Chandigarh Kare Aashiqui

4.5

 インドでは独立前から長らく同性愛は違法で、同性愛者は潜在的犯罪者として肩身の狭い生活を送ってきた。世間一般の同性愛および同性愛者に対する見方も差別に満ちたものであった。ヒンディー語映画界でも同性愛者が面白おかしく描写されることは少なくないが、性の多様性を理解し支援するリベラルな価値観がもっとも浸透している業界もヒンディー語映画界であった。同性愛が違法の時代から多くのLGBTQ映画が作られてきた。そして、2018年に同性愛が合法化されたことで、ヒンディー語映画もますますLGBTQの認知に本格的に取り組むようになっていると感じる。

 2021年12月10日公開の「Chandigarh Kare Aashiqui(恋に落ちたチャンディーガル)」は、男性から性転換した女性と、彼女に恋してしまった男性の物語であり、最新のLGBTQ映画である。監督は「Rock On!!」(2008年)や「Kai Po Che」(2013年)で有名なアビシェーク・カプール。主演はアーユシュマーン・クラーナーとヴァーニー・カプール。性転換者を演じるのがヴァーニーであるが、確かに彼女は男っぽい顔立ちをしており、納得のキャスティングである。他に、アビシェーク・バジャージ、カンワルジート・スィン、ゴウラヴ・シャルマー、ガウタム・シャルマーなどが出演している。

 ちなみに、イオンシネマ市川妙典において、Spacebox主催の上映会で鑑賞した。

 チャンディーガル在住のマンヴィンダル、通称マヌ(アーユシュマーン・クラーナー)はボディービルダーで、親友の双子リズ(ゴウラヴ・シャルマー)とジョモ(ガウタム・シャルマー)と共にジムを経営していた。だが、地元の筋肉番付大会「Gabru of All Time(GOAT)」でライバルのサンディー(アビシェーク・バジャージ)に負け続けており、ジムの経営も傾いていた。そこでマヌは、ズンバの美女インストラクター、マーンヴィー(ヴァーニー・カプール)にジムの一角を貸し、ズンバ・クラスを始める。すると、相乗効果でジムの客も入るようになった。

 マヌはマーンヴィーと恋に落ち、プロポーズするが、マーンヴィーからは、実はトランスガール、つまり性転換した女性だと明かされる。それを聞いたマヌは激怒し、彼女を拒絶する。だが、彼女のズンバ・クラスのおかげでジムが軌道に乗り始めていたため、ジムから彼女を追い出すことはできなかった。

 マヌの父親や2人の姉は、当初はマヌとマーンヴィーの仲を温かい目で見ていたが、マーンヴィーがトランスガールだと分かると、一転してマーンヴィーを魔女扱いし始める。姉たちはズンバ・クラスの受講生にもそれを暴露する。その様子は録画されて公開され、チャンディーガル中の噂となる。だが、そのときまでにマヌは性同一性障害やトランスジェンダーのことを学び、マーンヴィーを受け入れる気持ちになっていた。

 折しも、マーンヴィーのよき理解者だった父親が心臓発作で倒れ、入院する。マーンヴィーが病院に駆けつけると、そこには母親もいた。マーンヴィーが性転換して以来、母親とは疎遠になっていた。だが、この出来事をきっかけに二人は会話を交わすようになる。手術が成功し、目を覚ましたマーンヴィーの父親は、マーンヴィーと母親が一緒にいるところを見て目を細める。

 マヌはGOATでライバルのサンディーと戦う。負けそうになるが、マーンヴィーが駆けつけたことで本領を発揮し、サンディーを打ち負かす。マヌはマーンヴィーに改めてプロポーズし、彼女はそれを受け入れる。

 インドにおいて同性愛が合法化されたといっても、LGBTQに対する偏見が解消されたわけではない。「Chandigarh Kare Aahiqui」は、性同一性障害、性転換、家族からの理解やサポートの必要性、そして性転換者の恋愛と苦悩など、LGBTQに関する様々なテーマが網羅的に取り上げられた、性教育の教科書のような作品だった。

 しかも、物語として構成が巧みだったのは、アーユシュマーン・クラーナー演じる主人公マヌを、男性性の象徴に設定したことである。まず、舞台はチャンディーガル、つまりパンジャーブ地方である。パンジャーブの男性はインドの中でももっとも男性性に誇りを持っている人々だ。そして、マヌの職業はボディービルダー。男性ならではの筋肉を磨き上げ見せびらかすことに悦楽を感じる人々で、男らしさが何よりのアピールポイントである。そんな彼が、トランスガールであるマーンヴィーに恋をし、セックスもしてしまう。

