
2026年7月3日公開の「Alpha」は、ヤシュラージ・フィルムスのYRFスパイ・ユニバース第7作だ。第6作「War 2」(2025年/邦題:WAR バトル・オブ・フェイト)の最後で、題名およびティーザーと共にアナウンスされていた。ただ、「War 2」から「Alpha」までの間、「Dhurandhar」(2025年/邦題:ドゥランダル作戦)と「Dhurandhar: The Revenge」(2026年)という強烈なスパイ映画がヒンディー語映画界およびインド全土を席巻したこともあって、時代が変わってしまった。YRFスパイ・ユニバースが基調としてきたスタイリッシュでゴージャスなマサーラー映画的作風は「Dhurandhar」シリーズの比較対象にされ、「前時代の遺物」扱いされることもあった。そんな中公開されたのが「Alpha」であり、これまでのYRFスパイ・ユニバースの作品群に比べて背負っているものが大きかった。
「Alpha」の興行成績を先に明らかにすると、製作費を回収できないくらいの失敗に終わった。いわゆる「ボックスオフィス・ボム」である。インドの映画業界において伝統的なヒットの基準とされている国内興行収入10億ルピーにも達しなかった(参照)。またあのノリでスパイ映画を作ってしまったから失敗したのかと考えたが、2026年8月28日にNetflixで配信された同映画を鑑賞したところ、意外にダークなトーンに味付けされていた。「Dhurandhar」作戦の影響もあったのかもしれない。そして、結構楽しかった。それなのになぜ「Alpha」が失敗したのかは、考察するに値するトピックになると感じた。
さて、「Alpha」のプロデューサーは例によって例のごとくYRFのアーディティヤ・チョープラー会長である。そして監督はシヴ・ラワイルという人物だ。今までYRFスパイ・ユニバースで監督を任されてきたのは、カビール・カーン、アリー・アッバース・ザファル、スィッダールト・アーナンド、マニーシュ・シャルマー、アヤーン・ムカルジーと、ある程度実績のある監督たちばかりだった。だが、ラワイル監督は、Netflixドラマ「The Railway Men: The Untold Story of Bhopal 1984」(2023年)を撮った実績はあるが長編映画の監督の経験はない。抜擢人事だといえる。
また、今までのYRFスパイ・ユニバースと決定的に異なるのは、女性主人公の映画ということだ。タイガー、カビール、パターンと、今までは男性スパイが主人公の作品ばかりだったが、「Alpha」の主演は2人の女優、アーリヤー・バットとシャールヴァリーである。「RRR」(2022年/邦題:RRR)に出演したことで日本でも知名度のあるアーリヤーは、2010年代から20年代に掛けて第一線で活躍してきたスター女優かつ血統書付きのスターキッドなので、栄えあるYRFスパイ・ユニバースにて彼女の看板映画が作られることに異論はないが、シャールヴァリーの起用はこれまた抜擢としかいいようがない。一応「Munjya」(2024年)を当てており、勢いがあるものの、まだトップ女優を名乗るには早い。女性中心映画であること、そして主演女優の一人がまだ確立されたスター女優ではないことが作品にどう影響するのかが注目されていた。
それでも、キャストは相変わらず豪華である。アニル・カプール、ディーヤー・ミルザー、ボビー・デーオール、ディビエーンドゥ・バッターチャーリヤ、そしてリティク・ローシャンが出演している。この中でアニルは「War 2」で演じたヴィクラーント・カウルRAW局長役を引き続き演じ、リティクは「War」「War 2」で演じたカビール役で特別出演して、「Alpha」のストーリーが他の作品群と同じユニバースにあることを示していた。
1999年7月27日、カールギル紛争の直後。ヴィクラーント・カウル大佐(アニル・カプール)は紛争を生き残ったものの、多くのインド人兵士たちが犠牲になったことを悲しんでいた。ファテー・スィン・ラカーワト大佐(ボビー・デーオール)はカウル大佐に「アルファ」と呼ばれる極秘プロジェクトへの参加を求める。
このプロジェクトでは、「アルファ」と呼ばれる特別なリンパ液を兵士に注入し、超人的な力を引き出すというものだった。カウル大佐はその兵士たちを訓練する役割を担った。一方、カウル大佐は妊娠した妻ジャーナキー(ディーヤー・ミルザー)の命を救うため、密かに「アルファ」液を盗み出し、彼女に注入する。だが、「アルファ」液はまだ未完成で、注入された兵士たちは次々に死んでいった。ジャーナキーも命を落としたが、子供は助かった。ラカーワト大佐は生まれた子供を連れて行く。カウル大佐が子供を取り返しに行くが、その子供は死んでいた。カウル大佐はその子を葬る。
