Rocky Aur Rani Kii Prem Kahaani

4.0
Rocky Aur Rani Kii Prem Kahaani
「Rocky Aur Rani Kii Prem Kahaani」

 2020年からコロナ禍が始まり、相次ぐロックダウンや映画館封鎖によってインドの映画業界は大打撃を受けたが、特に不調が目立ったのがヒンディー語映画業界だった。将来を嘱望された俳優スシャーント・スィン・ラージプートの自殺がネポティズム(縁故主義)批判やボイコット・ボリウッド運動を呼び起こし、急速に勢力を拡大したOTTプラットフォームが映像作品の消費方法を一変させ、北インドで地道にファン層を広げてきた南インド映画がヒンディー語映画の覇権を脅かすようになった。ようやくコロナ禍の出口が見え始めた2022年、規制が緩和され新作映画が公開されるようになったが、ヒンディー語映画の多くは期待通りの興行収入を上げることができず撃沈していった。「ボリウッドの終焉」を口にする人も出始めるくらいだった。

 ヒンディー語映画界最大の危機を救ったのが、「キング」の愛称を持つシャールク・カーンと彼の主演作「Pathaan」(2023年/邦題:PATHAAN パターン)であった。2023年1月に公開されたこのスパイアクション映画は記録的な大ヒットになり、ヒンディー語映画界に漠然と立ちこめていた暗雲を一発で蹴散らしてしまった。この作品はシャールク・カーンにとって5年振りの主演作であった。

 シャールク・カーンが1990年代以降のヒンディー語映画黄金期を代表する俳優だとしたら、監督の代表はカラン・ジョーハルだ。彼はデビュー作「Kuch Kuch Hota Hai」(1998年)によってロマンス映画の定義を書き換え、その後、「Kabhi Khushi Kabhie Gham」(2001年)、「Kabhi Alvida Naa Kehna」(2006年)、「My Name Is Khan」(2010年/邦題:マイ・ネーム・イズ・ハーン)、「Student of the Year」(2012年/邦題:スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え!No.1!!)、「Ae Dil Hai Mushkil」(2016年)とコンスタントに話題作を監督し、業界を牽引してきた。プロデューサーとしても「Kal Ho Naa Ho」(2003年)、「Dostana」(2008年)、「Yeh Jawaani Hai Deewani」(2013年/邦題:若さは向こう見ず)、「Raazi」(2018年)、「Brahmastra Part One: Shiva」(2022年/邦題:ブラフマーストラ)など、数々の重要な作品を世に送り出している。現在のヒンディー語映画の主流は彼とその周辺にあるといっても過言ではない。

 シャールク・カーンと同じく、カラン・ジョーハルもコロナ禍を挟んでしばらく沈黙していた映画人だった。プロデューサーとしては相も変わらず活発で、時々短編映画も撮っていたが、長編映画監督としての彼は2016年を最後にすっかり身を潜めていた。シャールク・カーン主演作が業界の空気を明るくした後は、カラン・ジョーハルの監督作によるさらなる盛り上げが渇望されていた。

 2023年7月28日に満を持して公開された「Rocky Aur Rani Kii Prem Kahaani(ロッキーとラーニーの恋物語)」は、カラン・ジョーハルが7年振りに撮った長編映画である。主演はランヴィール・スィンとアーリヤー・バット。ジョーハル監督がランヴィール主演の映画を撮るのは初だが、アーリヤーとは彼女のデビュー作「Student of the Year」からの長い付き合いだ。どちらも現在トップスターの地位にある。主演スター以外にも脇役陣に圧倒的なスターパワーがあり、2023年の超話題作の一本だった。

