Kick

3.0
Kick
「Kick」

 ヒンディー語映画界では毎年のように新しいスターが誕生しているのだが、90年代から続く3カーン――シャールク・カーン、サルマーン・カーン、アーミル・カーン――の勢力は依然強く、2014年も終わってみれば大ヒット作はやはり3カーン映画だったようだ。また、1年の後半(7月~12月)にヒット作が集中する傾向もそのままで、3カーン主演の大ヒット作は全てこの時期に公開されている。

 2014年、サルマーン・カーンは主に2本の映画で主演したが、大ヒットとなったのは7月25日公開の「Kick」の方である。ヒンディー語映画界では、イスラーム教の祭りイードにアクション映画を公開するとヒットするというジンクスがあり、特にサルマーン・カーンがそれにあやかっている。2009年のイードにアクション映画「Wanted」を公開して大ヒットさせて以来、「Dabangg」(2010年)、「Bodyguard」(2011年)、「Ek Tha Tiger」(2012年)と、イードの時期に必ずアクション映画をぶつけて来た。ところが2013年はシャールク・カーンの「Chennai Express」にイードのスロットを奪われてしまい、同年に彼の主演作は公開されなかった。「Kick」はイードの週に公開されており、2年振りにサルマーン・カーンがアクション映画を引っさげてイードに戻って来たことになる。

 この映画は、同名のテルグ語映画(2009年)のリメイクである。南インドのアクション映画をリメイクして大ヒットさせるという方程式もサルマーンが好んで乗っかる手だ。ただ、脚本に人気作家のチェータン・バガトが参加しており、何かツイストがあるのではないかと期待させられる。監督はサージド・ナーディヤードワーラー。敏腕プロデューサーとして名を馳せて来た人物だが、ちょっと違ったことをしたくなったのか、今回初めてメガホンを取った。作曲はヒメーシュ・レーシャミヤー、ミート・ブロス・アンジャーン、ヨー・ヨー・ハニー・スィン、作詞はマユール・プリー、クマール、シャッビール・アハマド、ヨー・ヨー・ハニー・スィン。

 主演はもちろんサルマーン・カーン。ヒロインはスリランカ人女優ジャクリーン・フェルナンデス。「Aladin」(2009年)や「Jaane Kahan Se Aayi Hai」(2010年)などの女優である。他にランディープ・フッダー、ナワーズッディーン・スィッディーキー、ミトゥン・チャクラボルティー、アルチャナー・プーラン・スィン、ヴィピン・シャルマー、サウラブ・シュクラー、サンジャイ・ミシュラーなどが出演している。また、「Rockstar」(2011年)のナルギス・ファクリーがアイテムガール出演をしている。

 ポーランド在住のインド人女性医師シャイナー・メヘラー(ジャクリーン・フェルナンデス)は、父親ブリジェーシュ・ミシュラー(サウラブ・シュクラー)の強い願いで、インドのデリーから来た警察官ヒマーンシュ・ティヤーギー(ランディープ・フッダー)とお見合いをすることになる。二人はまだ結婚する気がないことを確認し合うと、それぞれの「意中の人」について話し出す。

 シャイナーは元ボーイフレンド、デーヴィー・ラール・スィン(サルマーン・カーン)を忘れられないでいた。シャイナーは、友人の結婚式に参列するためにデリーを訪れたとき、デーヴィーと出会った。常に心を興奮させるような「キック」を求めながらも正義感溢れるデーヴィーにシャイナーは恋し、結婚を考えるようになるが、デーヴィーはそのユニーク過ぎる性格から定職に就いていなかった。シャイナーはデーヴィーに定職に就くように頼むが、彼にはできない話だった。その後二人の間で口論となり、以後デーヴィーは二度と姿を見せなかった。

 次にヒマーンシュが特別な人について話し出す。しかし、それは過去の恋人などではなく、彼がずっと追い続けて来ている強盗デヴィルについてだった。神出鬼没のデヴィルは大金持ちから大金を盗み出していた。ヒマーンシュは後ちょっとのところまで追い詰め、彼の左肩に傷を負わすが、逮捕までは至っていなかった。今回ヒマーンシュがポーランドに来たのは、インドの内務大臣(ヴィピン・シャルマー)とその甥シヴ・ガジュラー(ナワーズッディーン・スィッディーキー)のワルシャワ訪問に合わせたものだったが、もうひとつの理由は、デヴィルの次のターゲットがシヴ・ガジュラーであると見ていたからであった。

 ところで、シャイナーはデーヴィーの姿をワルシャワで目にする。調べてみると、デーヴィーは記憶喪失を患い入院していた。シャイナーはデーヴィーの記憶を回復させるため、自宅に連れて来る。彼女の家にはヒマーンシュも宿泊しており、二人は顔を合わす。実はデーヴィーこそがデヴィルであったが、ヒマーンシュはそれに気付かなかった。また、デーヴィーは記憶喪失を装っているだけだった。これはヒマーンシュに接近するための策略であった。そうとは知らないヒマーンシュはデーヴィーと友情を結ぶ。

