Maqbool

4.5

 インドは世界一の映画大国だけあって、インド人の映画好きも文句なく世界一だと断言することができる。インド人は皆、自分のことを「インドで一番映画に詳しい人」だと信じて疑っていない。インド人に映画を語らしたら、それこそ百家争鳴状態だろう。外国人はインド人の映画熱を見て、くやし紛れに「インド人にとって映画は現実逃避で、歌と踊りと女優と戦いしか見てない」と切り捨てる傾向があるが、インド人にもいろいろおり、インドの俳優にもいろいろいる。世界でも有数の演技派俳優がいれば、俳優の演技をきちんと評価できる観客もいる。

 JNUのヒンディー語科の学生たちも、映画を文芸作品として見る確かな目を持っている。たまたま教室に、映画のスケジュールが掲載されている新聞を持って行ったところ、彼らが口を揃えて「これは観るべき映画だ」と指差したのが、今日(2004年1月30日)から公開の「Maqbool」だった。早速PVRアヌパム4に観に行った。

 「Maqbool」とは「選ばれし者」という意味で、主人公の名前である。シェークスピアの「マクベス」を翻案して作られた映画だ。キャストは、ナスィールッディーン・シャー、オーム・プリー、パンカジ・カプール、イルファーン・カーン、タブー。インド映画を知らない人にとったら、上記の名前の羅列は読み飛ばされるだけだが、インド映画を知っている人なら、「こ、これは、インドを代表する演技派俳優たちの奇跡的共演ではないか!」と目をこするに違いない。クラスメイトのインド人が見る前からオススメ映画として推薦した理由も、この豪華な演技派俳優陣を見てのことだ。監督はヴィシャール・バールドワージ。元々音楽監督だった人で、2002年に「Makdee」で映画監督デビューした。「Maqbool」では音楽監督も兼務している。

 ミヤーン・マクブール(イルファーン・カーン)は、アッバージー(パンカジ・カプール)率いるマフィアのNo.2だった。アッバージーは老年だがムンバイーの政界や映画界に絶大な影響力を持った人物で、ミヤーンは彼を実の父親のように尊敬していた。ミヤーンの下には、もう一人のNo.2、カーカーや、カーカーの息子グッドゥー、かつてライバル・マフィアの一員だったボーティー、警察ながらマフィアの味方をしているパンディト(オーム・プリー)とプローヒト(ナスィールッディーン・シャー)の二人組などがいた。

 占い好きなパンディトとプローヒトはある日、ミヤーンに「お前がマフィアの王となる」と予言をする。

 アッバージーにはニンミー(タブー)という愛人がいた。ニンミーは自分の境遇に満足しておらず、密かにミヤーンを愛していた。ミヤーンもニンミーのことを葛藤を抱えつつも愛していた。ニンミーはミヤーンを誘惑し、アッバージーを殺してボスになるようそそのかす。ミヤーンは、アッバージーの娘サミーラーと、カーカーの息子グッドゥーの結婚式前夜、ニンミーと一晩を共にする。

 結婚式の日、アッバージーは新しい愛人を連れてくる。それを見たニンミーはミヤーンに「私を殺すか、アッバージーを殺すか」の二者択一を求める。その夜、ミヤーンはアッバージーを撃ち殺す。

 アッバージーの死はマフィア内に混乱を生んだ。ミヤーンがアッバージーを殺したと考えたカーカー、グッドゥー、ボーティーらは分離し、ニンミーは罪の意識に苛まれて精神がおかしくなる。ニンミーは妊娠していたが、それが自分の子供なのか、アッバージーの子供なのかミヤーンには分からなかった。

 ミヤーンはカーカーを暗殺するが、グッドゥーとボーティーを取り逃す。グッドゥーとボーティーは、ミヤーンの留守中にマフィアのアジトを襲撃し、ミヤーンの部下を皆殺しにする。そのときのショックでニンミーは早産してしまう。赤ちゃんは保育器に入れられ、ニンミーの容態はよくなかった。ミヤーンはニンミーを病院から連れ出すが、彼女は彼の腕の中で自らが犯した罪に怯えながら息を引き取る。

 国外逃亡の手はずを整えたミヤーンは、最後に自分の子供に会うために病院へ行く。しかし、一足先にそこにいたのは、グッドゥーとサミーラーだった。彼らはニンミーが産んだ子供を大事に抱えていた。ニンミーの子供はやはりアッバージーのものだったのか・・・。絶望に沈んだミヤーンはフラフラと病院を出るが、そこでボーティーに見つかってしまい、撃ち殺される。

