RRR (Telugu)

4.5
RRR

 日本を含む世界で大旋風を巻き起こしたテルグ語映画「Baahubali: The Beginning」(2015年/邦題:バーフバリ 伝説誕生)と「Baahubali 2: The Conclusion」(2017年/邦題:王の凱旋)。この二部作を監督したSSラージャモウリは一躍インドでもっとも注目される映画監督となり、次回作に期待が集まった。新型コロナウイルスの感染拡大により撮影は難航し、公開も何度か延期されたが、ラージャモウリ監督の最新作「RRR」は、インドにおいてコロナ禍が小康状態になった2022年3月25日、満を持してインド全国で公開された。「Baahubali」シリーズと同じく多言語展開され、オリジナルのテルグ語版に加え、ヒンディー語版、タミル語版、カンナダ語版、マラヤーラム語版も同時公開された。本来ならばテルグ語版を鑑賞すべきであろうが、視聴の制限もあり、ヒンディー語版を鑑賞することになった。

 「Baahubali」シリーズは架空の古代~中世インドを舞台にしていたが、「RRR」は、1920年の英領インド時代を舞台にしている。題名の「RRR」とは、「Rise(立て)」、「Roar(叫べ)」、「Revolt(反抗しろ)」の頭文字である。実在する革命家、アッルリ・ラーマ・ラージューとコマーラム・ビームが主人公の映画だが、ほとんどフィクションであり、伝記映画に分類することは難しい。

 主演はテルグ語映画界のスーパースター2人、NTRジュニアとラーム・チャラン。汎インド映画を意識しヒンディー語映画界からもキャスティングされており、アジャイ・デーヴガンとアーリヤー・バットが脇役で出演している。他に、シュリヤー・サラン、レイ・スティーヴンソン、アリソン・ドゥーディー、オリヴィア・モリスなどが出演している。

 時は1920年、英領インド。テランガーナ地方アーディラーバードの森林にて、インド総督のスコット・バクストン(レイ・スティーヴンソン)は妻のキャサリン(アリソン・ドゥーディー)を連れて狩りをしていた。そこで出会ったゴーンド族の少女マッリをキャサリンは気に入り、デリーに連れ去ってしまう。

 マッリの兄で、ゴーンド族の守護者であるビーム(NTRジュニア)は、マッリを救出するために、仲間たちと共にデリーに赴いた。彼はアクタルという偽名を使い、イスラーム教徒に扮して、マッリを探していた。総督の姪ジェニー(オリヴィア・モリス)と仲良くなり、彼女を利用することで、総督の邸宅にマッリが今でも幽閉されていることを知る。

 また、ビームはデリーで、アッルリ・ラーマ・ラージュー(ラーム・チャラン)という青年と親友になる。ラージューは警察官だったが、身分を隠し、マッリを探すゴーンド族を探していた。だが、ビームがイスラーム教徒を装っていたため、彼が捜し求める相手だとは気付かなかった。ビームも、ラージューが警察官だとは知らなかった。

 ビームは総督の邸宅に突入し、マッリを救い出そうとするが、ラージューに止められ、捕らえられる。ビームは公衆の面前でラージューに鞭打たれる。一方、ラージューはこの功績により出世し、武器庫の管理を任せられる。これこそラージューが長年望んでいたことだった。

 実はラージューの父親ヴェーンカタ・ラーマ・ラージュー(アジャイ・デーヴガン)は革命家で、村人たちに軍事訓練を施していたが、武器を調達できていなかった。村は英国人の襲撃を受け、ラージューは父、母、弟を失ってしまう。ラージューは武器を村に送るため、警察官になって、ひたすら出世のために働いていたのだった。

 ラージューは武器を村に送ろうとするが、親友ビームの処刑を見過ごすことができず、彼とマッリを救い出すことを選ぶ。ビームとマッリは逃亡に成功するが、ラージューは裏切り者として捕らえられ、幽閉されてしまう。逃げ出したビームとマッリは偶然ラージューの許嫁スィーター(アーリヤー・バット)と出会い、彼女からラージューの本当の意図を知る。そして、今度はビームがラージューを救い出す。

