Billu

3.0
Billu
「Billu」

 ヒンディー語映画界では、話題作公開直前のゴタゴタはもはや日常茶飯事となっている。昨年だけでも、「Jodhaa Akbar」(2008年)にラージプート・コミュニティーが、「Krazzy 4」(2008年)に作詞家ラーム・サンパトが、「Singh Is Kinng」(2008年)にスィク教徒コミュニティーが、「Hari Puttar」(2008年)に「ハリー・ポッター」制作者が、「Sorry Bhai!」(2008年)に歌手ラッビー・シェールギルが、「Ghajini」(2008年)に自称リメイク権保有者が意義を唱え、公開中止などの措置を求めた。

 ヒンディー語映画界で「コメディーの帝王」の名をほしいままにする映画監督プリヤダルシャンと、ヒンディー語映画界のスーパースター、シャールク・カーンが初めて組んだ話題作「Billu Barber」も同じような論争に巻き込まれることとなった。2009年2月13日公開のこの作品は、題名からも察せられるように床屋が主人公の映画だが、インドの理髪店・美容院協会が、題名や主題歌の中の「barber」という言葉が蔑称で不適切だとして、公開直前に反対の声を上げたのである。果たして「barber」が本当にそこまで不適切な言葉なのか、真相はよく分からない。少なくとも日本に生まれ育った限りでは、この言葉から差別的な響きは感じられない。だが、今回は安全策が採られ、題名、台詞、歌詞の中から出来る限り「barber」という単語が削除されることになった。よって、映画の正式名称は単に「Billu」となった次第である。ちなみに、「Billu」はマラヤーラム語映画「Kadha Parayumbol」(2007年)のヒンディー語リメイクである。

監督:プリヤダルシャン
制作:ガウリー・カーン
原作:シュリーニヴァーサン脚本「Kadha Parayumbol」(2007年)
音楽:プリータム
歌詞:グルザール、サイード・カードリー
振付:ファラー・カーン、ポニー・ヴァルマー、プラサンナ
衣装:アナイター・シュロフ・アダージャニヤー、マニーシュ・マロートラー、ニーター・ルッラー、ナレーシュ、Vサーイー・バーブー
出演:イルファーン・カーン、ラーラー・ダッター、ラージパール・ヤーダヴ、オーム・プリー、マノージ・ジョーシー、アスラーニー、ミターリー・マーヤーカル、プラティーク・ダールヴィー、ジャグディーシュ、ラスィカー・ジョーシー、カリーナー・カプール(特別出演)、プリヤンカー・チョープラー(特別出演)、ディーピカー・パードゥコーン(特別出演)、シャールク・カーン
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

 ビラース・ラーオ・パルデーシー、通称ビッルー(イルファーン・カーン)は、ウッタル・プラデーシュ州の田舎町ブドブダーの交差点で理髪店を営んでいた。妻ビンディヤー(ラーラー・ダッター)との間には2人の子供がいた。最近目の前にモダンなサロンが出来てしまい、ビッルーの商売は上がったりであった。子供たちの学費が支払えなかったため、ゲヘロート校長(ラスィカー・ジョーシー)からは、子供たちを学校から放り出すと脅されていた。吝嗇の高利貸しダームチャンド(オーム・プリー)は彼に金を貸そうと申し出ていたが、ビッルーは誰からも借金をしようとはしなかった。

 ある日、ブドブダーで映画のロケが行われることになった。ヒーローはヒンディー語映画界のスーパースター、サーヒル・カーン(シャールク・カーン)であった。町は大騒ぎになる。いつの間にかビッルーはサーヒル・カーンの親友だという噂が広まり、人々はビッルーに急に優しくなる。子供たちの学費は免除され、ダームチャンドからは新品の回転椅子を贈られた。皆、サーヒル・カーンとの面会、握手、サイン、写真、食事などを望んでいた。自称詩人のジャッラン・クマール(ラージパール・ヤーダヴ)は、自作の詩をサーヒルに聞かせようと張り切っていた。子供たちやビンディヤーも例外ではなかった。しかし、ビッルーはサーヒルに会いに行くことに乗り気ではなかった。なぜなら今やサーヒルは大スターになってしまっており、彼のことを覚えていてくれるか自信がなかったからである。一度ビッルーはサーヒルの泊まるゲストハウスに電話をするが、マネージャーに罵詈雑言を浴びせかけられてしまう。ノーバト・チャーチャー(アスラーニー)の助言に従い、ビッルーははっきりとした返事をせず、ロケが終わるまでやり過ごすことを決める。

 ブドブダーでのロケは順調に進み、日程も残りわずかとなった。ビッルーに期待していた人々は焦り、ロケ現場に殺到する。そこで警官たちと乱闘になり、ダームチャンドやジャッランらは逮捕されてしまう。ダームチャンドは、ビッルーがサーヒルと親友であるという証拠がないことに気付き、騙されたと考え、彼を訴える。ビッルーの床屋は破壊され、彼は警察に逮捕されてしまう。

