The Ba***ds of Bollywood

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The Ba***ds of Bollywood
「The Ba***ds of Bollywood」

 インドの各映画界では血統が何よりも重視される。スターの子供として生まれたら、スターとして生きることを運命付けられる。特にヒンディー語映画界の「キング」シャールク・カーンの子供として生まれたら、絶対に一般人ではいられない。彼には3人の子供がいるが、娘のスハーナー・カーンは既にNetflix映画「The Archies」(2023年/邦題:アーチーズ)にて鳴り物入りでデビュー済みだ。彼女が真のスターとして定着するかどうかは今後の出演作次第といったところだ。だが、やはり世間の注目は父親と瓜二つの長男アーリヤン・カーンの方に熱く注がれていた。2021年には麻薬関連の事件で逮捕され、デビュー前から世間を騒がせていた。幸い、このときは冤罪と断定され事なきを得たが、彼に生まれ持って備わっている巨大な潜在性が浮き彫りになった出来事であった。

 アーリヤンは俳優としても十分人気が出そうなのだが、彼がまず選んだのは監督としての道であった。彼の監督デビュー作となるNetflixドラマ「The Ba***ds of Bollywood」が2025年9月18日に満を持して配信開始された。日本語字幕付きで、邦題は「ボリウッドをかき乱せ!」になっている。全7話のドラマであり、全エピソードを合計すると5時間ほどの作品になる。

 主演に起用されたのは、「Kill」(2023年)でデビューしたラクシャと「The Miranda Brothers」(2024年)のセヘル・バーンバー。どちらも若手の有望株だが、まだそれほど実績はなく、抜擢ともいえる。ただ、デビュー監督としては扱いやすいランクの俳優たちだ。

 他に、ボビー・デーオール、ラーガヴ・ジュヤール、アンニャー・スィン、モナ・スィン、ヴィジャヤーント・コーリー、マノージ・パーワー、ガウタミー・カプール、ラジャト・ベーディー、マニーシュ・チャウダリー、メヘルザーン・マズダーなどが出演している。

 ボビーは一時期消えかかっていた往年のスターであったが、ウェブドラマ「Aashram」(2020年~)や暴力映画「Animal」(2023年)などの演技が高評価を受け、驚きのカムバックを果たしている。渋みのあるいい俳優になった。「The Ba***ds of Bollywood」では大御所アミターブ・バッチャンや父親ダルメーンドラを思わせるスーパースター役を演じており、彼の勢いを感じさせる。そういえばかつて彼は「Nanhe Jaisalmer」(2007年)でもスーパースター役を演じていたが、当時は「なぜボビーが」と失笑を買っていた。

 ラーガヴは元々ダンサーであり、「Street Dancer 3D」(2020年)などでダンサー枠で出演していたが、演技力も認められ、「Kill」では冷血な悪役を演じた。今回はラクシャの親友役で起用され怪演している。

 ラジャト・ベーディーはウルドゥー語作家ラジンダル・スィン・ベーディーの孫であり、2000年代には「Koi… Mil Gaya」(2003年)など、多くの映画に脇役で出演していた。ただ、いつの間にか消え去ってしまっていた。今回、久しぶりに起用され、「この人、誰だっけ?」と言われる自虐的な役を嬉々として演じていた。2000年代の映画をよく観ていた身として、彼の復活は密かにうれしい。確かに心の中で「この人、誰だっけ?」となってしまっていたが・・・。

 さすが「キング」シャールクの息子の監督デビュー作だとうならされるのはカメオ出演しているセレブたちの顔ぶれである。まずは当然のように父親シャールク・カーンがカメオ出演している。普通ならばデビュー監督の作品にシャールクがカメオ出演するのはありえない。それだけでも恵まれているし、豪華なのだが、なんとシャールクと「3カーン」を構成するアーミル・カーンとサルマーン・カーンもカメオ出演している。残念ながらこの3人が同じフレームに収まるようなシーンはないが、ひとつの作品に「3カーン」が揃うのは史上初のことである。