ラカーワト大佐は「アルファ」プロジェクトを無断で実行し、しかも兵士たちを死なせたことで、降格され、メーガーラヤ州チェッラプンジの駐屯地に配属となる。だが、彼は密かにラージャスターン州に秘密基地を作り、「アルファ」液を開発した科学者ジョン・ヴァルギース博士(ディビエーンドゥ・バッターチャーリヤ)に「アルファ」プロジェクトの続行を命じる。その基地には、ジャーナキーから生まれた子供が確保されていた。実はカウル大佐に見せた死産の子は別人だったのである。
その子供はスィーター(アーリヤー・バット)と名付けられ、基地の中で育てられる。幼少時から高いIQを誇ったが、戦闘力に目立った特徴は見られなかった。だが、初潮を迎えるとホルモンの影響で覚醒し、超人的な聴覚などを発揮する。
2026年、突然スィーターが暴走し、「アルファ」プロジェクトに関わった人々を殺害して回った。残るは、RAW局長に就任したカウル大佐とラカーワト大佐だった。スィーターはカウル大佐がスペインを頻繁に往き来していることを知り不審に思う。実はカウル大佐はスペインに、ジャーナキーが生んだ別の子供をかくまっていた。その子供はドゥルガー(シャールヴァリー)という名前だった。スィーターとドゥルガーは双子であり、看護師の機転によってドゥルガーの存在はラカーワト大佐に知らされなかったのである。
スィーターは、カウル大佐がカシュミール地方に所有する別荘に潜入し、彼を待ち構える。そこに現れたのはドゥルガーだった。姉の存在を知らされていたドゥルガーはスィーターと対話しようとするが、スィーターは彼女への攻撃を止めなかった。カウル大佐の介入によって二人の戦いは止まるが、スィーターは隙を突いて二人に反撃し、彼らを捕縛する。スィーターは、ドゥルガーが自分の双子の妹であること、そしてカウル大佐が自分の父親であることを聞き、最初は信じられなかったが、一応納得する。スィーターは二人に、ヴァルギース博士からカウル大佐が彼女の脳細胞を摘出して完全な「アルファ」兵士を作り出そうとしていることを聞き、反旗を翻した経緯を明かす。それは「オデッセイ作戦」と呼ばれていた。そこへカウル大佐の部下たちによる襲撃がある。カウル大佐は二人を逃がし、単身応戦する。
スィーターとドゥルガーはラダック地方へ行き、そこでカビール(リティク・ローシャン)と会う。だが、カウル大佐はラカーワト大佐に捕らえられており、二人の居場所を知られていた。スィーターとドゥルガーは再びラカーワト大佐の部下たちによる襲撃を受ける。カビールも加勢し、二人を助けるが、ドゥルガーは負傷してしまう。スィーターはドゥルガーをカビールの隠れ家に残し、一人でカウル大佐を救出にシュリーナガルへ向かう。
スィーターはカウル大佐が囚われていた倉庫に忍び込むが、罠であり、ラカーワト大佐に爆弾や地雷と共に閉じこめられる。カウル大佐はドゥルガーも捕まえていた。スィーターとカウル大佐は絶体絶命のピンチの中でも力を合わせて生き残る。また、実はラカーワト大佐はパーキスターンから送り込まれたスパイだったことが明らかになる。
ラカーワト大佐は、スィーターの双子の妹ドゥルガーの存在を知り、スィーターではなくドゥルガーの脳細胞でオデッセイ作戦を実現しようと考える。ラカーワト大佐はドゥルガーをパーキスターン領にある基地に連行するが、そこへスィーターとカウル大佐が突入し、乱戦となる。ドゥルガ-も自ら脱出し、囚われていたインド人兵士たちを解放して戦いに加わる。スィーターとラカーワト大佐は一騎打ちし、死闘の末にスィーターはラカーワト大佐を殺す。
カウル大佐はスィーターとドゥルガーをRAWのエージェントとして正式に受け入れる。
「Alpha」にどこまで「Dhurandhar」シリーズの影響があったかは、公式な声明があるわけではないので想像するしかないが、今までのYRFスパイ・ユニバースの作品群とかなり気色の異なる映画だったと感じた。
もっとも大きな転換は、パーキスターンを完全な悪役として描いていたことである。老舗であり大手の映画コングロマリットであるヤシュラージ・フィルムスは伝統的に隣国との親善や協調を訴えかける作品を作ってきた。「Bajrangi Bhaijaan」(2015年/邦題:バジュランギおじさんと、小さな迷子)がその典型である。YRFスパイ・ユニバースでも、パーキスターンの諜報機関ISIのエージェントが敵役として登場することはあるが、より大きな巨悪に対してインドの諜報機関RAWとISIが手を携える場面が何度も描かれており、基本は印パ親善になっている。だが、「Alpha」ではそのような親善の手はパーキスターン側に安易に差し伸べられていない。「Dhurandhar」シリーズには、パーキスターンを「テロ支援国家」として非難するメッセージが込められており、それと近いものを「Alpha」から感じた。
