Angry Young Men: The Salim-Javed Story

3.5
Angry Young Men: The Salim-Javed Story
「Angry Young Men: The Salim-Javed Story」

 2024年8月20日からAmazon Prime Videoで配信開始されたドキュメンタリー・シリーズ「Angry Young Men: The Salim-Javed Story」は、1970年代から80年代にかけてヒット映画を量産した脚本家コンビ、サリーム・カーンとジャーヴェード・アクタルのドキュメンタリーである。彼らは「サリーム=ジャーヴェード(Salim-Javed)」の連名で脚本を書いていた。英語字幕のみだが、日本のAmazonでも視聴可能である。

 サリーム=ジャーヴェードの作品の多くはヒンディー語映画史に名を残す傑作ばかりだ。「Seeta Aur Geeta」(1972年)、「Zanjeer」(1973年)、「Deewaar」(1975年)、「Sholay」(1975年)、「Don」(1978年)、「Dostana」(1980年)などである。彼らの登場以前、ヒンディー語映画業界において脚本家の地位は非常に低く、クレジットされないことも多かった。だが、彼らが書いた脚本にもとづいた映画が次から次へヒットしたことで、脚本家がスターと同じかそれ以上の地位を得ることになった。

 題名の「Angry Young Men」は「怒れる若者たち」という意味だが、これはここでは一義的にはサリーム・カーンとジャーヴェード・アクタルを指している。だが、このフレーズが真に体現するのはアミターブ・バッチャンである。サリーム=ジャーヴェードはアミターブ・バッチャンの重要な主演作をいくつか書き、彼のスーパースターとしての人気を不動のものにした。当時、アミターブは、独立後にインドが発展から取り残された失望感や、憲法を無視した強権政治が行われたことに対する怒りをスクリーンで表現するスターとしてもてはやされ、「アングリー・ヤングマン」と呼ばれた。デビュー後、売れない時期が続いたアミターブをスーパースターに押し上げたのもサリーム=ジャーヴェードの大きな功績である。

 また、彼らの子供たちもヒンディー語映画界で活躍している。サリーム・カーンの息子は「3カーン」の一人サルマーン・カーンであるし、ジャーヴェード・アクタルの息子ファルハーン・アクタルや娘ゾーヤー・アクタルも監督や俳優として映画界を牽引している。

 「Angry Young Men: The Salim-Javed Story」は、そんな伝説的な脚本家コンビ本人とその周辺の人々のインタビューを中心に、彼らの功績を改めて振り返る内容になっている。

 サルマーン・カーンのプロダクションであるサルマーン・カーン・フィルムス(SKF)、ファルハーン・アクタルのプロダクションであるエクセル・エンターテイメント、そしてゾーヤー・アクタルのプロダクションであるタイガー・ベイビー・フィルムスが共同プロデュースしている。つまり、このドキュメンタリー映画は身内による作品である。両家の若い世代が、既に老齢となっている二人を再評価するために作った作品だといえるので、その辺りは気を付けて評価しなければならない。監督は「Oye Lucky! Lucky Oye!」(2008年)や「Band Baaja Baaraat」(2010年)などの編集者として知られるナムラター・ラーオである。

 インタビューに応えているのは、サルマーン・カーン、ファルハーン・アクタル、ゾーヤー・アクタルや各々の家族はもちろんのこと、アミターブ・バッチャン、ダルメーンドラ、ヘーマー・マーリニー、アーミル・カーン、ラメーシュ・スィッピー、シャーム・ベーネーガル、カラン・ジョーハル、ファラー・カーン、リティク・ローシャン、ラージクマール・ヒラーニー、ディバーカル・バナルジー、アビシェーク・バッチャン、カリーナー・カプール、ランヴィール・スィン、ヤシュなど、そうそうたるメンバーである。

 映画は3部構成になっており、第1部は「Main Phenke Hue Paise Nahin Uthata(俺は投げ捨てられた金は拾わない)」、第2部は「Mere Paas Maa Hai(私には母がいる)」、第3部は「Kitne Aadmi Thay?(何人いた?)」と題している。これらはサリーム=ジャーヴェード作品の有名なセリフである。前の2つは「Deewaar」、3つめは「Sholay」だ。全てアミターブ・バッチャンの主演作である。

 第1部では主にサリーム・カーンとジャーヴェード・アクタルの駆け出し時代が語られる。どちらも映画家系ではなく、それぞれの事情でボンベイに上京し、映画界に飛び込んだ。当初俳優をしていたサリームは脚本家に転向し、ジャーヴェードと出会って一緒に脚本を書き始め、それがいつしか「サリーム=ジャーヴェード」となった。

