2021年末、インドにおいてコロナ禍が明け、新作映画の公開が通常化して以来、ヒンディー語映画は不振にあえいでいる。期待作とされてきた映画の数々が大失敗に終わり、未曾有の不況に陥っている。南インド映画のいくつかが全国的な大ヒットになっているのとは対照的で、余計にヒンディー語映画の一人負けが目立つ。特にアーミル・カーン主演「Laal Singh Chaddha」(2022年)の沈没は業界に大きな衝撃を与えた。脅威のヒット率を誇り、「ミスター・パーフェクト」の異名を持つアーミル・カーンが沈んだ今、最後の望みは、過去20年以上にわたってヒンディー語映画のトレンドセッターとして君臨してきたカラン・ジョーハル渾身の「Brahmastra」シリーズであった。これは、インド神話を題材にしたファンタジー映画であり、世界的な大ヒットとなったテルグ語映画の「Baahubali: The Beginning」(2015年/邦題:バーフバリ 伝説誕生)や「Baahubali 2: The Conclusion」(2017年/邦題:バーフバリ 王の凱旋)に対するヒンディー語映画界からの返答であった。コロナ禍前に製作が発表されていたが、他の多くの映画と同様に、コロナ禍によって撮影が遅れ、完成までには多くの困難を乗り越えなければならなかった。
「Brahmastra」は全三部構成とのことだが、その第一部である「Part One: Shiva」は、2022年9月9日に満を持して公開された。プロデューサーはカラン・ジョーハルなど。監督は「Yeh Jawaani Hai Deewani」(2013年/邦題:若さは向こう見ず)のアヤン・ムカルジー。主演はランビール・カプールとアーリヤー・バット。この二人は2022年4月14日に結婚したが、撮影時には結婚前だった。どちらもトップスターであり、ランヴィール・スィンとディーピカー・パードゥコーンに並ぶパワーカップルとして、ここ数年話題を振りまいてきた。
この二人の起用だけでも豪華なのだが、それだけに留まらない。ヒンディー語映画界の二大巨頭であるアミターブ・バッチャンとシャールク・カーンが出演しているのである。ランビール・カプールと合わせると、スーパースターが三世代揃っていることになる。「Kabhi Khushi Kabhie Gham」(2001年)並みのオールスターキャストだ。また、テルグ語映画界のスター、ナーガールジュナ・アッキネーニも出演している。ナーガールジュナは過去に何本かヒンディー語映画に出演したことがある。南インド映画俳優の起用は、南インド映画ファンへのアピールに他ならず、「Brahmastra」シリーズを全インド的なヒットにしようとする試みのひとつであろう。
悪役に起用されたのはモウニー・ロイである。人気TVドラマ「Kyunki Saas Bhi Kabhi Bahu Thi」(2000-08年)や「Naagin」(2015-16年)などに出演して人気を博した女優で、「Gold」(2018年)などから本格的に映画女優に転向した。他の俳優たちが余りに大御所すぎて、まだ確固たる地位を築いていないモウニーは若干浮いているのだが、大抜擢といえる。他に、ベテラン女優ディンプル・カパーリヤーも出演している。
題名になっている「ブラフマーストラ」とは、インド二大叙事詩「ラーマーヤナ」や「マハーバーラタ」に登場する武器の名前である。核兵器を思わせる究極の兵器として表現されているが、映画「Brahmastra」の中では、その描写を踏まえつつ脚色し、円形の石版のような物体として描かれている。
ヒンディー語オリジナル版に加え、タミル語、テルグ語、マラヤーラム語、カンナダ語版も作られ、同時公開されている。鑑賞したのはヒンディー語版である。
