スターシステム

 ヒンディー語映画界には、世界でもっとも強力なスターシステムが構築されている。狭義では主演を張れる男優のことをスターと呼ぶが、女優の中にもスターと呼んで差し支えない実力の持ち主が存在する。彼らスターを中心に業界が回っている。これをスターシステムと呼ぶ。

 では、「俳優」と「スター」の何が違うのか。「俳優」は、映画のストーリーに応じてキャスティングされる。一方「スター」は、その存在ありきで映画のストーリ-が作られる。スターは映画の顔である。スターシステムが強固なヒンディー語映画界では、映画の成否は第一にスターの肩に掛かっている。逆に言えば、スターには映画を破壊する力が備わっている。何らかの映画の企画が持ち上がった際、想定するスターが乗り気になるかどうかが、企画が実行に移されるか否かを分ける。スターが企画にゴーサインを出して初めて、監督を含むその他のクルーやキャストが選定され、資金集めが始められる。もちろん、スターがやる気をなくせば、その企画は敢えなく空中分解する運命にある。

 映画ではスターを際立たせることに全力が注がれる。スターは、その映画の登場人物の中で、もっとも色白で、もっとも長身で、もっともパワフルで、もっとも見栄えが良くなければならない。よって、スター以外の配役にも十分注意が払われる。スターの威光を損なうような容姿の者が同じスクリーンに映るのは避けられる。スターには元々スターにふさわしいオーラやカリスマ性が備わっているものだが、スターシステムのおかげでそれが増幅され、観る者はついついそのスターの優越性を自然に受け入れてしまう。

 スターシステムは映画の中のみに留まらない。スターは企業のブランドアンバサダーや広告塔として、映画以外のメディアや街角の看板などにも頻繁に顔を出し、人々の網膜と脳裏にその姿を焼き付ける。スターはトレンドセッターかつインフルエンサーであり、彼らのファッションや発言はインド社会に多大な影響を及ぼす。テレビや新聞はスターを追い掛け、その一挙手一投足を報道する。スターは現実世界でも常にスポットライトを浴び続ける。インドは、社会全体が巨大なスターシステムで包み込まれていると言っても過言ではない。これをもって、世界最強のスターシステムと呼んでいるのである。

 また、ヒンディー語映画界は複数の家族経営企業によって主に成り立っており、業界全体が家族や身内の縁を優先することを当然のものとして受け止めている。よって、スターの形成にも血統主義が色濃く反映される。スターとスターが結婚し、スター性は子供に受け継がれる。ヒンディー語映画界には、代々映画産業に関わる「映画カースト」と呼ばれる家系も存在する。

 このような特徴を持つ業界であるため、ヒンディー語映画の入門者には、まず贔屓のスターを作ることをお薦めしている。


 ヒンディー語映画界を代表するスターは年代ごとに存在するのだが、21世紀に入ってからの勢力図に限って言うならば、アミターブ・バッチャンを筆頭に、カーンやカプールあたりを押さえておくべきであろう。

アミターブ・バッチャン

 アミターブ・バッチャンは1970年代からの非常に息の長いスターである。一時は低迷したこともあったのだが、21世紀になって盛り返し、後期高齢者となった今でも第一線で活躍し続けている大御所だ。若い頃は「アングリー・ヤングマン」のイメージが強かったが、年を重ねる中で、お気楽なコメディーからシリアスなドラマまで、どんな役柄でも演じられる幅の広い俳優に成長した。アミターブの代表作といえば、伝説的名作「Sholay」(1975年)である。

 長男のアビシェーク・バッチャンも21世紀を代表するスターであり、「世界一の美女」と称されたアイシュワリヤー・ラーイも家族に加わっている。この3人のスクリーン上での共演は、「Bunty Aur Babli」(2005年)の挿入歌「Kajra Re」が有名だ。アミターブにはアジターブ・バッチャンという弟がおり、その娘とクナール・カプールが結婚しているので、彼もバッチャン・ファミリーの一員となる。また、アミターブの娘は後述するカプール家の一員と結婚しているため、バッチャン家とカプール家は親戚関係にあるといえる。

アミターブ・バッチャン、アイシュワリヤー・ラーイ、アビシェーク・バッチャン

 アミターブ・バッチャンがいかに人々から尊敬されるスターであるかを示すエピソードは数多くあるが、映画ならば、インド映画100周年を記念して作られたオムニバス形式映画「Bombay Talkies」(2013年)第4話「Murabba」を観るのが一番いいだろう。

カーン

 ヒンディー語映画界に「カーン(Khan)」姓を持つスターは多い。元々は中央アジアの支配者層の称号で、チンギス・ハーンやフビライ・ハーンの「ハーン」と同じものである。冒頭の音は、音声学では無声軟口蓋摩擦音という音で、カタカナではどうしても正確に表記できないので、「カーン」でも「ハーン」でもいいのだが、インドでは有気の無声軟口蓋破裂音(つまりカ)で発音されることが多く、「カーン」とした方が通じやすいだろう。

 ヒンディー語映画界に「カーン」は多いが、彼ら「カーン」たちが必ずしも近縁関係にある訳ではない。

 もっとも有名な「カーン」は、「3カーン」と呼ばれる3名のスターたちである。奇しくも同じ1965年に生まれたアーミル・カーン、シャールク・カーン、サルマーン・カーンは、テレビやビデオの普及によって大打撃を被ったヒンディー語映画界の復興に寄与し、90年代を支配したばかりでなく、その後も後進に道を譲ることなく業界に君臨し続けている。この3人は全く親縁関係ではない。