 脇役陣を詳しく見ていこう。まずはダルメーンドラ、ジャヤー・バッチャン、シャバーナー・アーズミーの3人が目に付く。それぞれ一時代を築いた往年のスターたちであり、彼らの共演はそれだけで年配のファン層を呼び込む力がある。また、冒頭のダンスナンバー「Heart Throb」では、ヴァルン・ダワン、アナンニャー・パーンデーイ、サーラー・アリー・カーン、ジャーンヴィー・カプールという4人のA級スターたちがカメオ出演している。それぞれ主演を張れる人気と実力を持った俳優たちだ。ジョーハル監督のカリスマ性と人脈があったからこそ実現したキャスティングであろう。

 他に、トーター・ロイ・チャウダリー、チュルニー・ガーングリー、アーミル・バシール、クシティー・ジョーグ、アンジャリー・アーナンド、ナミト・ダースなどが出演している。音楽監督はプリータムである。

 ランダーワー家は北デリーのカロールバーグにある人気菓子店ダナラクシュミー・スイーツを家族経営し、裕福な生活を送っていた。ダナラクシュミー・スイーツをここまで発展させた立役者はダナラクシュミー(ジャヤー・バッチャン)であった。夫のカンワル(ダルメーンドラ)が事故により記憶喪失になってから経営の主導権を握り、経営者としての才覚を発揮してきた。ダナラクシュミーの息子ティジョーリー(アーミル・バシール)はプーナム(クシティー・ジョーグ)と結婚し、二人から生まれたのがロッキー(ランヴィール・スィン)であった。ロッキーは筋肉の増強にしか興味がない自堕落な若者であった。また、ロッキーの妹ガーヤトリー(アンジャリ・アーナンド)は太っており、なかなか結婚相手が見つからなかった。

 ある日、カンワルが急に「ジャーミニー」という名前を呼び出す。ロッキーがジャーミニーの正体を調べると、それはニュース番組「インディア・ナウ」のアナウンサー、ラーニー・チャタルジーの祖母(シャバーナー・アーズミー)のことだと分かった。ロッキーは早速ラーニーに会いに行き、事情を話す。ラーニーが家に帰ってジャーミニーにカンワルのことを聞いてみると、彼女は昔の話を語り出す。

 カンワルとジャーミニーは、1978年にシムラーで行われた詩会で出会い恋に落ちたという。だが、お互いに既婚者だったため、それ以上その関係を進めることはせず、離れ離れになった。だが、カンワルもジャーミニーも恋心を内に秘めながら40年以上過ごしてきたのだった。

 ラーニーは、父親チャンドン(トーター・ロイ・チャウダリー)、母親アンジャリ(チュルニー・ガーングリー)と共にジャーミニーを連れてランダーワー家を訪れる。カンワルはジャーミニーを見て過去の記憶を思い出し、思い出の歌を歌い出す。しかも、ダナラクシュミーの前で二人は口づけを交わす。ダナラクシュミーは卒倒してしまう。

 それ以来、ロッキーとラーニーはカンワルとジャーミニーを密会させていた。それと平行してロッキーとラーニーもいちゃつくようになる。

 ロッキーはラーニーに本気に恋をし、彼女にプロポーズをする。当初、ラーニーはロッキーが無教養であるため見下していたが、彼のことが忘れられなくなり、最終的にロッキーと結婚することを決める。ただし、ラーニーが結婚後にランダーワー家に入ることを拒否した。そこで二人は話し合い、3ヶ月間、お互いの家に居候し、家族に慣れることにする。

 ランダーワー家に住み始めたラーニーは、ダナラクシュミーとティジョーリーからは冷たくあしらわれるものの、プーナムやガーヤトリーとは打ち解けるようになる。ラーニーは、プーナムが結婚を機に歌手になるのを諦めたことを知る。また、ガーヤトリーに投資の才能があることを見抜く。だが、家父長制の強いランダーワー家では自分らしく生きることができていなかった。ラーニーは彼女たちの自立を応援する。

 一方、チャタルジー家に住み始めたロッキーは、教養のなさに呆れられながらも、徐々に彼らの心を勝ち取っていく。ロッキーはチャンドンからカッタクを習い始め、ベンガル語の詩も覚え、彼らの文化や生活様式に溶け込む努力をする。

