Modern Love Mumbai

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Modern Love Mumbai
「Modern Love Mumbai」

 「Modern Love」は、米ニューヨーク・タイムズ紙連載の同名コラムを下敷きにした短編映画集シリーズであり、2019年からAmazon Prime Videoで配信されている。元々は米国のウェブシリーズであり、言語は英語であるが、2022年から、世界各国を舞台にした非英語版の「Modern Love」シリーズが展開されており、ムンバイーを舞台にしたヒンディー語版の「Modern Love Mumbai」はそのひとつだ。2022年5月13日から配信開始された。

 「Modern Love Mumbai」のシーズン1には6つのエピソードが収められている。それぞれ40分ほどの短編映画で、題名の通り、現代の恋愛模様を描き出そうとしている。全体のプロデューサーはプリーティシュ・ナンディーで、各エピソードを別々の監督が撮っている。

1. Raat Rani

 題名の意味は「夜の女王」。夜に開花するジャスミンの花のことである。監督は「Margarita with a Straw」(2015年/邦題:マルガリータで乾杯を!)などのショーナーリー・ボース。主演は「Dangal」(2016年/邦題:ダンガル きっと、つよくなる)のファーティマー・サナー・シェークである。他に、ブーペーンドラ・ジャダーワト、タニシュター・チャタルジー、ディリープ・プラバーヴァルカル、ギリジャー・オークなどが出演している。

 ラーリー(ファーティマー・サナー・シェーク)は、カシュミール地方シュリーナガルからルトフィー(ブーペーンドラ・ジャダーワト)と共に駆け落ちし、ムンバイーに住んでいた。ラーリーはレイマン(タニシュター・チャタルジー)の家で家政婦をする一方、ルトフィーは警備員をして生計を建てていた。彼らの家はムンバイー・シーリンクがよく見えるスラム街にあった。二人は生活を切り詰めてスクーターを買った。ラーリーは、仕事終わりにルトフィーと食べるアイスクリームが何よりの幸せだった。

 ところがある日、ルトフィーがスクーターと共に姿を消してしまう。突然のことにうろたえるラーリー。しかも、家の屋根が崩れ落ちてしまった。しかし、残されたオンボロの自転車で高架橋を越えたことで自信が付き、路上でカシュミール名物カフワー茶の自転車屋台「ラートラーニー」を始めて追加収入を得る。そして、二輪車や歩行者は通行禁止のシーリンクに自転車で突入する。

 第1話は夫から捨てられた女性の物語である。ラーリーは家政婦をして稼ぎを得ていたが、多くのことは夫のルトフィーに依存していた。よって夫から捨てられたら路頭に迷うところであったが、家と自転車は残してもらえていた。ルトフィーが彼女を捨てた理由はよく分からないのだが、ボソッとつぶやいた「楽しくなくなった」という言葉にそれが凝縮されていると思われる。

 経済的な依存以上に、ラーリーはルトフィーに精神的に依存していた。よって、ルトフィーを失ったことで取り乱す。しかし、途中で彼女は吹っ切れて、急に生き生きと暮らし始める。ラーリーは、崩れ落ちた屋根の修理代を捻出するために屋台を始める。そしてラストでは、自転車では通行できないはずのムンバイー・シーリンクを疾走する。

 インド社会は女性に強い制約を課す傾向にあり、女性は自由ではない。また、女性の方もその制約を甘受しているところがあり、なかなか自分からその束縛を断ち切ろうとしない。ラーリーにしても、夫に経済的・精神的に依存しきっており、それがいつかは終わるということすら夢にも思っていなかった。だが、そういう場面に直面したとき、女性はただ相手に悪態を付いたり運命を呪ったりするのではなく、心を強くもって自立していかなければならない。

 興味深いのは、貧しい生活を送るラーリーのみならず、ラーリーが働いていた家でも、女性が抑圧を感じていたことだ。シーリンクを自転車で走り抜けるラストは、そんな女性たちをがんじがらめにする束縛からの解放を象徴していた。「Raat Raani」は、女性の応援歌のような映画であった。

