Ae Dil Hai Mushkil

3.5
Ae Dil Hai Mushkil
「Ae Dil Hai Mushkil」

 カラン・ジョーハルは「Kuch Kuch Hota Hai」(1998年)で監督デビューした後、常にヒンディー語娯楽映画の中心にいた。しかし、業界内におけるその圧倒的な存在感とは裏腹に、彼の監督としての才能には常々疑問を感じていた。シャールク・カーンをはじめとしたオールスターキャストの王道的な大予算型娯楽映画をまとめ上げる力は抜きん出ていたが、デビュー作からなまじっか大成功を収めてしまったためか、繊細な感情の表出や緻密な展開の積み重ねから来る味わい深さに欠けるところがあった。当時としては異例の不倫を扱った映画「Kabhi Alvida Naa Kehna」(2006年)も生焼けの印象を受けた。彼が初めてその殻を破ることに挑戦したのは「My Name Is Khan」(2010年)であったが、病気を使って安易な感動を呼び起こそうというあざとさが鼻についたものだった。「Student of the Year」(2012年)に至っては、なぜ彼がわざわざこのタイミングで自らメガホンを取ってこのような作品を撮ったのか、理解に苦しんだ。

 その一方、2016年10月28日、ディーワーリー週に公開されたカラン・ジョーハル監督の最新作「Ae Dil Hai Mushkil」は、彼の監督としての成長を感じた作品であった。

 「Ae Dil Hai Mushkil」とは、「ああ、心は難しい」という意味である。メインキャストはランビール・カプール、アヌシュカー・シャルマー、アイシュワリヤー・ラーイ・バッチャン。他に、シャールク・カーン、ファワード・カーン、アーリヤー・バットが友情出演している。音楽はプリータムである。

 21世紀のヒンディー語映画界において、最も最先端、高品質かつ多様なロマンス映画を作り続けているのは「Jab We Met」(2007年)などのイムティヤーズ・アリー監督だと信じて疑わないが、「Ae Dil Hai Mushkil」からは、イムティヤーズ映画の多大な影響を感じた。ネットで検索してみても、同じような意見を抱くレビュアーは多かったようなので、気のせいではないだろう。現代ヒンディー語ロマンス映画の最高峰であるイムティヤーズ映画に近い作品を撮れるようになったことでもって、カラン監督の「成長」と短絡的に評価しているわけだが、さすがにそれは彼に失礼かもしれない。また、言い方を変えれば、当然のことながら、イムティヤーズ映画を換骨奪胎しているという誹りを逃れられない。しかしながら、この「Ae Dil Hai Mushkil」からは、今までの表層的ロマンスから脱却し、恋愛の底の底にまで手を伸ばそうとするカラン監督の意気込みをひしひしと感じた。賛否両論のようだが、個人的には2016年のヒンディー語ロマンス映画の中では無視出来ない作品であるし、カラン監督のフィルモグラフィーにおいても重要な位置を占めることになるだろう映画だと評価している。

 物語は、ランビール演じるアヤーンとアヌシュカー演じるアリーゼーを中心に展開する。ロンドンでミュージシャンになることを夢見ながらMBAを学んでいたアヤーンはある晩、ナイトクラブでアリーゼーと出会う。アヤーンはアリーゼーに惹かれるが、アリーゼーは昔の恋人DJアリー(ファワード・カーン)を忘れられておらず、アヤーンとの関係を頑なに友人止まりとする。アヤーンとアリーゼーは、それぞれ恋人のリザとファイサルと別れたことをきっかけに、パリへ旅行に出かける。二人の仲は接近したかに見えたが、そこで偶然アリーゼーはDJアリーと再会してしまう。アリーゼーはDJアリーとパリに残ることを決め、アヤーンは一人ロンドンに帰る。

 やがてアリーゼーから電話があった。アリーゼーはラクナウーにおり、DJアリーとの結婚式を準備中だった。アヤーンは結婚式に参加するが、居たたまれなくなって途中で抜け出す。ロンドンへの帰りに立ち寄ったフランクフルト空港で、アヤーンはウィーン在住のインド人女流詩人サバー(アイシュワリヤー・ラーイ・バッチャン)と出会う。サバーに惹かれたアヤーンはその後、ウィーンでサバーと同棲するようになる。サバーは離婚しており、前夫のターヒル(シャールク・カーン)は芸術家だった。アヤーンはターヒルとも出会う。あるとき、アリーゼーがウィーンを訪れ、アヤーンは彼女の家に招待する。そこでの会話でサバーは、アヤーンが本当に愛しているのはアリーゼーであることを察知し、彼と別れる。

 アヤーンはサバーの詩に音楽を載せて歌を歌うようになり、それが人気を博すようになる。あるとき、コンサートでDJアリーと再会し、アリーゼーと別れたことを知る。アヤーンはアリーゼーを探すが、どこにも見つからない。アヤーンは、かつてアリーゼーから聞いたお気に入りの場所へ行き、彼女が現れるのを待ち続ける。

