいた。イェティである。彼がアムリタを飲むシーンは登場しないが、アムリタを作っていた行者が彼なのかもしれない。彼は既に不老不死の状態にあり、ジャランやウシュナよりも長く生きてきたと考えていいだろう。

 パン・ナリン監督の前作「Samsara」は、性欲に悩むチベット僧が主人公のエロティックな映画であったが、この「Valley of Flowers」でもジャランとウシュナが情事を繰り広げるシーンが何度かあり、「インド映画」の範疇にはとても収まらないエロスがある。通常のインド人女優は起用できなかったのだろう、フランス人と中国人を両親に持ち、エキゾチックな外見をしたミレーヌ・ジャンパノイが熱演していた。

 東京のシーンでは、登場人物は基本的に日本語で会話をする。ミリンド・ソーマンやナスィールッディーン・シャーも、自分の声で日本語を話していた。これはかなりレアな姿だ。ただ、日本人からしたら、どうしても片言の日本語に聞こえてしまい、違和感は拭えない。パン・ナリン監督は、黒澤明監督の影響なのか、かなり日本贔屓であり、「Samsara」でも、チベット仏教の話なのに、なぜか日本の浮世絵が出て来るシーンもあった。冒頭のタイトルシーンでも、ヒンディー語と英語に加えて、日本語で「花の谷」と題名が表示される。

 「Valley of Flowers」は、国際的に活躍するインド人監督パン・ナリンが、ラダックと東京という、全く異質な場所で撮影し、作り上げた、非常に変わった映画である。とても象徴的かつ哲学的であり、難解だ。そして、エロティックでもある。その解釈は観客に全面的に委ねられており、観る人それぞれの受け止め方があるだろう。とても映画らしい映画だ。