 ワルシャワで内務大臣やシヴを迎えたパーティーが行われていた。警備は厳重だったが、デーヴィーはヒマーンシュとのコネを使ってまんまと潜入に成功する。裏ではシヴが現地の相手と多額の取引を行おうとしていたが、そこにデヴィルが乱入し、金を盗み取る。ところがそのときまでにヒマーンシュとシャイナーにもデヴィルの正体が分かっていた。デヴィルはビルから飛び降り、バスを盗んで逃走するが、ヒマーンシュの必死の追撃により、橋から落ちて川に沈む。

 舞台はデリーに戻る。デーヴィーは死んでいなかった。ヒマーンシュは場末の酒場でデーヴィーを見つけるが、その場では捕まえず、次の盗みの現場で現行犯逮捕すると宣言する。それに対しデーヴィーも11月14日にシヴが貯め込んだ資金を盗み出すと宣言する。

 また、デーヴィーがなぜ大金を盗み続けているのか、その理由も明らかになる。デーヴィーは、恵まれない子供たちの難病治療のために盗みを繰り返していた。シャイナーはデーヴィーの父親ラール・スィン(ミトゥン・チャクラボルティー)から聞いてそれを知り、デーヴィーを見直す。また、デーヴィーはかつて、難病を抱えた少女を助けるためにシヴに資金援助を請いに行ったことがあった。そのときシヴはデーヴィーを侮辱して返した。シヴとの因縁はそのときからあったのだった。

 11月14日、シヴはデヴィルを待ち受ける。デーヴィーはシヴの手下をなぎ倒し、シヴをも倒す。そして金を盗み出し、ラール・スィンに預けて逃走する。ヒマーンシュは走るデーヴィーを撃とうするが、そのとき突然子供たちがやって来てデーヴィーを取り囲む。11月14日は子供の日であり、子供たちはデーヴィーに感謝するために集まって来たのだった。またもヒマーンシュはデーヴィーを取り逃がす。

 11月15日。ヒマーンシュは内務大臣に呼ばれ、デヴィル逮捕の任を解かれる。その代わりにやって来たのがデーヴィー・ラール・スィン、つまりデヴィルその人であった。ヒマーンシュはデーヴィーの悪戯心に感心し、笑いをこらえながらその場を立ち去る。

 サルマーン・カーンはインドのトップスターとして有名だが、それと同時に「Being Human」というNGOを主宰しており、チャリティー活動に精を出していることでもよく知られている。主なフィールドは教育と医療で、恵まれない子供たちに教育を施したり、AIDSや癌の患者の治療代を工面したりしている。アーミル・カーンがTV番組「Satyamev Jayate」シリーズで、御意見番的にインド国民の意識向上に一役買っているとしたら、サルマーンは実際の行動によって社会に貢献していると言える。

 一方でサルマーンは「ヒンディー語映画界のお騒がせ男」としての側面も持ち合わせている。現在サルマーンは少なくとも2つの裁判を抱えており、どちらも深刻である。ひとつはチンカラーと呼ばれる絶滅危惧種の動物を狩猟した容疑に関する裁判である。これは、1998年9月、「Hum Saath-Saath Hain」(1999年)の撮影中に起こった事件で、裁判はまだ続いている。また、2002年9月には、路上生活者をひき逃げをした容疑で逮捕されており、こちらも現在審理中である。また、元恋人アイシュワリヤー・ラーイとの破局と、その後のストーカー化も、未だに記憶に鮮明である。

 つまり、サルマーン・カーンという俳優には2つの顔がある。ひとつはバッドボーイ的な顔、もうひとつはグッドボーイ的な顔である。サルマーン映画は、彼のこうした両側面をそのまま持った主人公を彼が演じるような構造になっていることが多く、これは意図的に彼のイメージ操作が図られていると邪推することも可能である。

 「Kick」は、そんなサルマーン映画の特徴が如実に表れていた作品だった。一騎当千の圧倒的戦闘力を持ちながら、心優しく寛大で、困っている人を助けずにはいられない。危険を顧みない大胆不敵さを持ちながら、お茶目さも備わっている。インド神話に登場するクリシュナ的なキャラが、今回サルマーンの演じたデーヴィー・ラール・スィンであった。また、後半になると、大金を盗み出す泥棒デヴィルとしての暗躍も描かれる。彼の名前「Devi Lal Singh」の最初の5文字を英語読みすると「Devil」という訳だ。とは言え、彼は恋人シャイナーと結婚するためや、私欲を肥やすために盗みを働いていたのではなく、恵まれない子供たちを一人でも助けられるようにと、言わば義賊として活動していたのだった。

