サルダールジー

 日本人が抱く典型的なインド人の外見イメージに、「ターバンを巻いて髭を生やした男性」がある。このイメージは十中八九、スィク教徒から来ている。インド映画を一本でも観れば、インド人の皆が皆、ターバンをかぶっているわけではないことが分かるだろう。

 スィク教は、16世紀にグル・ナーナクによって創始された、インドでは比較的新しい宗教で、スィク教徒がターバンをかぶり始めたのは第10代グル、ゴービンド・スィンの時代の1699年からである。ムガル朝時代に、宗教不寛容政策を採ったアウラングゼーブとの対立の中で強固に組織化された宗教であり、スィク教徒は、迫害された非イスラーム教徒の守護者として、他のインド人たちからは愛着を込めて、「サルダールジー(首領様)」と呼ばれる。

 スィク教は、ヒンドゥー教とイスラーム教を融合させた宗教で、平等や奉仕の精神を特に重視した教義になっている。スィク教の寺院はグルドワーラーというが、インド各地に存在するグルドワーラーを訪れれば、その精神を実感することができるだろう。例えば、グルドワーラーでは誰もが無料で食事を振る舞ってもらえる。スィク教の総本山はアムリトサルの黄金寺院であり、ここで人々に振る舞われる「グルの無料食堂」は、「Himself He Cooks」(2014年/邦題:聖者たちの食卓)という映画の題材にもなっている。

 スィク教は第10代グルのゴービンド・スィンまで生身の人間がグルとして指導者をしていたが、それ以降は、グル・グラント・サーヒブという、インドに伝わる知恵が集約された聖典がグルとなっている。よって、形式的には聖典が最高位にある宗教となる。実際には、黄金寺院に所在するアカール・タクトという組織のジャテーダール(長)がスィク教の最高指導者的な立場にある。

 宗教的には寛容や中道を重視する一方で、スィク教は、容姿や持ち物に関する縛りがもっとも強い宗教でもある。いわゆる「5つのK」を守るのが、「カールサー」、つまり純粋なスィク教徒とされている。

  1. Kesh:髪や髭を剃らない
  2. Kangha:櫛
  3. Kara:鉄製の腕輪
  4. Kachera:白い下着
  5. Kirpan:ナイフ

 この「5つのK」の中にターバンは入っていないのだが、一般的にスィク教徒は、神様からの授かり物である髪や髭を剃らず、決まった形で縛り上げ、ターバンで覆う。スィク教徒にとってターバンは尊厳の象徴であり、不用意に扱っていいものではない。スィク教徒はターバン以外のものを頭にかぶってはいけないともされており、スィク教徒はバイクを運転するときにもヘルメットをかぶらない。また、成人前の子供は頭にお団子を作ってハンカチで包んでいる。女性でもターバンをかぶっているスィク教徒はいるが、男性ほど多くはない。

 ただし、スィク教徒男性は必ずターバンをかぶっているかというと、実はそういうわけでもなく、ターバンをかぶらず、髪を切ったり髭をそったりしているスィク教徒もいる。彼らはモーナー・サルダールと呼ばれる。

 スィク教徒男性は「スィン(Singh)」、女性は「カウル(Kaur)」という姓を持つことが多い。ただ、「スィン」を名乗るコミュニティーは他にもあるため、「スィン」だから必ずスィク教徒というわけではない。その一方で「カウル」とあれば大体スィク教徒の女性である。

 また、パンジャーブ州では、ヒンドゥー教徒の家庭であっても、兄弟の一人をスィク教徒にするという習慣がある。よって、スィク教徒の家族が必ず全員スィク教徒というわけではない。

 インド生まれの宗教としては珍しく、スィク教では食に関する禁忌が少ないために、一般にスィク教徒はノンヴェジタリアン(肉食主義者)のイメージを持たれている。また、飲酒も禁じられていないため、酒飲みのイメージもある。ただし、煙草だけは教義で禁止されているため、普通はスィク教徒は煙草を吸わない。


 スィク教はパンジャーブ地方で生まれ、パンジャーブ州で最大の人口を擁する宗教であり、スィク教徒は一般的に、パンジャーブ地方の言語であるパンジャービー語を母語とする。よって、いかにヒンディー語映画であろうとも、スィク教徒のキャラクターはパンジャービー語を話すことが多い。