 それだけに留まらない。ヒンディー語映画界の最重鎮カラン・ジョーハルが自分自身の役で出演する。カメオ出演扱いではあるが、出番が多く、彼の存在感はカメオ出演レベルを遥かに超えている。「連続キス魔」イムラーン・ハーシュミーも本人役で出演しており、やはりきちんと出番が用意されている。アルシャド・ワールスィーについてはカメオ出演扱いながら本人役ではなく、ダーウード・イブラーヒームをモデルにしていると思われるマフィアのドン役を演じている。他にも、ランヴィール・スィン、ランビール・カプール、ラージクマール・ラーオ、アルジュン・カプール、スィッダーント・チャトゥルヴェーディー、ディシャー・パターニー、バードシャーといった多くの業界人がカメオ出演している。ヒンディー語映画界の人材ではないが、「RRR」(2022年/邦題:RRR)のSSラージャマウリ監督も一瞬だけ登場する。

 また、アーリヤン・カーンと同世代の若手スターたちが友情出演していた。イブラーヒーム・アリー・カーン、サーラー・アリー・カーン、シャナーヤー・カプールなどである。彼らは仲が良さそうだ。

 さらに、「Ghafoor」という曲の映像には、本編で使用されているもの以外に、プロモーション用にYouTubeで配信されているバージョンがあり、そこにはタマンナー・バーティヤー、ランジート、シャクティ・カプール、グルシャン・グローヴァーが出演している。タマンナーはアイテムガール出演であるが、それ以外の3人は皆、ヒンディー語映画界で名悪役として名を馳せた俳優たちばかりである。

 最後になったが、プロデューサーはシャールクの妻かつアーリヤンの母親ガウリー・カーンである。

 デリー出身、映画スターになるためにムンバイーに出て来たアースマーン・スィン(ラクシャ)は、マネージャーのサーニヤー(アンニャー・スィン)、親友のパルヴェーズ(ラーガヴ・ジュヤール)、叔父のアヴタール(マノージ・パーワー)に支えられ、有力プロデューサー、フレディー・ソーダワーラー(マニーシュ・チャウダリー)の制作する映画「Revolver」でデビューを果たし、ヒットさせたことで、一躍有名人になる。

 アースマーンはサーニヤーに黙って、フレディーと3本の映画に出演する独占契約を結ぶ。だが、カラン・ジョーハル(本人)がアースマーンを気に入り、彼を自分の映画に起用しようとする。相手役は、スーパースター、アジャイ・タルワール(ボビー・デーオール)の娘カリシュマー(セヘル・バーンバー)であった。フレディーに相談したところ、先にカランの映画に出演することを認めてもらえた。

 アースマーンとカリシュマーはゴアでイムラーン・ハーシュミー(本人)からインティマシー・シーンの極意を教わる。その中で二人は恋に落ちる。だが、カリシュマーは7年間付き合ってきた彼氏がいた。大富豪の息子サミールであった。カリシュマーの誕生日パーティーでサミールは彼女にプロポーズする。突然のことでよく考えられなかったカリシュマーはつい「イエス」と言ってしまうが、後からアースマーンのことを考えるようになり、後悔する。

 アジャイはアースマーンとカリシュマーの共演を何としてでも阻止したかった。フレディーは破産の危機に瀕しており、過去にアジャイが主演した大ヒット作「Sailab(洪水)」の続編を作って起死回生を図ろうとしていた。だが、アジャイは出演の条件としてアースマーンとカリシュマーの共演を止めさせることを提示した。15年間不遇の時期を過ごしてきた俳優ジャラジ・サクセーナー(ラジャト・ベーディー)は、アースマーンがマフィアのドン、ガフール・バーイー(アルシャド・ワールスィー)と密会しているところを録画し、それをフレディーに売りつける。フレディーはそれをアジャイに渡し、映画出演を取り付ける。アジャイはその動画をカランに送り、彼の起用を中止させる。

