今年、カンヌ国際映画祭と平行して開催される監督週間(Directors’ Fortnight)において、インドの娯楽映画として初めて公式上映作品となり話題になった作品がアヌラーグ・カシヤプ監督渾身のギャング映画「Gangs of Wasseypur」であった。アヌラーグ・カシヤプ監督と言えば、「Black Friday」(2004年)、「Dev. D」(2009年)など、常に斬新な作品を送り出し続けている、ヒンディー語映画界切っての俊英の一人である。ここ数年のヒンディー語映画界は彼を中心にフロンティアを開拓して行っていると言っても過言ではない。彼が最新作に選んだテーマは、現ジャールカンド州ダンバードのギャング抗争。「インドのクエンティン・タランティーノ」と評されて来たラーム・ゴーパール・ヴァルマー監督の得意とする分野であるが、最近では趣味に走りすぎて低迷するヴァルマー監督に代わって、アヌラーグ・カシヤプ監督の方がタランティーノ監督と比せられるようになってしまった。
「Gangs of Wasseypur」は5時間を越える大長編映画で、カンヌ国際映画祭ではぶっ通しで上映されたらしいが、インドでの商業上映では2部に分割され、パート1とパート2が時間差で公開されることになった。主演はマノージ・パージペーイー、ナワーズッディーン・スィッディーキー、ピーユーシュ・ミシュラーなど。渋い俳優が顔を揃えている。「Paan Singh Tomar」(2012年)のティグマーンシュ・ドゥーリヤー監督も重要な役で出演している。今年の期待作の一本である。パート1は2012年6月22日に公開された。
監督:アヌラーグ・カシヤプ
制作:アヌラーグ・カシヤプ、スニール・ボーラー
音楽:スネーハー・カーンワルカル、ピーユーシュ・ミシュラー
歌詞:ヴァルン・グローヴァー、ピーユーシュ・ミシュラー
衣装:スボード・シュリーワースタヴ
出演:ジャイディープ・アフラーワト、マノージ・パージペーイー、ナワーズッディーン・スィッディーキー、ティグマーンシュ・ドゥーリヤー、リーマー・セーン、リチャー・チャッダー、フマー・クライシー、ピーユーシュ・ミシュラー、ズィーシャーン・クライシー、ヴィピン・シャルマー、シャンカルなど
備考:PVRプリヤーで鑑賞、満席。
1941年。炭坑から発展した町ダンバード近くに位置するワーセープル村はイスラーム教徒の村だったが、屠殺業を生業とするクライシー家が支配しており、クライシー家とそれ以外のイスラーム教徒に分かれていた。クライシー家はスルターナー・ダークーという盗賊を輩出していた。スルターナーは英国人に捕まって殺されたとされていたが、実際にはワーセープルに隠れ住んでいた。ワーセープルに住むシャーヒド・カーン(ジャイディープ・アフラーワト)はスルターナー・ダークーになりすまして列車強盗をしていたが、スルターナー・ダークー本人から襲撃を受け、ほとんどの仲間を殺されてしまう。生き残ったシャーヒド・カーンは身重の妻と親友のナースィル(ピーユーシュ・ミシュラー)を連れてダンバードへ流れる。そこで炭坑労働者として生計を立てていたが、妻は出産と同時に死んでしまう。このとき生まれたのがサルダール・カーンであった。 1947年にインドは独立を果たし、英国人所有だったダンバードの炭坑はインドの財閥に譲り渡され、ラーマ―ディール・スィン(ティグマーンシュ・ドゥーリヤー)が請負人として管理することとなった。シャーヒド・カーンはラーマ―ディール・スィンのペヘルワーン(護衛)に抜擢される。だが、ラーマ―ディールはシャーヒドが下克上を狙っていることを知り、彼を暗殺する。危険を察知したナースィルはサルダールを連れて逃げ出す。 大人になったサルダール(マノージ・パージペーイー)はダンバード駅前で客待ちをするジープのドライバーをして生計を立てていた。