Singh is Kinng

4.5
Singh is Kinng
「Singh is Kinng」

 2008年8月8日、世界の注目が北京五輪開会式に集中する中、インドでは今年の期待作の一本「Singh is Kinng」が封切られ、その成否が話題となっている。主演は、現在ヒンディー語映画界トップスターの座に君臨するアクシャイ・クマールとカトリーナ・カイフ。監督は、「No Entry」(2005年)や「Welcome」(2007年)をヒットさせ、コメディー映画作りに定評のあるアニース・バズミー。プリータム作曲の音楽も大ヒットしており、期待しない方が無理な状態となっている。公開初日にPVRプリヤーで鑑賞したが、満席の映画館は久々にムンムンの熱気に包まれていた。口笛や野次が飛び交い、スターの登場シーンでは熱狂的拍手が沸き起こって台詞が聞こえないほどであった。また、本編上映前には、「Kidnap」、「Chandni Chowk to China」、「Bachna Ae Haseeno」など、今年後半の期待作の予告編が流れ、観客の興奮を促進していた。2008年のヒンディー語映画界は今まで必ずしも好調でなかったが、折り返し点を過ぎた途端に景気が劇的に上向きになっているのを感じた。

 「Singh is Kinng」は、題名から察しが付くように、スィク教徒が主人公の映画である。「スィク教徒は王様」と読み取れるその題名は一見すると、スィク教徒礼賛の映画だと思ってしまうが、インドではスィク教徒(サルダールジー)がジョークの題材になることが多く、しかも映画のジャンルがコメディーであることを考え合わせると、それは痛烈な皮肉にも受け取れる。それを敏感に察知したのか、公開前にはスィク教コミュニティーから「スィク教を馬鹿にした映画なのでは」と苦情が出たが、主演のアクシャイ・クマールやプロデューサーのヴィプル・アムルトラール・シャーが真摯に誤解を解いたため、上映禁止という最悪の事態は回避された。それでも、上映中何らかのトラブルが予想されたためであろう、映画館の警備態勢は通常よりも厳しめで、館員や警備員が頻繁に劇場を巡回して回っていた。幸いなことに、観客の興奮が度を過ぎていたことを除けば、特に異常事態は発生せず、無事に鑑賞を終えることができた。ちなみに、ターバン人口は意外にも少なかった。てっきり大量のスィク教徒が鑑賞に訪れるかと予想していたのだが・・・。

監督:アニース・バズミー
制作:ヴィプル・アムルトラール・シャー
音楽:プリータム、RDB
歌詞:マユール・プリー
出演:アクシャイ・クマール、カトリーナ・カイフ、ソーヌー・スード、オーム・プリー、ランヴィール・シャウリー、ジャーヴェード・ジャーフリー、カマル・チョープラー、スダーンシュ・パーンデーイ、ヤシュパール・シャルマー、ネーハー・ドゥーピヤー、キラン・ケールなど
備考:PVRプリヤーで鑑賞。満席。

 パンジャーブ州の片田舎に住むハッピー・スィン(アクシャイ・クマール)は、心優しい正直者の若者だったが、同時に天然のトラブルメイカーでもあり、村人たちはハッピーに困っていた。特にランギーラー(オーム・プリー)はハッピーのせいで意中の女性から嫌われてしまい、彼を敵視していた。そこでランギーラーはハッピーを村から追い出す作戦を練る。

 ところで、ハッピーの村出身のラカンパール・スィン(ソーヌー・スード)、別名ラッキー・スィンは、オーストラリアで「キング」の異名を持つマフィアのドンになっていた。ラッキーの部下はグルジー(カマル・チョープラー)、ディルバーグ、ラフタール(スダーンシュ・パーンデーイ)、パンカジ・ウダース(ヤシュパール・シャルマー)、ジュリー(ネーハー・ドゥーピヤー)、そして実の弟のミカ(ジャーヴェード・ジャーファリー)などであった。

 ランギーラーは、喘息の発作で入院したラッキーの父親が、心臓発作で危篤状態だとでっち上げ、ラッキーを村に呼び寄せるため、ハッピーをオーストラリアへ送り込むことを提案する。ハッピーはすっかり乗り気になるが、彼は生まれてから一度も一人で村の外にすら行ったことがない。そこでランギーラーも一緒にオーストラリアへ送られることになってしまった。

 ところが、空港で別の乗客と航空券が入れ替わってしまい、ハッピーとランギーラーはエジプトに到着してしまう。そこでハッピーは、ソニア(カトリーナ・カイフ)という美しい女性と出会う。ソニアへの恋を心にしまいながら、ハッピーはオーストラリアへ行く。

