Biwi No.1

2.5
Biwi No.1
「Biwi No.1」

 1999年5月28日公開の「Biwi No.1(奥様ナンバー1)」は、ヒンディー語映画界で「コメディーの帝王」の名前を恣にするデーヴィッド・ダワン監督の「ナンバー1」シリーズの一作である。ダワン監督はこれ以前にも「Coolie No.1」(1995年)、「Hero No.1」(1997年)を、これ以降も「Jodi No.1」(2001年)や「Shaadi No.1」(2005年)などを撮っており、「ナンバー1」が付く題名の映画がお気に入りだ。ただ、これら一連の「ナンバー1」群に相互の関連性はなく、厳密な意味でのシリーズ映画ではない。また、「Biwi No.1」はタミル語映画「Sathi Leelavathi」(1995年)のリメイクである。観賞したのは2023年5月9日で、このレビューは過去を遡ってのものになる。

 「Biwi No.1」はいわゆる浮気モノの映画であり、浮気をする亭主をサルマーン・カーンが、その妻をカリシュマー・カプールが演じている。他に、助演としてアニル・カプールとタブーが出演しており、悪役となる浮気相手をまだ駆け出し時代のスシュミター・セーンが演じている。また、特別出演扱いでアミターブ・バッチャンとサイフ・アリー・カーンが登場する。マルチスターキャストといってもいい豪華な配役だ。それ以外には母親役を演じることの多いヒマーニー・シヴプリーが出演しているのが特筆すべきだ。プロデューサーはヴァース・バグナーニー、音楽監督はアヌ・マリクである。

 裕福な実業家のプレーム(サルマーン・カーン)には、愛妻のプージャー(カリシュマー・カプール)と、2人の子供がいた。ところがプレームは会社にモデルの応募に来た美女ルーパーリー(スシュミター・セーン)に一目惚れしてしまう。ルーパーリーも裕福な男性との結婚を夢見ており、幼馴染みの写真家ディーパク(サイフ・アリー・カーン)の告白を断ったばかりだった。プレームは独身だと偽ってルーパーリーに言い寄り、ルーパーリーも彼を受け入れる。

 プレームはルーパーリーを連れてスイスに行く。そこで知り合いのラカン(アニル・カプール)とその妻ラブリー(タブー)と偶然出会ってしまう。ラカンはプレームがルーパーリーと浮気をしていることに気付くがプージャーには黙っていた。しかし、ラカンとラブリーの子供が旅行中に録画した動画からプレームとルーパーリーの浮気がプージャーにばれてしまう。プレームは何とか言い訳をしてプージャーを納得させるものの、その後も怪しい行動が続き、とうとうプージャーに家を追い出されてしまう。

 プレームはルーパーリーに家や自動車を買い与えていた。プージャーから追い出されたプレームはルーパーリーと共に暮らし出す。プージャーはラカンの助言に従って、まずは2人の子供をプレームの元に送り、次に同居していた母親スシーラー(ヒマーニー・シヴプリー)を送る。こうしてプレームとルーパーリーの生活を乱し始める。

 プレームはプージャーの作戦にまんまとはまって次第にルーパーリーとの暮らしに嫌気が差すようになる。また、ラカンはディーパクを見つけ出し、彼をルーパーリーと再会させる。ルーパーリーはプレームを選んだことを後悔し、ディーパクの愛を受け入れることを決める。プレームもルーパーリーに裏切られ落ち込む。そこへプージャーが現れ、プレームを引き戻す。ルーパーリーはラカンに感謝し抱きつくが、それを見たラブリーが今度はラカンとルーパーリーの浮気を疑う。