ラーマ―ディールに父親を殺されたことは忘れておらず、ゆっくりと真綿で首を絞めるように復讐をすることを誓っていた。ラーマ―ディールは請負人から労働組合長を経て政治家になっていたが、サルダールも徐々に力を付けて行き、地元で恐れられるギャングとなって行った。また、サルダールにはナグマー(リチャー・チャッダー)という妻がいたが、それとは別にベンガル人女性ドゥルガー(リーマー・セーン)とも結婚をしていた。サルダールとナグマーの間には4人の息子が、ドゥルガーとの間には1人の息子が生まれていた。 サルダールがシャーヒド・カーンの息子であることに気付いたラーマ―ディールは、サルダールと対抗するためにワーセープルのクライシー家と手を結ぶ。ワーセープルは現在、スルターナー・ダークーの血を引くスルターンに支配されていた。また、ダンバード市街地の拡大により、ワーセープルはダンバードに取り込まれようとしていた。ラーマ―ディールはスルターンに最新式の拳銃を与え、サルダールを暗殺させようとする。それは失敗に終わるが、このとき長男のダーニシュが怪我を負ってしまう。 サルダールも時代の変遷を感じ取っており、自動拳銃を手に入れようとしていた。彼は次男のファイザル(ナワーズッディーン・スィッディーキー)をヴァーラーナスィーへ送り、銃を密売するヤーダヴから拳銃を購入させる。しかしヤーダヴは警察と密通しており、拳銃を運ぶ途中にファイザルは警察に逮捕され、刑務所に入れられてしまう。刑期を終えて出所したファイザルはヤーダヴに騙されたことを悟り、ヤーダヴから再度購入した銃で彼を殺す。そして警察の目を盗んで購入した拳銃をダンバードまで運ぶ。 一方、ダーニシュはスルターンの妹シャマー・パルヴィーン(アヌリター・ジャー)と恋仲となり、2人は結婚することになった。ラーマ―ディール・スィンからサルダール暗殺の任務を受けていたスルターンは妹の結婚に最初から反対だったが、カーン家とクライシー家の抗争に嫌気が差していたクライシー家の人々は結婚を押し切ってしまう。また、この結婚式でファイザルはモホスィナー(フマー・クライシー)という女性と知り合うことになる。実はファイザルが少年時代からずっと一目惚れしていた女性だった。 スルターンはサルダール暗殺計画を綿密に立てていた。スルターンはサルダールが単独行動している隙を狙って攻撃を仕掛ける。サルダールは為す術もなく殺されてしまう。
映画の冒頭の時間軸は2004年で、いきなり当時絶大な人気を誇ったテレビドラマ「Kyunki Saas Bhi Kabhi Bahu Thi(なぜなら姑もかつては嫁だったから)」のオープニングが流れる。しかし、その「ファミリードラマ」の世界はすぐに蜂の巣とされ、観客は血で血を洗うリアリスティックシネマの世界へ連れ去られる。そして時間軸はインド独立前の1941年に巻き戻され、ダンバードやワーセープルの成り立ちから語られ始める。パート1では1980年代までが描写された。おそらくパート2で2004年までが語られるのだろう。
この映画の面白いところは、旧ビハール州(現ジャールカンド州)と西ベンガル州の狭間に位置する地方都市ダンバードとその近隣の村ワーセープルが、時代の変遷と共に徐々に発展して行く中で、登場人物も年を重ね、職を変え、成長して行くことである。インド独立後、炭坑のコントラクター(請負人)となったラーマ―ディール・スィンは、労働者を組織して政治的な力を蓄え、政治家に転身し、ダンバードを支配する。一方、ワーセープルから追放され、ダンバードで炭鉱労働者として生計を立てていた父親を持つサルダール・カーンは、ダンバード駅前で客待ちをするジープ運転手から身を立て、スクラップ工場や漁業などで儲ける一方、刃物、爆薬、銃器の力を借りて、ダンバードのアンダーワールドを支配するようになる。アンダーワールドとつながる政治家の台頭と、アンダーワールドを支配し政治にも影響力を及ぼすマフィアの台頭が順を追って描かれており、興味深い。また、サルダール・カーンにとってラーマ―ディール・スィンは父親の仇であったが、同様に父親の代からの仇敵であるワーセープルのクライシー家ともライバル関係にあった。このようにサルダール・カーンは二方面に敵を抱えていた訳だが、ムンバイーのギャング抗争に比べるとどこか牧歌的な側面もあり、この3者が全面戦争をすることはない。お互いにつばぜり合いを繰り返しながら、勢力争いをしている感じである。