 パンジャービー語は、ヒンディー語話者からしたら、日本語における大阪弁のようなものだ。ヒンディー語とパンジャービー語はとてもよく似ており、ヒンディー語が理解できる者ならば、パンジャービー語も何となく聞いて理解できる。また、ヒンディー語映画で使われているパンジャービー語は、パンジャービー訛りのヒンディー語ということも多く、その場合はさらに理解の妨げにはならなくなる。

 パンジャービー語特有のフレーズとしてよく出て来るのは、「Chak De Phatte」、「Balle Balle」、「Changa」などであろうか。それぞれ「頑張れ!」、「やった!」、「すごい!」ぐらいの意味だと捉えておけばいいだろう。

 パンジャーブ地方に関係する歌と踊りといえばバングラーがある。英国に移住したパンジャーブ人が、パンジャーブ地方に伝わる民謡と西洋のポップミュージックとをフュージョンさせて作り上げた、強烈なバックビートのあるダンスミュージックがバングラーである。これがインドに逆輸入され、ヒンディー語映画音楽でも多用される。特にスィク教徒が登場する映画では、少なくとも1曲はバングラー・ナンバーが用意されると考えて間違いない。両手の人さし指を上げて踊る独特な踊り方にも特徴がある。

 バングラーの名曲は数え切れないほどあるのだが、敢えて1本挙げるとしたら、日本でもどうもカルト的な人気が出たことがあるらしい、ダレール・メヘンディーの「Tunak Tunak Tun」にしておこうと思う。

Tunak Tunak Tun - Daler Mehndi|Official Video|Sanjeev Anand|Shahab Allahabadi|Yogesh

 ヒンディー語映画においてスィク教徒の扱いにはいくつかパターンがある。

道化役としてのスィク教徒

 まず、スィク教徒は、その独特の外見や陽気で派手好きな性格から、コミカルなイメージを持たれやすく、道化役的な脇役で登場することが多い。「Student of the Year」(2012年/邦題:スチューデント・オブ・ザ・イヤー狙え!No.1!!)のディンピー・スィンが典型であるが、映画を明るい雰囲気にする役割を担わされることが多い。

 実はインドでは、スィク教徒がジョークの主人公に使われることが多い。特に「サルダールジーは12時になると気が狂う」系のジョークは国民的な広がりを持っている。

 実際にはスィク教徒は、イランのナーディル・シャーが1738年にインドを侵略したときに、虜囚にされたインド人女性たちを救うため、ナーディル・シャーの軍営を深夜に夜襲していたことからこの「12時」のエピソードが生まれたのだが、それがいつの間にか「スィク教徒はターバンをかぶっているために熱がこもって頭が狂ってしまい、1日でもっとも暑くなる12時頃におかしな行動を始める」という風に解釈されるようになったのである。

 また、「サンタとバンタ」というスィク教徒2人組は、インディアン・ジョークによく登場するストックキャラクターである。

 このような文化的土壌が映画にも波及し、スィク教徒がコミックロールの脇役で登場することが多いのである。脇役のみならず、コメディー映画の主人公にスィク教徒のキャラクターが抜擢されることもある。代表例が「Singh Is Kinng」(2008年)や「Singh Is Bliing」(2015年)である。

ヒーローとしてのスィク教徒

 前述の通り、スィク教徒は権力者や侵略者に果敢に立ち向かった歴史を持っており、現代インド社会においても守護者のイメージを持たれている。また、英領時代には軍事的に優れたコミュニティーと考えられたため、兵士の重要な供給源となった。スィク教徒のみで構成されたスィク連隊も創設され、第1次世界大戦では活躍した。その歴史的な経緯から、独立後のインド軍の中にもスィク教徒の将校や兵士は多い。

 コミックロールのスィク教徒とは真逆なのだが、スィク教徒にはこのような尚武の部族としてのイメージもあり、スィク教徒が主人公のアクション映画も数多く作られている。「Singh Saab the Great」(2013年)、「Kesari」(2019年/邦題:KESARI/ケサリ 21人の勇者たち)、「Antim: The Final Truth」(2021年)などが代表例である。

 軍人だけでなく、スポーツ界でもスィク教徒は活躍している。一番人気のクリケットでも、ハルバジャン・スィンというスィク教徒の選手が活躍していた。スィク教徒のスポーツ選手として映画にもなっている人物に、陸上競技選手のミルカ・スィンがいる。伝記映画「Bhaag Milkha Bhaag」(2013年/邦題:ミルカ)の主人公ミルカ・スィンは、「フライング・スィク」と呼ばれたスプリンターであり、オリンピックでのメダルは叶わなかったものの、スポーツ界のセレブリティーの一人であった。

