Shikara

4.5

 インド北部のカシュミール地方は、天国にも例えられる風光明媚な土地として知られると同時に、印パが領有を争い、過去に何度も戦争の原因となったため、「南アジアの火薬庫」と言う物騒な異名も併せ持つ。カシュミール地方は、印パが分離独立したときに帰属が曖昧になったことが紛争の火種となり、現在までインドとパーキスターンで分断された状態となっている。

 カシュミール人の多くはイスラーム教徒であるが、支配者層は、人口の5%ほどを占めるカシュミーリー・パンディトと呼ばれるヒンドゥー教徒であった。インド側のカシュミール地方では、1980年代頃からインドからの独立を求める分離派勢力が、パーキスターンの援助やアフガーニスターンに流入した銃火器の影響で力を増し、やがてヒンドゥー教徒に対する攻撃を行うようになった。1989年からヒンドゥー教徒に対する襲撃事件が増加し始め、1990年にはカシュミール地方に住むヒンドゥー教徒に対し「インド」へ立ち去るように警告が出されるようになった。それに伴ってカシュミーリー・パンディトを含むヒンドゥー教徒たちの大半がカシュミール地方を去ることになった。彼らは現在でも難民としてジャンムーなどインド各地に住んでおり、故郷へ帰る日を待ち望んでいる。

 2020年2月7日公開の「Shikara」は、1989-90年のカシュミーリー・パンディト大移動を主な時代背景と着想源にしたロマンス映画である。監督は「3 Idiots」(2009年/邦題:きっと、うまくいく)のプロデューサーとして知られるヴィドゥ・ヴィノード・チョープラー。監督としてよりプロデューサーとして多作であるが、たまに自身で監督もしている。実は彼自身がジャンムー&カシュミール州の州都シュリーナガルで生まれ育っており、1990年の騒乱時にシュリーナガルを脱出している。この「Shikara」は、彼の母親シャーンティの人生をベースに作られた映画であり、彼の他の映画に比べて、気合いの入り方が違う。チョープラー監督は過去に「Mission Kashmir」(2000年)というカシュミール地方を舞台にした映画も撮っており、カシュミーリー・パンディトの問題を世に問い続けることは彼にとってライフワークと言えそうだ。

 主演はアーディル・カーンとサーディヤー・カーティーブ。どちらも新人である。サーディヤーについてはジャンムー&カシュミール州生まれであり、この映画に適役である。他に、ザイン・カーン・ドゥッラーニー、プリヤーンシュ・チャタルジー、アールティー・カチュルーなどが出演している。

 ちなみに、題名の「Shikara」とは小舟のことである。特に、シュリーナガルの象徴ダル湖を渡る舟のことを指す。だが、この映画の中では、主人公の夫婦が建てた家の名前にもなっており、より深い意味が与えられている。

 時は2018年、舞台はジャンムー。カシュミーリー・パンディト難民が住むムーティー・キャンプに住むシヴ・クマール・ダル教授(アーディル・カーン)は、シュリーナガルを去ってから28年間、欠かさず米国大統領にカシュミーリー・パンディトの窮状を伝えるために手紙を送り続けて来た。そしてとうとう大統領から返信が来たということで、近所の人々は大喜びする。シヴは妻のシャーンティ(サーディヤー・カーティーブ)と共にアーグラーへ向かう。アーグラーの高級ホテルに着いた二人は、過去を回想する。

 1987年、シュリーナガルにてシヴとシャーンティは出会い、恋に落ち、結婚する。結婚式には、ロンドンで医学を修めたナヴィーン(プリヤーンシュ・チャタルジー)や、親友のラティーフ(ザイン・カーン・ドゥッラーニー)も来ていた。シヴとシャーンティはリンゴ畑に家を建て、「シカーラー」と名付けて、幸せな生活を送っていた。

 ところが、次第にカシュミール地方の政情が不安定になって来る。ラティーフの父親は政治家だったが、暴徒に襲われて死んでいた。その後、ラティーフは行方不明となり、分離独立運動に身を投じる。イスラーム過激派や分離独立派がヒンドゥー教徒に対する襲撃を繰り返すようになり、ナヴィーンが殺される。シヴとシャーンティはとうとう耐えられなくなり、両親と共にシュリーナガルを後にする。

 ジャンムーに辿り着いたシヴとシャーンティは、シュリーナガルに戻るまではそこで暮らすことを決め、シヴは難民キャンプの子供たちを教えるようになる。そして、シヴはナヴィーンが生前語っていたことを実行し、米国大統領に手紙を送るようになる。

 2008年。シヴはインド陸軍に呼ばれ、シャーンティと共にシュリーナガルを訪れる。そこには、インド陸軍に捕まったラティーフがいた。シヴはラティーフと旧交を温める。そしてシヴとシャーンティはかつての家を訪れる。そこには、牛乳売りのハージーが住んでいた。

 2018年。シャーンティは不治の病に罹っていた。シヴは、彼女がタージマハルを見たいと言っていたのを思い出し、最期に彼女をアーグラーに連れて行くために、家を売り払って、アーグラーの高級ホテルを予約したのだった。シャーンティは、ヤムナー河に浮かぶ舟の上でタージマハルを見ながら息を引き取る。

 インドにおいて難民や移民を題材にした映画と言うと、印パ分離独立時にパーキスターン領からインド領に逃げて来た人々の物語が多く作られているが、それより時代が下った1990年に起こったカシュミーリー・パンディト大移動は、ヒンディー語映画の中ではあまり取り上げられて来なかったテーマである。ヴィドゥ・ヴィノード・チョープラー監督は、自身の母親の経験を基にして、時代に翻弄された仲睦まじい夫婦の歩みを美しいロマンス映画に仕上げている。

