Jana Nayagan (Tamil)

4.0
Jana Nayagan
「Jana Nayagan」

 ヴィジャイ主演のタミル語映画「Jana Nayagan」は、2026年、政界を巻き込みながら、もっとも話題になった映画といっていいだろう。「Muthu」(1995年/邦題:ムトゥ 踊るマハラジャ)などで日本でも有名なタミル語映画界のスーパースター、ラジニカーントの次の世代の大スターに目されていた「タラパティ(大将)」ヴィジャイは、2024年にタミル人勝利党(TVK)を立ち上げ、政界に進出した。2026年4月23日にタミル・ナードゥ州議会選挙が予定されていたが、これがヴィジャイとTVKにとって初陣であった。ヴィジャイは政界進出に伴って映画俳優からの引退を宣言しており、彼の69作目の主演作がとりあえずの最後の作品になるはずだった。それが「Jana Nayagan(民衆の指導者)」である。

 元々「Jana Nayagan」の公開予定日は2026年1月9日だった。ところが、俳優から政治家に転じた立候補者かつ特定政党の党首が主演する作品ということもあって、3ヶ月後に予定されている選挙に多大な影響を及ぼす危険性があり、その公開の正当性を問う声が上がっていた。中央映画認証局(CBFC)内でも公開直前になって映画の内容に関して「宗教的調和を乱す描写や軍事描写に関する手続き上の不備がある」などの異議申し立てが行われ、認証の発行が遅れた。それを受けて製作会社が法廷に介入を求めたものの、最終的に認証発行の差し止めが行われ、公開は延期されることになった。ファンや支持者の間では「中央の与党インド人民党(BJP)あるいは州の与党ドラーヴィダ進歩党(DMK)による政治的圧力ではないか」という憶測が広がり、物議を醸した。

 2026年4月に入ると「Jana Nayagan」の海賊版が流出し、ヴィジャイがわざと流出させたのではないかという憶測も飛び交った。タミル・ナードゥ州議会選挙ではTVKが単独過半数未達ながら大勝し、インド国民会議派(INC)などから連立や閣外協力を得たヴィジャイが州首相に就任した。タミル・ナードゥ州では1967年以来、DMKと全インド・アンナー・ドラーヴィダ進歩党(AIIDMK)による二大政党制が60年間の長きに渡って続いてきたが、TVKは第3極の形成に成功し、しかも政権を奪取した。ただ、同州では政治と映画が蜜月の関係を保ち、しばしば「衆愚政治」と揶揄されてきた。ヴィジャイの州首相就任によってその歴史と伝統がさらに固められたことも指摘しておかなければならない。

 ヴィジャイの州首相就任によってタミル・ナードゥ州政治が一応落ち着きを見せたため、「Jana Nayagan」公開の道筋も付けられ、当初の予定から半年遅れになったが、2026年7月23日に劇場一般公開となった。オリジナルのタミル語版に加えて、ヒンディー語、テルグ語、カンナダ語、マラヤーラム語の吹替版が同時公開された。言語によってはタイトルが異なっている。たとえばヒンディー語吹替版は「Jan Neta」、テルグ語吹替版は「Jana Nayakudu」になっている。

 監督は「Valimai」(2022年)などのHヴィノート。音楽監督はアニルッド。ちなみに「Jana Nayagan」はテルグ語映画「Bhagavanth Kesari」(2023年)のリメイクである。

 元々「タラパティ」と呼ばれてきた主演ヴィジャイは今回、「州知事閣下」という新しい肩書きと共にコールされる。ヒロインは南北インドで活躍するプージャー・ヘーグデー。悪役には、ヒンディー語映画界の往年のスターで、近年、ウェブドラマ「Aashram」(2020-25年)や映画「Animal」(2023年)で再評価されているボビー・デーオールが起用されており、汎インド映画を狙った布陣になっている。

 他に、マミター・バイジュー、ナーサル、レーヴァティー、プラカーシュ・ラージ、ガウタム・ヴァースデーヴ・メーナン、ナーラーイン、プリヤマニ、ティージャイ・アルナサラムなどが出演している。また、音楽監督のアニルッド、「Kaithi」(2019年/邦題:囚人ディリ)や「Master」(2021年/邦題:マスター 先生が来る!)などのローケーシュ・カナガラージ監督、「Bigil」(2019年/邦題:ビギル 勝利のホイッスル)や「Jawan」(2023年/邦題:JAWAN ジャワーン)などのアトリー監督、「Beast」(2022年)や「Jailer (Tamil)」(2023年/邦題:ジェイラー)などのネルソン・ディリープクマール監督などがカメオ出演している。彼らはこれまでヴィジャイ主演作を撮ってきた監督だ。彼らの集合は、さながらヴィジャイの卒業式のようである。

