Don (2006)

4.0
Don
「Don」

 ディーワーリー祭のある週は、伝統的に良作のインド映画が大量に封切られる傾向にある。その理由はいくつか考えられる。まず、やはりディーワーリーが富と繁栄に関係ある祭りであることだ。富の女神ラクシュミーのご加護により、映画がヒットする可能性が高くなるという訳である。また、よく言われることだが、映画というのは博打のようなものだ。ディーワーリーの時期は賭博をする習慣になっており、もしかしたらそれとも関係あるかもしれない。もっと現実的な話をすると、ディーワーリーの前後は連休となることが多く、休日が増えれば映画の興行収入も増加するという当たり前の方程式が成り立つ。そして、ディーワーリーの時期にはインド人の経済活動や交友活動が活発化するので、娯楽の王様である映画の興行収入が増加するのは自然なことだ。

 歴史を振り返ってみると、90年代を代表する大ヒット作は、ほとんどディーワーリー週に公開されたことに気付く。「Dilwale Dulhania Le Jayenge」(1995年)、「Raja Hindustani」(1996年)、「Dil To Paagal Hai」(1997年)、「Kuch Kuch Hota Hai」(1998年)などである。ただ、2000年度になると、ディーワーリーとヒット作の相関関係は弱くなる。2000年には「Mohabbatein」と「Mission Kashmir」が公開されたが、ヒットしたのは前者のみ。2001年には「Tera Mera Saath Rahen」、「Deewaanapan」、「Yeh Zindagi Ka Safar」の3本が公開されたが、全てフロップに終わった。2002年には「Jeena Sirf Merre Liye」、「Waah Tera Kya Kehna」、「Annarth」の3本が公開されたが、やはり3本とも失敗作。2003年に公開された「Pinjar」、「Sssshhh…」、「Raja Bhaiyya」の内、ヒットでもフロップでもないアベレージの評価を得たのは「Pinjar」のみで、残りの2本はフロップだった。ただ、2004年からまたディーワーリーが活気付くようになる。2004年のディーワーリーに公開されたのは「Veer-Zaara」、「Aitraaz」、「Naach」と、カラー・リバイバル版「Mughal-e-Azam」の4本。この年のディーワーリーは本当に映画祭のようだった。各映画それぞれユニークな特徴を持っており、僕は全て好きだったのだが、「Naach」だけは失敗作に終わった。「Veer-Zaara」はスーパーヒット、「Aitraaz」はヒットで、「Mughal-e-Azam」も復刻版にしては大健闘した。2005年は「Garam Masala」、「Kyon Ki…」、「Shaadi No.1」の3本が公開。この内の前者2本は両方ともプリヤダルシャン監督の作品という特殊な状況だった。結局「Garam Masala」と「Shaadi No.1」がヒット、「Kyon Ki…」はアベレージであった。

 さて、2006年のディーワーリーもヒンディー語映画は非常に盛り上がっている。公開されたのは2本、「Don」と「Jaan-E-Mann」(2016年)である。前者は、1978年に公開されたアミターブ・バッチャン主演作「Don」のリメイクでシャールク・カーンが主演、後者は2004年のヒット映画「Mujhse Shaadi Karogi」でコンビを組んだサルマーン・カーンとアクシャイ・クマールの再共演である。つまるところ、今年のディーワーリーの最大の見所は、アミターブ・バッチャンvsシャールク・カーンvsサルマーン・カーンだと言える。

 公開初日の今日(2006年10月20日)、PVRプリヤーで「Don」と「Jaan-E-Mann」の両方を続けて観た。まずは「Don」の批評をしたい。

監督:ファルハーン・アクタル
制作:リテーシュ・スィドワーニー
音楽:シャンカル・エヘサーン・ロイ
歌詞:ジャーヴェード・アクタル
振付:サロージ・カーン、ファラー・カーン、ガネーシュ・ヘッジ、ラージーヴ・シュルティ
出演:シャールク・カーン(二役)、プリヤンカー・チョープラー、アルジュン・ラームパール、イーシャー・コーピカル、オーム・プリー、ボーマン・イーラーニー、パヴァン・マロートラー、ラージェーシュ・カッタル、タナイ・チェッダー、カリーナー・カプール(特別出演)
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

