テルグ語映画界は昔からインド映画の「御三家」としてヒンディー語映画やタミル語映画と共に一定の勢力は誇ってきたものの、長らくローカルな人気に留まり、インド全国に何かムーブメントを起こすということはなかった。それを一変させたのがSSラージャマウリ監督の「Baahubali: The Beginning」(2015年/邦題:バーフバリ 伝説誕生)であった。第二部の「Baahubali 2: The Conclusion」(2017年/邦題:バーフバリ 王の凱旋)に至ってテルグ語映画の快進撃は決定的なものとなり、「RRR」(2022年/邦題:RRR)でアカデミー賞受賞という金字塔を打ち立てた。今、インドでもっとも活力に満ちているのがテルグ語映画界なのは間違いない。
「Baahubali」シリーズは、古代インドまたは中世インドの架空の王国を舞台にした壮大なスケールの叙事詩映画であった。それはそれでインド映画界の新境地を切り拓いたのだが、それを超えるスケールのテルグ語映画が2024年6月27日に公開された。「Kalki 2898 AD」である。
インド神話に詳しい人なら、この映画の題名になっている「カルキ」という神様の名前を聞いたことがあるだろう。ヴィシュヌ神の十番目の化身であり、末法の世であるカリユガに現れて衆生を救い、サティヤユガと呼ばれる正法の世をもたらすとされる。ただ、これから現れる神様なので、図像化されたものを目にしたり、信仰の対象になっているのを見たりする機会は他の化身に比べて少ない。剣を片手に持ち、白馬に乗った人間の姿で描かれることがほとんどだが、稀に馬の頭を持った半獣半人の姿でも描かれる。
インド神話のミステリアスな神様が題名に含まれていることから察せられる通り、「Kalki 2898 AD」は、インド神話を下敷きにしている。実はカルキよりも「マハーバーラタ」の方が物語の根幹に関わっている。なにしろ、マハーバーラタ戦争の生き残りで、クリシュナの呪いにより不老不死となったアシュヴァッターマー(アシュヴァッターマン)が登場するのだ。さらに、主人公バイラヴァは、マハーバーラタ戦争でカウラヴァ軍に付いて戦ったカルナの生まれ変わりとされている。よって、「Kalki 2898 AD」のストーリーをより楽しみたかったら事前に「マハーバーラタ」を一読することをお勧めする。
また、題名には「2898 AD」とも書かれている。これは西暦2898年のことである。つまり、この映画は今から800年以上未来の時代を舞台にしている。未来の世界を舞台にしたSF映画は「Love Story 2050」(2008年)などが過去にあったため、インド初ではないのだが、珍しい。米国映画が得意とするジャンルに殴り込みをかけている。
総じて、「Kalki 2898 AD」は、未来を舞台にしたSF映画でありながら、インド神話や「マハーバーラタ」を下敷きにしており、新生国家アメリカ合衆国にはなかなか真似できないような古く深い文明が滲み出る映画になっている。もちろん、「スターウォーズ」シリーズや「マッドマックス」シリーズの強い影響も感じられるのだが、インドらしさを出すことにも成功している。それは、世界四大文明のひとつとしてのプライド以外の何物でもない。
監督は「Mahanati」(2018年)のナーグ・アシュウィン。音楽はサントーシュ・ナーラーヤナン。南北インドのスターたちが起用されたオールスターキャストの映画であり、主演級はプラバース、アミターブ・バッチャン、ディーピカー・パードゥコーン、カマル・ハーサンである。他に、シャーシュワタ・チャタルジー、ディシャー・パータニー、アンナ・ベン、ハルシト・レッディー、カーヴィヤー・ラーマチャンドラン、ブラフマーナンダム、ラージェーンドラ・プラサード、ショーバナー、パシュパティ、アニル・ジョージなどが出演している。
