Vikram Vedha (Hindi)

3.5
Vikram Vedha
「Vikram Vedha」

 南インドでヒットした映画を、その監督自身がヒンディー語映画スターを起用してヒンディー語リメイクする流れは、「Ghajini」(2008年)あたりから目立つようになったと記憶している。ただ、昨今、南インド映画スター主演の南インド映画のヒンディー語吹替版を用意して、言語以外はそのままの形で北インドの市場にぶつける方がトレンドになっており、成功もしている。それを考えると、2017年に大ヒットしたタミル語映画「Vikram Vedha」を、その監督であるプシュカル・ガーヤトリー夫妻自身がヒンディー語映画スター起用の下にヒンディー語リメイクした「Vikram Vedha」は少し古風な作り方といえるかもしれない。

 ヒンディー語版「Vikram Vedha」はインドでは2022年9月30日に公開されたが、OTTリリースがないまま2ヶ月以上が過ぎ、ずっと観られずにいた。しかしながら、特定非営利活動法人インド映画同好会主催の「インド大映画祭」でプレミア上映されることになり、2022年12月17日に大阪のシネ・ヌーヴォで鑑賞することができた。インド映画は基本的に映画館での鑑賞のことしか考えられていないため、日本にいながら映画館で観られる機会があるのは非常にありがたいのだが、残念ながらシネ・ヌーヴォの映像・音響設備はあまりよくなくて、まるでインドの場末の映画館で観ているようだった。それでも観客がインド並みにワイワイガヤガヤと盛り上がっていればそれもまた一興なのだが、いかんせん、日本のミニシアターには映画館を図書館と同一視している観客が多く、インド映画を観る環境としては決して居心地のいいものではなかった。インド人向け上映会ではないので日本語字幕は付いていたが、職業柄、いくつかの翻訳ミスが気になった。

 さて、タミル語オリジナル版「Vikram Vedha」では、Rマーダヴァンとヴィジャイ・セートゥパティが主演で、それぞれ題名になっているヴィクラム役とヴェーダー役を演じた。その際は渋い演技をするこの二人の競演が大いに話題になった。ヒンディー語版「Vikram Vedha」が作られるにあたって、ヴィクラム役とヴェーダー役を誰が演じるのか、ファンの注目を集めた。ヴィクラム役は、Webドラマ「Sacred Games」(2018-19年/邦題:聖なるゲーム)での警官役が好評だったサイフ・アリー・カーンに決まった。それに対し、当初ヴェーダー役はアーミル・カーンが演じる予定だったのだが、途中でキャスト変更があり、最終的にリティク・ローシャンに決まった。サイフとリティクの共演は「Na Tum Jaano Na Hum」(2002年)以来である。

 他に、ラーディカー・アープテー、ローヒト・サラーフ、ヨーギター・ビハーニー、シャーリブ・ハーシュミー、サティヤディープ・ミシュラーなどが出演している。サイフとリティクへのギャラで予算を使い果たしてしまったようで、主演二人以外のキャストにこれといった大物はいない。

 既にタミル語オリジナル版「Vikram Vedha」は鑑賞済みだったため、ヒンディー語版ならではのツイストがあるかと期待して観たが、基本的にはタミル語版の忠実なリメイクで、違いを見つける方が難しいくらいだった。北インドらしさを出すために、舞台がウッタル・プラデーシュ州のラクナウーやカーンプルに移動していたこと、物語のキーとなる料理がニハーリーとクルチャーになっていたこと、その他登場人物の名前が北インドらしくなっていたことなどは変更点として挙げられるが、ストーリー進行に影響はない程度だ。よって、タミル語版を鑑賞済みの観客にとっては、サイフとリティクの競演を楽しむのが第一になるだろう。

 ただ、タミル語版鑑賞時には英語字幕を頼りに筋の理解に努めていたため、細かい部分が分からなかった。今回は自分が得意とするヒンディー語を耳で聞きながら、日本語字幕も参考に目で追っていたため、理解度は高い。ストーリーはタミル語版とほとんど一緒だが、もう一度まとめてみたい。

 ラクナウーでは、ヴェーダー・ベータール(リティク・ローシャン)というギャングのドンが台頭し、ヴィクラム警視正(サイフ・アリー・カーン)は同僚のアッバース警視正(サティヤディープ・ミシュラー)らと共に特別チームを組み、そのギャングを一網打尽にしていた。ヴェーダーは雲隠れをし、なかなか尻尾を出さなかった。

 ヴェーダーがシヴガル地区にいるとのタレコミを得たヴィクラム警視正とアッバース警視正は急襲を行う。そこにヴェーダーはいなかったが、数人のギャングを射殺した。その中に非武装の人物がいたが、ヴィクラム警視正はエンカウンターを偽装し、正当防衛ということにした。

