I Am

4.0

 2010年9月18日にニューヨークのアイ・ビュー映画祭でプレミア上映され、インドでは2011年4月29日に公開された「I Am」は、4つの短篇映画から成るオムニバス映画であるが、それぞれのエピソードが後のヒンディー語映画の発展にとって非常に重要な意義を持っている。2022年1月1日に改めて振り返り、レビューを書いている。

 「I Am」の成り立ちにはオニール監督のプロフィールも大きく関係していると思われる。彼は、ブータンで生まれたベンガル人であり、同性愛者を公言していることで知られる。過去には、AIDSになった水泳選手の映画「My Brother…Nikhil」(2005年)を作っている。4つのエピソードの内、3つは性や生殖に関する物語になっている。また、これらは全く独立しているわけではなく、所々で接点があるのも工夫されている点である。

 4つのエピソードの時間軸は全て2009年となっている。インドの同性愛史において2009年は特別な年だ。この年、デリー高等裁判所は、同性愛を違法とするインド刑法(IPC)第377条を違憲とし、同性愛が合法化されたのである。この時代背景も映画の前提となっている。

 第1話の「アーフィヤー」は、西ベンガル州の州都コルカタを舞台とし、精子ドナーの青年から精子の提供を受けて妊娠しようとする女性の物語である。ナンディター・ダース、ジューヒー・チャーウラー、プーラブ・コーリー、マーナヴ・カウルが出演している。アーフィヤー(ナンディター・ダース)は夫(マーナヴ・カウル)と離婚したことをきっかけに一人で子供を産み育てる決意をし、生殖医療クリニックを訪れる。アーフィヤーは医師に精子ドナーと会いたいと希望し、医学生のスーラジ(プーラブ・コーリー)と会う。手術後、アーフィヤーは微笑みながら、スーラジから受け取った電話番号を破り捨てる。

 第1話にアーフィヤーの友人としてメーガー(ジューヒー・チャーウラー)が登場し、精子提供を受けてシングルマザーになろうとする彼女の決断を批判する。その彼女が第2話「メーガー」の主人公だ。ジューヒー・チャーウラー、マニーシャー・コーイラーラー、サンジャイ・スーリーが出演している。メーガーはカシュミーリー・パンディトの家系であり、1990年代のカシュミール騒乱時にシュリーナガルからデリーに逃げて来た。だが、シュリーナガルには家が残っており、幼馴染みのルビナー(マニーシャー・コーイラーラー)の家族が住んでいた。その家を譲渡する手続きをしにルビナーはシュリーナガルを久々に訪れる。シュリーナガルはインド陸軍の要塞と化していた。また、ルビナーの兄はかつてテロ活動に従事し降伏した過去があり、今でも頻繁に兵士たちが監視のために家を訪れていた。メーガーは、生まれ故郷から強制的に追い出されたことを今でも恨みに思っていたが、ルビナーも、テロやインド陸軍の抑圧の中でシュリーナガルに留まり続けていることを不幸に感じていた。

 第2話には、シュリーナガルのカシュミーリー・パンディトやその建築について映画を作りに訪れていたアビマンニュ(サンジャイ・スーリー)が一瞬だけ登場するが、彼が第3話「アビマンニュ」の主人公である。サンジャイ・スーリー、ラーディカー・アープテー、シェールナーズ・パテール、アヌラーグ・カシヤプが出演している。ベンガルールを拠点とする映画監督アビマンニュは、子供の頃から継父ヴィナイ(アヌラーグ・カシヤプ)に性的搾取を受けていた。アビマンニュはそれを利用して欲しいものを買ってもらっていたりもした。また、アビマンニュはゲイでもあった。ヴィナイ危篤の報を受け、アビマンニュは恋人のナターシャ(ラーディカー・アープテー)と共に実家を訪れるが、既にヴィナイは亡くなっており、葬式も終わっていた。

 例によって第3話には、アビマンニュの友人としてジャイ(ラーフル・ボース)が登場する。彼が第4話「オマル」の登場人物であるが、オマル役を演じるのは別の俳優である。ラーフル・ボース、アルジュン・マートゥル、アビマンニュ・スィンが出演している。ゲイのジャイはベンガルールからムンバイーに戻るが、道端でオマル(アルジュン・マートゥル)を見掛け、近寄る。以前、ジャイは喫茶店でオマルと出会い、何かを感じた彼はオマルをディナーに誘う。オマルもジャイの口説きに満更でもなかった。道路の脇で二人は情事をしようとするが、そこへ警察官(アビマンニュ・スィン)がやって来て二人を尋問する。ジャイは多額の賄賂と携帯電話を警察官に渡すことになったばかりか、警察官にフェラチオをさせられる。だが、その後ジャイは、実はオマルと警察官がグルであったことを知った。ジャイは、再会したオマルを責める。

 それぞれのエピソードで取り上げられたテーマは、その後、長編映画において深く掘り下げられている。精子ドナーについては「Vicky Donor」(2012年)、カシュミーリー・パンディトの問題については「Shikara」(2020年)、少年少女に対する性的搾取については「Highway」(2014年)、同性愛者に対する差別については「Aligarh」(2016年)などが作られている。もちろん、これらがオニール監督の作品に直接影響を受けた証拠はないが、2010年代以降のヒンディー語映画の潮流を決定づけるパイオニア的なオムニバス映画が「I Am」だったと評価することができる。

 インド各地を舞台にし、各地の言語が使われていたことも「I Am」の特徴であった。コルカタ、シュリーナガル、ベンガルール、ムンバイーと舞台は移動し、ヒンディー語や英語の台詞に加えて、ベンガル語、カシュミーリー語、カンナダ語、マラーティー語が使われる。インドの溢れんばかりの多様性を1本の映画に詰め込んでいる作品である。

 それぞれのエピソードに見所はあるのだが、登場人物の心情をもっとも効果的に表現できていたのは第2話の「メーガー」であり、白眉だったといえる。カシュミール地方の騒乱により故郷を追われたメーガーにとっても、インド陸軍による抑圧の中を生きるルビナーにとっても、シュリーナガルは居心地の悪い場所であった。お互いがお互いに棘をもった言い方をするのだが、個人ではどうにもならないことが多すぎて、言葉は虚しく空転する。天国のような故郷を追われたカシュミーリー・パンディトと、地獄のような故郷に住むイスラーム教徒、一体どちらが幸せなのか。その答えは出ないまま終幕となっていたが、誰も得をしない政治抗争への批判がそこにあったと捉えるべきであろう。

 「I Am」は、ヒンディー語映画界で独特の立ち位置にいるオニール監督が作ったオムニバス形式の映画である。4つの短編映画がそれぞれに重要なテーマを取り上げており、その後のヒンディー語映画の展開にも少なからず影響を与えていると評せられる。非常に重要な作品である。