 またひとつ、ヒンディー語映画に傑作が生まれた。シェークスピアの「マクベス」は世界中で映画化されており、オーソン・ウェルズの「マクベス」(1948年)、黒沢明の「蜘蛛巣城」(1957年)、ロマン・ポランスキーの「マクベス」(1971年)などが有名である。しかしインドで「マクベス」を映画化したのは、この「Maqbool」が初めてのようだ。そして、シェークスピアの名に恥じない名作映画となっている。

 俳優たちの演技は、皆素晴らしすぎる。主人公ミヤーン・マクブール役のイルファーン・カーンは、ヒンディー語映画ではよく脇役や悪役として出演しているが、一度見たら忘れない濃い顔と大きな目玉に加え、確かな演技力を備えている(デリーの国立演劇学校出身らしい)。尊敬するボスの愛人と禁断の恋に陥っていくその葛藤に満ちた表情、ボスを殺したことへの罪悪感が神経を磨耗させていくその挙動などがよかった。

 オーム・プリーとナスィールッディーン・シャーは、インドを代表する国際的演技派男優である。特にナスィールッディーン・シャーは僕の大好きな俳優だ。愛くるしい顔に狡猾な笑顔、そして斜に構えたしゃべり方など、たまらない。オーム・プリーとのコンビはやたら息が合っていて面白かった。ナスィールッディーン・シャーとオーム・プリーが演じた警察官2人組みの役は、原作「マクベス」の3人の魔女の役に当たる。魔女役を警察官にしてしまったところに、監督の類稀なセンスを感じる。おそらく原作よりも優れている点のひとつだと思う。

 マフィアのドン、アッバージーを演じたパンカジ・カプールは、最近の映画では2003年の「Main Prem Ki Diwani Hoon」で出演していた。その映画では、あまり彼の印象は強く残らなかったのだが、この「Maqbool」では、老練なマフィアのドン役を迫真の演技で演じており、「この人、本業なんじゃないか」と思ってしまったくらいだ。しかし、苦味をすりつぶしたような声でしゃべるので、彼のセリフを聴き取るのには苦労する。

 タブーは2002年の「Chandni Bar」以来、演技派女優としての階段を着実に上りつつある。売春婦や愛人など、多少汚れた役でも難なくこなすのがいい。しかし背と鼻が高すぎるのが、個人的にマイナス要因となっている。タブーの本名はタバッスム。「微笑み」という意味で、彼女がムスリムであることを示している。今回彼女はムスリムの女性役だったが、そう言われてみれば彼女の話すヒンディー語は、典型的なムスリム発音である。

 アッバージーもミヤーンもムスリムであることもあり、映画全体にイスラーム教的空気が流れていた。音楽もイスラーム音楽っぽいものが多かった。インターバルのときにウルドゥー文字で「Waqfaa(休憩)」と出たので少し驚いた。ヒンディー文字を差し置いてウルドゥー文字が表に躍り出るインド映画があるとは・・・。グッドゥーとサミーラーの結婚式では、サミーラーがカタックダンスを踊る(あまりうまくないが)。

 もし、「Maqbool」に原作「マクベス」よりも優れている点があるとしたら、それは前述した二人組の警官の存在と、もうひとつはニンミーの子供の存在である。アッバージーを殺した後、ミヤーンとニンミーは公然と相思相愛の仲になる。だが、彼女から妊娠3ヶ月の報を聞いたミヤーンは急に表情を曇らせる。3ヶ月前といったら、まだアッバージーが生きていたときだった。当時一度ミヤーンとニンミーは関係を持っているが、ミヤーンにはニンミーの腹の中にいる子供が自分の息子なのかアッバージーの息子なのか確信が持てない。やがてその胎児は、ミヤーンとニンミーの精神を、アッバージー殺害の罪の意識と共に蝕んでいく。最後にミヤーンは、グッドゥーとサミーラーがニンミーの子供を抱きかかえているのを覗き見て、その子供がアッバージーのものだったと確信し、失望する。しかし映画中、真実は語られていない。

 映画自体の音響があまりよくない上に、登場人物たちはスラングを混ぜたしゃべり方をするので、ヒンディー語の聴き取りは難しかった。しかし、現在のインド映画界の最高峰に位置する俳優たちの共演は、一見に値する。さすがに映画を本当の意味で「分かってる」インド人はデリーには少なくないようで、映画館は平日昼間の回だったにも関わらず満員だった。映画をきちんと理解しているインド人が多いということが分かったことも、収穫だった。