古代インドにおいて聖仙たちはヒマーラヤ山脈の奥地で苦行を行い、「アストラ」と呼ばれる数々の武器を神々から授かった。その中でも世界を滅ぼす力を持つ最強の武器が「ブラフマーストラ」であった。聖仙たちはブラフマーストラを守護するために「ブラフマーンシュ」と呼ばれる秘密組織を作り、ブラフマーストラを守り続けてきた。 時代は飛んで現代のムンバイー。孤児として生まれ、DJをして生計を立てるシヴァー(ランビール・カプール)は、ダシャハラー祭でイーシャー(アーリヤー・バット)というロンドン在住のインド人女性と出会い、恋に落ちる。だが、同時にシヴァーは発作を起こし、不思議な映像を目にするようになる。 その映像の中では、科学者モーハン・バールガヴ(シャールク・カーン)が、ジュヌーン(モウニー・ロイ)と呼ばれる恐ろしい女性とその二人の部下と戦っていた。モーハンはヴァーナラーストラ(猿の武器)と呼ばれる足輪を付けて猿のような運動能力を駆使して戦うが、ジュヌーンの力の前に屈する。ジュヌーンは彼からブラフマーストラの欠片とヴァーナラーストラを奪い、残りのブラフマーストラの在処を聞き出そうとする。だが、モーハンは答える前に上階から身を投げて死ぬ。 シヴァーは、新聞でモーハンが死んだことを知り、発作中に見た映像は真実だったと悟る。そして、その映像の中でモーハンが言及していた、ヴァーラーナスィーに住む芸術家アニーシュ・シェッティー(ナーガールジュナ・アッキネーニ)をイーシャーと共に探しに行く。 ヴァーラーナスィーでシヴァーとイーシャーはジュヌーンたちと遭遇する。アニーシュを助けながらジュヌーンたちの攻撃をかわすことに成功し、彼らはグルジー(アミターブ・バッチャン)のアーシュラム(道場)を目指す。だが、途中で彼らはジュヌーンたちに追いつかれる。アニーシュはナンディアーストラ(雄牛の武器)を使ってジュヌーンたちに反撃するが、崖から落ちて死んでしまう。アニーシュが持っていたブラフマーストラとナンディアーストラもジュヌーンたちに奪われてしまう。 シヴァーとイーシャーはグルジーのアーシュラムに辿り着く。追っ手に追いつかれるものの、シヴァーは炎を操る能力を発揮し撃退する。それを見たグルジーはシヴァーの底力に気付く。グルジーはイーシャーをムンバイーに返し、シヴァーの訓練を行う。シヴァーは炎の力を操れるようになる。また、グルジーはシヴァーの出生の秘密を明かす。シヴァーは、かつてブラフマーンシュの一員だったデーヴとアムリターの子供であった。デーヴはブラフマーンシュの中でも最強の戦士であったが、ブラフマーストラの力を独占しようとし、アムリターに制止された。アムリターはブラフマーストラを三分割し、その2つの欠片がモーハンとアニーシュに託されたのだった。残りのひとつの欠片の在処はグルジーも知らなかった。だが、シヴァーが死んだ母親の形見として持っていた法螺貝がブラフマーストラの最後の欠片であった。 そこへジュヌーンとその兵隊たちが攻め込んでくる。グルジーの元で修行を積んでいた他のブラフマーンシュの戦士たちも参戦し戦いを繰り広げる。その中でジュヌーンを崖から落とすことに成功するが、ジュヌーンはしぶとく這い上がってきた。そして隙を見てブラフマーストラの3つの欠片を合わせてしまう。破壊的な力がほとばしったが、シヴァーの力によってブラフマーストラの力は制御され、世界は破壊を免れた。しかしながら、遠くでデーヴが復活していた。
ヒンディー語映画界でファンタジー映画が作られるのはこれが初ではない。もっとも印象に残っているヒンディー語ファンタジー映画はアビシェーク・バッチャン主演の「Drona」(2008年)である。だが、成功例としてではなく失敗例としてだ。どうもファンタジー映画をインド風に味付けすると違和感があり、ハリウッド映画と肩を並べるようなファンタジー映画は今まで観たことがない。この「Brahmastra」はその候補として期待したが、やはり不足が目立つファンタジー映画という印象だった。
インド神話はファンタジーネタの宝庫であり、それを下敷きにして現代風のファンタジー映画を作るという発想は面白いものだった。何らかの神話伝承をそのまま映画化しても形にはなったかもしれないが、「Brahmastra」は叙事詩の中に登場する最強兵器「ブラフマーストラ」に着目し、物語の中心に据えて、自由に想像力を働かせてストーリーを構築していた。