 題名に使われている「キック」という言葉は、そんなデーヴィーの二面性をつなげるキーワードとなっていた。デヴィルになる前の彼はスリルから得られる興奮を「キック」と表現しており、むやみに自分の命を危険にさらしていた。しかし、彼が自分の人生をもっと有意義なものにしようとしたきっかけは、一人の少女を救ったことだった。心臓に難病を抱えていた少女の治療には多額の金が必要で、両親はその工面に奔走するが、どんなに頑張っても必要な額を用意できず、最後には悲観して2人とも心中してしまう。後に残された少女の面倒を見ることになったのがデーヴィーであったが、あらゆる所持品を売り払っても、やはりなかなか必要な額を集められなかった。最後には、かつて鼻を明かした政治家に頭を下げて金を無心し、ようやく手術に必要な金が揃う。手術は成功し、少女は新たな命を手にする。そのとき彼女が見せた笑顔。それがデーヴィーの新たな「キック」となったのだった。同じような境遇の子供たちが他にもたくさんいることを知ったデーヴィーは、彼ら全てを救うため、デヴィルとなって悪徳な富裕者から大金を盗み出すようになった。

 いくつかの裁判を抱え、必ずしも良い評判ばかりではないサルマーンであるが、彼が精力的に慈善活動を行っていることも事実であり、またその人柄の良さから、業界内で最も尊敬を集めていることも間違いない。デーヴィーのキャラは、そのままサルマーンの現在と容易にリンクする。「Kick」はサルマーン主演だけでなく、サルマーンのプロモーション映画だと表現することができる。また、今回彼は自ら数曲歌っている。彼がここまで本格的に歌声を披露するのは初めてのことだ。

 「Kick」で一番印象に残ったのは、デーヴィーが食堂で、悪党たちに絡まれている女性たちを救うシーンだ。デーヴィーは悪党に手を出すよりもまず先に、現場にいて女性たちが困っているのにもかかわらず助けようとしない周囲の男性たちをぶちのめす。犯罪を助長させるのは周囲の見て見ぬ振りだという戒めがあるが、正にそれを観客に提示する1シーンだった。当然、昨今のインドの社会状況、特に女性の安全問題などと関連していると考えていいだろう。

 興行的に大成功を収めた作品だが、映画の質については疑問が残る。南インド映画のリメイクにありがちなのだが、ストーリーやシーンの展開が十分に練られておらず、雑な印象を受けた。人間関係ひとつを取っても、それぞれが満足行く形で提示できていない。デーヴィーと父親の関係、デーヴィーとシャイナーの関係、デーヴィーとヒマーンシュの関係など。特にデーヴィーとシャイナーの関係については、デーヴィーが義賊となってしまったことで、世直し的要素が強くなり、逆にロマンス要素が減少していた。監督が新人だったということもあるだろうが、全体的に詰めの甘さは否めなかった。逆に言えば、この程度の出来で20億ルピー以上のコレクションを稼ぎ出すことが、サルマーン人気のすごさを証明している。ただ、確かにアクションは良かったし、音楽にも力があった。ストーリーそのものではなく、サルマーンのカリスマ性とその他諸々の装飾品で娯楽映画としての体裁を整えることに成功したと言っていいだろう。

 また、おそらく誰でも感じることであろうが、デヴィルの仮面は「Krrish」(2006年)と酷似しており、あまり気持ちのいいものではない。リティク・ローシャンのお株を奪おうとしているのだろうか。また、劇中にはサルマーン主演「Dabangg」シリーズのパロディーもあったが、少ししつこかった。全体的にギャグはかなりコテコテである。これはサージド・ナーディヤードワーラーのセンスなのだろうか。

 ジャクリーン・フェルナンデスについては可もなく不可もなくのヒロイン演技だった。ナワーズッディーン・スィッディーキーは初めて本格的に悪役を演じたが、少し気合を入れすぎていた感じがする。一番光っていたのは、いつもの通り、ランディープ・フッダーだ。本当にいい俳優に成長した。

 デーヴィーがシャイナーの両親に娘との結婚許可をもらいに出向いた際に、怒って出て行った理由については少し解説が必要だろう。インドには「ガルジャマーイー」という言葉がある。これは日本語にすると「婿養子」になるが、もう少し広い意味もあり、「妻の実家に住む人」辺りが正確な訳になる。インドではこれは大変不名誉なこととされており、インド人はたとえ一泊でも妻の実家に滞在しようとしない。シャイナーの父親がデーヴィーに「結婚後はこの家に住むことになるだろう」ということを言ったが、これは正しくガルジャマーイーのことを言っており、デーヴィーに対する侮辱となるのである。

 「Kick」は、2014年の大ヒット作の一本であり、最も典型的なサルマーン映画である。ポーランド・ロケや派手なアクションシーンもあって予算を掛けた娯楽大作となっていたし、「Jumme Ki Raat」など、音楽も良い。しかしながら、映画としての純粋な質については疑問符が付く。とは言え、サルマーン映画を観に来る観客層にはドンピシャの作りであるし、こういう映画もなくてはならない。