Zindagi Na Milegi Dobara

4.5
Zindagi Na Milegi Dobara
「Zindagi Na Milegi Dobara」

 ヒンディー語映画界には数々の映画ファミリーが存在するが、最近非常に存在感を強めつつある家系のひとつがアクタル・ファミリーである。詩人ジャーン・ニサール・アクタル、詩人カイフィー・アーズミー、女優シャウカト・アーズミー、女優シャバーナー・アーズミー、脚本家・作詞家ジャーヴェード・アクタル、脚本家ハニー・イーラーニーなどが連なる家系であり、現在最前線で活躍しているのが、ジャーヴェード・アクタルと前妻ハニー・イーラーニーの間に生まれた双子の兄妹ファルハーン・アクタルとゾーヤー・アクタルである。ファルハーンは「Dil Chahta Hai」(2001年)や「Don」(2006年)で有名な映画監督で、「Rock On!!」(2008年)では俳優デビューし、映画界において二足の草鞋を履いた活躍をしている。一方、ゾーヤーは2009年に「Luck By Chance」で映画監督デビューをした。この双子の兄妹が関わる映画では父親ジャーヴェード・アクタルも積極的に協力しており、親子の強い絆が感じられる。ただし、二人は継母にあたるシャバーナー・アーズミーとは距離を置いているように見える。

 ゾーヤーの監督デビュー作「Luck By Chance」は残念ながら興行的に失敗に終わったのだが、めげずに2作目をリリースして来た。題名は「Zindagi Na Milegi Dobara(人生は一度だけ)」。「Rock On!!」テーマソングの歌詞中にあったフレーズだ。2011年7月15日に公開された。やはり今回もアクタル父子の強い絆の結晶となっており、ファルハーンがプロデューサーと主演を務め、ジャーヴェードが挿入歌の作詞や劇中に登場するウルドゥー語詩を書いている。ほぼ全編スペインロケというのもヒンディー語映画としては珍しいし、リティク・ローシャンやカトリーナ・カイフといったAクラスの俳優が出演していることも目を引く。文句なく今年話題の作品の一本だ。ファルハーンの「Dil Chahta Hai」が2000年代の方向性を決めたように、ゾーヤーの「Zindagi Na Milegi Dobara」が2010年代のトレンドセッターとなるのだろうか?

監督:ゾーヤー・アクタル
制作:リテーシュ・スィドワーニー、ファルハーン・アクタル
音楽:シャンカル=エヘサーン=ロイ
歌詞:ジャーヴェード・アクタル
出演:リティク・ローシャン、アバイ・デーオール、ファルハーン・アクタル、カトリーナ・カイフ、カルキ・ケクラン、ナスィールッディーン・シャー(特別出演)
備考:PVRプリヤーで鑑賞、ほぼ満席。

 ムンバイーを拠点に父親の建設会社で働くカビール(アバイ・デーオール)は、ホテル王の娘でインテリアデザイナーのナターシャ(カルキ・ケクラン)と結婚することになった。結婚式を2ヶ月後に控え、カビールは「バチャラーズ・パーティー」として学生時代の仲良し三人組でスペインを3週間旅することになった。これは「三銃士」といわれていた三人の間での学生時代からの約束だったのだ。

 「三銃士」の一人、イムラーン(ファルハーン・アクタル)はプレイボーイかつ大のお調子者で、デリーでコピーライターをして生活していた。それとは別に日記を持ち歩き、密かに詩を書き綴っていた。イムラーンはスペイン行きを聞いたときに偶然に驚く。ちょうど1年前、母親から自分の出生の秘密を聞いたばかりだったからだ。亡き父親は実の父親ではなく、実の父親はスペインで画家をして暮らしているとのことだった。複雑な思いを胸に抱えつつイムラーンはスペイン行きを歓迎する。

