インドにおけるLGBTQ問題を論ずるとき、必ず触れられるのは、「हिजड़ा」とか「किन्नर」などと呼ばれる人々の話題である。ヒジュラーは、インド社会に昔から存在した両性具有者コミュニティーであり、現代でも街角や列車の中でよく出くわすが、この問題は別に扱った方がいいので、ここでは省略する。
ここでは「LGBTQ」を、現代的な意味でのレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、及び自身の性自認を決めかねている人々のことに限定する。彼らを便宜的に包括して「同性愛者」と呼ぶ。
同性愛を巡る状況
インドにももちろん同性愛者はいる。そして、同性愛者に対するイメージも、他国とそう変わらない。端的にいえば非健常者、つまり、異常者の扱いで、世間から奇異の目で見られ、多くの場合、差別の対象になる。それは映画の中における同性愛者の描写のされ方からも容易に読み取ることができる。インド映画に同性愛者キャラはよく登場するが、道化師的な役割を担わされることがほとんどである。
さらにインド特有の事情もあった。インドではつい最近まで、同性愛は犯罪だったのである。インド刑法(IPC)377条において、「自然の摂理に反する犯罪」として同性愛が規定されており、同性愛行為を行った者には最高刑が終身刑となる重い刑罰が科せられることになっていた。
377条(自然の摂理に反する犯罪):自然の摂理に反して、男性、女性または動物と自発的に性交した者は、終身刑または10年に及ぶいずれかの懲役に処し、さらに罰金に処するものとする。
このIPC377条を巡る攻防は1990年代から長らく続いてきた。2009年7月2日、デリー高等裁判所が、IPC377条を、憲法第14条で保証された「法の下での平等」に反するとして違憲とし、同性愛を合法化したのは記念碑的な出来事であったが、2013年12月11日に最高裁判所が高裁の判決をひっくり返したため、再び同性愛は違法となった。しかしながら、2018年9月6日に最高裁判所が再び「法の下での平等」を根拠に、同性愛者にも好きなパートナーを選ぶ権利や性的指向による差別を受けない権利などがあるとし、これにてインドにおいて同性愛は、未成年者に対する行為などを除き、完全に合法化された。
よって、2018年を境に、インドにおける同性愛を巡る法的な状況は一変する。2009年から2013年まで、一時的に同性愛が合法とされた時期はあったものの、基本的には2018年以前、同性愛者は潜在的な犯罪者であり、インド社会において肩身の狭い生活を送らざるをえなかったのである。
同性愛とヒンディー語映画
同性愛者に対する差別と偏見が根強いインド社会において、ヒンディー語映画界はもっとも同性愛者に寛容な業界だといえる。確かに、前述の通り、同性愛者を面白おかしく取り上げたような映画は数多いのだが、中には、同性愛に対する理解を促したり、同性愛者の置かれた窮状を訴えたりするような内容の映画がコンスタントに作られてきた。それは、プロデューサー、監督、俳優などの中に同性愛者がいることも関係しているだろう。同性愛合法化のプロセスにおいてヒンディー語映画が果たした役割は小さくなかった。
インドにおいて最初期のLGBTQ映画として知られるのは、インド系カナダ人監督ディーパー・メヘターの「Fire」(1996年)で、21世紀に入り、「Mango Souffle」(2003年)や「Girlfriend」(2004年)など、いくつか同性愛を主題にした映画が作られてきたのだが、当の同性愛者たちから意外なほど高い支持を得たのが「Dostana」(2008年)であった。同性愛者とされるカラン・ジョーハルがプロデュースした作品であり、実際には主人公は同性愛者ではないのだが、婉曲的な手法で同性愛者が抱える問題を明るいタッチで描き出した。同性愛者に人気の男優ジョン・アブラハムを起用したことも功を奏したといえる。
カミングアウト
LGBTQ映画において同性愛者がもっとも重視するのは、カミングアウトの瞬間のようだ。特に、家族に対するカミングアウトをいかに繊細に描写できるかが成否を分ける。「Dostana」が支持されたのも、母親へのカミングアウトのシーンが盛り込まれていたからである。
ヒンディー語映画史上、もっとも優れたカミングアウトのシーンがあるのは「Badhaai Do」(2022年)だ。同性愛者の男女同士が偽装結婚をして家族や世間の目を欺いて生活し始めるが、仮面夫婦生活は長くは続かず、最終的には家族に自分が同性愛者だと告白するという筋書きである。また、子供が欲しい同性愛者カップルが養子縁組という手段を採れない法整備の不備も指摘されており、同性愛者が直面する現実的な問題にもっとも多角的に、かつ深く踏み込んだ映画でもある。
良質なLGBTQ映画
他にも、2010年代以降、ヒンディー語映画界では多くのLGBTQ映画が作られてきた。学園モノの同性愛映画「Timeout」(2015年)、同性愛者の大学教授が被った差別を描いた伝記映画「Aligarh」(2016年)、レズビアンのカップルが結ばれ、家族からの理解を勝ち取るまでを描いた「Ek Ladki Ko Dekha Toh Aisa Laga」(2019年)、性転換者との恋愛を描いた「Chandigarh Kare Aashiqui」(2021年)、姉弟が同じ男性に恋してしまう「Cobalt Blue」(2022年)など、いくつもの良質なLGBTQ映画がある。
また、「377 Ab Normal」(2019年)は、2018年9月に最高裁判所において同性愛が合法化された裁判を追った実話に基づく映画であるし、「Shubh Mangal Zyada Saavdhan」(2020年)は、その2018年9月を時間軸とし、同性愛に対する法的な扱いがガラリと変わった瞬間を物語の転換点にしたLGBTQ映画だ。
今後のヒンディー語映画の課題は、同性愛に対する偏見の解消であろう。いかに同性愛が合法になったとはいえ、インド社会にはまだまだ同性愛者への差別が根強く残っている。社会的に影響力の強い映画は、この状況の打破のために、今後も大きな貢献ができると信じている。
同性婚
2018年に同性愛が合法化されたことで、同性愛を支持する人々にとっての次なる具体的な主戦場は同性婚となった。2023年には最高裁判所が同性婚を違法と判断しており、今後、ヒンディー語映画界は同性婚に対する社会の許容度を広めていくことを使命とするだろう。
早速、同性婚を主題にした「Amar Prem Ki Prem Kahani」(2024年)が作られ、同性婚問題に踏み込んでいく意欲が示された。
変わったLGBTQ映画
多くのLGBTQ映画は、若者を主人公とし、その彼/彼女が同性愛者であるという設定だが、ヒンディー語映画界でLGBTQ映画群が蓄積されてきたことで、ストーリーの多様化も進んでいる。その中で、親が同性愛者というパターンが生まれた。例えば、父親から同性愛者だと告白された少年が主人公の「Dear Dad」(2016年)や、母親が同性愛者であることが発覚するという「Maja Ma」(2022年)である。
「Ghost」(2019年)は、レズビアンの幽霊が、自分の恋人を奪い取った男性に襲い掛かるという変わり種のLGBTQ映画だった。幽霊界は人間界の延長線上にあるため、人間界でLGBTQが認知されるようになったことで、当然のことながら幽霊界にもLGBTQに市民権が与えられるようになったことを示している。