 世界の麻薬密輸を牛耳る2人のマフィアがいた。スィンガーニヤー(ラージェーシュ・カッタル)とワルダーンである。この2人の間では抗争が勃発し、以後ワルダーンは忽然と姿を消した。一般にワルダーンは死んだと考えられていた。以後、スィンガーニヤーが組織の実権を握る。そのスィンガーニヤーの右腕として、金銭や麻薬の受け渡しなどの現場の仕事をこなしていたのが、ドン(シャールク・カーン)であった。ドンは神出鬼没かつ狡猾な危険人物として知られており、11ヶ国の警察から指名手配されているものの、逮捕されたことは一度もなかった。ドンの口癖は、「ドンを捕まえるのは難しいのではない、不可能なのだ」であった。

 ムンバイーには、ドンの逮捕に執念を燃やす警察官がいた。デシルヴァ警視副総監(ボーマーン・イーラーニー)である。ドンはあるとき、マレーシアにおいて、婚約者との海外逃亡を図っていた部下の1人ラメーシュを殺害する。マレーシアに来ていたデシルヴァは、ドンへの復讐に燃えていたラメーシュの婚約者カーミニー(カリシュナー・カプール)を使ってドンを追い詰めるが、ドンの方が一枚上手で、カーミニーは殺され、ドンにはまんまと逃げられてしまう。今度はラメーシュの妹のローマー(プリヤンカー・チョープラー)が復讐に乗り出す。ローマーは持ち前の格闘技の才能を使ってドンの部下となり、復讐の機会を伺っていた。

 デシルヴァはとうとうムンバイーでドンを追い詰める。だが、誤って彼に瀕死の重傷を負わせてしまう。デシルヴァにとって、ワルダーンの組織そのものを壊滅させるには、ドンの力が不可欠であった。デシルヴァはドンが行方不明になったと一般に公表する裏で密かにドンを病院に搬送すると同時に、一計を案じて、以前出会ったことのあるドンにそっくりの男を捜し求める。

 ヴィジャイ(シャールク・カーン)は、ムンバイーに住む貧乏だが心優しい男であった。彼の顔はドンそっくりであった。ヴィジャイはディープーという少年を引き取っていた。彼の一番の心配はディープーの教育であった。ヴィジャイはガネーシュ・チャトルティー祭などで歌を歌って日銭を稼いでいたが、なかなかまとまったお金は手に入らなかった。そこへデシルヴァが現れる。デシルヴァはヴィジャイに、ドンになりすまして組織に潜入するように頼む。記憶喪失になったということにしておけば、なりすますことも不可能ではなかった。最初は躊躇するヴィジャイであったが、ディープーの教育をその条件として提示し、その依頼を引き受ける。だが、この準備をしているときに不幸にもドンは死んでしまう。

 マレーシア警察はドンが発見されたことを発表する。早速組織はドンを奪還し、アジトまで連れ帰る。ドンになりきったヴィジャイは、徐々に組織の情報を集める。ドンの参謀ナーラング、恋人アニター(イーシャー・コーピカル)、女格闘家ローマーなど・・・。完全に情報が集まったところで、彼は記憶が戻ったと皆に言う。同時に、ヴィジャイは組織の情報が全て入ったディスクの存在を知る。ヴィジャイはデシルヴァに連絡を取り、そのディスクの受け渡しを調整する。

 ドンは一人でディスクの受け渡しをしようとするが、ローマーも付いてくることになった。ローマーはドンが1人になったところで彼を殺そうとするが、そこへデシルヴァが現れ、ドンはドンではなくヴィジャイであることを明かす。ローマーはヴィジャイに謝り、以後2人の仲は急速に接近するようになる。