 一方、アースマーンはデリーで父親を看取っていた。ムンバイーに戻ったアースマーンは、カリシュマーが父親によって部屋に監禁されていることを知る。カリシュマーは、父親がカランに動画を送って彼女との共演を阻止したことを知り、抗議したのである。アースマーンはカリシュマーを救出しに向かい、彼女を連れ出す。アジャイは怒り狂って二人を追う。アースマーンとカリシュマーは逃げ切って結婚しようとするが、そこへアジャイが乱入してくる。だが、新事実が発覚する。なんと、アースマーンはアジャイの隠し子だったのである。アースマーンの母親ニーター(モナ・スィン)はかつてアジャイの映画でバックダンサーを務め、彼と不義密通していたのだ。アースマーンとカリシュマーは結婚できなくなってしまった。

 シャールク・カーンはヒンディー語映画界を代表するロマンスヒーローであり、その地位を確立して以降、彼が演じてきたのは、女性の憧れを絵に描いたようなクリーンなキャラクターが多かった。今回監督デビューしたアーリヤン・カーンは、そのイメージの継承をあえて吹き飛ばそうとしているとしか思えない。セリフには「ベヘンチョード」や「チューティヤー」など、罵詈雑言のオンパレードであるし、フェラチオを思わせる仕草やマスターベーションそのものなど、とても子供向けではない、かなり際どいシーンもある。下ネタのセンスは「Delhi Belly」(2011年)を彷彿とさせるものがあった。よって、シャールク・カーンのイメージでこのドラマを鑑賞すると面食らうことになるだろう。

 「The Ba***ds of Bollywood」というのは意味深なタイトルだ。もしアスタリスクを飛ばして読むなら「The Bads of Bollywood」。つまり、「ボリウッドの悪党たち」という意味になる。だが、ドラマの最後でアスタリスクに入るべき文字が示され、タイトルが完全体になる。それは「The Bastards of Bollywood」、つまり、「ボリウッドの不義の子」という意味である。どちらの意味にとっても内容と合致するので、ダブルミーニングだと捉えるべきであろう。

 「The Ba***ds of Bollywood」の軸になっていたのはネポティズム(縁故主義)だ。ヒンディー語映画界を含むインド映画界ではどこにもスターの子供がスターになる伝統があるが、それが近年、急に「ネポティズム」という英単語と共に批判されるようになった。そして、スターの子供は「スターキッド」というニュートラルな呼称とは別に、しばしば「ネポキッド」という蔑称で呼ばれるようにもなっている。

 シャールク・カーンは外から映画業界に飛び込んだアウトサイダー組であるが、その息子アーリヤン・カーンは十分に「ネポキッド」と呼ばれる資格がある。アーリヤンは、ヒンディー語映画業界の内側を見せることでネポティズムを自嘲的に描き出そうとしている。もちろん、そこにはデフォルメも相当あると思われるが、中には幾ばくかの真実も隠されているのではないかと感じる。雰囲気はファラー・カーン監督の「Om Shanti Om」(2007年/邦題:恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム)に似ているが、コミカルな中にもシニカルな視点が入っている点で「The Ba***ds of Bollywood」の印象は全く異なる。どちらかといえばアマゾンのウェブドラマ「Jubilee」(2023年)寄りである。

 主人公アースマーンは、一応かつて映画業界でヒロインを目指しながらバックダンサーで終わった母親や音楽家として身を立てようとして失敗した叔父を家族に持っており、決して完全なアウトサイダーではない。だが、せいぜい落伍者の息子であって、とてもスターの子供とはいえず、ほぼアウトサイダーだ。そんな視点から、ネポティズムで支配された映画業界が批判的に描き出される。とはいってもアースマーンの下積み時代やスターになるまでの軌跡はほぼ割愛されており、彼がスターになる瞬間から物語が始まるので、実はスターキッド組とアウトサイダー組を分ける壁やアウトサイダーが最初のチャンスを掴むまでの苦労などははっきりと描写されていない。映画ではなくドラマなので、その辺りも時間を掛けて描くこともできたと思うのだが、タイパを重視する現代の若者を意識したのであろうか。それともやはりアーリヤン監督自身がスターキッドなので、描ききれなかったのだろうか。

