アーミル・カーンはヒンディー語映画界を代表する完璧主義の男優であるが、出演作を厳選することでも知られており、彼の映画は年に1、2本公開されるぐらいである。だが、完璧主義者なだけあり、アーミル・カーン主演作はヒンディー語映画界の方向性を変えてしまうほどのインパクトのあるものが多い。「Lagaan」(2001年)、「Dil Chahta Hai」(2001年)、「Rang De Basanti」(2006年)がその代表例だ。前々からアーミル・カーンの監督転向志向は噂されていたが、遂に彼がメガホンを取った作品が今年のクリスマス・シーズンである2007年12月21日に公開された。「Taare Zameen Par(星が地上に)」。予告編などから、それがどうも意外にも子供向け映画であることが予想された。だが、「Taare Zameen Par」は実際には単なる子供向け映画ではなく、子供を題材にした全年齢向けの感動作であった。
監督:アーミル・カーン、アモール・グプテー
制作:アーミル・カーン
音楽:シャンカル=エヘサーン=ロイ
作詞:プラスーン・ジョーシー
振付:シヤーマク・ダーヴァル
衣装:プリヤーンジャリ・ラーヒリー
出演:アーミル・カーン、ダルシール・サファーリー、タナイ・チェーダー、サチェート・エンジニア、ティスカ・チョープラー、ヴィピン・シャルマー
備考:PVRアヌパム4で鑑賞。
イシャーン・アワスティー(ダルシール・サファーリー)は常に空想と色と動物の世界に入り込んでいる男の子だった。勉強は大の苦手で、3年生で既に留年するほどであった。父親のアワスティー(ヴィピン・シャルマー)はイシャーンが勉強をさぼっていると考えいつも叱ってばかりいた。母親のマーヤー(ティスカ・チョープラー)も毎日イシャーンの世話に手を焼いていた。兄のヤハーン(サチェート・エンジニア)が成績優秀スポーツ万能であったため、イシャーンの出来の悪さが余計両親には理解できなかった。 アワスティーは遂にイシャーンを寄宿学校に送ってしまった。寄宿学校は今までの学校よりもさらに厳格で、イシャーンは次第に殻に閉じこもって行った。 ある日、寄宿学校に臨時教師としてラーム・シャンカル・ニクンブ(アーミル・カーン)という変わった先生がやって来た。ニクンブ先生は障害児の学校で教えていたこともあり、イシャーンに注目する。そしてすぐに、イシャーンがディスレクシア(失読症)であることを見抜く。実はニクンブ先生も子供の頃に失読症で悩んだことがあり、イシャーンの悩みが痛いほどよく分かった。最大の問題は両親の無理解であった。ニクンブ先生はイシャーンの両親に会いに行くが、やはり自分の身に起きた問題がイシャーンの身にも起こっていた。ニクンブ先生は寄宿学校の校長と相談し、イシャーンの特別教育を担当することになる。 ニクンブ先生はまず、アインシュタイン、レオナルド・ダ・ビンチ、エジソンなど、偉人とされている人々の多くが失読症だったことを教え、イシャーンに自信を持たせる。そして、失読症の子供でも文字を理解できるような、映像的な教え方をする。おかげでイシャーンの読み書きの能力はグングン上がる。 さらにニクンブ先生は寄宿学校で教員と生徒が一緒に参加する写生大会を主催する。そこでイシャーンの絵は最優秀作品に選ばれる。これをきっかけにイシャーンの成績は上昇し、学校の誇りとなる。学期末に寄宿学校を訪れた両親は、先生たちからイシャーンへの賞賛の言葉を聞き、涙する。
副題の「Every Child is Special」が示すように、子供の個性の大切さを謳った作品。今年9月に同じようなテーマを扱った映画「Apna Asmaan」(2007年)が公開されたが、それよりも遥かに丁寧に作り込まれており、2007年のヒンディー語映画の代表作の一本に挙げても文句は出ないだろう。アーミル・カーンはまたひとつインド映画史に重要な足跡を残したと言える。
主人公の男の子イシャーンはディスレクシア(失読症)であるが、「Taare Zameen Par」のメインテーマはこの障害の紹介ではない。そのメインテーマは、子供の個性を伸ばすのではなく、一定の価値観を子供たちに植えつけようとする現代インドの競争主義的学校教育への批判である。さらに言うならば、批判の対象は学校ではなく、むしろ両親に向けられていた。学校での勉強が得意でない子供に無理矢理勉強を押し付けようとすること、自分の世間体のために子供に結果を求めること、子供に何でもかんでも一番を目標とさせることの無意味さが映画の中で描かれていた。アーミル・カーンは映画の台詞の中で、「子供に自分の価値観を押し付けることは、児童労働よりも罪が重い」と言い放っていた。
そして、毎日盲目的に規則正しく生活することしかできず、自分の世界に遊ぶ余裕のない人々――特に都市中産階級――が滑稽に風刺されていた。目下急速に発展中のインドの原動力は正にそういった人々だが、その波に乗れない人々――だが、どんな形であれ社会に貢献している人々――に対し、温かい眼差しが向けられていた。それはイシャーンの目線からも語られていた。学校の勉強に身が入らないイシャーンはある日学校を抜け出てしまうが、その彼にとって、道で工事をしている人や、道で物を売っている人たちの方が、周囲の大人に比べてよっぽど共感できる存在であった。
