Thamma

3.5
Thamma
「Thamma」

 現在、ヒンディー語映画界でアーディティヤ・チョープラーやカラン・ジョーハルといった重鎮に匹敵するほど成功を収めているプロダクションがマドック・フィルムスであり、その社長であるディネーシュ・ヴィジャーンである。特にヴィジャーンは「マドック・ホラーコメディー・ユニバース(MHCU)」をドル箱のユニバースに育て上げ、ヒット作を連発している。2025年10月21日、ディーワーリー祭に合わせて公開された「Thamma(首領)」は、MHCUの最新作である。MHCUは幽霊や狼男を取り上げてきたが、今回は吸血鬼が登場する。

 監督は「Munjya」(2024年)や「Kakuda」(2024年)などのアーディティヤ・サルポートダール。音楽はサチン=ジガル。主演はアーユシュマーン・クラーナーとラシュミカー・マンダーナー。他に、ナワーズッディーン・スィッディーキー、パレーシュ・ラーワル、ギーター・アガルワール・シャルマー、ファイサル・マリクなどが出演している。また、MHCUの第5作となるため、これまでこのユニバースに出演してきた俳優たちが何人もカメオ出演している。ヴァルン・ダワン、アビシェーク・バナルジー、そしてサティヤラージである。さらに、マライカー・アローラーが「Poison Baby」、ノラ・ファテーヒーが「Dilbar Ki Aankhon Ka」にアイテムガール出演している。ノラはMHCUの記念すべき第1作「Stree」(2018年)にもアイテムガール出演しており、「チャンデーリーの王女」と呼ばれ、連続性を持たされている。

 ところで、インドに吸血鬼はいるのだろうか。「Thamma」に登場する吸血鬼は「ヴェータール」と呼ばれていた。ヴェータールは、「ヴェーターラ」、「ベータール」などとも呼ばれ、サンスクリット語の説話集「ヴェーターラ・パンチャヴィンシャティカー(屍鬼二十五話)」などに登場する。一般的には、墓地に住み、死体に取りつく悪霊とされる。「屍鬼二十五話」は「Vikram Vedha」(2022年/邦題:ヴィクラムとヴェーダ)の下敷きになっている。ただ、「Thamma」で登場するヴェータールは、インド神話に登場する悪魔ラクタビージャの物語と関連付けられていた。ラクタビージャは、血が地面に落ちるとそこから新たな個体が生まれるという恩恵を授かり、神々を窮地に陥れた。切っても切っても、新たなラクタビージャが生まれて来てしまうのである。そこでカーリー女神はヴェータールを生み出し、ラクタビージャの血を飲み干させた。おかげでラクタビージャは退治されたが、ヴェータールは永遠の命を与えられ、そのままこの地上に留まり続けたという設定である。

 ジャーナリストのアーローク・ゴーヤル(アーユシュマーン・クラーナー)は友人と共に森へハイキングに出掛けた。そこで巨大な熊に襲われ、友人たちとはぐれ、森の奥深くに迷い込む。アーロークは謎の美女に助けられ、看病してもらって回復する。その女性はタールカー(ラシュミカー・マンダーナー)と名乗った。

 タールカーは森に住む民の一員のようだった。アーロークは森の民に見つかり、捕まって、呪いの洞窟に幽閉されたヤクシャーサン(ナワーズッディーン・スィッディーキー)に生け贄に捧げられてしまう。だが、間一髪のところでタルカーに救い出され、二人はそのまま脱出する。アーロークはタールカーを連れてデリーの自宅に戻る。

 ゴーヤル家ではアーロークの葬儀が行われていた。そこへアーロークが現れたため、母親のスダー(ギーター・アガルワール・シャルマー)は大喜びする。疑り深い父親ラーム・バジャージ(パレーシュ・ラーワル)は彼を偽物ではないかと疑うが、一応本物だと認める。アーロークはタールカーを「ターリカー」と紹介し、命の恩人だと明かす。タールカーはゴーヤル家に温かく迎え入れられる。