 また、ラーリーとルトフィーはカシュミール人という設定も珍しい。ラーリーは始終ブツブツ独り言を言うのだが、その中にはカシュミーリー語のフレーズも入っていた。

2. Baai

 題名の意味は「祖母」。監督は「Aligarh」(2016年)や「Simran」(2017年)などのハンサル・メヘター。主演は「Bhavai」(2021年)のプラティーク・ガーンディー。他に、ランヴィール・ブラール、タヌジャー・サマールト、カシュミーラー・イーラーニー、マナスィー・ジョーシー・ロイ、タラト・アズィーズなどが出演している。

 マンズー(プラティーク・ガーンディー)はゴアで歌手をする独身男性だった。ムンバイーに住む祖母バーイー(タヌジャー・サマールト)が危篤のため、父親シャッビール(タラト・アズィーズ)や妹リハーナー(カシュミーラー・イーラーニー)などと共に、先祖伝来の邸宅「ラッキー・マンズィル」を訪れる。

 マンズーは、自動車の車内からムンバイーの街並みを見ている内に子供の頃に経験した暴動のことを思い出す。実はマンズーは同性愛者だったが、父親からは拒絶されていた。家族を飛び出したマンズーはゴアでラージヴィール(ランヴィール・ブラール)というシェフと出会い、彼と恋に落ちる。マンズーはラージヴィールの家に同棲するようになり、両親にも紹介していたが、まだバーイーには言っていなかった。

 バーイーの死に際にマンズーは、一緒に住んでいる友人がいることを明かす。バーイーは全てお見通しで、「愛こそは全て」と言って息を引き取る。バーイーの葬儀をした後、マンズーとラージヴィールは非公式に結婚する。

 「Aligarh」に続き、ハンサル・メヘター監督は男性同士の同性愛モノを撮った。主人公のマンズーは同性愛者であることを両親に知られていたが、敬愛する祖母バーイーには伝えていなかった。特に父親の拒絶反応が強く、早く彼を結婚させようとした。だが、母親は比較的マンズーの性的指向に理解があった。

 マンズーはゴアでライフパートナーであるラージヴィールと出会う。シェフのラージヴィールは、レストランで歌を歌っていたマンズーに何かを感じ、彼にニハーリーを食べさせる。マンズーは、バーイーが作ってくれたニハーリーが一番おいしいと答えながらも、彼のニハーリーも褒める。ラージヴィールは、「歌と料理は言いにくいことも表現してくれる」と言い、彼を自宅に誘う。そこから二人の関係が始まった。

 映画のハイライトはマンズーがバーイーにカミングアウトするラストのシーンだ。ただ、マンズーはほとんど真相に触れていなかった。マンズーの結婚を切望するバーイーに対し、彼は、一緒に住んでいる友人がいることを伝える。それを聞いてバーイーは、二人が愛し合っていることを確認し、「料理には愛が重要だ」とつぶやいて息を引き取る。それは、バーイーが彼らの仲を認めたことを意味していた。

 マンズーが幼少時に経験した暴動は、十中八九、1992年から93年にかけて起こったボンベイ暴動であろう。バーブリー・マスジド破壊事件を受けて、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の間で殺し合いが起きた。マンズーの家族はイスラーム教徒であり、ヒンドゥー教徒暴徒に命を狙われていた。

3. Mumbai Dragon

 監督は「Omkara」(2006年)などで有名なヴィシャール・バールドワージ。音楽監督も彼が務めている。ムンバイーの中華系コミュニティーを取り上げたユニークな作品で、主演の一人は中華系インド人俳優・歌手のメイヤン・チャン(張眉陽)。インド生まれの中華系移民三世で、過去にも「Badmaash Company」(2010年)や「Sultan」(2016年/邦題:スルタン)などへの出演歴がある。メイヤン・チャン以上の主演格なのが、中華系マレーシア人女優ヤンヤン・イェオ(楊雁雁)だ。他に、ナスィールッディーン・シャー、ワーミカー・ガッビー、アヌラーグ・カシヤプ、イマード・シャーなどが出演している。