 一方、「三銃士」のもう一人アルジュン(リティク・ローシャン)は証券トレーダーとしてロンドンで忙しい毎日を送っていた。貧しい育ちだったために金に対する執着が強く、大金を稼いで40歳に引退する人生計画を思い描いていた。彼の異常なまでの上昇志向と金銭欲は、恋人との破局をもたらしたばかりだった。アルジュンにはスペイン旅行に行く時間などなかったが、約束は約束ということで、しぶしぶ承知する。だが、ちゃっかり仕事道具は持ってきていた。

 また、ナターシャはバチャラーズ・パーティーでカビールが羽目を外しすぎることを警戒していた。それでも彼をスペインに送り出す。ただし、ビデオチャットで毎日交信することになっていた。

 バルセロナで久しぶりに再会した三人は、まずはレンタカーに乗って海岸の町コスタ・ブラバを目指す。道中ではイムラーンとアルジュンの不仲が再燃する。実は4年前にイムラーンがアルジュンのフィアンセに手を出したことがあり、それが原因で二人の仲はあまり良くなかった。その場は何とかカビールが収める。

 コスタ・ブラバではカビールの提案に従ってスキューバダイビングをすることになった。アルジュンは泳げないために乗り気ではなかったのだが、ダイビングインストラクターが魅力的な美人だったために彼も挑戦することにする。インストラクターの名前はライラー(カトリーナ・カイフ)。英国人とインド人のハーフで、ロンドンでファッション学校に通っており、休暇にスペインでダイビングインストラクターのバイトをしていた。スキューバダイビングによって海底の美しい世界を知ったアルジュンはすっかり世界観が変わってしまう。普段の騒音に満ちた生活から、自分の息しか聞こえない沈黙の世界。そしてアルジュンはライラーに恋をしてしまう。

 次に三人が向かったのはブニョール。元々ライラーが行こうとしていたところで、そこではちょうど有名なトマト祭り「トマトティーナ」が行われていた。三人もライラーやその友人ヌリアと共にトマト祭りに参加することになる。ところが、はしゃぎ回ってホテルに帰り着いたカビールらを待っていたのがナターシャであった。ちょうど仕事でロンドンに来ており、1泊の予定でスペインまで来ていたのだった。ナターシャはカビールがライラーといちゃついているのを見てショックを受ける。ナターシャは平静を装って皆の輪に加わったが、彼女が加わったことで場の雰囲気が一変してしまう。ナターシャは一応ライラーへの疑いを解き、翌日ロンドンに帰っていったが、イムラーンとアルジュンは実はカビールとナターシャはあまりいい夫婦にはならないのではないかと考えるようになる。

 ライラーと別れ、次に向かったのはスカイダイビング学校。これはアルジュンの希望だった。一番怖がっていたのはイムラーンであった。訓練を受けた後、三人はスカイダイビングをする。そしてその夜バーで酔っ払って喧嘩沙汰を起こしてしまい、警察に逮捕されてしまう。身請け引受人がいなければ拘置所から出られず、裁判所まで行かなければならなくなる。ライラーに助けを求めたが、彼女の電話はスイッチオフだった。万事休すかと思われたとき、突然イムラーンが1人の画家の名を出す。サルマーン・ハビーブ(ナスィールッディーン・シャー)。スペイン旅行中、イムラーンはサルマーンの個展に足を運んだが、実は彼こそがイムラーンの実の父親だった。サルマーンに電話をすると、彼は警察署まで来て身元引受人になってくれる。三人はその後サルマーンの家に招かれる。そこでイムラーンはなぜ母親を捨てたのか、サルマーンに聞く。サルマーンは、画家になる夢を諦められず、妊娠してしまった彼女を置いて去っていったのだと正直に答える。

 実の父親との出会いはイムラーンにとってショックな出来事だったが、同時に気持ちに整理を付けることができた。その気持ちのまま彼はアルジュンに過去のことを謝る。アルジュンもそれを受け容れる。