 かつて日本には月光仮面というヒーローがいたが、これはスィク教徒がモデルになっているといわれる。インドでも遅ればせながらスィク教徒のスーパーヒーローが誕生している。「A Flying Jatt」(2016年)である。

 マハートマー・ガーンディーが非暴力の道で英国からインド独立を勝ち取ったのに対し、武力でもって革命を起こそうとした独立運動家たちもいた。インド人の間では、実はそういう武闘派も人気である。スィク教徒が特に誇りとするのが、革命家のバガト・スィンだ。1928年にバガト・スィンは英国人役人を射殺し、1929年には国会議事堂で爆弾を爆発させ、逮捕されて絞首刑となった。バガト・スィンは、英国人の立場から見ればテロリストであるが、インド人の立場から見れば、祖国の独立のために命を捧げた殉死者であり、現代ではスィク教徒のみならずインド国民全体から最大限の尊敬を集めている。

 バガト・スィンの言動は度々ヒンディー語映画で誇りを持って取り上げられる。伝記映画では「The Legend of Bhagat Singh」(2002年)などが作られているし、ヒット映画「Rang De Basanti」(2006年)のストーリーにも部分的にバガト・スィンが関係している。

被害者としてのスィク教徒

 現代のスィク教徒がインド社会において置かれている現状について理解する上で欠かせないのが、1984年11月の反スィク教徒暴動である。

 1970年代からパンジャーブ州では、国民会議派と対立した宗教指導者ジャルナイル・スィン・ビンドラーンワーレー率いる分離独立主義運動、いわゆるカーリスターン運動が盛り上がっていた。ビンドラーンワーレーは1983年に武装勢力と共にアムリトサルの黄金寺院を占拠し、中央政府に反旗を翻したが、1984年6月にインディラー・ガーンディー首相が軍隊を動員して黄金寺院を制圧し、射殺された。その報復として、スィク教徒ボディーガードが1984年10月31日にガーンディー首相を暗殺するという大事件が起こった。そのさらなる報復として、デリーを中心にスィク教徒に対する虐殺が始まり、数日間の間に何千人もの人々が殺された。

 この反スィク教徒暴動には国民会議派の政治家が関わったとされている。インディラー・ガーンディーの跡を継いで首相に就任した、息子のラージーヴ・ガーンディーも、「大木が倒れれば地面は揺れる」と、虐殺を正当化したと取れる発言をした。現代に至るまで、反スィク教徒暴動を扇動したり、実際に殺人などの犯罪に関与した人々は裁かれていない。

 反スィク教徒暴動を扱った映画としては「Amu」(2005年)がある。また、ドキュメンタリー映画になるが、「Rubaru Roshni」(2019年)では、カーリスターン運動に関わり、反スィク教徒暴動に関わった国民会議派政治家の暗殺にも関与したスィク教徒のエピソードが取り上げられている。


 スィク教は勤労と奉仕を重視する宗教であり、基本的にはどんな仕事にも就くことができる。ただ、スィク教徒としてピュアであろうとすればするほど外見上のタブーを犯さないようにしなければならないため、様々な役柄を演じなければならない俳優には向かない宗教だ。髪や髭を伸ばしたままで、常にターバンを巻いていなければならないスィク教徒の俳優は、スィク教徒しか演じられなくなってしまう。

 それでも、ターバンをかぶったスィク教徒の俳優は若干名いる。代表的なのはディルジート・ドーサンジである。パンジャービー語映画界の人気スターであり、ヒンディー語映画にもいくつか出演作がある。彼は常にターバンをかぶったスィク教徒の役を演じている。先に挙げた「Student of the Year」のスィク教徒脇役ディンピー・スィンを演じたマンジョート・スィンもスィク教徒の俳優で、スィク教徒の役しか演じていない。

ディルジート・ドーサンジ

 実は往年の名優ダルメーンドラもスィク教徒の家系に生まれている。ただ、普段ターバンはかぶっていない。しかも、一人目の妻と離婚せずに、恋仲となったヘーマー・マーリニーと結婚するために、4人まで合法的に妻を持つことができるイスラーム教に改宗したともいわれている。