 だが、実はタールカーや森の民は吸血鬼ヴェータールであった。アーロークとタールカーはチンピラに襲われるが、タールカーはヴェータールの力を発揮し、彼らを返り討ちにする。遺体を確認し、その手口を見たPKヤーダヴ警部補(ファイサル・マリク)は、自身も人間社会で正体を隠して暮らすヴェータールであり、タールカーに会いに行く。そして、早く森に戻るように助言する。タールカーはアーロークに別れを告げるが、タールカーに恋していたアーロークは彼女を追い掛ける。その途中、交通事故に遭って彼は死んでしまう。彼を救う方法はひとつしかなかった。タールカーはアーロークの首に噛みつき、血を吸った。こうすることでアーロークもヴェータールになり、蘇った。

 目を覚ましたアーロークは、ヴェータールとしての新たな人生を、タールカーに教わりながら始める。ヴェータールになったアーロークは超人的な運動神経を身に付けていた。だが、アーロークは狼男ベーリヤー(ヴァルン・ダワン)に襲われる。ベーリヤーはサルカターとの戦いで負傷しており、回復のためにヴェータールの血を欲していた。アーロークはベーリヤーに一滴の血を飲ませる。

 アーロークとターリカーはヤーダヴ警部補に相談に行くが、彼はターリカーを捕らえて森に送り、アーロークをベーリヤーから守ろうとする。ターリカーは掟を破ったために、ヤクシャーサンの代わりに呪いの洞窟に100年間閉じこめられることになっていた。アーロークはターリカーを助けるために脱出し、森へ向かう。そこでアーロークは解放されたヤクシャーサンと戦う。アーロークは圧倒されそうになるが、女神の恩恵によってさらなる力を授かり、ヤクシャーサンを打ち負かす。ヤクシャーサンは再び幽閉されることになった。アーロークは森の民の新たなターマー(首領)に就任する。

 呪いの洞窟に戻ったヤクシャーサンの前にサルカターが現れ、彼を連れ出す。また、ヴェータールが力を得るためにはベーリヤーの血が必要と聞いたアーロークは、ベーリヤーの襲撃を迎え撃とうとする。

 基本的には吸血鬼映画なので、古今東西の吸血鬼映画の例に倣って、「Thamma」でも、ヴェータールに血を吸われた人間はヴェータールになってしまう。口を開くと犬歯が長く伸びていたりするのも一般的な吸血鬼映画を踏襲している。ただ、意外に独自の解釈も含まれている。たとえば、ヴェータールは成り立ての頃は太陽が苦手だが、慣れると日中でも活動できるようになる。また、ヴェータールはコミュニティーを作り、いくつもの掟を作って、それを守って暮らしている。その中でも非常に特徴的なのが、人間の血を吸ってはならないという掟である。普通ならば吸血鬼は人間の血を吸うものだが、「Thamma」の吸血鬼はこの掟のおかげで原則として人間の血を吸わないのである。その理由はさらに面白い。永遠の命を持つヴェータールはずっと生きており、1947年の印パ分離独立時も目撃していた。それまで彼らは人間の血を吸っていたのだが、このときの暴動で人間の残虐性を目の当たりにして心を痛め、人間の血を吸うのを止めたという設定であった。同種同士で意味もなく殺戮を繰り返す人間の邪悪な性質に嫌悪感を覚え、人間の血を吸うと病気がうつると信じたのである。

 映画の題名になっている「ターマー」とは「首領」という意味のようである。ただ、少なくともヒンディー語の単語ではない。ヴェータールたちの首領がこう呼ばれていた。そして、これまた不思議なことに、彼らのターマーであるヤクシャーサンは呪いの洞窟に幽閉されていた。ヤクシャーサンは、ヴェータールたちの祖先である。ラクタビージャを退治するために生み出され、そのまま人間の生き血をすすってヴェータールを増加させてきた張本人だ。だが、ヴェータールたちは人間の血を吸うのを禁止する掟を作ってもそれに従おうとしなかったため、彼らはヤクシャーサンを幽閉したのだった。こういう斜め上の設定もどこか神話的な印象を受ける。