また、劇中に登場する小道具からも時代の変遷が分かる。サルダール・カーンの武器はナイフから始まり、爆弾、カッター(国産の低品質拳銃)へと移行し、外国製の自動拳銃に行き着く。それ以外にも、掃除機、冷蔵庫、圧力釜などがさりげなく登場し、観客は自然にストーリーが現代に近付いていることを実感する。70年代にはダンバードの炭坑は国有化され、エマージェンシー(非常事態宣言)があり、80年代にはアミターブ・バッチャンの大フィーバーにもさらりと触れられる。
そのような背景の中で、サルダール・カーン、ラーマ―ディール・スィン、スルターンを中心にストーリーが進行する。思わず目を覆ってしまうような凄惨な暴力シーンがあったり、罵詈雑言を含んだかなり際どい台詞が続いたりするのだが、絶妙な間と粋な台詞が織り成すコミカルなシーンも所々にあったりして、退屈しない。特にこの一見重厚で乾燥したドラマの中において、恋愛シーンが意外に秀逸で、サルダール・カーンがドゥルガーを口説くシーン、ファイザルがモホスィナーの手を握るシーンなど、微笑ましい。まるで「マハーバーラタ」のように無数の登場人物が登場するのだが、その多くが短い登場シーンながら個性を放っており、アヌラーグ・カシヤプ監督の才能が遺憾なく発揮されている。
ただ、まだ前半しか見ていないので、総合的な評価はパート2を観てからにしたい。
パート1はマノージ・パージペーイー演じるサルダール・カーンの物語だと言い切っていいだろう。個性派男優のマノージ・パージペーイーは最近「Raajneeti」(2010年)や「Aarakshan」(2011年)などで悪役を好演して来たが、この「Gangs of Wasseypur」で晴れて主演を得ており、その演技はそれらすらも色褪せて見えてしまうほどの強烈なものであった。そして台詞回しが絶妙にうまい。かなりアドリブが入っていると思うが、サルダール・カーンというキャラクターを、単なるギャングではなく、人間味溢れる人物として提示することに成功していたのは、大部分が彼のその自由な演技に依っていると言っていい。文句なくキャリアベストの演技である。ただ、パート1の最後で(おそらく)死んでしまったので、パート2での登場シーンは限られると予想される。
おそらくパート2ではナワーズッディーン・スィッディーキー演じるファイザルが主人公となるのだろう。パート1では彼の登場は終盤からだったが、十分に印象を残せていた。ナワーズッディーン・スィッディーキーも渋い演技で知られる男優で、最近になって「Peepli Live」(2010年)や「Kahaani」(2012年)などの演技で一気に注目を浴びるようになった。パート2が楽しみである。
重厚な良作を作る映画監督として名を知られたティグマーンシュ・ドゥーリヤーは今回アヌラーグ・カシヤプ監督に説得されたのか、なんと俳優デビュー。サルダール・カーンの宿敵ラーマ―ディール・スィンを落ち着いた演技で見事に演じ切っていた。サルダールの叔父ナースィルを演じたピーユーシュ・ミシュラーは「Tere Bin Laden」(2010年)での演技が印象的だが、俳優、作曲家、作詞家、脚本家、歌手と多彩な人物で、「Gangs of Wasseypur」でも名曲「Ik Bagal」の作詞・作曲・歌を担当している。脇役の中ではもっとも光っていた。ちなみに、サルダールのもう一人の相棒デフィニット・カーンを演じたズィーシャーン・カードリーはワーセープル出身で、この映画の原作を書いた張本人である。