また、カメオ出演も豪華だ。マールヴィカー・ナーイル、ムルナール・タークル、ラーム・ゴーパール・ヴァルマー、ドゥルカル・サルマーン、SSラージャマウリ、ヴィジャイ・デーヴァラコンダーなどが端役で出演している。
基本的にはテルグ語映画であるが、昨今の大予算型映画と同じく多言語展開の汎インド映画となっており、ヒンディー語版、タミル語版、カンナダ語版、マラヤーラム語版、英語版も同時公開された。鑑賞したのはヒンディー語版である。
紀元前3102年、マハーバーラタ戦争でアシュワッターマー(アミターブ・バッチャン)はウッタラー(マールヴィカー・ナーイル)のお腹にいたアビマンニュの子供を殺し、クリシュナから呪いを受ける。その呪いのおかげでアシュワッターマーは死ぬことを許されず、ずっと生き続けることになった。だが、彼には使命も与えられた。やがてこの世界に現れる、ヴィシュヌ神の十番目の化身を守るという使命である。そのときが来るまでアシュワッターマーは待ち続けた。
6000年後。世界はスプリーム・ヤースキーン(カマル・ハーサン)に支配されていた。ガンガー河は干上がり、水は貴重品になっていた。カーシーの空中に浮かぶ「コンプレックス」にスプリームと支配者層が住み、地上の一般庶民を弾圧していた。スプリームの支配に立ち向かう反乱軍も存在し、シャンバーラーという秘密基地を拠点にしていた。スプリームの部下マーナス(シャーシュワタ・チャタルジー)はシャンバーラーを見つけ出そうと躍起になっていた。
また、コンプレックスでは「プロジェクトK」と呼ばれる極秘計画が進んでいた。人工授精し妊娠した女性から血清を抽出しスプリームに献上していたが、150日間、妊娠を持続できる女性から採った血清でないと効果がなかった。この時代、妊娠できる女性は限られていた。そんな中、幼い頃からコンプレックスで生まれ育ったSUM-80(ディーピカー・パードゥコーン)は身籠もっており、妊娠150日を超えていた。彼女はそれを隠していたが見つかり、血清を抽出されそうになる。だが、コンプレックスに忍び込んでいた反乱軍所属の女性の助けもあって脱出に成功する。彼女はスマティを名乗るようになる。
賞金稼ぎのバイラヴァ(プラバース)は金を貯めてコンプレックスに移住することを夢見ていた。コンプレックス移住のためには大金が必要だった。彼にはブッジーという人工知能の相棒がいた。バイラヴァは今まで一度も負けたことがなかったが、お金にだらしなく、家賃を滞納し借金が積み重なっていた。そんな中、スマティの脱走があり、彼女に多額の賞金が懸けられた。バイラヴァは喜び勇んでスマティを追跡する。
反乱軍のヴィーラン、ルーク(ハルシト・レッディー)、カイラ(アンナ・ベン)はスマティをシャンバーラーに連れて行こうとするが、スプリームに従うレーダーズや賞金稼ぎたちが襲い掛かる。それを助けたのが目覚めたアシュワッターマーであった。アシュワッターマーはスマティの胎内にいる子供がカルキであると直感し、彼女と胎児を守るために敵を蹴散らす。バイラヴァもスマティを捕まえようとするがアシュワッターマーに撃退される。しかしながらマーナスと密約し、スマティを連れ帰ることを約束する。
バイラヴァは、予め捕まえていた反乱軍のアッジューを利用してシャンバーラーの位置を突き止める。シャンバーラーでは、指導者マリヤム(ショーバナー)がスマティを「母」として迎え入れているところだった。バイラヴァは変装してスマティを連れ出そうとするがアシュワッターマーに阻止される。しかも、シャンバーラーの場所を知ったマーナスは総攻撃を仕掛けた。混乱の中でバイラヴァは、アシュワッターマーが持っていた棒を手に取りカルナとして覚醒する。そしてマーナスを殺し、一度は誘拐されかけたスマティを救い出す。それでもバイラヴァはまた元に戻り、アシュワッターマーの制止を振り切ってスマティを連れていってしまう。