 ドゥルガープージャー祭の日、ロッキーはチャンドンと共にカッタクを踊る。そこにはランダーワー家も招待されていた。ロッキーの変わり果てた姿を見てダナラクシュミーとティジョーリーは憤怒し、会場を後にする。ロッキーは彼らを追いかけ止めようとするが、間に割って入ったラーニーがティジョーリーと喧嘩になり、ラーニーはティジョーリーを叩いてしまう。それが原因でロッキーとラーニーの間で口論が起き、二人は絶交する。

 ランダーワー家ではプーナムやガーヤトリーがティジョーリーやダナラクシュミーに反旗を翻す。ティジョーリーは改心し、ラーニーに謝罪をする。ロッキーとラーニーは仲直りをし、結婚することになる。最後にはダナラクシュミーも自分の過ちを認め、ラーニーに謝罪する。

 2023年、ハリウッドではジェンダーを切り口に米社会を痛烈に風刺した「バービー」(2023年)が大ヒットした。インドにおいてそれに匹敵する映画としてこの「Rocky Aur Rani Kii Prem Kahaani」を挙げてもいいだろう。この映画の主題はジェンダーであった。ただし、「バービー」と同じく、変化球で攻めるタイプの映画である。

 主人公ロッキーが生まれ育ったランダーワー家は保守的な家父長制の一家である。ただし、家父長として君臨しているのは男性ではなく女性のダナラクシュミーだ。夫は存命だが、事故により記憶を失って半分植物人間のようになってしまっており、ランダーワー家がファミリービジネスとして経営する菓子ビジネスでも、家庭内でも、全く実権を持っていなかった。女性が家父長になれば家父長制の欠点は解消されるかといえばそんなことはなく、ランダーワー家の女性たちは抑圧された生活を送っていた。ダナラクシュミーの息子ティジョーリーの妻プーナムは、抜群の歌声を持っており、アーシャー・ボースレーのような歌手になることを夢見ていたが、結婚したことで夢を絶たれ、主婦としての人生を余儀なくされる。ティジョーリーとプーナムの娘でロッキーの妹でもあるガーヤトリーも、無理にお見合いをさせられていた。家父長制は男性に問題があるのではなく、システム自体に問題があることが指摘されていたと見ていいだろう。

 一方、もう一人の主人公ラーニーが生まれ育ったチャタルジー家は、モダンでリベラルな家庭であった。祖母のジャーミニーは詩を愛する文化人であり、息子のチャンドンはカッタクダンサーであった。そしてチャンドンの妻アンジャリはデリー大学で英文学の教授をしていた。ラーニー自身も自立し自信に満ちたイマドキの女性であり、ニュース番組のアナウンサーをしていた。チャタルジー家では頻繁に「カルチャークラブ」が催され、文化人が集まり、詩の朗読などを行っていた。

 そういう家庭で生まれ育ったラーニーは、社会に組み込まれた女性抑圧にも敏感だった。ロッキーとラーニーは恋に落ち、結婚も考え始めるが、結婚後に女性が男性の家に嫁入りするという習慣に対してラーニーは疑問を呈する。その解決策として二人が思い付いたのが、結婚前にお互いに相手の家に住み込んでみるというものだった。特に、ロッキーがチャタルジー家に住み込むという点がインド社会では新しい。インドには「ガル・ジャマーイー」という言葉があり、男性が妻の実家に住んだり滞在したりすることは屈辱的な行為として忌避されている。ロッキーが脳天気な性格だったため、婚家に嫁ぎ、夫の家族と同居する女性の大変さが必ずしも実感され共有されていたわけではなかったが、これからのインドを担う若いカップルたちに斬新な視点を提供しただけでも大きな功績だといえるだろう。

