The Romantics

4.0
The Romantics
「The Romantics」

 Filmsaagarがレビューの対象にするのは基本的に映画だが、稀にドラマも取り上げている。以前にはサティヤジート・ラーイ(サタジット・レイ)監督の短編小説4作を短編映画(ドラマ)化したNetflix製作の「Ray」(2021年)やAmazon Prime Videoのウェブシリーズ「Modern Love Mumbai」(2022年)のレビューをしたことがある。今回は、Netflix製作の「The Romantics」を取り上げる。2023年2月14日に配信開始された全4エピソードのドキュメンタリー・シリーズである。日本語字幕付きで、邦題は「ロマンチスト:ボリウッド映画の神髄」となっている。監督はスムリティ・ムンドラーである。

 「The Romantics」の主題は、ヒンディー語映画界において「ロマンス映画の帝王」と呼ばれた巨匠ヤシュ・チョープラーである。ただ、ヤシュ監督に留まらず、彼の二人の息子、アーディティヤ・チョープラーとウダイ・チョープラーにもスポットライトが当たっている。アーディティヤは「Dilwale Dulhania Le Jayenge」(1995年/邦題:シャー・ルク・カーンのDDLJラブゲット大作戦)や「Rab Ne Bana Di Jodi」(2008年)などで知られた監督・プロデューサーで、現在ヤシュラージ・フィルムス(YRF)の会長である。弟のウダイは「Dhoom」(2004年)などに出演していた俳優である。

 チョープラー家のドキュメンタリーを作るにあたり、業界の多くの有名人がインタビューに協力している。その顔ぶれは、サプライズと形容してもいいぐらい豪華だ。アミターブ・バッチャン、リシ・カプール、アヌパム・ケール、シャールク・カーン、サルマーン・カーン、アーミル・カーン、カラン・ジョーハル、リティク・ローシャン、アビシェーク・バッチャン、ランビール・カプール、ランヴィール・スィン、ジョン・アブラハム、アーユシュマーン・クラーナー、マードゥリー・ディークシト、ジューヒー・チャーウラー、カージョル、ラーニー・ムカルジー、カトリーナ・カイフ、アヌシュカー・シェッティー、ブーミ・ペードネーカルなどである。

 なにしろヤシュ・チョープラーは1959年から映画を作ってきたベテラン監督である。兄のBRチョープラーも偉大な監督であり、彼の下で研鑽を積んで監督デビューした。「Waqt」(1965年)、「Deewaar」(1975年)、「Chandni」(1989年)など、ヒンディー語映画史において非常に重要な作品を作ってきており、ヒンディー語映画を形作ってきた人物だ。彼は死の間際まで映画を作り続け、「Jab Tak Hai Jaan」(2012年/命ある限り)が遺作になった。彼のキャリアは半世紀以上に及び、ヒンディー語映画に対する彼の貢献は計り知れない。「The Romantics」は、そんな彼の映画人生を、彼の家族や、彼に関わったスターたちの言葉によって紡ぎ出しているドキュメンタリーである。何よりもヒンディー語映画の発展を知る上で一級の資料だ。

 このドキュメンタリーを観ると、独立後のヒンディー語映画が常に時代の変化と共にあったことが分かる。インド独立後の高揚感の中で、国家創造のためのひとつの柱として映画が作られていたこと、非常事態宣言などによって世の中に鬱憤が溜まり、その受け皿として「アングリー・ヤングマン」アミターブ・バッチャンが台頭し、ダークヒーロー映画が人気になったこと、1980年代にビデオデッキの普及や海賊版の流通によって映画産業が打撃を受け、ヒンディー語映画が暗黒時代を迎えたことなどが、映像を交えて分かりやすく語られている。