 スイ(ヤンヤン・イェオ)はムンバイーの中華系コミュニティーでよく知られた女性だった。祖父の代の1932年にボンベイ(当時)に移住し、中華料理レストランを始めた。スイートコーンスープは祖父の発明であった。1962年の中印戦争のときはラージャスターン州の収容施設に収容されるなど苦労もあったが、現在スイは関帝廟を守って暮らしていた。夫は歯科医だったが既に亡く、息子のミン(メイヤン・チャン)を女手一つで育ててきた。ミンも歯科医を目指していたが、元々歌がうまく、思い立って歌手を目指し始めた。スイは息子のその選択に反対だったが、一年の猶予を与えていた。ミンは歌手としてはなかなか成功できていなかった。

 ある大雨の日、ミンはジャーナリストのメーガー(ワーミカー・ガッビー)を連れてきて、母親のインタビューをする。スイはすぐにメーガーは息子の恋人だと気づく。だが、スイは息子を同じ中華系の女性と結婚させるつもりで、メーガーとの結婚には大反対だった。そもそもメーガーはヴェジタリアンで、しかもニンニクも食べなかった。そんな嫁を家に招き入れるわけにはいかなかった。スイは、ミンがメーガーとの結婚を諦めない内はヒンディー語をしゃべらないと誓いを立てる。

 母親から与えられた猶予期間の一年が過ぎ去ろうとしていたとき、ミンの歌声がアヌラーグ・カシヤプ(本人)に認められ、メジャーデビューを果たす。スイはミンとメーガーとの仲も暗に認める。

 インドの中華系コミュニティーといえば、コルカタが有名である。だが、「Mumbai Dragon」はムンバイーが舞台の映画だ。ムンバイーの中華系コミュニティーを取り上げた映画はこれが初なのではなかろうか。

 ムンバイーにどれくらいの中華系移民が住んでいるのか分からないが、Google Mapで検索してみたら、ムンバイーのマザゴン(Mazagon)に本当に関帝廟があった。おそらくこの映画でロケ地になったものと同じものだ。ということは、一定数の中華系移民が住んでいるものと思われる。「Mumbai Dragon」は、そんなマイノリティー中のマイノリティーを取り上げた映画だ。また、台詞の多くが中国語だったが、北京語ではなく広東語であった。よって、広東地方から移民してきた家族の物語と特定していいだろう。ただ、移民三世の主人公ミンは広東語をあまり解しておらず、ヒンディー語が母語になっていた。現状もそんな感じなのだろうか。

 宗教やカーストを超越した恋愛はインド映画の定番であるが、「Mumbai Dragon」は、中華系インド人と通常のインド人の間の恋愛だ。しかも、ミンの恋愛相手メーガーは、インド人の中でももっとも食のタブーが厳しいグジャラート人である。もちろん、双方の家族は二人の結婚をすんなりとは受け入れない。特にミンの母親スイはミンを溺愛していた。息子が嫁に取られてしまうことも嫌だったし、ヴェジタリアンかつニンニクを食べないメーガーを嫁に迎えることにも大反対だった。

 また、ミンは母親から一年の猶予期間をもらって歌手を目指していた。スイは、歯科医だった夫の跡をミンが継ぐことを期待していた。もうすぐやって来る春節がその期限であり、その日を楽しみにしていた。しかし、あろうことか、ミンに歌手の夢を植え付けた張本人もメーガーであった。さらに、ミンはメーガーの家にペイングゲストとして住んでおり、事実上の同棲状態にあった。スイにとっては受け入れられないことばかりだったのである。

 しかしながら、ミンは何とか歌手としてデビューすることができた。スイは息子の成功を喜ぶが、インタビューで息子が、自分ではなくメーガーに感謝の言葉を述べていたことに対して腹を立てる。それでも、スイはメーガーが息子にふさわしいと考え直し、彼女にナスを使った料理を送る。メーガーがスイを初めて訪ねたとき、その味を褒めた料理であった。これは、スイがメーガーを嫁として認めた証だった。

 映画の中では、スイの祖父がスイートコーンスープを発明したとのエピソードが語られていた。だが、実際にはスイートコーンスープは米国に渡った中国人移民たちが、米国で安価に手に入ったスイートコーンを使って作り出した料理であり、インド生まれの料理ではない。ただ、どこかの時点でインドに伝わったのは確かで、現在、インドの中華料理レストランでは定番のメニューになっている。