一方、スマティの胎児から抽出された一滴の血清を注入したスプリームは一時的に若々しい肉体を取り戻した。スマティの子供こそがカルキであると確信を得たスプリームは自らスマティを連れに行くと宣言し、アルジュナの弓であるガーンディーヴァを手に取る。
物語の舞台となるのは、今から800年以上後の荒廃した世界である。何が起こったのか具体的な明示はないのだが、人類が愚かな戦争や後先考えない自然破壊などに明け暮れたためにそのような事態になってしまったのは想像に難くない。とはいっても科学技術は現代と比べて飛躍的に進化している。
主人公バイラヴァの住むカーシーとは、現在のウッタル・プラデーシュ州ヴァーラーナスィーのことである。ガンガー河(ガンジス河)の河畔にある古都であり、ヒンドゥー教の聖地でもあるが、西暦2898年にはガンガー河の水はすっかり干上がってしまっている。「カーシー」はヴァーラーナスィーの古名で、今でも時々使われる。映画の中では、「世界で最初の街」であると同時に「最後の街」ということになっていた。おそらくカーシー以外の都市は全て滅びたのだろう。また、カーシーの上空には「コンプレックス」と呼ばれる巨大な浮遊物体が浮かんでいる。ここにスプリーム・ヤースキーンと支配者層が住んでいる。世界はスプリームの支配下にあり、地上では一般庶民が貧しい暮らしをしていた。3期にわたる長期政権を確立しているナレーンドラ・モーディー首相の選挙区という点も特筆すべきだ。
どうやら大金を積めばコンプレックスの住民になれるようで、バイラヴァもコンプレックス民に昇格する日を夢見て日々賞金稼ぎに勤しんでいた。
このような世界観を提示するためにCGの力は不可欠だ。「Kalki 2898 AD」でも相当な数のCGが使われていた。インド映画としてはかなり緻密に未来の世界観を作り込み、それをCGで作り上げた方だが、ハリウッド映画の得意ジャンルに殴り込みをかけたことで、必然的にハリウッド映画との比較は避けられなくなる。そうなるとやはりCGの質は一段下がるように感じられてしまう。お世辞にも「ハリウッド映画に匹敵するCG」とはいえない。
また、SFアクション映画の中にも笑いの要素を律儀に入れ込んでいる点がいかにもインド映画らしい。バイラヴァがヒーローであると同時に剽軽な役回りも兼任し笑いを取っているのだが、それが冗長に感じられる場面はあった。また、アクションに敏捷性がなく、淡々と進んでいく印象を受けた。BGMも控えめであったが、この種の映画ならばもっと大げさに入れても良かったのではないかと思う。
どうしてもハリウッド映画と比べられると見劣りしてしまうし、比較を排除したとしてもSF映画として、アクション映画として、弱い点があったが、それでもこの映画が作り出した独自の世界観はとても魅力的だ。なんといっても未来のインドに神話や叙事詩をくっ付けるという発想が素晴らしい。テルグ語映画ながら、舞台を未来のヴァーラーナスィーにしたのも非常に戦略性を感じる。そもそも、世界広しといえど、ハリウッド映画に堂々と対抗できる映画を作っているのはもはやインドだけになってしまっているのではなかろうか。「Kalki 2898 AD」でもってインド映画が米映画を超えたと宣言するのは難しいが、その日も遠くないような予感は感じずにはいられない。
ヒンディー語映画では、「Brahmastra Part One: Shiva」(2022年/邦題:ブラフマーストラ)が比較対象になるだろう。「Brahmastra」の方は、現代の物語にインド神話の要素を加えたSFスーパーヒーロー映画だ。アミターブ・バッチャンやディーピカー・パードゥコーンなど、「Kalki」と俳優が共通している点も見逃せない。だが、スケールの大きさや世界観創出の成否において、「Kalki」は今のところ「Brahmastra」を凌駕している。どちらもユニバース構想の下、数作品でひとまとまりになっていてまだ完結を見ていないので最終的な評価は下せないが、より派手な冒険をしているのは「Kalki」で間違いない。