 ヤシュ・チョープラーの最大の功績は、貧困層の娯楽に成り下がり、アクション映画に支配された1980年代のヒンディー語映画を、再びファミリーエンターテイメントに引き戻し、映画館にファミリー層を戻したことだ。この転換はヤシュ監督だけの功績ではないのだが、彼の作った「Chandni」や「Lamhe」(1991年)などの良質な映画が、その後のヒンディー語映画の躍進を地ならしした。そして、息子のアーディティヤ・チョープラーが初めて監督した「Dilwale Dulhania Le Jayenge」が、インドの伝統的な価値観と、経済自由化以降の新しいインドを象徴する若者たちの価値観の両方を巧みに融合させ、永久にインド人に愛される不朽のロマンス映画として時代を完全に変えてしまった。

 また、ヤシュ・チョープラーが設立したヤシュラージ・フィルムスは、息子のアーディティヤ・チョープラーに引き継がれ、ヒンディー語映画界最大のコングロマリットとして、21世紀のヒンディー語映画の進化を牽引してきた。アーディティヤは、監督としてよりもむしろプロデューサーとして、ヒンディー語映画の多様化に大いに貢献し、ハリウッド映画に対抗できる娯楽作品を次々に送り出していった。

 子供の頃から父親の撮影現場に同行し、映画監督になるという夢を抱いていたアーディティヤは、ヒット作でもフロップ作でもとにかく映画を観て、そのデータを事細かくノートにまとめるような少年時代を過ごしており、それによって培われた映画センスは抜群だった。常に観客の反応を考えて映画作りを行っていた。ただ、彼も失敗を味わうことはあった。彼は、常に「観客が王様だ」と感じており、今でも毎週金曜日には映画館に行って一般の観客と一緒に映画を観るという。

 また、アーディティヤは、マルチプレックスの普及により変革期を迎えつつあったインドの映画市場を敏感に察知し、新たな観客の志向に合わせた映画作りを戦略的に行っていたことが分かる。21世紀に入ってヒンディー語映画は大きく変わったが、その変化は決して行き当たりばったりや偶然のものではなく、その裏にはやはり、アーディティヤのような鋭いビジョンを持つ映画メーカーの作為的な方向付けがあったのである。

 ヤシュとアーディティヤはヒンディー語映画界の成功者に数えられる。ただ、ヤシュの次男でありアーディティヤの弟であるウダイは、スターを志しながらもスターになれなかった、いわば落伍者だ。驚いたのは、ドキュメンタリーの中でウダイ自身がそれを素直に認めていたことだった。「The Romantics」で一番琴線に触れたのは、実はウダイの半生であった。

 アーディティヤとウダイは兄弟だが、性格は正反対のようだ。アーディティヤが非社交的な映画オタクであるのに対し、ウダイは社交的なプレイボーイであった。周囲の人々からもっとも愛されていたのもウダイだった。ただ、彼は過剰な自信家でもあり、兄の監督第2作「Mohabbatein」(2000年)で俳優デビューしたときは、そのまますぐにスターになれるものだと思っていたらしい。「Mohabbatein」は大ヒットになったが、ウダイは観客から好かれなかった。「Dhoom」で演じたアリー役は当たったが、ウダイはスターを目指しており、アリーのようなひょうきんな役は二度とやろうとしなかった。だが、それは観客が彼に求めているものではなく、彼は俳優として成功するチャンスを逃してしまう。現在ではウダイは俳優業をほぼ引退している。

 それでも、アーディティヤは兄としてウダイにチャンスを与え続けたし、彼の俳優以外の才能を買っていた。ウダイは米国留学経験があり西洋文化の造詣が深く、社交的だったので友達も多かった。ウダイは「Dilwale Dulhania Le Jayenge」で兄の助手を務めたが、この映画の西洋的な部分はウダイの貢献によるところが大きいようだ。

 昨今、ヒンディー語映画界に対しては、どこからともなくネポティズム(縁故主義)の批判が出ている。監督やスターの子供がまた監督やスターになるということが繰り返されており、部外者を受け入れない排他主義な土壌があるとの批判である。スシャーント・スィン・ラージプートの自殺あたりからその声が大きくなった。この「The Romantics」では、特に第3話においてネポティズム批判への回答が出されている。