 その後、突然ヴェーダーが警察署に現われ、自首する。取調室でヴェーダーはヴィクラム警視正に自分の過去の話を話し出す。13年前、ヴェーダーはパラシュラーム・パーンデーイというカーンプルを支配するギャングの親玉の新米部下だった。ヴェーダーにはシャタク(ローヒト・サラーフ)という弟がおり、溺愛していた。だが、パラシュラームの傘下で麻薬密売をするシヴプラサードとバブルー(シャーリブ・ハーシュミー)がシャタクに因縁を付け、彼の手を鉄串で刺した。ヴェーダーは復讐に乗り出すが、ここで彼はヴィクラム警視正に問を出す。シャタクの手に鉄串を刺した実行犯バブルーを罰するべきか、指令を出したシヴプラサードを罰するべきか。ヴィクラム警視正は指令を出した者への罰を選ぶ。果たして、ヴェーダーが殺した相手もシヴプラサードであった。

 その後、ヴィクラム警視正の妻で弁護士のプリヤー(ラーディカー・アープテー)が現われ、ヴェーダーを保釈する。ヴィクラム警視正は、シヴガル地区でのエンカウンターで死んだ非武装の青年がヴェーダーの弟シャタクだったことに気付き、また、その作戦を立案したアッバース警視正の命が危ないことを察知する。そのとき、アッバース警視正は別のタレコミを受け、とある工場に向かっていた。ヴィクラム警視正が駆けつけると、そこには銃撃戦の跡と、アッバース警視正の死体があった。また、チャンダー(ヨーギター・ビハーニー)という女性の死体もあり、警察の見立てでは、アッバース警視正とチャンダーが相撃ちになったとのことだった。

 ヴィクラム警視正はプリヤーの電話を盗聴してヴェーダーの居所を掴もうとするが、それが夫婦仲に亀裂を生じさせる。その後、ヴィクラム警視正は何とかヴェーダーを捕まえ、エンカウンターを偽装して殺そうとするが、ヴェーダーは再び物語を語り出す。それは3年前の話だった。シャタクはマイクロクレジット会社を立ち上げ、パラシュラームは彼に1千万ルピーを投資する。ところがシャタクの恋人チャンダーが何者かに拉致され、金も消える。当初は北インドに進出してきたムンバイー・ギャングの仕業かと思われたが、後にチャンダーが金を持ち逃げしたことが分かる。パラシュラームはヴェーダーにチャンダーの抹殺を命じる。ここでヴェーダーはヴィクラム警視正に問い掛ける。チャンダーを殺すべきか、それともシャタクとチャンダーを助けパラシュラームと戦うべきか。ヴィクラム警視正はパラシュラームと戦うことを選ぶ。果たしてヴェーダーもシャタクとチャンダーをムンバイーに逃がし、パラシュラームと抗争状態に入ったのだった。

 ヴェーダーは油断したヴィクラム警視正に反撃し、そのまま姿をくらます。ヴィクラム警視正はムンバイー・ギャングの捜査を開始し、それによって、ムンバイー・ギャングと内通しヴェーダーを殺そうとしているのがバブルーであることを突き止める。ヴィクラム警視正はヴェーダーと連絡を取り、それを伝える。ヴェーダーはバブルーを捕まえるが、そこにヴィクラム警視正が駆けつける。ヴェーダーはバブルーを殺し、またヴィクラム警視正に物語を聞かせる。ヴェーダーの話から、実はアッバース警視正はバブルーから金をもらってヴェーダーのギャングばかりを狙ってエンカウンターをしていたことが分かる。ショックを受けるヴィクラム警視正であったが、まだ誰がアッバース警視正を殺したのか分からなかった。そこへ彼の上司であるスレーンダル警視監とチームが現れる。実は彼らもバブルーから金を受け取り、ヴェーダーのギャングを殺していた。彼らはヴェーダーをおびき出すため、まずはチャンダーを誘拐し、シャタクをムンバイーからおびき出したのだった。アッバース警視正はチャンダーを救い出そうとして彼らに殺されていた。

 真相を知ったヴィクラム警視正は殺されそうになるが、ヴェーダーに助けられる。ヴィクラム警視正とヴェーダーは力を合わせて悪徳警官たちと戦う。彼らを一網打尽にした後、ヴィクラム警視正とヴェーダーは銃口を向け合って膠着状態になる。

 タミル語版「Vikram Vedha」のレビューでも書いたが、この映画はインドの説話集「バイタール・パチースィー(屍鬼二十五話)」に着想を得て作られている。基本的には警官と犯罪者のチェイス映画だが、善玉であるヴィクラム警視正が悪玉であるヴェーダーを捕まえるたびにヴェーダーが物語を聞かせ、最後に問い掛けをするところが、「バイタール・パチースィー」のエッセンスを取り入れているところだ。