 だが、実はデシルヴァこそがスィンガーニヤーのライバル、ワルダーンであった。ワルダーンは警官になりすましてスィンガーニヤーへの復讐の機会を伺っていたのであった。そのディスクこそ、スィンガーニヤーの組織を壊滅させる鍵であった。彼はディスクを手に入れ、用済みになったヴィジャイを消そうとするが、ヴィジャイはスィンガーニヤーがもうすぐマレーシアにやって来るという情報を明かす。ワルダーンはそれまでヴィジャイを生かしておくことにする。

 また、このとき一人の男がマレーシアに降り立った。ジャスジート(アルジュン・ラームパール)である。セキュリティーのエキスパートであったジャスジートは、マフィアに妻を拉致され、無理矢理厳重な警備のビルから高価なダイヤモンドを盗み出すことになったが、デシルヴァに逮捕されてしまった。おかげで妻はマフィアに殺され、息子のディープーは行方不明になってしまった。刑期を終えたジャスジートはデシルヴァへの復讐のためにマレーシアにやって来たのだった。

 スィンガーニヤーの来訪を歓迎するパーティーが開かれた。デシルヴァ(=ワルダーン)はそのパーティーに潜入し、スィンガーニヤーを毒殺すると同時に、警察を一斉に踏み込ませる。このとき、国際警察マリク(オーム・プリー)も捜査に加わり、ドン(=ヴィジャイ)は捕らえられてしまう。また、デシルヴァは不慮の事故により死亡してしまう。

 捕らえられたヴィジャイは、自分がドンではなくヴィジャイであると主張する。だが、この作戦を計画したデシルヴァがいない今、彼がドンではなくヴィジャイであるということを示す証拠に乏しかった。たったひとつ、彼がデシルヴァに渡したディスクのみが、彼の無実を証明する証拠であった。だが、デシルヴァの家からは既にディスクはなくなっていた。

 ディスクはジャスジートの手元にあった。ジャスジートはデシルヴァが死んだことに失望しながらも、このディスクの価値に気付き、買い手を探す。一方、ヴィジャイは警察から逃亡し、ローマーと合流する。ヴィジャイとローマーもディスクを追い求める。

 だが、実はデシルヴァ=ワルダーンは生きていた。死んだように思われたのは、偽装工作をしただけであった。ワルダーンは、ジャスジートからディスクを取り戻すため、彼の息子ディープーを利用する。ジャスジートはディープーと引き換えにディスクを渡すことを承諾する。彼はワルダーンの顔を見たとき、それがデシルヴァと同一人物であることに気付く。ジャスジートは、午後7時に友人がディスクを持って来ると言う。ジャスジートとディープーはそれまで密室に閉じ込められる。ジャスジートは、ディスクを渡したら殺されることをよく知っており、再会を喜ぶ間もなくディープーを連れて換気口から逃げ出す。

 ヴィジャイは偶然街中でディープーとジャスジートを見かけ、二人の後を付ける。尾行されていることに気付いたジャスジートは、ヴィジャイを待ち伏せして攻撃するが、ディープーはそれがヴィジャイであることに気付く。ジャスジートは息子を引き取ってくれたのがヴィジャイであることを知り、またヴィジャイはジャスジートがディープーの父親であることを知り、手を結ぶ。そして、協力してワルダーンに復讐する計画を立てる。

 ワルダーンはディスクを受け取るため、ジャスジートに呼び出された場所に金を持ってやって来る。そこで待ち構えていたのはヴィジャイであった。ヴィジャイとワルダーンは死闘を繰り広げ、とうとうヴィジャイはワルダーンを倒す。そこに国際警察マリクも駆けつけ、ワルダーンは逮捕される。ヴィジャイも重傷を負い、救急車で運ばれる。ローマーもヴィジャイを見送る。そのとき、ローマーはハッと気付く。ヴィジャイはヴィジャイではなく、実はドンであることを・・・!ドンは、ドンになりすますヴィジャイにさらになりすましていたのだった。救急車の運転手は恋人のアニターであり、そのままドンは警察から逃げ出す。こうしてスィンガーニヤーとワルダーンという両巨頭を失った組織は、完全にドンのものとなったのだった。

