Silsiilay

4.0

 今日は、2005年6月17日公開の新作ヒンディー語映画「Silsiilay」をPVRアヌパム4で観た。「Silsiilay」とは「連鎖」とか「シリーズ」みたいな意味。3人の全く関係のない女性の話で構成されたオムニバス形式の映画である。監督は、「Fiza」(2000年)や「Tehzeeb」(2003年)のカーリド・ムハンマド監督、音楽はヒメーシュ・レーシャミヤー。なにげにオールスターキャストの映画で、ラーフル・ボース、ジミー・シェールギル、アシュミト・パテール、ケー・ケー・メーナン、カラン・パンタキー(新人)、タブー、セリナ・ジェートリー、リヤー・セーン、ナターシャー、ブーミカー・チャーウラー、ディヴィヤー・ダッター、プリヤー・バドラーニーなど。シャールク・カーンがナレーションとして特別出演している。

 ズィヤー(ブーミカー・チャーウラー)は人気女優で、富、名声、欲しいものは全て手に入れていたが、たったひとつだけ手に入らなかったものがあった。それはニール(ラーフル・ボース)であった。ズィヤーとニールは相思相愛の仲であったが、忙しいズィヤーのスケジュールにより次第に疎遠となり、破局してしまったのだった。それでもズィヤーはニールのことを愛しており、ニールの子供が欲しいと思っていた。一方、ニールは同じ職場に勤めるナンディター(プリヤー・バドラーニー)と付き合っており、結婚間近だった。ズィヤーはある日、ニールを家に呼ぶ。彼女の家にはまだニールの荷物が置いてあったからだ。ニールのことを愛してやまないズィヤーだったが、彼の前ではわざと冷たい態度を取る。ニールは適当に受け流すものの、成り行きにより2人はベッドを共にする。次の日の朝、ズィヤーはニールに「ありがとう」と言う。ニールはその意味が分からなかった。ズィヤーと同居していた妹のディヤーは、ズィヤーが彼に1枚のDVDを渡さなかったのを見ていた。ズィヤーはそれを手に入れるために大金を費やしていたのだが、彼には渡さなかった。それを見たディヤーはニールのもとを訪れ、「あなたはいい人だけど、女性の心の痛みが分からない人よ」と言ってそのDVDを渡す。そのDVDは、ナンディターが出演するAVだった。ニールはナンディターと別れる。それからしばらく後、ズィヤーは妊娠していることに気付き、ニールに電話をする。

 アヌシュカー(リヤー・セーン)は、デヘラードゥーンからムンバイーに出てきて働く純朴な女の子だった。アヌシュカーはニキル(アシュミト・パテール)という男と恋に落ちていたが、なかなか彼に貞操を捧げる決心がつかなかった。ルームメイトのピヤー(ナターシャー)はそんなアヌシュカーと違って男好きな性格で、「そんなものいつまでもとっておいたって何の得にもならないわよ」と彼女を促す。ある日、ニキルとアヌシュカーはホテルに泊まるが、アヌシュカーはニキルのデリカシーのない態度に呆れ、また恐怖から逃げ出してしまう。一方、アヌシュカーの勤める会社で働くタルン(ジミー・シェールギル)は、アヌーシュカーに恋していた。タルンは毎日彼女にバラを送っていたが、彼は彼女に恋人がいるのを知っていた。アヌシュカーはタルンの気持ちを知りながらも、ニキルへの愛を止めることはできなかった。しかし、ニキルが他の女とホテルにいるところを見てしまい、アヌシュカーの気持ちは一変する。そのときタルンの米国転勤が決まり、彼はアヌシュカーに結婚を申し込むが、彼女はそれを拒否して言う。「私は初めて私自身に会うことができた気がするの。だから私はここにいたいの。」アヌシュカーは米国へ旅立つタルンを空港で見送る。

