Animal

4.0
Animal
「Animal」

 「Saawariya」(2007年)でデビューしたランビール・カプールは、当初、甘いマスクを活かしてロマンスヒーロー路線を進んでいた。しかしながら、名門カプール家の血を引き、鳴り物入りのデビューをした割には、大きな成功を手にできていなかった。彼にとってキャリアの大きな転換点になったのは、イムティヤーズ・アリー監督の傑作「Rockstar」(2011年)だった。破滅的なロックスターを渾身の演技で演じ、高い評価を得た。その後、彼は名実共にトップスターの仲間入りをした。

 ランビールのキャリアにとって再び重要な作品となりそうなのが2023年12月1日公開の「Animal」だ。監督は「Kabir Singh」(2019年)のサンディープ・レッディー・ヴァンガー。現テランガーナ州出身の監督で、テルグ語映画「Arjun Reddy」(2017年)でデビューした。彼の持ち味は徹底的な暴力だ。「Arjun Reddy」ではヴィジャイ・デーヴァラコンダーを、「Kabir Singh」ではシャーヒド・カプールを野獣に変身させ、この「Animal」ではその題名の通り、ランビール・カプールを暴力の権化に仕立て上げた。

 ヒロインは「Pushpa: The Rise」(2021年/邦題:プシュパ 覚醒)のラシュミカー・マンダーナー。さらにセカンドヒロインとして「Bulbbul」(2020年/邦題:ブーブル)のトリプティ・ディムリーが起用されている。他に、アニル・カプール、ボビー・デーオール、バブルー・プリトヴィーラージ、シャクティ・カプール、プレーム・チョープラー、スレーシュ・オーベローイ、サウラブ・サチデーヴァ、サローニー・バトラー、アンシュル・チャウハーン、スィッダーント・カールニク、ウペーンドラ・リマエーなどが出演している。

 オリジナルはヒンディー語版で、テルグ語、タミル語、カンナダ語、マラヤーラム語の吹替版も同時公開された。鑑賞したのはヒンディー語版である。

 バルビール・スィン(アニル・カプール)はデリーを拠点とするインド最大の企業スワースティカ鉄鋼の社長であり、ランヴィジャイ・スィン(ランビール・カプール)はバルビールの長男だった。ランヴィジャイは父親を尊敬していたが、バルビールは仕事に忙しく、家族のために全く時間を使わなかった。それでもランヴィジャイは父親を敬愛し続けていた。高校時代、ランヴィジャイは姉のリート(サローニー・バトラー)をいじめた先輩に対して銃をぶっ放す事件を起こす。怒ったバルビールはランヴィジャイを米国の全寮制学校に入れる。

 バルビールの60歳の誕生日パーティーに合わせ、ランヴィジャイはインドに帰国する。だが、リートの夫ヴァルン(スィッダーント・カールニク)と喧嘩になり、学生時代に惚れていたギーターンジャリ(ラシュミカー・マンダーナー)と駆け落ち結婚して、再び米国に渡る。

 それから8年後、バルビールが何者かに撃たれたことで、ランヴィジャイはギーターンジャリと2人の子供を連れてインドに戻ってくる。バルビールは一命を取り留めたが、ランヴィジャイは復讐を誓う。彼は故郷の村から親戚をデリーに呼んで親衛隊とし、父親の影武者を用意して暗殺者が再び襲ってくるのを待った。実行犯はアスラール(バブルー・プリトヴィーラージ)という男で、その影にはヴァルンがいることが分かった。ランヴィジャイはヴァルンを絞め殺す。

 ランヴィジャイはアスラール率いる大量の暗殺者たちの襲撃を受けるが、それを撃退し、アスラールを殺す。だが、ランヴィジャイも重傷を負い、意識を失ってしまう。ランヴィジャイは味覚と嗅覚を失い、耳も聞こえにくくなった。しかも心臓が弱っていた。ランヴィジャイは心臓移植手術を受け、復活する。