日本人にとってこの映画が特別なのは、黒澤明監督の自伝がアイデア源になっていることである。黒澤監督は子供の頃、学校の勉強が得意ではなく、落ちこぼれていたが、ある先生との出会いにより自分に自信が持てるようになり、見事に才能を開花させたという経緯がある。教師が子供の人生に与える影響の大きさも、「Taare Zameen Par」の重要な主張である。
ヒンディー語映画はここ数年、実写映画と2D/3Dアニメーション映画の融合に挑戦している。「Hum Tum」(2004年)、「Bhaggmati」(2005年)、「Zinda」(2006年)、「Ta Ra Rum Pum」(2007年)、「Cash」(2007年)などがその例である。インドではアニメーション産業が急成長しており、ヒンディー語映画界はそれを強力に後押ししている。だが、不自然なアニメの挿入によって映画の雰囲気が台無しになってしまっているものも少なくない。そんな中、「Taare Zameen Par」は実写とアニメの融合に成功した作品だと言える。子供の空想の世界をアニメで巧みに表現していた。
アーミル・カーンはこの作品でプロデューサー、監督、俳優の3役をこなした。まるでケビン・コスナーのようである。映画中、アーミル・カーンの登場はインターミッションの直前であり、実質映画の半分にしか登場しないが、思いやりある先生役を自然にかつ熱のこもった演技で魅せていた。
監督はアーミル・カーンだが、「Taare Zameen Par」の原案・脚本を担当したアモール・グプテーが助監督を務め、実質この映画はアーミルとアモールの共作となっている。イシャーンが描いた絵も実はアモールのもののようだ。アーミルとアモールは学生時代の先輩後輩であり、7年間この企画を温めて来たアモールがアーミルに制作をもちかけたようだ。
子供が主役の映画であるため、子役の人選は最も重要だ。インド映画は昔から子役が貧弱なのだが、「Kuch Kuch Hota Hai」(1998年)、「Black」(2005年)、「The Blue Umbrella」(2007年)、「Nanhe Jaisalmer」(2007年)など、子役が重要な映画では才能ある子役をちゃんとどこからか探して来ている。「Taare Zameen Par」も子役の人選に成功した映画として記憶されることだろう。ダルシール・サファーリーはグジャラート人ジャイナ教徒の子供で、本作がデビュー作。「Taare Zameen Par」は彼がいなかったら成り立たなかったし、彼がいたから成り立った。もちろん、子役の才能を引き出したアーミルも賞賛されるべきである。
インド映画には珍しく、「Taare Zameen Par」はヒロイン不在の映画だった。だが、無理にヒロインを用意しなかったおかげで映画の完成度はかなり高まった。あからさまなダンスシーンもない。しかし、シャンカル=エヘサーン=ロイによる挿入歌は着実にストーリーを盛り上げる役割を担っていたし、元気な子供たちがはしゃぐ様子は映画に躍動感をもたらしていた。結果、娯楽映画としても十分楽しめる内容になっていた。インド映画の新たな可能性を予感させてくれる映画だった。
インドの教育現場の様子を垣間見る目的でも、「Taare Zameen Par」は見る価値のある映画だと言える。靴をちゃんと磨いていない生徒は校舎に入れさせてもらえない、というシーンがあったが、それを見てインド人がやたらに靴磨きにこだわっている理由が何となく分かった。インド人は子供の頃から常に靴を磨いておくことを義務付けられているから、大人になっても頻繁に靴を磨かせるのであろう。
言語は基本的にヒンディー語だが、英語も頻繁に混ざる。また、アーミル・カーンが話す言語にはウルドゥー語の語彙が多めであった。日本人にとって面白いのは、映画の中で日本語が出て来ることである。だが、「中国語」ということで片付けられていた。アーミルは以前、コカコーラのTVCMで中国風の音楽と共に日本人観光客に扮したことがあった。どうもやっぱり彼は基本的に日本を理解していないようである。
ちなみに映画の中では、ディスレクシアの偉人の例として、アインシュタイン、レオナルド・ダ・ビンチ、エジソン、ピカソ、アガサ・クリスティー、ウォルト・ディズニーの他に、男優アビシェーク・バッチャンを挙げていた。調べてみたところ、どうも本当にアビシェークはディスレクシアだったようだ。アーミル・カーンは予めアビシェークに承諾を取り、彼の名前を映画で使用した。
「Taare Zameen Par」は2007年のヒンディー語映画の傑作の一本である。一見すると子供向けの映画に見えるが、全ての年齢の人が楽しめる作品であり、むしろ大人に観てもらいたい内容になっている。