 ハッピーとランギーラーは早速ラッキーに会いに行くが、彼は村へ帰ることを拒否した。途方に暮れるハッピーを助けたのが、花屋を経営するインド人のおばさん(キラン・ケール)であった。母親がいないハッピーは、おばさんを実の母親のように慕うようになり、花屋の仕事を手伝い出す。

 ハッピーはおばさんに、ある富豪のボートを花で飾り付ける仕事を任された。そのボートは実はラッキーのものであった。ラッキーは、ハッピーがまだオーストラリアにいることを知って怒るが、そのとき敵の襲撃を受ける。ハッピーは、銃弾を受けたラッキーを抱えて逃げるが、その過程でラッキーは頭部を何度もぶつけてしまい、半身不随の状態となってしまう。そして成り行きによってハッピーがラッキーの代理としてキングの座に就くことになった。

 おばさんはひとつの大きな困難に直面していた。おばさんには1人の娘がおり、現在外国に留学していた。おばさんの家はかつて大金持ちであったが、夫の死後、貧しい生活を余儀なくされていた。だが、娘が勉強を完了するまでそれを隠し、以前と変わらず裕福な暮らしをしている振りをしていた。ところが、もうすぐ娘がフィアンセを連れて帰って来ることになってしまった。娘の話では、ボーイフレンドの家は大富豪であった。娘が今帰って来たら、今までの嘘がばれることは必至で、しかも結婚が破談になる可能性が大だった。おばさんは途方に暮れていた。

 おばさんを放っておけなかったハッピーは、ラッキーのギャング団と豪邸を使って、おばさんを金持ちマダムに仕立て上げることを決める。ハッピーはマネージャーとなり、ランギーラーやギャング団はマダムの召使いということになってしまった。そこへおばさんの娘がボーイフレンドと共に帰って来た。それはなんと、エジプトで会ったソニアであった。ボーイフレンドの名前はプニート(ランヴィール・シャウリー)といった。

 ソニアに恋していたハッピーであったが、おばさんのために二人を心からもてなす。プニートはソニアにプロポーズをし、すぐに結婚式が行われることになったが、それでもハッピーは二人の幸せを思い、結婚式の準備も受け持つ。その過程でギャング団たちは、ハッピーの正直さに影響され、次第に悪の道から足を洗い始める。同時に、彼らはハッピーがソニアに恋していることを感じており、何とかハッピーとソニアが結ばれるように試行錯誤をする。そのせいもあり、プニートはソニアとハッピーが必要以上に親しいことに嫉妬を覚え始め、二人の仲はギクシャクするようになる。それでも、ハッピーの仲介によって2人は仲直りする。

 結婚式の直前に、おばさんの嘘やハッピーの素性がソニアとプニートにばれてしまうが、プニートはソニアと意地でも結婚することを宣言する。だが、その裏で、ラッキーの弟のミカが、キングの座を狙ってハッピー暗殺をプニートと共謀する。ソニアとプニートの結婚式には、ライバルのギャング団たちが勢揃いし、一触即発の状態となる。誤って銃声が会場に響き渡ったために大乱闘状態となり、プニートは隠れてしまうが、ハッピーはソニアを守るために奮闘する。その混乱の中でハッピーとソニアは知らずに聖火の周囲を回り、婚姻の儀式をしてしまう。プニートは恐れをなしてソニアをハッピーに任せて逃げ出し、元からハッピーに知らず知らずの内に惚れていたソニアもその結婚を受け入れる。

 また、ミカはラッキーを殺そうとするが、その際頭を打ったラッキーは正常な状態に戻る。ラッキーもハッピーの誠意によって改心していた。ミカはハッピーとラッキーを殺そうとするが引き金を引けない。結局ミカはラッキーに許される。ハッピーは、ラッキーとその一味、そしてソニアを連れて村へ帰り、大歓迎を受ける。

 インド映画が決して失ってはいけないインドの田舎の土臭さと、最近のヒンディー語映画の定番となった都会的スマートさがうまく融合した痛快コメディー映画であった。2008年のヒンディー語映画には良質なコメディーが不足していたが、これでやっと大きな花火が上がったと言える。主演のアクシャイ・クマールとカトリーナ・カイフは今まで「Humko Deewana Kar Gaye」(2006年)、「Namastey London」(2007年)、「Welcome」(2007年)で共演して来ており、その相性の良さがそれらの映画のヒットに貢献して来たが、今回もそれが再び証明された。昨年はこの二人にとって当たり年となったが、アクシャイとカトリーナはこの「Singh is Kinng」でもって完全にヒンディー語映画界のキングの座を手に入れたと言っていいだろう。現在インドの若者の間でもっとも人気がある男優は、シャールク・カーンでもリティク・ローシャンでもなく、アクシャイ・クマールであり、もっとも人気がある女優は、アイシュワリヤー・ラーイでもディーピカー・パードゥコーンでもなく、カトリーナ・カイフである。