神々から授かった神秘的なパワーを持つ武器の数々が登場し、それを身に付けた者は超人的な能力を発揮できるようになるという設定である。それらの能力はCGを使って派手に演出されており、戦闘シーンなどはマーベル映画を思わせるスーパーパワーとスーパーパワーのぶつかり合いで迫力がある。ただ、オリジナリティーはあまり感じなかったし、インドの地においてマーベル映画的なスーパーパワーの表現には目が慣れないためか、「Drona」のときと同様の違和感を感じずにはいられなかった。
しかしながら、この映画の弱点は映像効果ではない。違和感は感じるものの、ハリウッド映画に比肩するようなファンタジー映画を作り上げようと精いっぱいの努力がなされていた。残念だったのはストーリー部分だ。せっかく新たなスーパーヒーローを作り上げようとしているのだが、ロマンスの要素を過度に入れ込んだことで、陳腐かつ不協和音の絶えない物語になってしまっていた。主人公シヴァーとイーシャーの恋愛は、ブラフマーストラ制御の鍵になっている重要なポイントなのだが、何でもかんでも愛に還元して物語をまとめてしまうのは幼稚にも感じた。
アーリヤー・バットが演じたイーシャーの人物設定も弱かった。ロンドン在住の大富豪の娘ということだが、彼女の両親は全く映画に登場せず、シヴァーと一緒にヴァーラーナスィーやヒマーチャル・プラデーシュ州を旅行する。シヴァーとイーシャーが恋に落ちるまでもリニアに進みすぎで山場がなかった。そして、特別な力を持つシヴァーを一般人であるはずのイーシャーがかなり頼もしく支え、時には超人的な活躍やタフさも見せる。イーシャーは映画の中でもっとも謎な人物であった。
「マーベル・シネマティック・ユニバース」に倣った「アストラバース」と呼ばれるシネマティック・ユニバースが構想されており、この「Part One: Shiva」はその第一部に過ぎない。本編となる全三部の製作が計画されており、既に「Part Two: Dev」の公開が予告されている。だが、特定のシネマティック・ユニバースの中で何本もの映画を創出するためには、その世界観を相当緻密に作り上げなければならない。インド映画は単品料理のようなもので、今まであまりユニバース的な構想に立脚した映画作りを行ってきておらず、今後の展開が計画通りに行くのかは未知数である。少なくとも「Part One: Shiva」を観る限りでは、世界観の構築に深みや広がりを感じなかった。計画倒れに終わる恐れもある。
おそらく「Brahmastra」の対象年齢はかなり低く、いっそのこと子供向け実写映画に分類した方がいいのかもしれない。「Krrish」(2006年)と同じカテゴリーだ。そうするとストーリーの単純さや陳腐さもいくらか容認できるようになる。
プリータムによる音楽は、「Yeh Jawaani Hai Deewani」の延長線上にあるような清涼感溢れるものばかりであった。どちらかというと青春映画のノリで、ファンタジー映画という感じの音楽ではない点は気になったが、いい曲が多く、特に「Dance Ka Bhoot」のダンスシーンでは、久々にヒンディー語映画で豪華な群舞を観た気分になった。やはりインド映画はこうでなくてはいけない。
ちなみに、特別出演のシャールク・カーンが演じた科学者モーハン・バールガヴは、主演作「Swades」(2004年)で彼が演じたNASAの科学者の名前と同じである。どうも関連があるようで、モーハンがヴァーナラーストラを入手するまでを描いたスピンオフ作品が企画されているようである。
「Brahmastra Part One: Shiva」は、ヒンディー語映画界が起死回生を掛け、これ以上ないほどのオールスターキャストで送り出した、インド神話を題材にしたファンタジー・スーパーヒーロー映画である。全三部構成の内、まず第一部が公開された形になる。南北の映画界が総出でキャンペーンを行った効果もあって、近年のヒンディー語映画としてはヒットと呼べるだけの客入りはあったようである。だが、40億ルピーともされるかなり巨額の製作費を費やして作られおり、その差し引きをすると、大きなリターンがあったわけではなさそうだ。何とか大コケは免れ、ヒンディー語映画界の名誉は守ったが、多くの弱点もある映画だ。観るべき映画ではあるが、手放しで激賞できる映画とまではいかない。