 当初、アースマーンが目の敵にするのが、大スターの娘カリシュマーである。アースマーンは、親の七光りで女優としてデビューしようとしている彼女を見下しており、自分の努力と実力の方が上だという自負を持っていた。ただ、カリシュマーも大スターの娘としてのプレッシャーなどに言及し、反論していた。これはアーリヤン・カーンの独白と捉えてもいいかもしれない。水と油だったアースマーンとカリシュマーは、カラン・ジョーハルの映画への共演が決まったことで距離を縮め、やがて恋仲になる。お決まりの展開だ。

 ただ、この二人の結婚で終わらないところがZ世代の作ったドラマらしかった。なんとアースマーンの実の父親はアジャイであった。アジャイはかつてアースマーンの母親ニーターと不義密通していたのだった。だからアジャイは必死にアースマーンをカリシュマーから遠ざけようとしていたのであり、彼を裏で操っていたのはニーターであった。

 「The Ba***ds of Bollywood」が伝えたかったのは、「ネポキッド」批判をしている者も「ネポキッド」かもしれないということだ。「ボリウッド」と呼ばれるヒンディー語映画界のモラルは地に墜ちており、どこにスターの隠し子がいるか分からない。もしかしたら君もそうかもしれない。だから、「The Bads of Bollywood」であり、「The Bastards of Bollywood」なのだ。

 ひねった結末であったが、さらに興味深かったのは、主人公の母親に「過去の過ち」をさせて見せていることである。インド映画では通常、母親は敬愛すべき存在として絶対視されており、母親に不義密通者のレッテルが貼られるなどもってのほかである。アーリヤン・カーンはそれを堂々とやってのけてしまった。だが、これはインド映画に登場する母親を「女神」ではなく「人間」として解放しようとしているのだと思われる。インド映画の母親はあまりにステレオタイプで、それは弱点にもなっているが、彼のような新しい感覚を持った監督が登場することで、それも過去の遺物となるのかもしれない。新しい風を感じさせられた。

 アースマーン役を演じたラクシャは、野太い声が魅力的で、「Kill」のときよりも自信を持って演技ができるようになっており、スター性を感じるようになった。カリシュマー役のセヘル・バーンバーも、光った特徴はなかったものの欠点も見当たらず、今後伸びていきそうである。だが、正直いって、アーリヤン・カーンの演技を見てみたいものである。彼はこのまま監督業に専念するつもりであろうか。

 全体として、スターやセレブがカメオ出演する場面はさすがにスターパワーがあって引き込まれたが、肝心の主要ストーリー部分は、概ね薄っぺらく、深みがなかった。人間関係も単純であり、深掘りできていなかった。アースマーンがスターになるまでの軌跡が省略されていたのはタイパ効果を狙ったのかもしれないが、カリシュマーとサミールの関係、アジャイとニーターの関係など、いくらでも膨らませることができたのだが、それをしていなかった。これはどちらかといえば手抜きではなかろうか。また、いくら潜在力があるといっても、ラクシャとセヘルにストーリーの薄っぺらさを覆せるような圧倒的な演技力があるわけでもなかった。迫力という観点でいえば、ボビー・デーオールやマニーシュ・チャウダリーの演技が素晴らしかったが、彼らにもドラマ全体を救えるだけの出番は用意されていなかった。

 エピソード3で、フレディーが中国風マッサージパーラーでマッサージを受ける場面がある。ここで一瞬だけ日本語の歌詞が付いた曲が流れる。元ネタがあるのだろうか。

 「The Ba***ds of Bollywood」は、シャールク・カーンの息子アーリヤン・カーンの監督デビュー作である。ネポティズムで揺れたヒンディー語映画界を、インサイダーである監督がセルフパロディー的に再現し、アウトサイダーのヒーローとスターキッドのヒロインの間に「血統」の差を超えたロマンスを描いて、驚きの結末で締めるという構成だった。デビュー監督としては十分な出来であったし、豪華なカメオ出演陣に助けられてもいたが、ストーリーが薄っぺらく、何かが残るような作品ではなかった。それでも、ヒンディー語映画ファンなら問答無用で楽しめるドラマである。