Apna Asmaan

2.5

 最近、ラーム・ゴーパール・ヴァルマーの映画の調子が悪い。「Ram Gopal Varma Ki Aag」(2007年)の失敗に続き、2007年9月7日に公開された同監督プロデュース作「Darling」の評価も最悪。かつては「インドのクエンティン・タランティーノ」と呼ばれたヴァルマー監督であるが、インドの映画ファンたちの間では彼に対し、もはや憤慨や失望を通り越して、「一体どうしちゃったの?」という憐憫の情が沸き起こっている。と言うわけで「Darling」は敬遠し、もうひとつ2007年9月7日から公開された「Apna Asmaan」を観に行くことにした。

監督:カウシク・ロイ(新人)
制作:ウマーング・パーフワー
音楽:レジー・レーヴィス
作詞:メヘブーブ
出演:ドゥルヴ・ピーユーシュ・パンジュアーニー(新人)、イルファーン・カーン、ショーバナー、ラジャト・カプール、アヌパム・ケール、バルカー・スィン、ナスィール・アブドゥッラー、ウトカルシャー・ナーイク
備考:PVRアヌパム4で鑑賞。

 プラスチック会社に勤めるラヴィ・クマール(イルファーン・カーン)と、その妻で元舞踊家のパドミニー(ショーバナー)の間には、ブッディラージ・クマール(ドゥルヴ・ピーユーシュ・パンジュアーニー)という知能障害の15歳の子供がいた。ラヴィは、ブッディが幼い頃に高いところから落としてしまったことがあり、それが彼の知能障害の原因になったのではないかと悩んでいた。ただし、掛かり付けの医者セーン(ラジャト・カプール)はそれを否定していたし、パドミニーも表立ってそれを責めていなかった。パドミニーは数学オリンピックでチャンピオンになったことがあり、息子も数学の道に進ませるという夢を持っていたが、知能障害のブッディにそれは無理だった。ブッディは毎日絵を描いて過ごしていた。両親はブッディの描く絵をゴミ同然に扱っていたが、ドクター・セーンだけはブッディの才能を認めていた。

 あるときラヴィは、脳障害を治し、凡人を天才に変貌させる奇跡の薬ブレインブースターを開発したドクター・サティヤ(アヌパム・ケール)のことを知る。その薬は猿に対しては効果が証明されていたが、まだ人間の臨床実験は行われていなかった。ラヴィはサティヤに会い、ブレインブースターを譲り受ける。だがちょうど同じ頃にドクター・サティヤには逮捕状が出され、彼は姿をくらましてしまう。

 ラヴィはブッディにブレインブースターを注射する。するとブッディは見違えるほど頭のいい少年に変貌した。しかし、それまでの全ての記憶を失っていた。それでもラヴィとパドミニーはブッディの障害が直ったことを喜んだ。今までギクシャクしていた家族は急に幸せに満ちたものになる。

 ブッディは、健全な子供になっただけでなく、数学の天才になっていた。彼はやがて世間から注目を集めるようになる。しかし、依然として両親のことを他人扱いし、怒りっぽい性格になっていた。彼は自分の名前も気に入っていなかった。いつしか彼はアーリヤバッターを名乗り始める。

 息子の変貌ぶりに最初は喜んでいたパドミニーであったが、不良少年となった息子を見て、元のブッディを求め始める。彼らはドクター・セーンに相談した。セーンは偶然ドクター・サティヤの居所を知っており、ラヴィは息子を元に戻すための薬を手に入れる。その薬により、ブッディは元に戻る。

 ラヴィとパドミニーはブッディの絵の才能に気付き、個展を開く。 

 「Black」(2005年)の成功を機に、障害者を主人公にしたり冗談にしたりした映画がヒンディー語映画界で流行ったことがあった。冗談にするのはもってのほかだが、障害者を主人公にしてチープな感動を売り物にする映画もいい気はしない。この映画も、最初の方ではそんな印象を受けたが、メインテーマは違った。「Apna Asmaan」の主題は、子供に自分の夢を押しつける親の罪であった。知能障害児を主人公に据えたのは、そのテーマを強調するためのひとつの手段であった。脳を活性化させ、凡人を天才に変えるブレインブースターという架空の薬も、多少SF的ではあったが、あくまでメッセージを強調するために導入された道具に過ぎなかった。