面白いのは、「Alpha」ではパーキスターンからインドに潜入したスパイが暗躍していたことだ。スィーターを殺人兵器として育てたラカーワト大佐は、実は数十年前にパーキスターンから送られたエージェントだったのである。「Dhurandhar」シリーズは、インドからパーキスターンに送られたスパイの物語だったが、それと真逆だ。これは偶然であろうか。「Alpha」を観ていて、どうもスィーターとドゥルガーがスパイに見えなかったので、「YRFスパイ・ユニバース」は看板違いなのではないかと感じていたが、実はスパイはラカーワト大佐の方だったのである。これは意外なサプライズだった。
「Alpha」の物語は1999年のカールギル紛争から始まる。実際に起きた事件と結びつける手法も「Dhurandhar」シリーズを想起せずにはいられない。これまでのYRFスパイ・ユニバースの作品群で、実際の事件が言及されたことがあっただろうか。ちなみに「Dhurandhar」は、カールギル紛争から約半年後の1999年12月に起きたIC814便ハイジャック事件から始まり、2006年のムンバイー同時多発テロが重要な転換点として使われている。
今までのYRFスパイ・ユニバース作品群の中でもっともダークな作品だったことも注目すべきである。そのダークさを一身に背負っていたのはアーリヤー・バット演じるスィーターだ。生まれた瞬間から殺人兵器として、また実験台として育てられ、家族の温かさや無垢な子供時代を経験しなかったために、感情を露わにしないロボットのような性格になっていた。だが、スィーターの対極的存在としてドゥルガーが設定され、彼女の天真爛漫な性格がスィーターの石のような心を次第に溶かしていく様子が描かれ、この辺りはインド映画的メロドラマ性を感じさせられた。
スィーターとドゥルガーは双子の姉妹という設定だった。インド映画では、普通「双子」といえば、一人の俳優が二役を演じる。だが、「Alpha」ではあえてアーリヤー・バットとシャールヴァリーという全く別の女優を起用している。この辺りは不思議である。アーリヤーは、親の七光りで映画界に入ったスター女優ではあるが、演技力に定評のある実力派女優でもあり、一人二役でスィーターとドゥルガーを演じることも困難ではなかったはずだ。ドゥルガー役にわざわざシャールヴァリーを起用しなければならなかった理由があったのだろうか。おそらく彼女が選ばれたひとつの理由は、アーリヤーと背丈が似ていて双子の姉妹を演じる上で違和感が少なかった点があったであろう。だが、この起用法についても従来とは異なる判断が働いていたように感じられてならない。
だが、従来のYRFスパイ・ユニバースと作風が異なるからといって、それが興行的な失敗の原因だとは思えない。むしろ結構面白かった。特にスィーターがダークな雰囲気をまとっている前半は引き付けるものがあったが、これにはアーリヤーの演技力も大いに貢献していたといえる。スィーターとドゥルガーを引き合わせるのが早すぎたり、カビールの登場が単なるファンサービス以外の何物でもなかったり、ラカーワト大佐が強すぎて「アルファ」液は必要なかったのではないかと思ったりと、いいたいことはたくさんあるが、悪い映画ではなかった。アクションシーンも迫力があった。「Alpha」が興行的に失敗した理由を突き詰めていくと、女性中心のアクション映画に対して世間に蔓延している偏見に行き着くのではないかと感じた。
YRFスパイ・ユニバースではここのところ、続編を匂わす終わり方をしていた。そもそも「Alpha」のティザー映像も「War 2」の最後で流されていた。だが、「Alpha」の中ではそのような仕掛けを見つけられなかった。一応、「Pathaan 2」や「Tiger vs Pathaan」といったタイトルがアナウンスされているが、どうなるだろうか。
「Alpha」は、YRFスパイ・ユニバースとしては初となる女性が主人公の映画である。キャスティングに多少の疑問を感じるものの、ダークな雰囲気がこのシリーズとしては新鮮で、十分に面白く、興行的に失敗した理由が分からない。YRFスパイ・ユニバースのファンならば安心して観てほしい作品である。