 2026年、タミル・ナードゥ州議会選挙の日。パパンパッティ村では村人たちが投票をボイコットしていた。ナーラーヤナン警部補は村人たちに、タラパティ・ヴェトリ・コンダーン(ヴィジャイ)の話を聞かせる。

 2013年、マドゥライ。ヴェトリは刑務所に服役しており、囚人たちから襲撃されるが撃退する。ヴェトリのことが気になった看守のシュリーカント(ガウタム・ヴァースデーヴ・メーナン)は、彼を死の床にある母親(レーヴァティー)に引き合わせ、恩赦のリストにも彼を入れる。釈放されたヴェトリは、交通事故で亡くなったシュリーカントに代わって娘のヴィジー(マミター・バイジュー)の後見人になる。父親の遺志を尊重し、ヴェトリはヴィジーを軍人にしようとするが、ヴィジー本人は厳しい訓練に付いていけず悩んでいた。また、ヴィジーは幼い頃に暴動に遭い、母親を目の前で殺されていた。そのトラウマにより、恐怖を感じると過呼吸になる持病を抱えていた。これも軍人になるための足かせになっていた。また、ヴェトリは記者のカーヤル(プージャー・ヘーグデー)と出会い、親しくなる。

 その頃、アフリカのスワスニアでは武器商人のジョン・ヒムラー(ボビー・デーオール)がクーデターにより逮捕され刑務所に入れられた。ヒムラーは囚人たちに殺されそうになるが、武装した彼の部下たちが救出に駆けつけ、ヒムラーは囚人たちを皆殺しにして悠々と出国する。彼は次に「MM」と呼ばれる作戦を実行に移すことにした。そのターゲットはインドだった。インド海軍の船がヒムラーの軍勢に襲撃される。科学者カリール(ナーラーイン)とそのチームは遠隔操作(RA)による先端技術によってその襲撃が行われたことを察知する。カリールはヒムラーの部下に殺されそうになるが脱出に成功し、たまたま出会ったヴィジーに州首相(ナーサル)への親書を托す。だが、これによってヴィジーはヒムラーの組織から狙われることになる。だが、ヴィジーの家に押し入ろうとした暴徒たちはヴェトリの姿を見て震え上がる。彼らはヴェトリに見覚えがあった。

 実はヴェトリはかつてタミル・ナードゥ州警察の警察官だった。彼は、村人たちを殺そうとした暴徒たち30人を一人で皆殺した。ヒムラーの手下たちは、ヴェトリに見つからないようにヴィジーを誘拐しカリールの居場所を聞き出そうとするが、ヴェトリはGPSによってヴィジーの位置を特定し彼女を救出する。このとき、ヴェトリはビデオコールでヒムラーと対峙する。彼らにとってこれは初対面ではなかった。

 2005年、かつてヒムラーはアムリーシュ・プジャーリーという名前の有能な警察官僚だった。密造酒によって多くの人々が死んだ事件を受けてマドゥライの警察本部長に就任したが、その密造酒ビジネスの総元締めである政治家ロージャー・ランガスワーミー(プラカーシュ・ラージ)に屈服させられ、失意の内に悪に魂を売ることになった。このとき、ヴェトリはロージャーを逮捕し、抗議活動をしていた女性を救ったことでアムリーシュとも会っており、大規模なテロを計画していた彼に発砲もしていた。ヴェトリが服役していたのは、アムリーシュ殺人の罪によってだった。だが、実はアムリーシュは生きており、ロージャーと手を結んで、アフリカに渡っていた。その後、国際的な武器商人になり、紛争を起こしては儲けていたのだった。

 ヒムラーは密かにインド中に武器を輸入しており、宗教間の対立を煽って、インドを内戦状態に陥れようと計画していた。それが「ミッション・メルハ(MM)」であった。ヴェトリは再びロージャーを捕まえ、カリールにも会うが、ヒムラーは州首相を捕らえ、作戦を遂行に移していた。ヴェトリは、軍で訓練を積み一人前の軍人になったヴィジーと共にカリールの開発した装甲車でヒムラーの立て籠もるチェンナイの警察本部に突入する。ヒムラーが投入したRAによる兵器は、カリールによるプログラム改変によって同士打ちを始める。また、ヒムラーはタミル・ナードゥ州に宗教暴動を起こそうとするが、長年共存してきた人々がそれを阻止した。ヴェトリとヴィジーは協力してヒムラーと戦い、彼を倒す。