 基本的にはコメディー+アクション+ロマンスの典型的マサーラ―映画なので、詳しい解説は必要ないだろう。だが、数点記しておくべきことがある。

 まずは「Singh」について。インドには、名前に「Singh」を持つ人がたくさんいる。「スィン」または「スィング」と読めば一番原音に近い。これは「ライオン」という意味である。最近はいろんな人が「Singh」を名乗っているため、一概には言えないのだが、名前の中に「Singh」があったら、パンジャーブ地方のスィク教徒か、北インド一帯に分布するラージプートとそれに類するコミュニティー(ジャート、グッジャル、ヤーダヴなど)の出身だと考えていいだろう。ただし、映画「Singh is Kinng」の中の「Singh」は、スィク教徒と置き換えていい。

 「Kinng」は英語の「King」のこと。「n」がひとつ多いのはヌメロロジー(数秘術)の影響であろう。もしかしたら「キンング」みたいなパンジャービー語的発音を表したかったのかもしれない。

 映画のキャッチコピーは、「Dil Agar Sachcha Ho Rab Sab Karde Setting」。その意味は、「もし心が正直ならば、神様が全てを解決してくれる」であり、これは主人公ハッピー・スィンの口癖でもある。そしてその言葉の通り、ハッピーの誠意は最後に彼に幸せをもたらし、困っている人を献身的に助けることの大切さが説かれていた。

 それと関連していたのが、ヒロインのソニアの考え方であった。大学で法律を学ぶソニアは、犯罪をこの世からなくすことを目標にしていた。だが、その方法は過激であった。ソニアは、犯罪者を片っ端から罰することで犯罪は消滅すると信じていた。だが、ハッピーは違った。彼は自ら正しい生き方を実践することで、周囲の犯罪者(ラッキーの部下たち)を自然に改心させた。その方法論は、マハートマー・ガーンディーの哲学に通じるものがある。

 アクシャイ・クマールは、今やヒンディー語映画界でもっとも芸幅の広い男優となっている。元々アクションが得意な男優だったが、それに加えてロマンスやコメディーも難なくこなせるようになった。彼の持ち味が一番発揮されるのは、「正直で優しく腕っ節も強い田舎者」というキャラクターであり、「Namastey London」に続いて本作でもアクシャイの魅力が磨き上げられていた。

 カトリーナ・カイフは、僕の予想を遙かに超えるスピードでスターダムにのし上がった。彼女が大女優になることは「Maine Pyaar Kyun Kiya?」(2005年)の頃から予想していたが、これだけの短期間でトップに躍り出るとは思ってもみなかった。運も彼女に味方したし、サルマーン・カーンという後ろ盾も大きな追い風になったと思うが、彼女が併せ持つ美貌とかわいさが成功の大きな要因であろう。彼女は、時として相反するそれら2つの要素の、類い稀なる融合点である。

 主演の二人が良かった一方で、脇役陣は彼らの影に隠れてしまっていた。もう一人のヒロイン、ネーハー・ドゥーピヤーは残念ながら見せ場なし。脇役女優に転落してしまったように思えた。オーム・プリーやキラン・ケールも大役ではなかった。ジャーヴェード・ジャーフリーはいつも通り飛ばしすぎで、何を言っているかよく分からなかった。ランヴィール・シャウリーも持ち味を発揮できていなかったが、それでも脇役陣の中では彼がもっともいい仕事をしていた。

 音楽はプリータム。ラップ調の「Singh is Kinng」だけは英国のバーングラー・バンドRDBの作曲。全体的にパンジャービー色が濃厚で、ダンスナンバーが揃っている。コミカルなダンスソング「Jee Karda」、パワフルな結婚式ソング「Bhootni Ke」、バグパイプの音が印象的なラブソング「Teri Ore」、酔っぱらいディスコナンバー「Talli Hua」など、いい曲が揃っている。サントラCDは買って損はないだろう。

 映画の舞台の大部分はオーストラリア。ゴールドコーストで撮影が行われたようだが、エジプトでもロケが行われている。有名なクフ王のピラミッドやスフィンクス、ルクソールのルクソール宮殿やハトシェプスト女王葬祭殿などをバックにダンスが繰り広げられる。エジプト・ロケのインド映画は、「Kabhi Khushi Kabhie Gham」(2001年)以来か。

 ターバンをかぶったスィク教徒が勢揃いするため、台詞や歌詞にもパンジャービー語が多用される。ヒンディー語の知識だけでは映画の細かい部分の理解は困難である。エジプトのシーンがあったが、そこでは少しだけアラビア語も出て来た。

 「Singh is Kinng」は、今年のヒンディー語映画の中ではもっとも面白いコメディー映画である。ヒットも確実。気楽な娯楽映画を求めるなら今はこの映画しかない。