 主人公のアーロークは普通の人間であったが、森の奥でヴェータールのタールカーと出会い、恋に落ちる。そして、交通事故で重傷を負い、息を引き取る前後にタールカーに噛まれ、ヴェータールになるのである。タールカーもアーロークと出会って彼にときめきを感じており、何としてでも彼を救いたかった。だが、人間の血を吸うと掟を破ることになってしまう。葛藤はあったが、結局彼女は掟よりも恋愛を優先する。ホラー、コメディー、そしてロマンスを見事に融合させていた。ちなみに、「タールカー(ताड़का)」という名前は「ラーマーヤナ」に登場する。だが、羅刹女の名前である。そういうこともあって、アーロークが彼女を両親に紹介したとき、彼女の名前を「タールカー」ではなく、より一般的な女性名「ターリカー(तारिका)」に変えたのである。

 最終的に悪役ヤクシャーサンを倒したのはアーロークであったが、映画の大半においてスーパーヒーロー的な活躍をしていたのはむしろ、ラシュミカー・マンダーナー演じるタールカーであった。牙をむいて戦闘モードに入ると圧倒的なパワーを発揮し、女性スーパーヒーローと呼んで差し支えない。マラヤーラム語のスーパーヒーロー映画「Lokah Chapter 1: Chandra」(2025年)に続き、インド映画に新たな女性スーパーヒーローが誕生したといえる。それを演じるのは、現在南北インドを股に掛けて縦横無尽の活躍をしているラシュミカーというのも象徴的である。

 MHCUらしい安定した面白さのある映画であったが、次第に話が大きくなっていっているのには一抹の不安を感じる。我々日本人は「ドラゴンボール」で起こった戦闘力のインフレを知っている。また、ホラー映画よりもスーパーヒーロー映画に近づくいっているのも懸念点だ。これではマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)と区別が付かなくなる。それでも、吸血鬼という古典的なテーマを、ヴェータールというインド土着の悪霊や、1947年の印パ分離独立時の暴動とリンクさせ、インドらしいホラーコメディーを作り上げることに成功していたのは正当に評価されるべきである。

 MHCUには、相互にキャラクターの乗り入れが行われており、それも映画の醍醐味になっている。「Thamma」には、狼男映画「Bhediya」(2022年)の主人公ベーリヤー、「Munjya」(2024年)に登場の霊媒師エルビス・カリーム・プラバーカル、そして全作皆勤賞の名脇役ジャナールダンなどがカメオ出演し、同じユニバースを共有していることが強調される。また、「Stree」や「Stree 2: Sarkate Ka Aatank」(2024年)に出演していたビットゥー役を演じたアパールシャクティ・クラーナーは、本作の主演アーユシュマーン・クラーナーの弟であり、ジャナールダンがアーロークに「ビットゥー?」と呼びかけるファンサービスもあった。それはともかく、MHCUの次回作では、サルカター、ベーリヤー、そしてヴェータールのターマーになったアーロークが激突することになりそうだ。

 「Thamma」は、ここのところヒット作を連発しヒンディー語映画のトレンドセッターになっているMHCUの最新作であり、吸血鬼を扱ったホラーコメディー映画になっている。面白かったが、MHCUは元々地味なスタートを切った作品群であったことを考えると、次第に本来の良さが失われつつある危機感も感じた。実際、興行的にもこれまでのMHCUの作品ほどのヒットにはならず、期待外れであった。敏腕プロデューサーのディネーシュ・ヴィジャーンが今後このユニバースをどのように舵取りするのか、見ものである。