 以上の話を聞いたパパンパッティ村の村人たちは一斉に投票所に向かった。

 「Jana Nayagan」は、大まかに2つの方法で評価できるだろう。ひとつは純粋に娯楽映画として、もうひとつは、ヴィジャイが政治家を目指す上でのツールとしてである。

 まずは純粋に娯楽映画として評価したい。ヴィジャイ演じるヴェトリの圧倒的なヒーロー性に排他的に依存した典型的なマサーラー映画であり、絶対的正義のヴェトリが一人で次々に悪を成敗していく様子を見てスカッとすることができる。ヴィジャイの優れたダンススキルも存分に生かされており、軽快なステップで彼がリードを務める豪華絢爛な群舞が随所に組み込まれ気分が上がる。

 しかしながら、単純明快とはいいがたいプロットだ。まず、時間が行ったり来たりするのは話を分かりにくくしている。少なくとも2005年、2013年、2026年のシーンを往き来することになる。どの場面でもヴェトリは変わらず一騎当千のヒーローで、それぞれに血湧き肉躍るアクションシーンが用意されているが、過去のシーンでは彼はCGの一種ディエイジング技術で若返っている点が注目される。時間軸が複雑な上に、登場人物や組織の数が多く、また展開も早く、一回の鑑賞でそれら全てとそれぞれのつながりを把握するのも至難の業である。おそらく上映時間を何とか3時間以内に収めたかったのだろうが、もう少し筋を分かりやすくする工夫があると良かった。

 次に政治のツールとしての「Jana Nayagan」だが、これは非常に分析のしがいのある作品だ。政治家としてのヴィジャイと完全に切り離してこの映画を語ることは不可能である。彼の政治的主張がストーリーやセリフの形で盛り込まれており、ヴィジャイは映画を自身と自党の選挙プロモーションに使ったと表現せざるをえない。州選挙前の上映差し止めは間違っていなかった。

 まず「Jana Nayagan」から強く感じたのは、現在の州政治への不満である。たとえば世襲政治家が政治を牛耳る現状への批判はロージャーの一族によって体現されていたが、これは世襲的指導体制を貫くDMKへの直接的な批判以外の何物でもない。当初の「Jana Nayagan」公開予定日当時、州政府の与党はDMKだった。

 そのような旧来の政治に幻滅した有権者の新たな希望として自らを売りこむのがヴィジャイの戦略であり、彼の政治的なメッセージが「Jana Nayagan」にはちりばめられていた。たとえばヴェトリがステージに立って児童に向けて性虐待への意識を高めるようにおもむろに演説を始める場面がある。TVKは公約の中で女性と子どもの安全確保を最重要課題に取り上げており、このシーンは彼の選挙キャンペーンそのものである。

 また、自身を「カリスマ政治家」の正当な後継者としてアピールするような場面もあった。ヴェトリが鞭を持ってロージャーを打ちのめす場面があるが、このときヴェトリがその鞭をMGラーマチャンドランの肖像画から受け取るような演出がなされていた。MGラーマチャンドランはタミル語映画界のスーパースターから政治家に転身し州首相にまで登り詰めた人物であり、ヴィジャイのキャリアを彷彿とさせる。このシーンによって、ヴィジャイは自身をMGラーマチャンドランと重ね合わせようとしていると受け止めることができる。

 映画の中では、「ミッション・メルハ」という言葉が登場する。「メルハ」とは聞き慣れない言葉だが、これは「インド」を指す。メソポタミア文明ではインダス文明の都市や土地のことを「メルハ(Meluha)」と呼んでいた痕跡がある。インダス文明の担い手を現在の南インド人の祖先だとする学説は一定の支持を受けており、それを意識した命名だと思われる。

 「Jana Nayagan」は、大きな論争を巻き起こしながら、ヴィジャイのタミル・ナードゥ州首相就任という大きな転換点を超えて公開された曰く付きの作品だ。純粋に娯楽映画として観ても楽しめるが、それ以上に政治と映画の関係性を論じる上で多くのデータを提供してくれる分析しがいのある作品になっている。何はともあれ今後ヴィジャイの主演作はしばらく公開されないだろうし、スターから政治家に転身した彼にふさわしい映画になった。ただし、興行的にはインド国内だけで20億ルピー近くの興行収入を上げたものの、製作費が大きすぎてそれを回収できるほどの成功を収められておらず、失敗作として記録されている。