 最後に三人はパンプローナを訪れる。ここでは三人は再びライラーと合流する。イムラーンとアルジュンはやっと勇気を出してカビールに、ナターシャとの結婚は良くないのではないかとはっきり伝える。カビールは最初怒るが、後に本当の経緯を話す。実はカビールとナターシャの結婚はアクシデントの産物だった。カビールは母親の誕生日にプレゼントとして指輪を買ったのだが、母親に渡す前にナターシャに見せた。ナターシャはそれをプロポーズだと勘違いし、とんとん拍子に縁談がまとまってしまったのだった。

 パンプローナではイムラーンの提案に従い、有名な牛追い祭り「サン・フェルミン祭」に参加することになる。突進する猛牛に追われる危険な祭りである。三人は、もし生き残ることができたらすることを一人一人決める。イムラーンは秘密日記の詩を公開すること、アルジュンは仕事を放り出してライラーとモロッコへ行くことを決めた。最後にカビールは、ロンドンへ行って結婚キャンセルをナターシャに伝えることを決める。牛に追われ必死に走る三人・・・。それは人生の本当の喜びへのダッシュであった。そこで映画は終幕となる。

 後日談として、アルジュンとライラーの結婚式のシーンが登場する。結婚式にはナターシャも参列していたが、カビールの妻としてではなかった。

 スターパワーがあり、完成度が高く、面白い映画であるだけでなく、現代インド映画史上多くの意義を持つ非常に重要な映画。そのひとつひとつを読み解いて行こうと思う。一人一人のキャラクターにメッセージが隠されているといっていい。

 ひとつは結婚の成就ではなく婚約の破棄ですがすがしく映画を終わらせている点。カビールとナターシャの関係がそれであり、そもそもスペイン旅行のきっかけとなったのも二人の縁談であった。その破棄がエンディングで、明示されてはいないものの、十分暗示される。インドのロマンス映画の伝統は、当然のことながら男女の出会いから結婚式までを追うものであり、目当ての相手と結婚するために、親などから強要された別の相手との結婚を破棄するというプロットを除けば、恋人との婚約の破棄がエンディングに来ることは今までほとんどなかったのではないかと思う。それもアンハッピーエンディングではなくハッピーエンディングとして。それに最も近いのが「ブレイクアップ・パーティー」を広めた「Love Aaj Kal」(2009年)であるが、この映画にしてもブレイクアップした元恋人とよりを戻すシーンをエンディングにしていた。少なくともインド映画の文脈では非常にラディカルなプロットだったといえる。

 女性が監督なのにも関わらず、結婚を前にした男性の心情はかなりよく描かれている。そもそもプロポーズも勘違いから起こった偶発的な出来事であり、実際はカビールは恋人ナターシャとの結婚を急いでいなかった。また、結婚を決めた後にナターシャが徐々に彼の人生を支配するようになっていき、カビールはそれに窮屈さを覚えていた。しかし両家の仲は元々良好で、結婚式の準備はどんどん進んでいってしまう。そんな中でのスペイン旅行であった。カビールは心のどこかでこの結婚を止められたらと考えていた。だが、頭ではそんなことは無理だと思っていた。そしてもしそれが可能ならば、それをしてくれるのは親友イムラーンとアルジュンのみだと期待していた。彼にとっては出口の見えない逃避行であり、ナターシャが無理矢理バチャラーズ・パーティー旅行に割り込んできたことで、さらにカビールは不安を現実として考えるようになる。イムラーンとアルジュンもカビールの問題に敏感に気付き、親友として彼のもっとも幸せになれる道、つまり婚約の破棄を後押しする。カビールがやっとナターシャとの婚約破棄を自ら打ち出したのはクライマックスの牛追い祭りであった。敢えてインド映画の黄金律を打ち破り、しかも後味の悪くない映画にまとめたことで、「Zindagi Na Milegi Dobara」はひとつの金字塔を打ち立てたといえる。