 蘇ったランヴィジャイのところへ、ゾーヤー(トリプティ・ディムリー)という美女が現れる。ランヴィジャイに移植された心臓のドナーは彼女の許嫁であり、彼に会いに来たのだった。ランヴィジャイはゾーヤーに一目惚れし、ギーターンジャリを放っておいて彼女と情事を繰り広げる。だが、実はゾーヤーは、スワースティカ鉄鋼の破滅とバルビールの一家皆殺しを狙うアブラール(ボビー・デーオール)に送られたスパイだった。アブラールは、ランヴィジャイの祖父ラージディール(スレーシュ・オーベローイ)の弟の孫に当たる人物だった。ラージディールの弟はスワースティカ鉄鋼の共同創立者だったが、仲違いにより追い出され、以後、復讐を誓っていたのだった。ランヴィジャイに本気で恋をしてしまったゾーヤーは、アブラールのことをランヴィジャイに明かす。実はランヴィジャイは初めて会ったときからゾーヤーを疑っていた。ランヴィジャイはゾーヤーを捨て、ギーターンジャリのところへ戻る。

 ランヴィジャイは親戚たちを引き連れ、アブラールの住むスコットランドを訪れる。アブラールは逃げ出すが、彼らは空港までアブラールを追って行く。そして滑走路でランヴィジャイとアブラールは殴り合いの死闘を繰り広げる。最終的にランヴィジャイはアブラールの首をかっ切って殺す。

 インドに戻ったランヴィジャイはバルビールと仲直りし、抱擁する。ギーターンジャリはランヴィジャイに愛想を尽かし、2人の子供を連れて米国に帰ってしまう。復讐の応酬はまだ終わっておらず、アブラールとアスラールの弟アズィーズ(ランビール・カプール)は、ランヴィジャイと同じ顔に整形をし、スワースティカ鉄鋼の破滅に向けて再び動き出す。

 まず、上映時間が3時間20分もある、非常に長い映画だ。これだけの時間を使ってもまだ語り切れていないサイドストーリーがいくつもありそうで、エンドロールになってもストーリーが延々と続いていくほどである。とはいえ、途中で中途半端に端折ることもない。監督が見せたい場面はじっくり時間を掛けて見せている。緩急の付け方がうまく、これだけ長い時間、映画を観ていても退屈に感じることはない。

 スクリーンに釘付けになってしまうのは、暴力描写があまりに凄惨だからという理由もある。はっきりいって暴力やグロが苦手な人は最初から敬遠した方がいい作品だ。腕が切断され、首がかっ切られ、最後には包丁でめった刺しにする残酷シーンもある。ヒンディー語映画史上、もっとも過激な暴力描写の映画に認定してもいいだろう。

 暴力が過激ならばエロも過激だ。さすがに局部の露出はなかったが、性描写は上映禁止スレスレのレベルに敢えて挑戦している。主人公ランヴィジャイと妻ギーターンジャリの初夜は空中であったし、その後は雪山の中で情事を繰り広げる。ランヴィジャイとギーターンジャリの会話にもかなり際どいものが含まれていた。特にランヴィジャイがゾーヤーと不倫をしたことを知ったギーターンジャリが、彼女とのセックスについてランヴィジャイに問いただすシーンは突出していた。ゾーヤーを演じたトリプティ・ディムリーも身体を張った演技をしており、いわゆる「手ブラ」を披露していた。劇場公開映画としては近年稀に見るほどの過激な性描写である。

 2010年代以降、女性中心映画がトレンドになっているが、「Animal」はそれの反動に位置づけてもいいだろう。多数の女性キャラが登場するが、基本的には男性中心映画であり、家父長制とマッチョイズムを軸にストーリーは進む。女性に人権らしきものはほとんどない。

 エロやグロで過度に飾り立てられた映画だが、それらを剥ぎ落とすと、父子の関係が後に残る。バルビールとランヴィジャイは複雑な父子関係にあった。ランヴィジャイはバルビールを慕っており、彼と共に時間を過ごすことを何よりの幸せに感じていたが、仕事で忙しいバルビールは息子にそういう時間を作ろうとしなかった。それでもランヴィジャイはバルビールを慕い続け、その気持ちはやがて歪んだものになっていく。いつしかランヴィジャイは沸点が低く、一度火が付くと暴力に歯止めが掛からない性格になっていた。バルビールはランヴィジャイのことを「犯罪者」と呼んでいた。それでも、やはりランヴィジャイはバルビールを求め続けた。

 ランヴィジャイはバルビールの命を狙った暗殺者やその黒幕を一網打尽にするが、それで映画は終わらない。ランヴィジャイは父親に、自分がどれだけ父親と過ごす時間を待ち望んでいたかをとうとうと訴え、最後には父親との抱擁を得る。ランヴィジャイは野獣のように描かれていたが、その原動力は父親への純粋すぎる愛情であり、それがしっかりと基盤になっているからこそ、「Animal」は単なる暴力映画で終わらず、ギリギリのところで感情に訴えかけるものがある作品になっていたといえる。

