
2000年3月31日公開の「Hera Pheri(反則)」は、21世紀のコメディー映画のスタンダードになったと評しても過言ではない記念碑的作品だ。本作の続編である「Phir Hera Pheri」(2006年)が作られたほか、「Masti」(2004年)、「Golmaal」(2006年)、「Dhamaal」(2007年)、「Welcome」(2007年)、「Housefull」(2010年)といった、似たようなスタイルの優れたコメディー映画の数々が量産され、人気になった。
監督はプリヤダルシャン。音楽はアヌ・マリク、作詞はサミール。主演は、アクシャイ・クマール、スニール・シェッティー、パレーシュ・ラーワルの3人。他に、タブー、アスラーニー、オーム・プリー、クルブーシャン・カルバンダー、グルシャン・グローヴァー、ラザーク・カーン、カシュミラー・シャー、ムケーシュ・カンナー、スラバー・アーリヤ、ディネーシュ・ヒングー、ムシュターク・カーンなどが出演している。また、ナムラター・シロードカルが「Tun Tunak Tun」にアイテムガール出演している。
ガンシャーム、通称シャーム(スニール・シェッティー)は、故郷の村で35,000ルピーの借金を抱えており、ムンバイーに出て来て、父親が務めていた銀行に就職をしようとしていた。父親は労働中に火災事故に遭って命を落としており、彼はその補償としてその後継ぎである自分に仕事を与えるように訴えていた。ところが、同じ火災事故で命を落とした従業員の娘アヌラーダー・シヴシャンカル・パニッカル(タブー)も同様の申し出をし、シャームより先に就職していた。銀行には1人分しか空きがなかった。シャームはアヌラーダーに職を譲るように頼むが、アヌラーダーはその職を確保するためにシャームに「異議なし証明書(NOC)」を書かせようとしていた。
シャームは知り合いのつてを頼ってボーリーヴァリー・ウエストに住むバーブーラーオ・ガンパトラーオ・アープテー、通称バーブー(パレーシュ・ラーワル)の家に借家人として住み始める。バーブーは父親が始めた自動車修理屋「スター・ガレージ」を経営していたが、借金も相続しており、借金取りに追われていた。しかも、彼は大の酒飲みで、手持ちの金はすぐに酒に使ってしまうため、借金は減らなかった。
シャームのルームメイトになったのがラージュー(アクシャイ・クマール)だった。ラージューは、老人ホームに住む母親サーヴィトリー・デーヴィー(スラバー・アーリヤ)を家に住ませるのが夢だった。彼は母親に、コールカーターで大企業で働いていると嘘を付いていた。
シャーム、ラージュー、バーブーはお互いに反発しながらも、皆それぞれお金に困っていると知り、打ち解ける。また、シャームはアヌラーダーも貧しい生活をしているのを知り、良心がとがめ、彼女から職や金を巻き上げることができなくなる。むしろ、彼女の借金も肩代わりしようとする。だが、村からはカラク・スィン(オーム・プリー)が借金を取り戻しに来ていた。彼の妹の結婚が掛かっていたのだ。早く何とかしなければならなかった。
そんなとき、バーブーの家に間違い電話が掛かってくる。電話の主カビーラー(グルシャン・グローヴァー)は、「デーヴィー・プラサード」という人物に対し、孫娘リンクーを誘拐したから身代金100万ルピーを払えと言ってきた。間違い電話の原因は電話帳のミスだった。「スター・ガレージ」の電話番号が、誤って「スター漁業」のところに掲載されていたのだ。ラージューは悪知恵を働かせ、スター漁業のデーヴィープラサード社長(クルブーシャン・カルバンダー)に電話を掛けて、身代金200万ルピーを要求する。孫娘が心配なデーヴィープラサード社長はそれを了承する。シャーム、ラージュー、バーブーは、カビーラーから指定された日時と場所にデーヴィープラサード社長を呼び出し、身代金を受け取って、半分をいただこうとするが、デーヴィープラサード社長の使用人(ムシュターク・カーン)が気を利かせて通報してしまい、警察の妨害があったため、このときの受け渡しは失敗してしまう。
シャーム、ラージュー、バーブーは命からがら脱出に成功する。シャームとバーブーには再度同じことをする勇気はなかったが、ラージューに説得され、もう一度挑戦することにする。カビーラーからは2倍の身代金を要求されたため、シャームたちもデーヴィープラサード社長に2倍の身代金を要求する。デーヴィープラサード社長は警察に見つからないように受け渡し場所に行き、シャーム、ラージュー、バーブーを会う。彼らは400万ルピーを受け取り、半分をカビーラーに渡してリンクーを受け取ろうとするが、そこへ警察官プラカーシュ(ムケーシュ・カンナー)が踏み込み、さらにカラク・スィンが仲間を引き連れて乱入してきたため、大混乱となる。騒動の中で運良くシャーム、ラージュー、バーブーは400万ルピーとリンクーを手に入れる。現金はラージューが一足先に持ち去り、シャームとバーブーがデーヴィープラサード社長にリンクーを引き渡す。