 ふたつめは父親に対する価値観の転換である。元々インド映画では父親の存在は絶対で、父権が侵されることは稀である。しかし、「Zindagi Na Milegi Dobara」では、父親の存在感が全くないばかりか、イムラーンの家族関係によって、父親は比較的ネガティヴな存在として描かれていた。イムラーンはつい最近、自分が父親と考えていた人物が実の父親ではなく、実の父親はスペインに住んでいることを知る。母親が実の父親のことを隠していたことで、イムラーンは母親に対する疑念すら抱くようになっていた。母親は再三デリー在住のイムラーンにムンバイーに来て同居するように促すが、イムラーンはそれを拒否する。今回偶然スペインに行くことになり、当然イムラーンは実の父親との再会を考える。なかなか踏ん切りが付かず、それは逮捕という非常事態の中でやっと実現する。しかし、実の父親サルマーン・ハビーブは、イムラーンが思い描いていたような人物ではなかった。育ての父親の方が、もう亡くなってしまったが、よっぽど父親らしい人物であった。サルマーンははっきりと、母親とのことは「若気の至り」だと言い、夢を追うため、母親になることを願った彼女を置いて逃げて来たと正直に話す。父親の言葉を受け止め、じっくり考えた後、イムラーンは母親にサルマーンと会ったことを伝え、同時に母親に「愛してるよ」と言う。そこには父親の威厳は全く感じられない。ちなみに、このような父権の否定は「Udaan」(2010年)や「Patiala House」(2011年)にも見られた傾向である。また、自分勝手な行動が他人の心にどれだけ深い傷を残すのか実感したイムラーンは、初めて心からアルジュンに謝る。かつてイムラーンはアルジュンのフィアンセを横取りしたことがあったのだ。アルジュンはそのことをずっと根に持っていたが、イムラーンの気持ちを理解し、快く彼の謝意を受け容れる。

 みっつめは仕事を優先する生き方へのアンチテーゼである。これは特に新しいテーマではなく、前述の「Love Aaj Kal」でも見られたものだが、ここ最近のヒンディー語映画では、急速に経済成長し変容しつつあるインドへの反動としての不安と疑問からか、仕事や金儲けを優先して生きる生き方を批判する内容の映画が増えてきた。「Zindagi Milegi Na Dobara」はその流れに乗った映画だといえる。そして劇中でその要素を体現していたのはアルジュンだ。アルジュンは桁違いの給料が得られることで知られる証券トレーダー。毎日仕事漬けの生活をしているが、40歳までこのハードな生活を続け、その後は引退し、それまでに貯め込んだ貯金で悠々自適の生活をするという人生設計を思い描いていた。仕事に優先するものはなく、恋人ですら例外ではなかった。つまり彼にとって幸せは来るか分からない未来にあり、今日にはなかった。「三銃士」の中でも当初は人間的にもっとも劣った人間として描写されていた。スペイン旅行を一番渋っていたのもアルジュンだったが、この旅行は多くの意味で彼の人生を変えるものとなった。初めてトライしたスキューバダイビングで、海の中で自分と向き合う時間を見つけ、今までの自分の忙しい人生に初めて疑問を持つ。そしてスペインで出会った魅力的な女性ライラーから、「40歳まで生きられるって誰が保証したの?」と聞かれ、ハッとする。三人の中でこのスペイン旅行から最も多くのものを得たのがアルジュンであり、彼の人間的成長と人間性の開放がこの映画の主軸になっていた。

 また、日本人として興味深いことに、劇中にはリティク・ローシャン演じるアルジュンが日本語を話すシーンがある。おそらくアルジュンのワーカホリックな性格とマッチするようにわざとワーカホリックなイメージのある日本人を出してきたのだろう、スペイン旅行中にも携帯電話回線によるネットを使って日本人クライアント「山本さん」とビデオチャットをして商談をしていた。そのときアルジュンは「もしもし」「こんにちは」「ありがとうございます」など、簡単な日本語を話す。イムラーンがアルジュンを「もしもし」とからかうシーンもあったりして、スペインを舞台にした映画でありながら、奇妙な形で日本が表れるのは日本人としては面白くもあり痒くもあり、複雑な気分でもある。