 反転して攻勢に出たラージューとビームは、総督の邸宅に突入して破壊し、スコットを殺す。そしてラージューとビームはそれぞれ村に戻る。

 SSラージャモウリ監督らしい、壮大で大味な一大娯楽映画であった。NTRジュニア演じるビームと、ラーム・チャラン演じるラージューの間の友情を軸に、父と子の絆、兄妹愛、そして英国人支配者に対する抵抗などを散りばめ、3時間に及ぶ長尺ながら、ほとんどその長さを感じさせない作品に仕上がっていた。思わずあっと驚いてしまうような仕掛けも多く、奇術の一種として発達した映画の原点を感じさせる。ただ、欠点が全くない映画ではなかった。

 テルグ語映画ながら、主な舞台がデリーとその周辺になっており、北インドの観客を取り込もうとするラージャモウリ監督の強かさを感じずにはいられなかった。だが、「RRR」の映像からは北インドらしさが希薄で、しかも時代考証などに難点があった。ストーリーもかなりご都合主義で、細かい突っ込み所を挙げていけばキリがない。

 しかしながら、スターシステムを遵守し、とにかくNTRジュニアとラーム・チャランを輝かせることに全力を注いでおり、それは成功していた。単に強いだけでなく、それぞれに危機も迎えており、その危機を友情でもって乗り切るという、インド人の琴線に触れずにはいられないストーリーラインが見事だった。

 ヒンディー語映画界のスターであるアジャイ・デーヴガンとアーリヤー・バットをどう使うかには興味を引かれたが、重要ながら出番の少ない役を宛がわれていた感じである。どちらも重鎮といえる存在だが、そんな彼らをこのように起用できるようになったところに、テルグ語映画の地位向上が見受けられる。

 悪役にほとんど同情の余地を与えないのも、テルグ語映画らしい徹底的な勧善懲悪である。「RRR」の悪役は、インド総督のスコットをはじめとした英国人官僚であり、とにかくインド人を見下していた。だから観客も主人公に無条件で感情移入してしまう。好意的に描かれていたのはジェニーのみだが、中盤以降は急速に存在感をなくし、彼女のキャラをうまく使い切れていなかった。

 映画のハイライトはいくつもあるが、個人的には、マッリ救出のために総督の邸宅に突入したとき、ビームが獣たちを解き放つシーンと、独房に幽閉されたラージューをビームが救い出し、彼を肩に担いで合体ロボのように戦うシーンがインパクトがあった。「そんな馬鹿な」と思うのだが、そういう荒唐無稽な映像こそが映画の楽しみだ。

 「Baahubali」シリーズが切り拓いた、南インド映画の汎インド映画化の道を、「Baahubali」の監督が自ら前進させた点でも「RRR」は特筆すべきである。特にエンディングに流れる「Sholay」は、インド各州の英雄たちをフィーチャーしており、この映画がインド全土の観客をターゲットにしていることが如実に反映されている。

 「RRR」では、アッルリ・ラーマ・ラージューとコマーラム・ビームが力を合わせて英国に立ち向かう様子が描かれるが、これは史実ではない。この2人は出会ったこともないはずである。一応、英国植民地時代に反英活動に従事した革命家となっているが、「RRR」公開前は、全国的に知名度のある人物ではなかった。ラージャモウリ監督は、テランガーナ地方のラージューとアーンドラ地方のビームの友情を描くことで、2014年に分離してしまったこの2州の親善を訴えたかったようである。そうなると、表向きは汎インド的な体裁の映画であるが、根底に流れるメッセージは非常にローカルなものになる。

 「RRR」は、今もっとも注目されるインド人映画監督SSラージャモウリの最新作である。「Baahubali」シリーズを超える完成度とはいえないが、ラージャモウリ監督らしい驚きに満ちた娯楽大作になっている。興行収入は100億ルピーを超えており、インド中で記録的な大ヒットになっている。必見の映画だ。