 一方、子供たちの通う学校では、サーヒルを呼んで式典を開催しようと計画していた。ビッルーがサーヒルの親友だという噂を聞きつけ、ゲヘロート校長はビッルーにサーヒルを呼ぶように頼んでいたが、ビッルーが頼りにならないと悟ると、今度はダモーダル・ドゥベー先生(マノージ・ジョーシー)の人脈に頼ることにする。ドゥべーは高慢な態度をとってサーヒルを怒らせてしまい、交渉は失敗に終わるところであったが、ゲヘロート校長の必死の懇願により、何とかサーヒルは、ロケ終了日に学校の式典に出席することを承諾する。

 ブドブダーの人々は学校に集まった。ビッルーの子供たちや、ビンディヤーも来ていた。警察から釈放されたビッルーもビンディヤーに連れられて仕方なく顔を出した。サーヒルは子供たちの前で、自分の子供の頃の思い出を語り出す。サーヒルは貧しい家の生まれであった。だが、子供の頃に彼を支えてくれたのが、ビッルーという名の友人であった。だが、ビッルーは駆け落ち結婚をしたために村を出なければならず、その後行方不明になっていた。サーヒルは今でもビッルーのことを忘れていないと話す。それを聞いたビッルーは、彼が今でも自分のことを覚えていてくれたことに驚くが、サーヒルには会わずに家に帰る。

 その晩、サーヒルがビッルーの家を訪ねて来る。2人は久し振りの再会を喜び、抱き合う。町の人々もビッルーを見直し、彼を担ぎ上げる。

 シャールク・カーンに加え、カリーナー・カプール、プリヤンカー・チョープラー、ディーピカー・パードゥコーンといった、現在のヒンディー語映画界を代表する人気女優3人をアイテムガールに起用し、派手なパブリシティーと共に売り出されていたため、てっきり「Singh Is Kinng」(2008年)タイプの大予算型コメディー映画だと思って映画館に足を運んだのだが、意外にもコメディーよりもドラマの要素の方が強い映画であった。プリヤダルシャン監督と言えば、「コメディーの帝王」のイメージとは裏腹に、「Kyon Ki…」(2005年)のようなドラマ映画も作っており、決して昔からコメディー一辺倒の映画監督ではないのだが、それでも彼のフォルモグラフィーの大半は抱腹絶倒のハチャメチャ型コメディー映画で埋め尽くされており、大半の観客もそれを期待して「Billu」を観に行くことだろうと思う。よって、蓋を開けてみたら感動モノのドラマ映画というのは完全なる肩すかしであり、それがこの映画の評価や興行収入にマイナスに働くことは十分あり得るだろう。

 それでも、名優イルファーン・カーンの堅実な演技のおかげで、本筋はしっかりとしており、最初から感動作だと思って観に行けば全く問題ない。特にクライマックスにおけるシャールク・カーンの独白は感動的である。むしろ、所々に挿入されるシャールク・カーンとトップ女優たちとの派手なダンスシーンの方が邪魔に思えるくらいだ。ロケとセットのズレのせいか、舞台となっているブドブダーが、町なのか村なのか、いまいち判断しかねたのだが、登場人物の話す台詞はヒンディー語東部方言特有の味のある表現で満ちており、スーパースターの突如とした来訪に沸く田舎の様子が生き生きと描写されていた。その点では、プリヤダルシャン監督自身の「Maalamal Weekly」(2006年)や、「Aaja Nachle」(2007年)や「Welcome to Sajjanpur」(2008年)などと似た映画であった。ちなみに、ブドブダーは架空の町のはずである。マディヤ・プラデーシュ州に同名の町があるようだが、映画中ではウッタル・プラデーシュ州の町ということになっていた。

 もうひとつ特筆すべきなのは、ショービジネス界に付き物のスキャンダルについて、おそらくシャールク・カーン自身の見解と思われるコメントが映画の中にあったことだ。シャールク・カーン演じるサーヒル・カーンはヒンディー語映画界を「ひとつの家族」と表現し、「家族の中にちょっとした喧嘩があるのと一緒で、映画界の中でもちょっとした喧嘩は避けられない。でも、我々はまず家族であり、お互いに愛し合っていることを忘れないでもらいたい」と述べていた。ショービジネス界の些細な事柄を大袈裟に取り上げて騒ぐ悪習はどこの国のメディアにも共通しており、シャールク・カーンはホームプロダクションであるこの映画を借りて(プロデューサーは妻のガウリー・カーン)、彼らにひとつの答えを提示したと言っていいだろう。