南北のスターたちが共演しているのも注目点だが、テルグ語映画なのにもかかわらず、どちらかといえばヒンディー語映画俳優たちのプレゼンスが強いのは不思議にも感じる。特にアシュワッターマー演じるアミターブ・バッチャンがかっこよすぎて主役を食うほどだ。「スターウォーズ」シリーズでいえばヨーダのような存在だが、アシュワッターマーは2mを超える大男という設定であり、ディーピカー・パードゥコーン演じるスマティに寄り添うとより迫力がある。しかもとにかく戦う。当初、この映画の企画はアシュワッターマーを主役にして始まったとされるが、それも頷ける。
ヒロイン扱いなのはディーピカー・パードゥコーンとディシャー・パータニーだ。どちらもヒンディー語映画女優である。ディシャーの出番は少なかったが、ディーピカーはカルキの母親役という非常に重要な役柄を与えられている。今のところ、運命に翻弄され常に怯えていればいい役で、高度な演技力はそれほど必要なかったが、ハリウッド映画女優的な貫禄が出て来たのを感じる。さらにはムルナール・タークルがカメオ出演している。南インド女優でもっとも目立っていたのはマリヤム役を演じたショーバナーだ。
ヒンディー語映画俳優が目立つとはいえ、「Kalki 2898 AD」がプラバースの映画であることに変わりはない。「Baahubali」シリーズを当てたプラバースだったが、その後、それを超える主演作に恵まれなかった。「Kalki」においてようやく「Baahubali」を超えるスケールの作品に巡り会うことができ、その機会をモノにしていた。「Baahubali」シリーズに比べてお茶目な一面を見せる場面が多かったが、アクションシーンではしっかり決めていた。
「RRR」では「マハーバーラタ」に登場するパーンダヴァ五王子のアルジュナやビーマに軸足が置かれていた。だが、「Kalki」ではパーンダヴァ五王子と敵対したカウラヴァ側からの視点になるところは興味深い。アシュワッターマーもカルナもカウラヴァ側である。スプリームがアルジュナの弓ガーンディーヴァを手に取ったことで、彼がアルジュナの生まれ変わりという可能性も高まった。そうなると、「Kalki」ではパーンダヴァ五王子側が敵ということになる。「Kalki 2898 AD」はこの作品だけで完結しておらず、カルキ・シネマティック・ユニバースとして以後も続編が作られていく。今後の展開が楽しみである。
ちなみに、「Kalki 2898 AD」ではハリウッド映画の影響が甚大であったが、日本の影響を感じさせられるところもあった。バイラヴァの相棒ブッジーは人工知能であり、変形する乗り物に取り付けられていた。終盤にブッジーはゴリラ型のロボットに変形しアシュワッターマーと戦う。変形するメカというと第一には米映画「トランスフォーマー」シリーズが思い浮かぶ。トランスフォーマー自体は日本発祥だ。だが、それよりも似ているのは「攻殻機動隊」シリーズに登場するフチコマやタチコマである。
「Kalki 2898 AD」は、テルグ語映画ながら、南北のスターを結集して作り上げられたSFアクション映画である。未来を舞台にしながら、マハーバーラタ戦争の英雄たちも登場し、未来と神話が入り乱れるいかにもインドらしい作品に仕上がっている。2024年の話題作の一本であり、世界的に大ヒットしている。日本でも公開される可能性大だ。決してこれをもってインド映画がハリウッド映画を凌駕したことにはならないが、世界でハリウッド映画に対抗できる勢力として認識されるようになることは確実である。テルグ語映画の勢いが止まらない。