 また、「Zindagi Na Milegi Dobara」はロードムービーに位置づけられる。「Dil Chahta Hai」ではムンバイーからゴアへ車で行くシーンがあったが、本作ではスペイン各地をレンタカーで巡る。最初は三人のギクシャクした雰囲気を象徴してか窮屈なバンを借りるが、三人が打ち解け、旅行を本格的に楽しむようになると、オープンカーに乗り換え、一気に解放感と開放感が出てくる。また、カトリーナ・カイフ演じるライラーがロイヤルエンフィールドのバイクに乗って疾走するシーンもある。キスをするためにバイクに乗ってアルジュンらを追いかけるという情熱的なシーンである。

 スペインには行ったことがなく、スペインの地理にも詳しくないため、一体どこからどうやってどこまで移動しているのかチンプンカンプンであったが、Facebook公式ファンページによると、バルセロナ、パンプローナ、ブニョール、アンダルシアなどでロケが行われたようである。簡単に地図を表示してもらえると分かりやすかった。しかしスペインの街並みや自然の風景もインドに負けないくらい美しかった。イスラーム教の文化的影響が風景にもいくつか見られ、その点でインドと共通点もあった。ちなみにロケ地にエジプトも入っているが、それがどのシーンなのかは不明である。

 あらすじを読んでもらえば分かるように、トマト祭り、牛追い祭り、フラメンコなど、スペインの見所がストーリーにうまく組み込まれており、まるでスペインの観光促進映画のようであった。実際、スペイン政府観光局の全面的な後押しを受けている。また、スキューバダイビングやスカイダイビングのシーンもあり、水中や空中でのシーンは本当に美しかった。

 普通、個人的には海外で大部分のロケが行われ、劇中でも海外が舞台となっている映画に対しては、「インド性」の欠如から評価が低めとなるのだが、「Zindagi Na Milegi Dobara」におけるスペインは全く違和感がなく、すんなりと受け容れられた。これも映画の完成度の高さを示しているだろう。

 そして何より「Zindagi Na Milegi Dobara」は友情の物語である。これはインド映画の不変のテーマでもある。そこには、時にふざけ合い、時に仲違いし、時に本音をぶつけ合い、時に力を合わせる絶対の親友の姿があった。そういう開けっぴろげの友情はインド人が特に好むもので、意外に悲しい要素が散りばめられたストーリーの中で、全体の雰囲気を暗くさせすぎずにうまく娯楽映画としてまとめられたのは、三人の固い友情があったからだといえる。

 今回最も演技や存在感において光っていたのはリティク・ローシャンである。近年はソロヒーロー型映画において超人的役柄――「Koi… Mil Gaya」(2003年)のローヒト、「Krrish」(2006年)のクリシュ、「Dhoom: 2」(2006年)のアーリヤン、「Jodhaa Akbar」(2008年)のアクバルなど――を演じることが多く、最近の「Guzaarish」(2010年)でも人間離れした雰囲気を醸し出していたが、「Zindagi Na Milegi Dobara」では久しぶりにマルチスター型映画の中で他の主演者と溶け込み、等身大のリティクを見られたような気がする。彼のダンスも相変わらず突出している。

 また、ヒロインのカトリーナ・カイフも素晴らしかった。元々はそのキュートさと美しさが同居した美貌と、元恋人サルマーン・カーンの後ろ盾を武器に台頭してきたが、女優として徐々に成長を見せており、近年ではかなり安定した演技を見せるようになってきている。今回カトリーナはスキューバダイビングをしたり、バイクに乗ったりと、ヒロイン女優としては型破りな冒険をしており、より箔が付いた印象だ。リティクとのキスシーンも堂々とこなしている。ポジション的にはかつてのアイシュワリヤー・ラーイを彷彿とさせるし、アイシュワリヤーよりも気取ったところがないので、もしかしたら彼女を越える存在になれるかもしれない。今後のより一層の成長を期待したい。