 まず、チョープラー家は映画一家であり、もし業界内にネポティズムがあるならば、彼らはネポティズムそのものである。ヤシュは兄のおかげで映画監督になれたし、アーディティヤは父のおかげで映画監督になれた。そして再びウダイは兄のおかげで映画デビューできた。

 ただ、昔の映画界は規模がとても小さかった。映画作りそのものが家族みんなで協力してするもので、映画作りに関わっている人々は皆家族のような関係にあった。アーディティヤやウダイは、子供の頃からカラン・ジョーハル、アビシェーク・バッチャン、リティク・ローシャンなど、同じく映画一家に生まれた子供たちとつるんでいた。周囲には映画を作っている人しかいなかったので、自分も大きくなったら映画界に入ることは当然だと思っていたとも語られていた。資金についても、自分の貯金や友人からの借金によって調達していた。映画がビジネスや産業として成熟した現在の視点から、まだ家族経営が主流だった時代のことを批判するのは根本的に間違っている。また、ウダイの例を見ても、親の七光りのある者が必ず成功する世界ではない。アーディティヤの言葉を借りれば、全ては観客が決めるのである。

 さらに、アーディティヤは、ヒンディー語映画界がこのまま閉ざされた業界ではいけないと感じ、積極的に新しい俳優、監督、プロデューサーを発掘してきた。確かにYRFからは、映画界に全くコネを持たない新人が多くデビューしてきた。その最大の成功例のひとつがランヴィール・スィンである。アーディティヤがプロデュースした「Band Baaja Baaraat」(2010年)でデビューしたランヴィールは、瞬く間にスターダムを駆け上がり、現在ではトップスターの一人になっている。

 このドキュメンタリーを観ていると、今まで知らなかった驚くべき事実も浮かび上がって来る。例えば、子供の頃アーディティヤはリティクよりもダンスが上手かったということだ。この二人はよくダンスバトルを繰り広げていたらしい。残念ながらアーディティヤが踊る映像は残されていない。

 今でこそロマンスヒーローとして知られるシャールクだが、デビュー当初はアクションヒーローを目指していたらしい。元々TVドラマ俳優だった彼を映画に起用したのはヤシュだったが、彼にロマンスヒーローとしての素質を見出したのはアーディティヤだった。「Dilwale Dulhania Le Jayenge」をきっかけにシャールクはロマンスヒーローとして全国的な人気を獲得する。ただ、アクションヒーローに未練のあったシャールクは、この映画の最後で見られるファイトシーンを懇願して入れてもらったらしい。それはともかく、ヤシュとアーディティヤにシャールクにとって大切な恩人である。

 ところで、アーディティヤはほとんどカメラの前に姿を現さないことで有名だ。彼のインタビューは今までほとんど成功していないらしい。しかし、「The Romantics」にはアーディティヤのロングインタビューが収められている。これは非常にレアなことだ。ただ、2022年にヤシュラージ・フィルムスが送り出した映画は悉く失敗した。もしかしたら資金難に陥って、Netflixのこのドキュメンタリーに協力することになったのかもしれない。

 「ロマンチスト:ボリウッド映画の神髄」という邦題には強い不満がある。ドキュメンタリーの中で、「ボリウッド」という言葉に対して業界内の多くの人々が嫌悪感を示していた。その理由はリンク先に書いたことそのままであった。それなのに敢えてこの言葉を邦題に入れるのは一体どういうことだろうか。

 「The Romantics」は、巨匠ヤシュ・チョープラーの映画人生とその業績を振り返りながら、ヒンディー語映画の過去半世紀の発展を概観する、ヒンディー語映画史の教科書みたいなドキュメンタリーである。昨今のネポティズムに対する回答もある。ヒンディー語映画ファンならば観ない手はない。