 2018年、つまり現代のシーンから映画は始まり、すぐに回想シーンへ移行して、カシュミール地方の政情が不安定となり始めた1987年まで遡って、主人公のシヴとシャーンティが出会い、結婚し、家を建て、そしてシュリーナガルを去ることになる過程がじっくりと描かれる。そして、少しだけ2008年のシーンが差し挟まれ、2018年のシーンに戻って来て、エンディングとなる。

 カシュミーリー・パンディト問題をこの映画の本筋とするならば、重要なのは回想シーンとなる。まずは、カシュミーリー人が、ヒンドゥー教徒もイスラーム教徒も、お互いに分け隔てなく助け合って暮らして来た様子が丁寧に描写される。シヴにも、ラティーフというイスラーム教徒の親友がいた。だが、国内政治の政策ミスや国際情勢の変化に伴って、カシュミール地方のイスラーム教徒たちは急速に過激化して行き、ヒンドゥー教徒をカシュミール地方から追い出そうし始める。

 背後で手を引いていたのはパーキスターン政府や対外諜報機関ISIであるが、それに加えて、米国がソビエト連邦に対抗するためにアフガーニスターンに大量の武器を投入し、冷戦の終結によってその武器がカシュミール地方に流れて来たことも、騒乱を助長することになった。そして、映画内では詳しく触れられていなかったが、中央政府がカシュミール政策で悪手を打ったことが、カシュミール問題をこじらせる最大の要因となった。ラティーフは過激派武装勢力の一員となり、ナヴィーンは殺され、シヴとシャーンティはせっかく建てた家を捨てて命からがら逃げ出すことになる。

 シヴとシャーンティの人間関係をこの映画の本筋とするならば、映画全体に渡って二人の物語が語られる訳だが、とりわけ映画的な工夫がなされていたのが、序盤と終盤に分かれた2018年のシーンとなる。序盤の2018年のシーンでは、シヴとシャーンティは米国大統領に会うためにアーグラーの高級ホテルに滞在していることになっていた。だが、終盤の2018年のシーンで、実はそうではないことが明らかになる。

 シヴはシャーンティと結婚したときに、ハネムーンに彼女をタージマハルに連れて行くと約束していた。だが、それはずっと果たせていなかった。シヴは、シャーンティの死期を悟り、最期に彼女にタージマハルを見せるため、アーグラーにある高級ホテルの「プレジデンシャル・スイート」を予約したのだった。ムーティー・キャンプの郵便局員がそれを大統領からの手紙だと勘違いして皆に言いふらしてしまったのだが、シヴはその間違いを敢えて正さず、シャーンティを驚かすために、彼女をアーグラーに連れて来たのだった。そして、結婚30周年を祝う。シャーンティは、舟に揺られ、シヴに抱きかかえられながらタージマハルを眺め、静かに息を引き取る。

 題名の「Shikara」は、第一には、シュリーナガルのダル湖に浮かぶシカーラーのことを指す。シヴとシャーンティは初夜にシカーラーの上で体を重ねており、シカーラーは二人の愛の象徴であった。また、二人が建てた家に「シカーラー」と名付けたことで、さらにこの名称は二人にとって大事な意味を持つことになる。そして、ヤムナー河に浮かぶシカーラーの上で、タージマハルを眺めつつシャーンティは息を引き取る。このように、「Shikara」は映画中で何度も繰り返され、その都度、意味が増幅されるアイテムとなっている。

 映画のエピローグにあたる部分も意味深だ。エンドクレジットでは、シュリーナガルなどに残っていると思われる、廃墟となったカシュミーリー・パンディトの家の数々が映し出される。もしかしたらこの中にチョープラー監督の実家も含まれているのかもしれない。そして、シヴはシャーンティの遺灰を持って、かつての実家に戻り、そこで近所の子供たちに教え始める。近所の子供たちは皆、イスラーム教徒である。彼らは生まれて初めてカシュミーリー・パンディトを見たと言う。大移動から30年近くが経ち、時代の変遷を感じさせるが、どこか明るい希望も感じられるような最後であった。

 主演のアーディル・カーンとサーディヤー・カーティーブはどちらも新人とのことだが、全くそれを感じさせないような、堂々とした演技であった。彼らの実力もあったと思うが、チョープラー監督の鑑識眼の高さと演技指導の上手さもそれに一役買っていることであろう。プリヤーンシュ・チャタルジーはメジャーな作品ではほとんど見なくなってしまったが、今回は意外な配役であった。

 どうもチョープラー監督は、カシュミーリー・パンディト問題を強調するために、この映画に意図的に多くのカシュミール人を起用したようである。サーディヤー・カーティーブ、ザイン・カーン・ドゥッラーニーなど、ジャンムー&カシュミール州生まれであるし、エキストラにも本物のカシュミーリー・パンディトを使った。近年、ミャンマーのロヒンギャ難民問題はだいぶ世界に知られるようになったが、カシュミーリー・パンディト難民問題はまだほとんど知名度がない。この「Shikara」製作の裏には、この問題を世界に向けて発信する意図もあったのではないかと思う。

 「Shikara」は、ヒンディー語映画界の重鎮ヴィドゥ・ヴィノード・チョープラーが自らメガホンを取って作ったロマンス映画である。1990年のカシュミーリー・パンディト大移動を背景にしており、自身や母親の経験を基に物語を構築していることから、気合いの入り方が異なっている。有名な俳優の出演はないが、チョープラー監督渾身の傑作である。