 以上のようなストーリーである。

 「Ae Dil Hai Mushkil」の題名が示唆するように、この物語は報われない恋愛を題材としている。しかし、必ずしもネガティブな描き方ではない。むしろ、報われない恋愛の礼賛をしている。

 そのテーマが明確になるのは、後半、画廊でアヤーンがターヒルと話すシーンである。ターヒルはサバーと離婚しているが、まだサバーのことを想っており、彼女と一定の距離を保ちながら複雑な関係を維持している。そのターヒルがアヤーンに、「報われない恋愛にこそ力がある」と諭す。ここは一瞬だけシャールク・カーンが友情出演するシーンでもあり、どうしてもそちらの方に目が行ってしまいがちが、ただそれだけに特別に用意されたシーンではない。この台詞、このシーンがあるおかげで、映画全体を貫くテーマが明らかになる。そういう重要なシーンをシャールクに任せたのである。

 報われない恋愛をもっとも強く体現しているのは主人公のアヤーンである。アヤーンは終始アリーゼーに対して報われない恋愛をしている。しかし、よく見てみると多くの登場人物が片思いをしている。ターヒルはサバーに対して、サバーはアヤーンに対して。アリーゼーだけは、長年想い続けたDJアリーと結婚しており、その意味では報われた恋愛をしているのだが、映画を最後まで観れば、彼女も必ずしもそうではないことが分かる。

 そしてミュージシャンとなったアヤーンにとって、報われない恋愛をしていることが力となり、その歌に痛みが伴い、聴衆の共感を呼ぶようになる。もちろん、サバーの詩を得たことも彼の成功のひとつの要因と言えるが、それだけではない。アヤーンの歌に痛みがないと指摘したのはアリーゼー自身であり、そのアリーゼーに対する狂おしい恋愛感情がアヤーンを一流の歌手へと昇華させた。

 当然、この辺りは、同じランビール・カプール主演「Rockstar」(2011年)と共通したテーマである。「Ae Dil Hai Mushkil」の強みでもあり、弱みでもある。だが、「Rockstar」はより高度で難解な映画だったため、「Ae Dil Hai Mushkil」と合わせて噛み砕き味わえば、その良さがよい分かるのではないかとも感じた。

 もし、カラン・ジョーハル監督がさらなる成長をしたいならば、病気や死に頼るプロットから卒業することだ。彼の映画は、必ずと言っていいほど、重要な登場人物の病気や死を安易に物語の転換点に利用して、安い感動に結びつけている。上のあらすじでは触れていないが、「Ae Dil Hai Mushkil」についてもそれが言える。それさえ克服できれば、カラン監督のみならず、ヒンディー語娯楽映画業界全体のレベルアップにつながるのではないかと期待する。

 ちなみに、アヤーンはヒンドゥー教徒、アリーゼーはイスラーム教徒であり、この2人の恋愛は宗教を越えている。もっと言えば、サバー、ターヒル、DJアリー、ファイサル(アリーゼーの恋人)もイスラーム教徒であり、主要登場人物の中でヒンドゥー教徒はアヤーンのみとなる(アヤーンの恋人リザはキリスト教徒)。しかしながら、恋愛や結婚において宗教が壁となることがこの映画では全くない。言及されることすらない。これはインド映画では稀なことである。好意的に見れば、敢えて宗教に触れないことで、宗教が壁とならない理想の世界を描き出していると取れるだろう。だが、別の見方をすれば、インドを悩ます重要な問題から逃げているとも取ることができる。

 宗教問題もそうだが、この映画が直面したのは国籍問題である。この映画の公開時はジャンムー&カシュミール州などでパーキスターン人武装勢力によるテロがあった影響で印パの関係が悪化した時期であり、パーキスターン人俳優のファワード・カーンを起用したことに対する批判が極右政党を中心に沸き起こった。それを受け、映画の上映中止を恐れたカラン監督は「今後、パーキスターン人俳優を使わない」と宣言し、それがまた批判を浴びた。だが、何とか公開にはこぎ着けた。ただ、印パ問題は宗教問題とも無関係ではない。こういう問題に巻き込まれた映画が宗教色を全く消していることは何とも皮肉なことだ。

 登場人物にイスラーム教徒が多いことも影響しているのか、この映画の台詞には、ウルドゥー語と言っていいほど、アラビア語・ペルシア語の語彙が多い。特にウルドゥー語詩人サバーの台詞は、高度な教養を感じさせる言葉遣いをしている。玄人はその辺りを楽しむこともできる映画だ。

 「Ae Dil Hai Mushkil」は、カラン・ジョーハル監督の成長を感じさせるロマンス映画。イムティヤーズ・アリー監督の映画が好きならば、きっと共鳴するものがあるはずだ。ただ、「イムティヤーズ映画の寄せ集め」という批判も甘んじて受け入れなければならないという弱みもある。おそらくカラン監督の次のロマンス映画は、成熟したものになるのではないかと予想する。どうしてもランビール・カプール、アヌシュカー・シャルマー、アイシュワリヤー・ラーイ・バッチャン、シャールク・カーンなどのスターパワーに目が行きがちだが、こういう大人の映画を作れるようになったカラン監督の今後の成長を見守って行きたい。