アーミル・カーン、シャールク・カーン、サルマーン・カーン

 興味深いことに、この3名はそれぞれ得意分野とファン層が異なる。完璧主義者として知られるアーミルは出演作を吟味し、一度に一本の映画にしか関わらず、役作りに徹底的にこだわった演技をし、インテリ層から支持を受けている。アーミルの代表作は「Lagaan」(2001年/邦題:ラガーン~クリケット風雲録)と「3 Idiots」(2009年/邦題:きっと、うまくいく)である。元妻のキラン・ラーオは監督で、「Dhobi Ghat」(2011年)などを撮っている。

 シャールクはロマンス映画が持ち味で、海外が舞台の映画とも相性が良く、女性やNRI(在外インド人)にファンが多い。シャールクの代表作と言うと、「Dilwale Dulhania Le Jayenge」(1995年/邦題:シャー・ルク・カーンのDDLJラブゲット大作戦)や「Kuch Kuch Hota Hai」(1998年)など、90年代の作品から選ぶことになるだろうが、敢えて21世紀の作品から選ぶとなると、「Rab Ne Bana Di Jodi」(2008年)を推したい。

 サルマーンは筋肉増強にいち早く取り組み、21世紀初頭に低迷を経験した後、アクション映画に活路を見出して復活しており、庶民層の男性に熱狂的なファン層を抱えている。出世作「Hum Aapke Hain Koun..!」(1994年)は外せないが、アクションスターとしての代表作は「Dabangg」(2010年/邦題:ダバング 大胆不敵)や「Ek Tha Tiger」(2012年/邦題:タイガー 伝説のスパイ)などである。サルマーンはアイシュワリヤー・ラーイやカトリーナ・カイフなどと付き合ってきたが、依然として独身を貫いている。サルマーンの弟、アルバーズ・カーンとソハイル・カーンも俳優だが、兄に匹敵する人気はない。

 「3カーン」以外にも「カーン」姓を持つスターは多い。ビートルズについて「5人目のビートル」として何人かの人物が挙げられるのと同様に、ヒンディー語映画界でも、「4人目のカーン」は誰かということが時々話題になるが、「4人目のカーン」に定着した者はいない。それでも、「3カーン」以外でもっとも影響力のあるカーンは、サイフ・アリー・カーンになるだろう。パタウディー藩王の血を引き、クリケット選手と女優シャルミラー・タゴールを両親に持ち、一族にはカリーナー・カプール、ソーハー・アリー・カーン、サーラー・アリー・カーンなどがいる。サイフの代表作として「Love Aaj Kal」(2009年)を挙げることができる。

カプール

 カプール家は、インド映画黎明期のスター、プリトヴィーラージ・カプールを祖とする、名門中の名門の映画カーストである。血統を重視するヒンディー語映画界において、カプール家に勝る血筋はない。ヒンディー語映画界にカプール姓の者は多く、皆が皆、縁戚関係にある訳ではないが、かなりの確率でプリトヴィーラージ・カプールと何らかの関係があると考えていい。

 第1世代をプリトヴィーラージ・カプール、第2世代をその息子たちであるラージ・カプール、シャンミー・カプール、シャシ・カプール、第3世代を彼らの息子たちであるランディール・カプール、リシ・カプール、シャシ・カプールなどとすると、現在はカプール家第4世代の時代だ。ランディールの娘カリシュマー・カプールとカリーナー・カプール、リシ・カプールの息子ランビール・カプールなどである。特に21世紀のスターとしては、「Jab We Met」(2007年)などのカリーナーと、「Barfi!」(2012年/邦題:バルフィ!人生に唄えば)などのランビールが重要だ。

カリーナー・カプールとランビール・カプール

 ランビール・カプールは「Student of the Year」(2012年/邦題:スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え!No.1!!)のアーリヤー・バットと結婚した。アーリヤーが所属するのはこれまた映画界で有力なバット一族であり、マヘーシュ・バット、ムケーシュ・バット、プージャー・バット、モーヒト・スーリーなどのプロデューサー・監督陣や、「Murder」(2004年)などの俳優イムラーン・ハーシュミーなどが名を連ねている。

 カプール姓で他に有名なのはアニル・カプールの家系である。アニルの父親スリンダル・カプールはプリトヴィーラージ・カプールの親戚であり、上記のカプール家と遠縁関係にある。アニルは「Slumdog Millionaire」(2009年/邦題:スラムドッグ$ミリオネア)で国際的な俳優となったが、インド国内では1980年代から人気のスターだった。弟のサンジャイ・カプールも俳優だ。

 21世紀には、アニルの娘ソーナム・カプールが活躍し、「Prem Ratan Dhan Payo」(2015年/邦題:プレーム兄貴、王になる)などに出演した。また、アニルの兄ボニー・カプールの再婚相手は、「English Vinglish」(2012年/邦題:マダム・イン・ニューヨーク)のシュリーデーヴィーだ。前妻との子が「2 States」(2014年)などのアルジュン・カプール、シュリーデーヴィーとの子が「Gunjan Saxena」(2020年/邦題:グンジャン・サクセナ -夢にはばたいて-)などのジャーンヴィー・カプールである。

 他にも、トゥシャール・カプール、シュラッダー・カプール、アーディティヤ・ロイ・カプールなど、カプール姓を持つスターたちはいるが、彼らは上記カプール家とは関係ない。