 ランダーワー家に住み始めたラーニーは、プーナムとガーヤトリーに夢を追い自分らしく生きる生き方を教え、ダナラクシュミー・スイーツのCMを大変革して売上アップに貢献する。プーナムは歌手コンテストに出場し、ガーヤトリーは就職の面接を受ける。ラーニーは、男性が菓子作りをするCMを提案し、「सोच नई, स्वाद वहीソーチ ナイー スワード ワヒー(新しい考え、変わらぬ味)」というキャッチコピーまで考案した。どれも、家父長制や男尊女卑社会を過去のものにしようとする努力であった。

 とはいっても、「Rocky Aur Rani Kii Prem Kahaani」は決して男性だけが矢面に立たさた映画ではなかった。男性以上に独善的な家父長として君臨していたダナラクシュミーの存在は最たるものであるが、多少大袈裟なキャラではあった。それよりももっと身近な指摘があったことに注目したい。それは、男性が女性に対してしてはいけないとされていることを、女性が男性に対して気軽に行ってしまっているのではないかという点だ。ラーニーは、レイプの原因を被害女性の服装、食事、持ち物などだと主張する政治家をカメラの前でコテンパンに論破する。だが、その直後にラーニーは初対面のロッキーが着ていた、前がはだけて胸が丸見えの服装を見て、冗談めかしたコメントをする。もし男性が女性の服装や体型について同じことを言ったら、現代社会では糾弾される。だが、女性が男性の服装や外見についてコメントすることは許容されやすい。ロッキーはその不平等さを鋭く指摘し、ラーニーを黙らせてしまう。

 これまで男性の仕事とされてきたものを女性が行うことも、現代ではかなり許容されてきたといえる。ダナラクシュミーは会社の経営者でもあったが、女性の経営者は現代のインド社会では当たり前になっている。だが、フェミニンな仕事を男性がすることに対して、同じだけ許容されているだろうか。その点について掘り下げられていたのが、ラーニーの父親チャンドンのエピソードである。彼は幼い頃から踊りに興味を示し、ダンサーになりたいと願っていた。だが、インドでは舞踊は女性的なイメージが強い。そのため、父親は息子を殴ってまでしてその夢を諦めさせようとした。チャンドンがカッタクダンサーになれたのも、父親が死んだ後、ジャーミニーが彼を応援したからだった。チャンドンのエピソードには、ゲイであることを半ば公表しているカラン・ジョーハル監督自身の体験が反映されているとされている。

 男女において暴力を振るうのも男性だと相場が決まっている。だが、劇中において唯一直接暴力を振るう姿が映し出されたのはラーニーであり、その相手はなんとロッキーの父親ティジョーリーであった。当然、ラーニーは暴力を振るったことで糾弾され、それに感情的に反応したために、ロッキーと一旦絶交になってしまう。

 とかくジェンダーというと男尊女卑社会が強調される傾向にあるが、「Rocky Aur Rani Kii Prem Kahaani」では、ジェンダーについて一方的ではない論調で考察が加えられており、深みがあった。それに加えて、ランダーワー家とチャタルジー家では出身地とカーストが異なることにも注目したい。ランダーワー家はパンジャーブ人であり、チャタルジー家はベンガル人である。また、ランダーワー家は農民カーストのジャートであり、チャタルジー家はブラーフマン(バラモン)である。映画の中では両家の違いがことさらに強調されていたが、確かに普通ならこの両家が婚姻関係を結ぶことはない。ジョーハル監督がプロデューサーを務めた「2 States」(2014年)では、パンジャーブ人一家とタミル人一家の結婚を通して、新郎新婦が自分の両親を相手に引き合わせるという「現代型のお見合い」が提示されていたが、それを引き継いだストーリーだといえる。言語面でもこの2つのコミュニティーの特徴が反映されており、ヒンディー語をベースに、パンジャービー語とベンガル語のセリフが飛び交っていた。

