Kuttey

3.5
Kuttey
「Kuttey」

 ヴィシャール・バールドワージは、音楽監督から映画監督に転身した変わり種で、2000年代のヒンディー語映画の革新を先導した巨匠の一人である。代表作としては、ウィリアム・シェークスピアの戯曲を翻案した三部作、「Maqbool」(2004年)、「Omkara」(2006年)、「Haider」(2014年)を挙げることができるだろう。

 そのヴィシャール・バールドワージの息子アースマーン・バールドワージの監督デビュー作となったのが、2023年1月13日公開の「Kuttey(犬)」である。ヴィシャール・バールドワージとその妻レーカー・バールドワージがプロデューサーをしており、バールドワージ家のホームプロダクションといえる。ただ、「Pyaar Ka Punchnama」(2011年)などの監督で知られるラヴ・ランジャンも共同プロデューサーを務めている。音楽はもちろんヴィシャールだ。

 キャストは豪華かつ多様であり、タブー、アルジュン・カプール、ナスィールッディーン・シャー、コーンコナー・セーンシャルマー、ラーディカー・マダン、クムド・ミシュラー、シャルドゥル・バールドワージ、アーシーシュ・ヴィディヤールディー、アヌラーグ・カシヤプなどが出演している。新人監督のデビュー作としては十分過ぎる布陣だ。

 この映画には下敷きになっている2つの物語がある。あらすじに行く前に、その2つの物語を解説しておく。

 まずは「虎と山羊と犬」の物語。昔々、あるジャングルに腹を空かせた虎が住んでいた。虎は狩りが下手で、獲物に逃げられてばかりだった。そこで虎は山羊と犬の協力を得て、ようやく一匹の獲物を仕留める。虎は山羊と犬に対し、獲物を三等分することを提案する。そしてまずは山羊に獲物を三等分させる。正直者の山羊は、きれいに三等分してその内のひとつを虎に差し出した。虎は怒って山羊を食い殺してしまった。次に犬に向かって獲物を二等分させた。知恵の回る犬は、獲物を全て虎に差し出し、自分は転がっていた山羊の骨をしゃぶりだした。虎は犬のその謙虚な態度に大いに喜んだ。

 この小話は、映画の題名と関連している。ナクサライトのラクシュミーが警官パージーに語る物語だが、彼女は政府を虎、ナクサライトを山羊、警官を犬にたとえたのである。そして、政府の犬になっているパージーを強烈に批判したのだった。

 もうひとつの物語は「蛙とサソリ」の物語だ。川の両側に雄と雌のサソリがいた。雄サソリは川を渡って雌サソリに会いに行こうとしたが、一人では川を渡れなかった。そのときちょうど蛙が現れた。サソリは蛙に、自分を背中に乗せて向こう岸まで渡して欲しいと頼む。蛙は、もし川を渡っている途中で刺されたら困ると言って断る。だが、サソリは、もし蛙を刺したら自分も沈んで死んでしまい、理屈が通らないと反論する。そこで蛙はサソリを背中に乗せて川を渡り始める。川の途中でサソリは我慢できなくなって蛙を刺してしまう。蛙は死に際にどういう理屈で刺したのかサソリに問う。するとサソリは、そういうキャラクターだからと答える。

 この物語は「Darlings」(2022年)でも引用されていた。「Darlings」では、DV夫がなぜ妻に暴力を振るうのかという理由を考える際のヒントとして使われていたが、この「Kuttey」では2回引用され、物語の伏線になっていた。

 ムンバイー警察のゴーパール・ティワーリー(アルジュン・カプール)とパージー(クムド・ミシュラー)は、マフィアのドン、ナーラーヤン・コーブレー(ナスィールッディーン・シャー)から麻薬密売人シュルティの抹殺を命じられ実行する。だが、殺し損なった上に横領しようとした麻薬を警察に発見され、停職処分となる。ゴーパールとパージーは、警視総監のお気に入りの女性警官パンミー・サンドゥー(タブー)に相談に行く。貪欲なパンミーは停職処分取消のために一人1千万ルピーを要求した。

 パージーと仲違いしたゴーパールは、少なくとも3千万ルピーを運搬する現金輸送車を襲撃し大金を手にしようとする。返り討ちに遭いながらも現金輸送車を奪ったが、何者かに襲撃され、現金輸送車を奪われてしまう。現金輸送車を奪ったのは、ナーラーヤンの娘ラブリー(ラーディカー・マダン)とナーラーヤンの部下ダニー(シャルドゥル・バールドワージ)だった。ラブリーとダニーは恋仲にあったが、彼らはその関係を親に秘密にしていた。二人はカナダに逃げる資金を作るため、現金輸送車を襲撃しようとするゴーパールを尾行し、戦利品を横取りしようとしたのだった。