 だが、それよりも面白いのが、ストーリーが進行するにつれて善悪の境が次第にぼやけていくところである。ヴィクラム警視正は正義感の強い警官で、善悪ははっきり分かれ、自分は善の側にいると信じて疑わなかった。だが、ヴェーダーが彼に聞かせた物語では、必ず「धर्मसंकटダルムサンカト」、つまり善悪がはっきりした選択肢がないジレンマが登場した。3つの物語と3つの問いを通し、ヴィクラム警視正は善悪の観念を揺すぶられ、最後には善悪をひっくり返されもする。

 オープンな形で終わっている映画でもあり、観客ごとに様々な解釈が可能である。今回、ヒンディー語版で「Vikram Vedha」を鑑賞したことで、より深くストーリーについて考察ができるようになったと感じる。

 気になったのは、ヴェーダーが本当は何をヴィクラム警視正に伝えたかったという点だ。最初の問い――実行した者が悪いか、指令を出した者が悪いか――でヴェーダーはアッバース警視正の死を予告したことになっていたが、結局アッバース警視正はヴェーダーによって殺されておらず、このときのヴィクラム警視正の読みは外れたことになる。それではヴェーダーは第一の物語と問いでヴィクラム警視正に何を伝えたかったのか。

 おそらくヴェーダーは最初からヴィクラム警視正に、アッバース警視正らがバブルーと密通していることを伝えたかったのだと思われる。シャタクを射殺したのはヴィクラム警視正だったが、ヴェーダーは彼を責めてはいなかった。彼にシャタクを殺させた者に復讐をしようとしており、暗に「指令を出した者」の存在をほのめかしていた。実際には、アッバース警視正たちのグループがヴェーダーの弟シャタクの恋人チャンダーを誘拐してシャタクをおびき出しており、ギャングと無関係のシャタクを殺すことでヴェーダーをおびき出そうとしていた。警察がギャングよりも姑息な手段を使っていたのである。ただ、ヴィクラム警視正はこのときにはまだそれに気付いていなかった。

 彼のチームの中で彼だけがバブルーから汚い金をもらっておらず、しかも周囲の同僚がやたら羽振りがよくなっているのに気付かなかったことから考えると、ヴィクラム警視正は有能な警官に見えてそうではなかったということにもなるだろう。ヴェーダーがヴィクラムだけに物語をしたのも、彼が有能だからではなく、バカ正直すぎて世間知らずの警官だということが分かっていたからだということになりそうだ。

 2つめの物語と問いでは、ヴェーダーは身内を救うためにボスに反旗を翻したことを語る。これも、ヴィクラム警視正に対し、大義のためには上司、親友、恩人などに逆らわなくてはならないことを教えていたと思われる。そして3つめの物語と問いでようやくストレートにアッバース警視正の汚職を指摘するのである。上司や同僚の汚職を知ったヴィクラム警視正は、ヴェーダーの「レッスン」があったおかげで迷いなく彼らと戦うことができた。

 サイフ・アリー・カーンとリティク・ローシャンはどちらも甲乙付けがたい演技で、それぞれに見せ場があったが、どちらかといえば悪役が輝く映画であり、リティクの鬼気迫る悪役振りにより注目が集まる。単なる悪役ではなく、弟思いの一面を見せることで魅力ある悪役として命を吹き込むことができていた上に、得意のダンスを披露する機会もあった。

 音楽は、タミル語版で音楽を担当したサムCSと、主にヒンディー語映画界で活躍する作曲家デュオであるヴィシャール・シェーカルの合作になっている。オリジナルの歌詞が変えられただけのものもあれば、ヒンディー語版のために新たに書き下ろされた曲もある。ヒンディー語版「Vikram Vedha」を代表する曲は、リティクが踊る酒場ソング「Alcoholia」になるだろう。

 一見すると、大半をラクナウーやカーンプルで実際に撮影が行われたように見える。ラクナウーのシンボルであるバラー・イマームバーラーやアンベードカル記念公園が映っていたので、ロケが行われたのは確実だが、どうも実はアブダビで撮影されたシーンも多いようである。コロナ禍中に撮影が行われているため、より安全なアブダビに必要なセットを組んでラクナウーやカーンプルに見立てて撮影したらしい。

 「Vikram Vedha」は、同名のタミル語オリジナル版を作った監督夫妻がサイフ・アリー・カーンとリティク・ローシャンを主演に据えてヒンディー語リメイクした作品である。タミル語版と大きな変更点はなく、ヒンディー語版ならではの何かを求める観客には期待外れだが、元々脚本が優れているため、一級のスリラー映画であることには変わりがない。興行的には今ひとつ伸び悩んだようだが、北インドの観客は既にタミル語版を何らかの形で観ていたということだろうか。