 イルファーン・カーンの演技を今更とやかく言う必要はないだろう。演技らしくない自然な演技ができる俳優であり、彼以外にビッルーの適役はいなかった。ヒロインのラーラー・ダッターは、今までのゴージャスなイメージと打って変わって、田舎の素朴な主婦を演じていた。アムリター・ラーオなど、もっと田舎娘の似合うヒロイン女優はたくさんいるし、彼女からゴージャスなオーラが完全に消え去っていなかったようにも感じたのだが、このような土臭い役を演じることはラーラーにとって冒険であったことを考えると、賞賛されてしかるべきであろう。ただし、ただでさえいまいちブレイクし切れていなかったラーラーである、これが彼女のキャリアにとってトドメとならないことを祈るばかりだ。

 ラーラーに代わって映画にゴージャスさを加えていたのは、3人のトップ女優たちである。その中でもっとも輝いていたのは、トップでシャールク・カーンと踊りを踊るディーピカー・パードゥコーンだ。「スター・ウォーズ」のパロディーのようなダンスシーン「Love Mera Hit Hit」でカリスマ的魅力を存分に放出していた。「Om Shanti Om」(2007年)でのデビュー以来、2本の映画に出演したものの、大ヒットとまでは行かず、いまいち頭打ちの感があったディーピカーであったが、「Billu」でのアイテムガール出演で再び魔法を取り戻したと言える。それはおそらくシャールク・カーンとの再共演のおかげであろうし、また、ファラー・カーンの優れた振り付けのおかげでもあろう。だが、「Billu」でもっとも利益を享受しているのは明らかに、この映画によって一度体勢を立て直すことに成功したディーピカーであり、今後も続けて期待できそうだ。

 音楽はプリータム。彼はヒンディー語映画界のパクリ常習犯で、「Billu」の音楽もどこからか失敬して来たものがほとんどであろうが、彼ほどダンスしたくなる曲を作ることに長けた音楽監督は他にいないことも確かである。しかも、「Billu」のサントラCDはプリータムの傑作のひとつに数えられるほどいい。買って損はない。カリーナー・カプールのアイテムナンバー「Marjaani」、前述のディーピカー・パードゥコーンのアイテムナンバー「Love Mera Hit Hit」、シャンカル・エヘサーン・ロイが音楽監督を務めたロック映画「Rock On!!」(2008年)に対するアンサーソングとも言える「Ae Aa O」など、素晴らしい曲が満載だ。

 言語はヒンディー語であるが、田舎臭さを出すために台詞には方言が多用されている。ベースとなっているのは、ウッタル・プラデーシュ州東部からビハール州にかけて話されるボージプリー語である。よって、ヒンディー語初学者にとっては聴き取りに苦労するヒンディー語映画と言える。

 シャールク・カーンは、サーヒル・カーンという架空のスーパースター役で、完全に本人役ではなかったものの、サーヒル・カーンは明らかにシャールク・カーン自身の分身であった。さらに、シャールク・カーンの過去の出演作のシーンがいくつも挿入される部分があり、昔からのシャールク・ファンには嬉しいサービスとなっている。また、「スター・ウォーズ」シリーズや「マトリックス」シリーズを思わせるパロディー・シーンもあり、シャールク・カーンが「Om Shanti Om」で茶目っ気たっぷりに演じたタミル語映画スターやモハッバト・マンを想起させた。

 また、ロケシーンで、なぜか日本の剣道のお面をかぶった人も一瞬だけ出て来て面白い。多分ダースベイダーのパロディーであろうが、もしそうだとしたら結構高度なパロディーである(ダースベイダーのコスチュームは日本の兜や甲冑をモデルにしているとされる)。先日公開されたシャールク・カーン主演作「Rab Ne Bana Di Jodi」(2008年)でも日本が出て来たが、それに続いてこの「Billu」でもちょっとだけ日本を感じさせられたのは単なる偶然であろうか?

 冒頭でも述べたが、床屋コミュニティーの反発の影響で、題名、台詞、歌詞の中から「barber」という単語が削除されている。当然、削除された部分は空白となってしまっている。劇中のいくつかの台詞で「barber」が削除されたと思われる部分が散見された他、「Billoo Bhayankar」という挿入歌からもその単語が軒並み削除され、歌詞の意味が通らなくなってしまっていた。このような処置は映画の完成度を著しく低下させる。とても残念なことだ。

 「Billu」の見所は、お互いに相反するほど大きく分かれた2つの要素である。ひとつはシャールク・カーン、カリーナー・カプール、プリヤンカー・チョープラー、ディーピカー・パードゥコーンによるスターパワー、もうひとつは、イルファーン・カーンを中心とした堅実な演技によるドラマである。このふたつの要素は下手すると映画をバラバラにしてしまうほどかけ離れており、実際、終盤まではとても退屈な展開になってしまっているのだが、シャールク・カーンが最後に行うしんみりとした演説のおかげで、スター性とドラマ性が結び付き、作品は何とかひとつにまとまっていた。「Billu」は必ずしもバランスのいい映画ではないが、スター目的でも、ドラマ目的でも、ある程度満足できる映画に仕上がっていると言える。ただ、お気楽なコメディーを期待する客層には勧められない。