 第2部ではサリーム=ジャーヴェード作品の特徴について深掘りされる。どちらも幼い頃に母親を失っており、それが彼らの作品に影響を与えているとされていた。彼らの映画は概して男性中心映画だが、「Sholay」のバサンティーに象徴されるように強い女性キャラも多く、インパクトを残す。

 第3部はもっとも重要なパートだ。なぜならサリーム=ジャーヴェードがコンビ解消した理由について考察されているからである。考察といっても、まだ本人たちが存命なので自分たちで理由を語ればいいのだが、どちらもはっきりとしたことは語っていない。1971年から共同で脚本を書き始め、数々のヒット作を送り出してきた彼らは1982年に突然コンビを解消する。あまりに急速に大きな成功を手にしたため、当時の彼らはかなり傲慢になっていたとも語られる。毎日顔を合わせて仕事をしていた二人は、成功を重ねるごとに別々の友人と付き合うようになり、一緒に過ごせる時間が減っていったともされていた。しかしながら、サリームの2番目の妻ヘレンが語るように、コンビの「賞味期限が切れた」というのがもっとも真実に近そうだ。どんなに優れたパフォーマンスを発揮するチームにも期限はあり、それが切れたら解散するしかなくなるのである。

 このドキュメンタリーを第1部から観ていて気になったのは、サリームとジャーヴェードが別々にインタビューに応えていることだ。もしかしたら二人の不仲はコンビ解消から40年以上が経った今でもまだ続いているのかと感じていた。ところが第3部の最後にサリームとジャーヴェードが顔を合わせて抱擁する映像が添えられていた。その様子から普段頻繁に会っているようには見えなかったが、それでも二人の間にはまだ友情が残っているのが感じられて胸が熱くなった。

 サリーム=ジャーヴェードは脚本家の地位向上に大きく貢献した。それまでのヒンディー語映画業界では、ストーリーにはほとんど価値が置かれなかった。あたかも、ストーリーは誰でも簡単に生み出せるものだと見なされていたかのようだった。脚本家の名前はクレジットすらされないほどだったが、サリーム=ジャーヴェードの登場はそれを大きく変えてしまった。当時の観客の中には、サリーム=ジャーヴェードの名前を見て映画を観に行っていた者が多かった。しかしながら、彼らのコンビ解消以降、彼らを超えるような脚本家、つまり名前だけで映画が売れるような脚本家は、残念ながら現れていない。サリームとジャーヴェード自身ですら、サリーム=ジャーヴェードの魔法を単独では生み出せなかった。これはヒンディー語映画界の大きな課題である。

 サリーム=ジャーヴェードのコンビ解消というヒンディー語映画界が抱える大きな謎に切り込んだドキュメンタリーだったが、現代の視点からもうひとつ大きな謎を解決するヒントも得られた。それはサルマーン・カーンとファルハーン・アクタルの関係である。この二人は、父親同士がコンビだったこともあって、幼少時から遊び仲間だった。そして成長してから二人とも映画界で働いている。だが、意外なことにこの二人が一緒に仕事をしたことは今までなかったのである。この「Angry Young Men」で二人はプロデューサーの立場で初めて一緒に仕事をしたが、例えばファルハーンの監督作にサルマーンが主演するなどということはなかった。

 サルマーンとファルハーンの関係について、ドキュメンタリーの中で彼ら自身の口から少しだけ語られていたことがあった。それによると、ファルハーンが幼少時によく遊んでいた相手はサルマーンの妹アルヴィラーや弟スハイルであり、ファルハーンにとってサルマーンはかなり年上の兄のような存在であるらしい。確かに二人の年齢差は9歳ある。だから、元からサルマーンに対して怖い存在というイメージがあり、それ故に彼の主演作を撮ることを躊躇しているようだ。とはいえ、ファルハーンはスハイルの主演作も撮っていない。

 「Angry Young Men: The Salim-Javed Story」は、1970年代から80年代にかけてヒンディー語映画界を牽引した売れっ子脚本家コンビ、サリーム=ジャーヴェードのドキュメンタリー・シリーズである。当時のヒンディー語映画が好きなファンは必見の作品だ。さらに、彼らの子供たちが現在第一線で活躍中ということもあり、現代のヒンディー語映画ファンも得るものがある。ヤシュ・チョープラーなどを取り上げたドキュメンタリー・シリーズ「The Romantics」(2013年/邦題:ロマンチスト ボリウッド映画の真髄)と併せて鑑賞すると、ヒンディー語映画史の勉強になる。