 「Biwi No.1」は、1999年の大ヒット映画の一本である。だが、悪い意味で1990年代のB級映画にあったチープさを引きずっており、そのヒットが信じられないくらい完成度は低い。浮気をコメディーにしている上に、かなりステレオタイプな筋書きだ。「男性は浮気をするもの」という男性差別的な視点もあれば、「女性は男性の浮気に黙って耐えるもの」という女性差別的な視点も見え隠れする。最終的には元の鞘に収まるというインド映画の定番パターンを踏襲するが、そこまでの持って行き方も論理的ではない。あまりにプージャーが露骨に浮気したプレームを攻撃し過ぎていて、関係修復がますます不可能になると考えるのが普通だ。サルマーン・カーンはこの種の映画に好んで出る傾向があるが、カリシュマー・カプール、タブー、スシュミター・セーンなどがこの映画への出演を許諾したのが不思議なくらいである。

 この映画の最大の欠点は、まずは説教臭いことだ。愛妻家に見せ掛けて実は浮気男の主人公プレームが余裕をぶっこきながら美女ルーパーリーと浮気をしながらもだんだんと化けの皮が剥がれていき、窮地に陥っていくというストーリーを提供することで、全体として浮気を戒める内容になっている。それがまるで日本昔話か道徳の教訓話のようなのだ。

 しかも、よくよく考えてみると教訓にもなっていない。なぜならプレームは浮気をしたにもかかわらずほとんど罰せられていないからである。多少の痛い目には遭っているが、ほとんど損害は被っておらず、元の妻のところへ転がり込むことができた。これでは浮気をしても許されるというメッセージになってしまう。

 むしろ、カリシュマー・カプールが演じたプージャーの視点から観るべき映画であろう。プージャーは夫プレームに尽くす献身的な妻であり、夫の浮気疑惑が浮上した後もしばらくは彼を信じ続ける。プレームの浮気が決定的になると彼を家から追い出すものの、プレームへの愛情は変わらず、彼がいつか帰ってきてくれることを信じて、様々な対策を取る。その甲斐もあって最終的に夫は自分のところに帰ってくる。「Biwi No.1」は、浮気性の夫を献身的な愛情で引き戻した女性の感動物語として捉えるべきなのだろう。

 それ故にカリシュマーの演技が突出しており、泣いたり笑ったり様々な表情を多少大げさに使いながら、インド人女性の理想像ともいえるプージャー役を演じ切っていた。

 それに対してルーパーリー役を演じたスシュミター・セーンには人物設定上の混乱から演技の曖昧さが感じられた。天真爛漫な美女という雰囲気でルーパーリーを演じていたが、プレームが既婚であると知ってからも引き続きプレームとの関係を続けたことで、彼女は完全な悪役になる。ただ、あまりに表情が明るすぎて、悪役っぽくない。そしてエンディングではちゃっかりディーパクとくっ付いて悪役から抜け出しており、プレームが主人公ながら悪役の役割も担うことになった。おかげで煮え切らない演技しかできていなかった。

 後に高い演技力を開花させて才色兼備女優の称号を得るタブーもこの映画ではほとんど見せ場がない。ようやく彼女に出番が巡ってくるのはエンディング直前だが、ほとんどオマケみたいなシーンだ。まだこの頃のタブーは才能を無駄遣いされていた。

 「Biwi No.1」は音楽もヒットした。特に「Chunnari Chunnari」は時代を象徴する曲になった。ソングシーンやダンスシーンの数は多めで、ダンスとダンスの合間にストーリーが進行していくような感じだ。また、この頃はバングラー歌手のダレール・メヘンディーが人気絶頂期にあり、映画の中でも彼のパロディーがあった。「Hai Hai Mirchi」ではアニル・カプールがダレール・メヘンディーに扮しておかしな踊りを踊る。

 「Biwi No.1」は、コメディー映画を得意とするデーヴィッド・ダワン監督が送る、愛妻家の皮をかぶった浮気男を主人公にしたコメディー映画だ。スターパワーの充実や興行的な成功に比べて完成度は低く、ストーリーであれダンスでありチープな映像が続く。当時は大いに受けたかもしれないが、時代を超えて愛されるような不朽の名作にはなり得ない。