 どうしても主人公ランヴィジャイが中心になってしまうが、何人かの脇役キャラも立っていた。一番気になったのは、言葉がしゃべれないアブラールの通訳を務めるアービドだ。サウラブ・サチデーヴァが演じていた。アブラールとアービドには一心同体のような関係性が見受けられ、彼らのバックストーリーに興味が沸いた。

 映画のエンディングから明らかなように、この映画にはもう続編が構想されている。題名は「Animal Park」になるようだ。アブラールとアスラールの弟アズィーズがランヴィジャイとそっくりの顔に整形し、兄弟の仇討ちをするというストーリーになるだろう。まだアービドは生きているので、彼がまた暗躍するに違いない。アズィーズはランヴィジャイに負けず劣らず残忍な性格のようで、当然、この二人が激突するのだろう。

 ランヴィジャイがアスラールとその手下たちを大量殺戮するシーンが中盤の佳境になっているが、そこで「アートマニルバル・バーラト」という言葉が登場する。ヒンディー語で書くと「आत्मनिर्भर भारतアートマニルバル バーラト」だ。その意味は「自立したインド」である。この言葉はナレーンドラ・モーディー首相が好んで使ってきており、それを意識して映画でも使われたと思われる。映画の中では、「デリーで構想され、バンガロールで作られ、マハーラーシュトラ州で組み立てられた」という「メイド・イン・インディア」のバルカン砲が「アートマニルバル・バーラト」と表現されており、暗にインドの軍事的な自立を主張していると捉えることもできる。

 近年のヒンディー語映画では、ヒンドゥー教至上主義を掲げるインド人民党(BJP)の長期政権が続いている影響からか、イスラーム教徒が敵になることが多いと指摘されている。「Animal」でも悪役の大半は確かにイスラーム教徒だった。アブラール、アービド、アスラール、アズィーズなどのハク兄弟は全員イスラーム教徒である。ただ、彼らは最近になってイスラーム教に改宗した家系という設定で、元々はヒンドゥー教徒もしくはスィク教徒であり、ランヴィジャイの親戚になる。

 ヒンドゥー教の祭りもいくつか登場した。カルワー・チャウト祭やディーワーリー祭などである。ただし、それらをストーリーに組み込むやり方もかなり過激だった。夫婦仲を増進するはずのカルワー・チャウト祭では銃の発砲に至るほどの夫婦喧嘩があった。ラーマ王子の帰還を祝うディーワーリー祭の日、ランヴィジャイは父親暗殺を企てたアブラールを殺し帰って来る。ところがそこで彼は父親の余命があと僅かであることを知るのである。

 ランビール・カプール、ラシュミカー・マンダーナー、アニル・カプールなどの主要な俳優たちは元より、脇役を演じた俳優たちも、各キャラに命を吹き込む名演を見せていた。暴力映画という点、そして俳優のパーソナリティーと演技を極限まで引き出すことに成功している点で、アヌラーグ・カシヤプ監督の「Gangs of Wasseypur」シリーズ(2012年/Part 1Part 2)と比肩する映画だ。

 音楽の使い方も独特であった。ランヴィジャイがアスラール率いる大量の暗殺者たちと戦うシーンでは、パンジャービー語の勇壮な曲「Arjan Vailly」が流れる。単なるBGMとしての使い方ではなく、ランヴィジャイが戦う様子を彼の従兄弟たちが見守り、歌を歌うのである。ランヴィジャイとアブラールが滑走路上で殴り合うファイトシーンでは、一転してスローテンポなバラード調の「Saari Duniya Jalaa Denge」が流れる。敢えて定型を外した音楽の使い方をしているが、これはアヌラーグ・カシヤプ監督あたりが実験的に始めたことだと認識している。

 「Animal」は、ランビール・カプールが野獣と化し、父親の命を狙う者たちを次々と殺戮しまくるヴァイオレンス映画だ。その暴力描写は近年のヒンディー語映画においてはもっとも過激であり、観る人を選ぶ作品だが、単なる暴力で終わっていない。父子の歪んだ愛情が純粋なまでに研ぎ澄まされ、映画を貫く一本の芯になっており、どこか心を打つものがある。2023年の大ヒット作の一本であり、ランビールのキャリアにとってもまたひとつ重要な作品になっていくだろう。しかもシリーズ化されていく予定のようだ。暴力描写には要注意だが、それさえ大丈夫ならば必見の映画である。