 アミターブ・バッチャン版の「Don」(1978年)を観ておくと非常に楽しめる作品。ただのリメイクに留まらず、独自の「驚愕の結末」を用意していたことが高く評価できる。リメイクのお手本のような映画だ。このような種類のリメイクだったら大歓迎である。

 前半はほぼ1978年の「Don」に忠実にリメイクされていた。だが、インターミッションの直前でストーリーにツイストがあることが暗示され、後半はかなり違った展開となる。まず、アミターブ・バッチャン版「Don」では、ドンの裏にいた大ボスは国際警察のマリクという設定であったが、シャールク・カーン版「Don」では、大ボスはデシルヴァ警視副総監という違いがあった。原作では、マリクがマフィアの黒幕という設定が言わば大どんでん返しになっていたのだが、それをリメイクでも繰り返すのは芸がないと判断したのだろう。そして、最大の違いは、ドンになりすますヴィジャイが、実はドンそのものであったという驚くべき結末である。こういう終わり方になるとは、僕は全く想像できなかった。前作の展開を知っているほとんどの観客もすっかり騙されたことであろう。確かに思い起こしてみると、いくつか伏線が張ってあった。ドンの恋人アニターがあまりローマーに嫉妬していなかったり、ヴィジャイがパーンを好んで食べようとしなかったり。こういう仕掛けがあると、リメイク映画も断然面白くなる。

 だが、ストーリーにいくつかの破綻もあったように思える。あらすじを書いていて一番困ったのは、舞台がムンバイーなのかクアラルンプールなのか、ということだ。一応主な舞台はマレーシアの首都クアラルンプールだったのだが(全編マレーシアロケらしい)、ドンが追い詰められて重傷を負うシーンはインドという設定だった。ヴィジャイが住んでいたのも、ガネーシュ・チャトルティー祭があったことからムンバイーであろう。だが、ディープーが通っていた学校はどっちなのだろう?ドンがローマーに殺されそうになったシーンはどこの国なのだろう?その後すぐにディープーに会いに行っていたが、どこからがインドで、どこからがマレーシアだったのだろう?後から思い出すと混乱してしまった。

 原作では、ジャスジートは綱渡りの名人という設定で、マフィアのアジトからディープーを連れて逃げ出すときに、建物から建物へ綱を渡る。ジャスジートは警察に撃たれて脚を悪くしているので、本当はうまく綱を渡れないのだが、最愛の息子を連れて逃げているため、人間離れした力を発揮して綱を渡りきる。このシーンは「Don」(1978年)の中でもかなり緊張感に溢れ、かつ感動できるシーンである。それがなんと2006年の「Don」では、クアラルンプールのランドマークであるペトロナス・ツインタワーを舞台にリメイクされていた。あのタワーとタワーの間の渡り廊下の上を渡るのである。発想は面白かったが、しかし綱渡りほどの緊張感はなかった。無理に危機感を煽ってはいたが・・・。

 やはり避けられないのは、アミターブ・バッチャンのドンの方が優れているか、シャールク・カーンのドンの方が優れているか、という議論であろう。マフィアのドンとしての貫禄は、僕はやはりアミターブ・バッチャンの方に軍配が上がると思う。シャールク・カーンのドンには、あまり鬼気迫る迫力がなかった。だが、ヴィジャイの演技はシャールク・カーンの方がはまっていたと思う。ああいうまくしたてるセリフで圧倒する演技はシャールクの得意とするところである。

 もうひとつ比較の対象とされそうなのは、カーミニー役を演じたヘレンとカリーナー・カプールであろう。果たしてカリーナーはヘレンになれたのか?カリーナーはヘレンっぽいメイクをして、ヘレン・スタイルの色っぽいダンスを踊っていたが、ヘレンの持つ健康的かついかがわしい不思議な妖艶さを醸し出すまではいかなかったのではないかと思う。