 主人公のブッディは知能障害児であった。その原因は不明だが、幼少の頃、父親のラヴィが「高い高い」をしていて誤って落としてしまったのが原因ではないかと両親は考えていた。ブッディは「Hum Honge Kamyaab(僕たちは成功するぞ)」という歌を繰り返し歌い、毎日絵ばかり描いていた。母親のパドミニーは息子を数学者にしたかったが、それは実現不可能な夢であった。ブッディの描く絵に注目していたのは、ホームドクターのセーンのみであった。ある日、ブレインブースターのおかげでブッディは天才に生まれ変わるが、理性を失い、暴力的な子供になってしまう。それを見た両親は元のブッディを求め始める。最終的にブッディは元に戻り、両親はブッディの絵の才能を伸ばすことに努力を払うようになる。

 インドの教育熱は日本以上だ。しかも学校の成績によってヒエラルキーが出来てしまっている。優秀な子供は理系へ進み、理系に進めない子供がその他の学科に進むのである。理系に進んだ子供の方が、高収入の職業に就ける可能性が断然高い。よって、インドの両親は、子供のため、自分のために、子供に必要以上の勉強を押しつけるのである。それで伸びて行く子供はいいが、それに応えられない子供は、最悪の場合、自殺という道を選んでしまう。「Apna Asmaan」は、子供を一定の方向へ向かわせるのではなく、子供の興味や才能をよく見て、それを最大限に活かせる方向へ進ませることの重要性を説いている。「僕の空」という題名にもそれがよく表わされている。

 さすがインド映画だな、と感心したのは、天才になったブッディと、「ラーマーヤナ」に出て来る羅刹王ラーヴァンが巧みに重ね合わされていたことだ。ラーヴァンは10の顔を持つ羅刹として描かれるが、10の顔とは全能の賢さの象徴である。すなわち、彼は一度に前後左右、斜め左右前、斜め左右後ろ、そして上と下の10方向を見渡すことが出来た。だが、その圧倒的な賢さ故に慢心し、身を滅ぼしてしまった。天才的数学者となったブッディは、ラーヴァンが退治される日であるダシャハラー当日に、元の知能障害児のブッディに戻る。「世界の全ての話は『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』の中にある」と言われるが、少なくともインド映画は今でもこれら二大叙事詩の影響下にあり、それが他の映画界にはない力となっている。

 ただ、「Apna Asman」は感動できる映画ではあったものの、メッセージを強調するあまり、現実感が希薄で観客をスクリーンに引き付ける魅力に欠けた映画になってしまっていた。もし批判するとしたらその点であろう。

 「Apna Asmaan」は基本的にフィクションであり、その中に出て来たブレインブースターという薬も架空のものだが、一応モデルになった子供がいるらしい。現在16歳のオスコ君は、中度の自閉症で、てんかんによる微細胞障害症候群に冒されている。そのために彼は通常の学校に通うことが出来なかった。だが、彼は天才的な芸術の才能を持っていた。彼は動物に対して多大な愛情を抱いており、彼の絵の主題の多くも動物である。最近ムンバイーでオルコ君の展覧会が行われたが、大成功に終わったと言う。オルコ君の絵は、映画の中や、公式ウェブサイトで見ることが出来る。

 ブッディを演じたドゥルヴ・ピーユーシュ・パンジュアーニーは、本作がデビュー作ながら、知能障害児状態時と天才数学者時を全く違った雰囲気で演じ分けており、尋常ではない才能を感じた。ただし呂律が良くなく、セリフが聞き取りにくかった。訓練すれば、きっといい俳優になるだろう。新人の脇を固めるのはベテラン俳優陣。イルファーン・カーン、ショーバナー、ラジャト・カプール、アヌパム・ケールなど、インド映画界の演技派が揃っている。皆文句ない演技であった。

 音楽も効果的に使われていた。特にスクヴィンダル・スィンの歌う「Katra-Katra」が印象的な使われ方をしていた。

 「Apna Asmaan」は、多少無理のあるストーリーではあるが、監督が観客に伝えたいメッセージはひしひしと伝わって来る佳作である。