 リハーナー(タッブー)はムスリムの大富豪アンワル(ケー・ケー・メーナン)の2番目の妻だった。最初の妻は死去しており、前妻の間にはイナーヤト(カラン・パンタキー)という息子がいた。アンワルは7年間に渡ってスチュワーデスのプリーティ(セリナ・ジェートリー)と不倫していたが、それを薄々感じながらリハーナーは黙って孤独な生活を耐えていた。また、密かに年頃のイナーヤトはリハーナーに恋をしていた。同時に、リハーナーを放っておいて不倫をしている父親に憎悪を燃やしていた。結婚記念日、リハーナーは夫の背広から指輪を見つける。自分へのプレゼントだと思ったリハーナーは幸せな気持ちになる。しかし、アンワルは「今夜も仕事で遅くなる」と言って出勤してしまった。それでもリハーナーは夫のことを信じていたが、イナーヤトはそんな義母の姿に耐えられなくなり、彼女を父親とプリーティの不倫現場まで連れて行く。その指輪は、プリーティへの贈り物だった。不倫現場を押えられたアンワルは、リハーナーと離婚をしようとし、「タラーク、タラーク・・・」まで言いかけるが、その瞬間リハーナーは、「私があなたを離婚するわ。私は絶対にあなたのために泣いたりしない」と言って出て行く。

 僕より以前にこの映画を鑑賞した、ある日本人女性のヒンディー語映画ファンから、「この映画は女心の分からない人には分からない」と釘を刺された。僕の映画批評は、女性心理の理解に欠如があるとよく批判を受けるので、それを念頭に置いた忠告だったと思われる。よって、なるべく「女心」とやらの動向に気を遣って映画を観た。確かにこの映画は女性心理の複雑さを巧みに描いた映画であった。ここまで女性の共感を得られる映画を撮れるのは女性しかいないだろうと思ったが、なんと監督は男性。その割に、この映画に登場する男性はステレオタイプなキャラクターが多かったように思える。男性中心の映画は女性キャラクターがステレオタイプになるし、女性中心の映画は男性キャラクターがステレオタイプになるのは宿命なのだろうか?

 まずはシャールク・カーンが登場し、この映画が「どこにでもいるような3人の女性のストーリー」であることが観客に伝えられる。「あなたの隣に座っている女性の話かもね」なんて言って観客を沸かしていた。その後もシャールク・カーンは、軽いノリで登場してシャレたことを口走って映画を進行させており、なかなか面白い工夫だと思った。テーマソングに合わせてシャールク・カーンがおかしなノリの踊りを踊るのも見所と言えば見所であろう。

 基本的にズィヤー、アヌシュカー、リハーナーのストーリーは全く独立したものである。だが、微妙な部分でリンクされており、最後にはズィヤーが外で産気づいてしかも交通事故に遭ったとき、たまたまアヌシュカーとリハーナーもその場に居合わせる設定になっていた。しかし、3本のストーリーのリンクのさせ方は中途半端であり、全く独立させるか、それとももう少し深くリンクさせるか、どちらかにした方がよかったのではないかと思った。

 3人の女性の話ということだが、その質にはばらつきがあった。おそらく女性の心理の複雑さを最も適格に描いたのは、最初のズィヤーのストーリーである。愛している男性の前でわざと強気かつ冷たい態度を取るという女性の性質が描写されていたし、愛する男性が自分のもとを永遠に去っていくのを潔い気持ちで見送るときの表情がうまく表されていた。また、演技の点ではタブーが主演したリハーナーのストーリーが最も優れていた。夫の不倫現場を目の当たりにしながらも、夫の前で涙を見せずに離婚を言い渡すその演技は、タブーが一流の演技派女優であることを存分に証明していた。一方、アヌシュカーのストーリーは、プロットや演技の面から、この映画の中で最も弱い部分となってしまっていた。

 監督はムスリムなので、映画にはムスリム色が強かったように思える。例えば、ズィヤーはウルドゥー語の中心地のひとつ、ハイダラーバード出身という設定で、彼女のことを「ジヤー」と呼ぶ人に対し、「ジヤーじゃなくてズィヤーよ」と注意していた。「Zia」の「Z」の発音は、アラビア語特有の発音で、実際には日本語の「ジ」でも「ズィ」でもないが、便宜的に「ズィヤー」と書いておいた。また、リハーナーのストーリーはムスリムの上流家庭が舞台となっており、話す言語もウルドゥー語であった。ちなみに、イスラーム教では、夫が妻の前で「タラーク(離婚)」という言葉を3回唱えると離婚が成立する。イスラーム法に女性から離婚する方法はない。アンワルはリハーナーの前で「タラーク」を2回まで言いかけた。だが、それを遮ってリハーナーは夫に離婚を言い渡した。

 「Silsiilay」をまとめると、悲しみを乗り越えて自立していく3人の女性を描いた映画ということになるだろう。残念ながらヒットしておらず、一瞬の内に公開が終了しそうだが、隠れた名作だと思う。