 「Krrish」(2006年)に引き続き、この「Don」もクンフー映画っぽいテイストが加わったインド映画であった。アクション監督は、中国の少林寺での修行経験を持つインド人格闘家カニシュカ・シャルマー。シャールク・カーン、ボーマン・イーラーニー、アルジュン・ラームパールなど、皆それぞれクンフーっぽい動きをしていたが、特にプリヤンカー・チョープラーがかなりアクションで魅せていた。まるで「マトリックス」シリーズのキャリー・アン・モス(トリニティー役)みたいだった。だが、そもそも原作でズィーナト・アマンが華麗なる美人格闘家を演じており、ここでマトリックスを持ち出すのは適切ではないだろう。「Krrish」でもその魅力を存分に発揮したプリヤンカー・チョープラーは、今正に美とキャリアの絶頂にいる。また、ドンが飛行機から飛び降り、白人マフィアと空中戦を繰り広げるシーンは非常に迫力があった。

 ボーマン・イーラーニーは、非常においしい役を、骨までしゃぶりつくすような演技で演じ切り、観客を魅了していた。ボーマンは既に現在のヒンディー語映画に欠かせない名脇役俳優である。だが、その反動でマリクを演じたオーム・プリーの見せ場が減ってしまっていたのは残念である。

 音楽はシャンカル・エヘサーン・ロイ。いつも優れた曲を提供してくれるトリオであるが、「Don」の音楽はそれほどお気に入りではない。前作に出て来た曲のリメイクは2曲。カーミニーがドンを誘惑するために踊る「Ye Mera Dil」と、ドン=ヴィジャイがバーング(大麻汁)を飲んで踊り出す「Khaike Paan Banaras Wala」である。今更の話題ではあるが、「Ye Mera Dil」の歌詞はダブルミーニングになっていて面白い。「私の心は愛しい人のために狂ってしまったわ」「あなたが(私の愛から)逃れるのは難しいわ」というドンを誘惑する歌詞なのだが、その裏には、ドンに対する恋人ラメーシュのための復讐の気持ちが隠されている。

 主な舞台はマレーシアのクアラルンプール。マレーシアでロケが行われた映画は過去にもいくつかあるだろうが、それは例えば挿入歌などのためで、映画のメインステージになったのはこの「Don」が初めてであろう。ヒンディー語映画において東南アジアでのロケの潮流は、バンコクで大部分の撮影が行われた「Company」(2002年)から始まったように記憶している。その後バンコクを舞台にした映画は、「Murder」(2004年)、「Ek Ajnabee」(2005年)、「Zinda」(2006年)など、いくつか作られた。そして今年の大ヒット作「Krrish」はシンガポールで大半が撮影された。東アジアではあるが、韓国を舞台にした異色のインド映画「Gangster」(2006年)も忘れてはならない。「Don」は、今までとは違ったロケ地をアジア地域に求め始めたヒンディー語映画の新たな潮流の一環に位置づけることができそうだ。

 リメイク映画を巡ってはいろいろな議論があるだろう。果たしてリメイク映画は観客に受け容れられるのだろうか?誰もが知っているようなヒット映画を作り直すことは、一から映画を作るのより困難ではなかろうか?そもそも過去の名作をリメイクすることに意味があるのだろうか?だが今回、満席の映画館で「Don」のリメイク映画を観ていて、インド人観客にとってリメイク映画は決して退屈なものではないということが感じられた。インド人というのは、何千年にも渡って「ラーマーヤナ」や「マハーバーラタ」などの神話に親しんできた民族である。そして、時代時代によってそれらの「リメイク」が作られて来た。それから察するに、インド人は馴染みのあるストーリー、馴染みのある歌をかなり楽しむことができる民族なのだ。「Don」(2006年)でも、前作で出て来た有名なセリフや歌がそのまま繰り返されていたが、インド人観客はそれをとても楽しみにしているように感じた。彼らは、映画などの娯楽に目新しさを求める一方で、どこか馴染みのある要素を求める矛盾を抱えているように思える。だから、この「Don」のように、半分リメイクで半分オリジナルのような映画は大いに受けるのではないかと思う。ちなみに、現在、ラーム・ゴーパール・ヴァルマーが伝説的大ヒット映画「Sholay」(1975年)のリメイクを作っている。このまま行けば、「Sholay」のリメイクも大いに期待していいかもしれない。