4. My Beautiful Wrinkles

 監督は「Lipstick Under My Burkha」(2016年)のアランクリター・シュリーヴァースタヴァ。女性視線の優れた映画を作る女性映画監督で、今回の短編映画も初老女性と青年のほのかな恋愛をベースにした上品な物語になっている。主演は往年の名女優サリカー。他に、ダネーシュ・ラーズヴィー、タンヴィー・アーズミー、エヘサース・チャンナーなどが出演している。

 ディルバル(サリカー)は、ムンバイーのアラビア海に面した建物に住む初老の女性だった。夫とは離婚し、一人で優雅に暮らしていた。たまに同年代の女性たちと集まって雑談をするのが楽しみだった。ディルバルの家には、求職中の青年クナール(ダネーシュ・ラーズヴィー)が面接の練習に来ていた。残念ながら面接はなかなかうまくいなかなった。

 ある日、ディルバルはクナールから告白される。ディルバルは、30歳年下の男性に勘違いさせてしまったことに罪悪感を感じ、クナールを追い出す。だが、若い男性から恋愛の対象とされたことに満更でもなく、クナールを妄想するようになる。だが、夫と離婚した後、ディルバルが恋に落ちたイクバールという写真家との思い出も蘇ってくる。イクバールは、ディルバールが運転していた自動車が交通事故に遭い、死んでしまった。それ以来、その自動車は彼女の家の軒先に朽ち果てたまま置かれていた。

 ディルバルから拒絶されて以来、クナールは彼女の家に寄りつかなくなっていたが、ある日ディルバルは彼を家に招き入れ、コーヒーを出す。そして、自分には昔、恋人がいたということと、クナールから告白されて自分も彼を妄想したことを告白する。クナールも、早く軒先のオンボロ車を捨てるべきだと助言し、去って行く。

 ディルバルは、自動車を含め、イクバールとの思い出の品を捨てる。そして、同窓会にも顔を出す。一方、クナールも、グラフィックデザイナーになる夢を追うことにする。

 アランクリター・シュリーヴァースタヴァ監督の「Lipstick Under My Burkha」では、初老女性が若い男性に一方的に想いを寄せるエピソードがあり衝撃的だったが、この「My Beautiful Wrinkles」では、初老女性が若い男性から告白されるという筋書きになっていた。

 映画は、その禁断の恋愛を成就させて見せることはない。お互いに想いを告白をし合い、妄想だけに留めておくことで、その感情をコントロールするという上品なまとめ方になっていた。また、その出会いをきっかけに二人とも人生を前向きに生きることができるようになる。

 その本筋以外にも広がりのあるエピソードになっており、監督の巧さが際立っている。例えば、主人公のディルバルは、夫と離婚した後に写真家のイクバールと付き合っていた。イクバールは既に死んでいたが、終盤で明かされたところでは、その死の原因となったのは彼女の運転であった。ディルバルは、イクバールへの恋愛感情と共に、彼を死なせてしまったという罪悪感に苛まれつつ生きてきた女性だった。もちろん、家族が彼女の恋愛を支援したはずはなく、苦難に満ちた恋愛だったろうし、彼の死でもって幕を閉じたため、彼女にとっては重い恋愛でもあった。

 ディルバルに恋をする青年クナールにしても、アハマダーバードに住む両親からの仕送りを頼りにムンバイーで生活し、求職をしていた。心の中ではグラフィックデザイナーになりたいと考えていたが、両親からはきちんとした仕事に就くことを求められていた。ディルバルに面接の練習をしてもらっていたが、なかなか採用されなかった。

 また、ディルバルの同級生にはニローファル・パテール(タンヴィー・アーズミー)という作家がいた。ディルバルは若い頃に作家を志望していたが、その夢は実現しなかった。その一方でニローファルはひょんなことから作家になっていた。そういうこともあって、どうもディルバルはニローファルにライバル意識を持っていたようだ。この二人の間にもさらなるエピソードがありそうだ。

5. I Love Thane

 監督はドルヴ・セヘガル。ウェブドラマ「Little Things」(2016年~)のクリエーター兼主演男優として名を知られる人物である。主演は、ニーナー・グプターの娘で、ウェブドラマ「Masaba Masaba」の主人公マサーバー・グプター。彼女はファッションデザイナーとしても知られている。相手役は「Cargo」(2020年)に出演のリトヴィク・ボウミク。他に、プラティーク・バッバルが出演している。