女優陣も男優陣に負けず劣らずパワフルだ。サルダール・カーンの妻ナグマーを演じたリチャー・チャッダーは「Oye Lucky! Lucky Oye!」(2008年)でデビュー。そのときはあまり印象に残っていないのだが、「Gangs of Wasseypur」での演技は決して忘れられない。周囲から恐れられるサルダールを一喝する度胸を持った肝っ玉母ちゃんで、インド人女性の強さを今までにない筆致で描写した、非常にリアルな役、そして演技だった。サルダールの2番目の妻ドゥルガーを演じたリーマー・セーンは一転してなんと艶めかしいことか。ベンガル人で、「Malamaal Weekly」(2006年)などヒンディー語映画の出演も過去にあるが、基本的には南インド映画女優である。白い肌、豊満な胸、そして背中。それを嘗めるように眺めるサルダール。しかもかなり直球のベッドシーンまである。「Gangs of Wasseypur」はA認証(18歳未満閲覧禁止)となっているが、暴力シーンを除けば彼女の存在がA認証の原因となっていると言っていい。だが、欲望をむき出しにしたこの映画には欠かせない存在だ。パート1の最後でサルダールを裏切っており、パート2でも重要な役割を果たすことが期待される。他にモホスィナーを演じたフマー・クライシーが第3のヒロインとなっていたが、一部のシーン(ファイザルとの会話)を除くとそれほど目立っていなかった。やはりパート2で重要な役割を果たすのだろうか?
音楽は主にスネーハー・カーンワルカル。最近MTVの「Sound Trippin」という番組を持っており、インド各所を巡って音集めをし、曲を作っている。「Oye Lucky! Lucky Oye!」の音楽監督として名を知られる。ヒンディー語映画界では珍しい女性音楽監督でもある。音楽は「Gangs of Wasseypur」の長所のひとつで、「Jiya Tu」、「O Womaniya」、「Ik Bagal」など、映画の雰囲気をそのまま音楽にしたような土臭い曲が目白押しだ。中でもスネーハー・カーンワルカルの才能が発揮されているのは「Hunter」だ。トリニダード・トバゴのチャトニー・ミュージックをベースに、「僕はハンター、彼女は僕のガンを見たがってる」というナンセンスな歌詞を歌った、英語とヒンディー語混じりの無邪気な曲になっている。トリニダード・トバゴには英領時代にサトウキビ・プランテーション労働者として移民したビハール系移民が多く、カリブの音楽とビハールの言語が混じった音楽が発展している。今回、ビハール地方を舞台にした「Gangs of Wasseypur」において、トリニダード・トバゴから逆輸入されたメロディーとリズムが使われている。サントラCD中もっとも異色の曲である。
一応ヒンディー語映画の範疇に入るが、言語は極度に写実的である。ただし、映画の舞台となっているダンバードの方言ではなく、ボージプリー方言やマガヒー方言に近い言語となっている。ヒンディー語学習者にとってはかなり聴き取り難易度の高い作品だ。しかもスラングやダブルミーニングが多用されており、さらに深い理解力を要する。しかしこの映画の醍醐味の大部分もその台詞にあり、それが楽しめないとこの映画の魅力は半減してしまうだろう。
「Gangs of Wasseypur」は、俊才アヌラーグ・カシヤプ監督の最新作。今週公開されたのは全編5時間の内の前半のみだが、これだけを切り取っても十分に名作だと言える。マノージ・パージペーイーの演技、リーマー・セーンの背中、スネーハー・カーンワルカルの音楽など、見所も多い。インド映画における「ゴッドファーザー」的な不朽の名作として、後世まで記憶されることになるほどの名作になるかもしれない。それほど際立った作品である。パート2が待ち遠しい。