 また、舞台はデリーであったが、ランダーワー家とチャタルジー家は異なるデリーを象徴していた。ランダーワー家は北デリーのカロールバーグを拠点としていた。カロールバーグはパンジャーブ人が多い商業地区だ。一方、チャタルジー家は南デリーのチッタランジャンパークに居を構えていたようである。チッタランジャンパークはデリーの中でもベンガル人が特に多い地域である。デリーの住宅街には格付けがあるのだが、北デリーよりも南デリーの方が格上だ。ロッキーはラーニーを「南デリーの女」呼ばわりしていたが、それは南デリーという地域が醸し出すハイソなイメージを揶揄したものである。

 この映画にジェンダーよりももっと大きな枠組みの主題があるとしたら、それは「偏見」である。人はどうしてもその人のバックグランドやレッテルを見て判断してしまう。チャタルジー家は保守的かつ派手好きなランダーワー家を無学で卑しい家庭だと見下し、ランダーワー家はリベラルで文化的なチャタルジー家をふしだらな家庭だと決め付けていた。だが、そういう偏見を振り払い、人間同士の関係を築けるならば、誰しもが分かり合えるという希望を与えてくれる映画でもあった。

 物語の起点は、カンワルとジャーミニーの、忘れ形見のような恋愛だった。ジャーミニーの夫は既に亡かったものの、カンワルの妻ダナラクシュミーは健在だった。この二人の恋愛をどのように着地させるかには興味があったのだが、結局カンワルの死によって恋愛を成就させなかった。ジェンダーという主題を追うために二人の恋愛はサイドストーリー化してしまっていたのだが、逃げにも感じた。ダルメーンドラとシャバーナー・アーズミーの取り合わせも面白かった。もう少し膨らませて欲しかったものだ。

 インド映画にそれほど造詣が深くなくても楽しめる映画ではあるが、やはり年季の入った映画ファンの琴線に触れるシーンが多かった映画でもあった。過去の有名な映画音楽がいくつもアレンジして使われていた。特にインパクトが強かったのは、「Hum Dono」(1961年)の挿入歌「Abhi Na Jaao Chhod Kar」だ。記憶喪失になったカンワルがジャーミニーと再会し、突然歌い出したのがこの曲だった。

 ドゥルガープージャーでのダンスナンバー「Dhindhora Baje Re」の前には、「Devdas」(2002年)の「Dola Re Dola」に合わせてロッキーとチャンドンが踊る。これは元々、マードゥリー・ディークシトとアイシュワリヤー・ラーイが踊った曲で、カヴィター・クリシュナムールティとシュレーヤー・ゴーシャールが歌っている。それを男声でリミックスし、男性2人が踊る。この辺りも映画の主題に沿ったアレンジだと捉えることができる。また、チャンドンが結婚式で踊ったカッタクも「Devdas」のものだ。曲名は「Kahe Chhed Mohe」。マードゥリー・ディークシトが踊っており、名曲の誉れが高い。こちらは原曲が使われており、声はカヴィター・クリシュナムールティであった。

 さらに、「What Jhumka?」は「Mera Saaya」(1966年)の挿入歌「Jhumka Gira Re」のリミックスである。カシュミール地方の雪山で撮影された「Tum Kya Mile」はヤシュ・チョープラー監督の作風へのオマージュであり、「Dhindhora Baje Re」はサンジャイ・リーラー・バンサーリー監督スタイルの再現だという。

 このように、「Rocky Aur Rani Kii Prem Kahaani」にはヒンディー語映画が培ってきたエッセンスが詰め込まれている。ダンスの数も、近年のヒンディー語映画としては異例の多さだ。ジョーハル監督は原点回帰をすることで、低迷していたヒンディー語映画の息を吹き返らそうとしたのだろう。

 「Rocky Aur Rani Kii Prem Kahaani」は、カラン・ジョーハル監督久々の長編映画だ。走り出しは多少不安定だが、中盤以降、グッと引き付けてくるものがある。娯楽映画として純粋に楽しめる上に、ジェンダーについて多角的な視点で考察を加えており、しかも結婚前に結婚相手の家族と試しに同居するという新たな「同棲」も提案している。興行的にも成功しており、2023年下半期のヒンディー語映画快進撃の原動力になった。必見の映画である。