 34歳のランドスケープ・アーキテクト、サーイバー(マサーバー・グプター)は、デートアプリで男性とデートを繰り返していたが、なかなか理想の人とは出会えなかった。サーイバーはターネー市局のプロジェクトに関わることになり、緑地課の役人パールト(リトヴィク・ボウミク)と出会う。彼はターネー生まれターネー育ちで、一度もターネーから出たことがないほどターネー好きの青年だった。サーイバーもターネーで生まれ育ったが、現在はムンバイーに住んでいた。

 サーイバーは、次第にパールトの飾らない人柄に惹かれていく。パールトは奥手で、なかなかはっきり彼女にアプローチしなかったが、サーイバーは自分から好意を示し、彼と恋仲になる。

 ターネーは、半島状にアラビア海に突き出すムンバイーの付け根に位置する衛星都市だ。ムンバイーに住んだことがないため、ムンバイーっ子にとってターネーがどんな位置づけの街なのか分からないのだが、おそらくは東京に対する関東6県のようなイメージであろう。

 主人公のサーイバーはムンバイー在住ながら、幼少時はターネーで生まれ育っていた。サーイバーの職業はランドスケープ・アーキテクトであり、いかにもムンバイーにいそうなモダンな女性だ。ただ、年齢が34歳になっており、デートアプリで理想の男性を探しながらデートを繰り返していた。この映画にサーイバーの両親は登場せず、結婚を急かされているようでもなかった。おそらく自発的に結婚を視野に入れて恋人を探していたのだと思われる。

 そんなサーイバーが仕事の上で出会ったのがパールトであった。ターネーからムンバイーに移住したサーイバーの家族と異なり、パールトは生まれてこの方ずっとターネーで暮らしていた。ターネーの市局に務める役人で、ターネー市民のために快適な公園を造りたいと純粋に願っていた。パールトのような純朴な青年には、ムンバイーではなかなか出会えない。サーイバーは次第に彼に惹かれていくが、パールトはなかなか彼女に気持ちを打ち明けようとしない。

 あらすじにすると短くなるが、この映画はサーイバーとパールトの会話に美点がある。パールトは時々思わせぶりなことを言うのだが、聞き出してみると何とはないことで、なかなか二人の関係は進展しない。観客は第三者ながら、そんなもったいぶった展開にやきもちしながら二人の仲を見守ることになる。最後はサーイバーが「キスしていい?」と聞く。これがきっかけとなって二人はやっと恋仲になるのだった。そして二人でチャーイを飲む。

 感情の鞘当てが非常にうまいエピソードだった。また、ターネーという、ムンバイーの近くにありながらヒンディー語映画ではなかなか取り上げられない都市が舞台になっていたのも高得点である。

6. Cutting Chai

 題名の「カッティング・チャーイ」とは、ムンバイー特有の用語で、カップ半分のチャーイである。ムンバイーっ子は半杯のチャーイを1日に何度か飲むのを好む。監督はヌープル・アスターナー。「Mujhse Fraaandship Karoge」(2011年)や「Bewakoofiyaan」(2014年)の監督である。主演はチトラーンガダー・スィン。他に、アルシャド・ワールスィー、スィッダーント・カルニク、ミーター・ヴァシシュトなどが出演している。

 ラティカー(チトラーンガダー・スィン)は作家だったが、過去に短編小説を一本しか発表していなかった。ホテルで働くダニエル(アルシャド・ワールスィー)と結婚し、子育てをしている内に時間が過ぎてしまい、初の長編小説を完成させられないでいた。ダニエルは遅刻の常習犯で、最近では彼との結婚を後悔するようにもなっていた。

 ラティカーは、恩人であるアマール・アリー(ミーター・ヴァシシュト)主催のパーティーにダニエルと出席する予定だったが、案の定ダニエルは遅刻だった。チャトラパティ・シヴァージー駅でダニエルを待っている内に、過去の思い出が胸に去来する。初めての恋人だったヴィクラム(スィッダーント・カルニク)とはこの駅で別れた。その後、ヴィクラムは外交官になった。もしヴィクラムに付いていったら自分も外交官の妻になっていただろうか。そんなことを考えていた。