シャームとバーブーは家に帰ってラージューの帰りを待つが、なかなか帰ってこない。二人は、ラージューが金を持ち逃げしたと考え、警察に連絡する。その直後、ラージューが帰ってくる。自動車のタイヤがパンクし、修理をしていたのだった。自動車には母サーヴィトリーも乗っていた。通報を受けたプラカーシュがやって来て、三人を逮捕する。だが、そこへデーヴィープラサード社長が現れ、三人を助ける。
「Hera Pheri」は、マルチスター型コメディー映画のフォーマットを作り出した。この作品には、アクシャイ・クマールとスニール・シェッティーという1990年代を代表するスター俳優が起用されている。しかも、彼らが演じるのはその日の生活にも困るほどの貧しい若者であり、およそ通常のインド映画の主演が演じるべき役柄ではない。さらに、パレーシュ・ラーワルも悪役俳優として知られていた人物だ。このように複数のスターや個性派俳優たちを組み合わせて主要キャラに配役し、そのケミストリーでコメディーを成立させるという手法は、「Hera Pheri」が生み出したものだった。
さらに、「Hera Pheri」は、あらゆる娯楽要素が詰め込まれた伝統的なマサーラー映画のフォーマットから、コメディーに特化したコメディー映画というジャンルを軌道に乗せることに成功した。インド映画業界において従来「コメディー映画」と呼ばれていたのは、概してコメディー要素の強いマサーラー映画だった。よって、ロマンスもあればアクションもある。また、コメディーを担当するのは専門のコメディアン俳優であり、主演がそこに絡む割合は低かった。だが、「Hera Pheri」は潔くコメディーに集中していた。たとえばタブーがヒロインのアヌラーダー役を演じ、スニール・シェッティー演じるシャームと接近するが、あえて二人のロマンスに時間を割くことはしない。アクシャイ・クマール演じるラージューに至っては恋愛相手となるべきヒロインの設定がない。寄り道を極力最小限にし、観客を笑わせることに徹している。そして、主演のスターたちが自らコメディーの中心になっている。当時としてはこの戦略が新しく、インド映画界に純粋な「コメディー映画」というジャンルを根付かせることになった。
アクシャイ・クマールが演じたラージューはずる賢いタイプの人間であり、スニール・シェッティーが演じたシャームは生真面目すぎる性格の人間だった。それに加えてパレーシュ・ラーワルの演じたバーブーは天然ボケだった。個性の異なる3人のケミストリーが生み出す笑いは相乗効果で破壊力を持っていた。特にパレーシュは「Hera Pheri」でコメディアン俳優としての才能を開花させ、その後も数々の映画でコミックロールを演じ観客を大笑いさせるようになる。彼が本作の中で確立したバーブーのキャラクターや、彼の独特な訛りのあるセリフ回しはミーム化して映画ファンから長く愛させることになった。しかも、「Hera Pheri」の笑いの中心は人に限定されていなかった。プリヤダルシャン監督がもっとも力を注いだのは、つい笑ってしまうようなシチュエーションに登場人物たちを置くことだ。間違って掛かってきた身代金要求の電話を有効活用して一獲千金を狙おうとし、それがスムーズにいかなくて混乱をもたらすという後半のプロットは、それだけでスリルと笑いの絶妙なミックスである。
「Hera Pheri」のクライマックスでは、登場人物のほとんどが大集合して、あっちやこっちやのドタバタ劇を繰り広げる。キャスト総出演の大騒動で締めるまとめ方も、その後のコメディー映画で何度も何度も繰り返されることになった黄金パターンである。
ただ、主演俳優たちが主体になってコメディーシーンを完結させてしまうコメディー映画ということは、脇役たちにはあまり出番が残されていないということだ。「Hera Pheri」には、アスラーニー、ラザーク・カーン、ムシュターク・カーンなど、名だたるコメディアン俳優たちも起用されているのだが、彼らの存在感はほぼ無に等しい。タブーもほとんど無駄遣いに近かった。
歌と踊りの使い方もこなれていなかった。脈絡なくダンスシーンに移行する場面が多く、ストーリーと歌曲の親和性は低かった。妄想の中でのダンスというシーンもいくつかあった。挿入歌がストーリーとシンクロし、その盛り上げに貢献するような構成まで実現できていれば、コメディー映画としての完成度はさらに上がっていただろう。
「Hera Pheri」は、マサーラー映画から脱却し、ジャンルとしてのコメディー映画を確立させると同時に、コメディー映画のさまざまなスタンダードを生み出した、エポックメイキングな作品だ。どちらかといえばアクションスターのイメージが強かったアクシャイ・クマールとスニール・シェッティーから笑いの才能を引き出し、悪役俳優のイメージが強かったパレーシュ・ラーワルを天性のコメディアン俳優に脱皮させた。インドのコメディー映画史を語る上で必ず触れなければならない名作である。