 「三銃士」の他の二人、アバイ・デーオールとファルハーン・アクタルも良かった。アバイの存在は多少イレギュラーに感じたが、元々演技力のある男優であるし、ハンデは感じなかった。ファルハーンは相変わらずダミ声で何を言っているのか分からないこともあるのだが、演技は問題ない。父ジャーヴェード・アクタルが書いた詩を彼が読むシーンが何度もあるのだが、詩の朗読はお世辞にもうまいとはいえない。もっとも、ジャーヴェード自身も朗読がうまいという訳ではないが。詩人が必ずしも詩の朗読に秀でている訳ではない。

 「Dev. D」(2009年)で一躍有名となったインド生まれのフランス人カルキ・ケクランはすっかりヒンディー語映画界に定着したが、彼女が劇中で演じる役柄はいつも混乱してしまう。見た目は完全にフランス人なのだが、なぜかインド人役を演じさせられることが多く、今回演じたナターシャもおそらくインド人という設定であった。いくら多様性の国インドであっても少し無理があると思うし、せっかくヒンディー語ができる白人女性がいるのだから、彼女に適した役を宛がってあげればいいと思うのだが、インド人観客はあまり気にしないのであろうか。

 音楽はシャンカル=エヘサーン=ロイ。思い起こせばこのトリオがブレイクしたのもファルハーン・アクタル監督の「Dil Chahta Hai」である。当時としては衝撃的な程に斬新な音楽であり、ARレヘマーンと共に21世紀のインド映画音楽を定義してきた。あれから10年になるが、この間すっかりシャンカル=エヘサーン=ロイの名前はヒンディー語映画界のトップミュージシャンとして定着したにも関わらず、その音楽性に古さは感じない。また、彼らの音楽には作家性があり、聞いただけで何となくシャンカル=エヘサーン=ロイだと直感することが多い。「Zindagi Na Milegi Dobara」のサントラCDも名曲揃いだ。今回はスペインが舞台ということで、スペイン語歌詞とヒンディー語歌詞を融合させたスパニッシュ風「Senorita」やボサノヴァ風「Khaboon Ke Parinde」がユニークだ。他にも若者をターゲットにした曲が多く、「Dil Dhadakne Do」、「Ik Junoon」、「Sooraj Ki Baahon Maein」など軽快だ。ただ、最近のヒンディー語映画の流行に則って、BGMとして歌曲が使用されることが多く、ダンスシーンは意外に少ない。

 台詞はヒンディー語と英語の自然なミックスである。スペインが舞台ということでスペイン語の台詞も少しだけ登場する。いくつかのシーンではスペイン語の台詞に英語字幕が入る。スペイン語⇔ヒンディー語双方向の言葉の通じなさをネタにしたシーンもいくつかあった。

 「Zindagi Na Milegi Dobara」は今年最高の映画のひとつ。「Dil Chahta Hai」などから始まった2000年代の終わりを告げ、その次の10年を予感させる新感覚青春友情映画。スペインという今までヒンディー語映画界においてほとんど未開拓の国を舞台にし、リティク・ローシャンやカトリーナ・カイフといったトップクラスのスターたちも出演し、スキューバダイビングやスカイダイビングといったエキサイティングなスポーツや、トマト祭りや牛追い祭りと言った異国情緒たっぷりの祭りも登場し、さらに脚本もまとまっていて娯楽映画として完成度が高い。それに加えて婚約の破棄をもって映画をハッピーに終わらせるインド映画ではあまり類を見ないラディカルなプロット。ただただ必見である。