 ラティカーはダニエルとの出会いも思い出した。アマールに連れられて新進気鋭作家の出版記念パーティーに出席したとき、ラティカーはその雰囲気に耐えられず、そこでケータリングをしていたダニエルと会話を交わしたのがきっかけだった。ダニエルは彼女にカッティング・チャーイを出し、彼女はそれを気に入った。

 様々な「今」の可能性を考えた結果、ラティカーはダニエルとの今の結婚生活が一番よかったと考えるようになる。

 主人公は結婚倦怠期を迎えた中年女性ラティカー。遅刻の常習犯で何かといい加減な夫ダニエルとの結婚生活に疲れていた。また、ラティカーには長編小説家としてデビューするという夢があったが、結婚生活や育児に忙殺され、まだ一本も書き上げられていなかった。その状態を彼女は夫のせいにしていた。

 ラティカーの過去には大きな岐路が2つあった。ひとつは初めての恋人ヴィクラムと別れたことだ。ヴィクラムは外交官になるためにムンバイーを去った。だが、ラティカーは小説家になる夢を追うためムンバイーに残り、そこで二人の仲は終わってしまった。もしヴィクラムと結婚していたら小説家になれただろうか?だが、想像の中でのヴィクラムと結婚した自分は、夫に付いて海外を飛び回る中で、やはりまだ小説を書き上げられていなかった。

 もうひとつの岐路は、アマールに連れていってもらったパーティーだ。そこで彼女はダニエルと出会ったわけだが、なぜダニエルと出会ったかといえば、そのパーティーの雰囲気に付いていけず、気晴らしをしていたからである。もしあのとき、積極的に作家と交流していれば、自分も小説家デビューができていたかもしれない。だが、パーティーで自分を売り込めなかったのは彼女の選択で、それができなかったのは誰のせいかといえば自分のせいだった。

 再びラティカーはダニエルとの結婚生活を振り返る。確かにダニエルには待たされてばかりだったが、その分、楽しいこともたくさんあった。ダニエルは待たせた分だけ喜びをくれる人物でもあった。結局ラティカーはダニエルとの出会いを感謝するようになる。

 人は人生においてうまくいかないときに、過去に戻ってああしていればと考えるものだが、それができる人はいない。ならば、今ある現在を肯定的に受け入れていくことで、よりよい未来を作ることができる。また、自分の不成功を他人のせいにするのも間違いだ。そんな気付きをこの「Cutting Chai」は与えてくれる。人生はカッティング・チャーイのように、少し足りないくらいがちょうどいいのである。


 「Modern Love Mumbai」のシーズン1は以上の6エピソードである。それぞれのエピソードは独立しており、相互に影響し合うことはない。ただし、第6話の最後には、全6話をまとめるようなシークエンスがあり、各エピソードの登場人物が交錯して登場する。ただ、付け足しのエピローグのようなもので、やはりそれがストーリー本体に何らかの影響を与えることはない。

 どれも明るく希望に満ちたエンディングで締めくくられるエピソードばかりで、気持ちよく鑑賞することができる。題名通り、現代的な恋愛や夫婦関係、または親子の愛情など、「愛」の様々な形が取り上げられており、中には同性愛も含まれる。成就した恋愛もあれば、敢えて踏み込まない形の関係もあった。だが、恋愛の行方がどうあれ、落ち着くべきところに落ち着いている。

 全てのエピソードに共通しているわけではないのだが、飲食物がストーリーに組み込まれている点も興味深かった。第1話ではカフワー、第2話ではニハーリー、第3話ではスイートコーンスープ、第4話ではコーヒー、第6話ではカッティング・チャーイが登場し、ストーリーを進める上で重要な役割を果たす小道具になる。第5話にも最後にチャーイが登場するが、他のエピソードに比べて飲食物の重要度は低かった。

 「Modern Love Mumbai」は、現代的な愛情の在り方をムンバイーを舞台にして描いた短編映画アンソロジーである。6つのエピソードを監督するのは、ヴィシャール・バールドワージのようなベテランから新進気鋭の若手監督まで様々だが、どれも甲乙付けがたい質である。キャストに大スターはいないものの、注目の若手俳優を積極的に起用した布陣だ。世界中で人気を博している「Modern Love」シリーズの名に恥じない作品群である。