 だが、現金輸送車を走らせている途中、ダニーは何者かに撃たれ、現金輸送車はジャングルの中に突っ込む。彼を撃ったのはパージーとパンミーだった。パンミーは大金を手に入れるため、ゴーパールとは別に現金輸送車襲撃を計画しており、パージーを仲間に引き入れていた。彼らが現金輸送車を襲撃する前にゴーパールが襲撃し、さらにダニーとラブリーが奪っていったが、待ち構えていたパージーとパンミーがダニーを撃ったのだった。ただ、そこにラブリーがいるのは計算外だった。しかも後からゴーパールが追いついてくる。

 こうして、ゴーパール、パージー、パンミー、ダニー、ラブリーなどが揃った。そこへラクシュミー(コーンコナー・セーンシャルマー)が率いるナクサライトの集団がやって来る。ゴーパールたちは近くにあった廃屋に逃げ込むが、ナクサライトに取り囲まれる。実は13年前にパージーはラクシュミーと会っていた。パージーはラクシュミーの前に出て行き交渉しようとする。だが、ゴーパールが機関銃で応戦したために銃撃戦となり、ダニー、ラクシュミー、ラブリー、パージー、パンミーが次々に撃たれて死ぬ。最後に残ったのはゴーパールだった。

 ゴーパールは現金輸送車にあった大金を手に入れた上に、お尋ね者だったラクシュミーを射殺したことで賞賛される。ゴーパールは高級ホテルで家族とくつろいでいたが、そのときモーディー首相によって高額紙幣廃止が宣言され、せっかく手にした大金がパーとなる。

 映画中、ヴィシャール・バールドワージ監督の「Kaminey」(2009年)で使われたメロディーが時々使われるが、共通するキャラクターなどはおらず、同じユニバースを共有している物語というわけではなさそうだ。ただ、ヴィシャール・バールドワージ映画のエッセンスをかなり引き継いだ作品であり、どこまでアースマーン・バールドワージ監督の味を出せているのか疑問に感じた。一応脚本はアースマーン監督が描き、多少ヴィシャールが手直しをしたようだが、実際にはヴィシャールがかなり関与した可能性がある。

 最初は新しいキャラクターが次々に登場し、一見すると脈絡のないエピソードが繰り返されるため、置いて行かれそうになる。だが、徐々に全ての断片がつながって一枚の絵になり始め、スリラーとして完成されていく。その辺りはさすがだと感じたが、新人監督にしてはよく出来すぎていて、素直にアースマーン監督の手腕だと認められない。

 登場するキャラクターも悪い奴ばかりで、自分のことしか考えていない。もっとも純粋なのはナクサライトのラクシュミーくらいで、あとはラクシュミーに同情するパージーも好意的に描写されていた。終盤、ラクシュミーと再会したパージーが突然ナクサライトの仲間になると言い出したときには驚いたが、すぐにラクシュミーとパージーは殺されてしまうため、その突然の宣言はそれ以上発展せずに流されてしまっていた。だが、本当はそこが一番気になったところで、パージーとラクシュミーのエピソードを膨らませて欲しかった。

 この映画はダークコメディーと呼んでもいいのかもしれない。人が死にすぎな点は気になったが、緊迫感のあるシーンがいくつかあると同時に、ニヤッと笑えるようなシーンもあって、その辺りのバランスは絶妙だった。

 多くの俳優が好演していたが、特にタブーとコーンコナー・セーンシャルマーの二人に賞賛を送りたい。元々演技力には定評のある女優だが、「Kuttey」の二人はキャリアベストと評価できるくらい最高の演技をしていた。どちらも男性顔負けの曲者役だ。タブーについては、「Drishyam」(2015年)や「Andhadhun」(2018年/邦題:盲目のメロディ インド式殺人狂騒曲)を思わせる演技で、コーンコナーについては「Ajeeb Daastaans」(2021年)に並ぶパンチ力のある演技だった。二人とも年を重ねてさらに演技に磨きがかかっている。一昔前までは女優の寿命は短く、一定の年齢を過ぎると母親役、そして祖母役しかもらえなくなるのが常だったが、このような演技をする機会を与えられれば、女優も年を取っても様々な役柄を演じられるということが証明される。

 「Kuttey」は、ヴィシャール・バールドワージの息子アースマーン・バールドワージの監督デビュー作である。あまりに父親と作風が似ているのが玉に瑕だが、もし新人監督が独力でこのような複雑な構成のスリラー映画を作り上げることができたなら、相当なものだ。今後の活躍が楽しみである。