 性転換にもいろいろな種類があると思うが、マーンヴィーは性別適合手術を受け、女性器が備わっていた。だから、マヌは何度もマーンヴィーと身体を重ねるが、彼女が元男性だったとは全く気づかなかった。LGBTQの視点からいえば、性転換手術を受け、性別適合手術もしたなら、性は完全に変わったということになるだろうが、マヌを含む一般的なインド人男性の視点からいったら、マヌは男性と同性愛をしたことになる。

 同性愛がいくら合法化されようとも、世の中に同性愛者が存在するのを認めることと、自分が同性愛者と同性愛をすることは、全く別次元の話である。マヌは、同性愛者と性交したことで自分が同性愛者になってしまったと感じた。同性愛者は、マヌが今まで築き上げて来た「男の中の男」としてのイメージと完全に対極にある。マヌは、マーンヴィーのカミングアウトが遅れたことで、全てを台無しにされてしまったのである。だからマヌは激怒し、拒絶し、マーンヴィーに罵詈雑言を浴びせかけた。

 マヌの家族の反応も常識の範囲内であった。なかなか結婚しないマヌに対し、お節介な姉たちは、同性愛者ではないかと疑い心配していた。そんな彼がやっと家に連れて来た女性がマーンヴィーであり、一家総動員で歓迎する。だが、マーンヴィーが元男性であることが分かると、マヌ以上に拒絶反応を示し、マーンヴィーをマヌの人生から追い払おうとする。

 だが、マヌがマーンヴィーに対して抱いた恋心は本物だった。マヌは性同一性障害や性転換についてYouTubeなどで学習し、世の中には一定の割合で生物学的な性とは異なったジェンダーを持った人が存在することを知る。インドには、「ヒジュラー」「キンナル」「チャッケーワーリー」などと呼ばれるトランスジェンダーのコミュニティーが存在するが、マヌは道端で出会ったヒジュラーに相談して性とジェンダーについて真摯に学ぼうともする。その中で、相手の元々の性がどうあろうと、恋したら恋であると達観する。

 クライマックスのGOATは、日本のTV番組「筋肉番付」のような大会であった。ロープ登りや逆立ち腕立て伏せなどをした後、最後は重量挙げが行われた。そして、大方の予想通り、今まで負け続きだったマヌがマーンヴィーの応援を得て勝利する。いかにもインド娯楽映画的な予定調和の終わり方であったが、許容範囲であろう。この映画を一本観ると、LGBTQの理解が深まる構成になっており、大衆の目に触れる娯楽映画として作られたことに大きな意義を感じた。下ネタを織り交ぜた軽妙なコメディータッチで描かれていたのも功を奏していた。

 ただ、際どいシーンがあったのも事実である。序盤では、マヌとマーンヴィーの濡れ場がかなりねっとりと描写される。これは、性転換者とも普通にセックスができ、しかも相手が性転換者だと分からないという衝撃の事実をインド人観客に知らしめるために敢えて多め深めに描写したのであろう。また、終盤では性別適合手術がCGで説明されるが、ここでもどのように男性器が女性器になるのかがかなり露骨に示される。普通だったら出て来るはずのない映像だが、医療学習のために特別に許可されたと思われる。

 精子ドナーをテーマにした「Vicky Donor」(2012年)の頃から、アーユシュマーン・クラーナーは、若ハゲ、ED、同性愛など、他の俳優があまり挑戦しないような際どいテーマに挑戦し続けている。今回は性転換者との恋愛という、これまた今までにない難解な役柄に挑戦していた。また、ボディービルダーとして筋肉作りにも励んでおり、見事な肉体を作り上げて撮影に臨んでいた。天晴れな俳優魂である。

 アーユシュマーン以上に冒険的な役に挑戦していたのが、性転換した女性マーンヴィーを演じたヴァーニー・カプールであった。普通のヒロイン女優なら容易には手を出さないであろう役柄だ。また、前述の通り、男っぽい顔立ちの彼女にピッタリの役でもあった。マーンヴィーは性転換して以来、母親から拒絶され、付き合う男性からも捨てられてきたが、性転換したことを決して後悔していなかった。なぜなら生物学的な性が自分の意識する性と異なることほどの苦痛はなかったからだ。そんなトランスガールを力強く堂々と演じたヴァーニーは最大限の賞賛を受けて然るべきであろう。映画が進行するにつれてマーンヴィーを応援せざるをえなくなり、彼女がマヌや母親に受け入れられて行く様子は、涙なくしては観られなかった。

 「名前」にもこだわっていた映画だった。シェークスピア作「ロミオとジュリエット」の中の台詞「名前とは何?」を引き合いに出しながら、「名前」は意味のないものだということと、意味のあるものだという2つの側面が語られていた。意味のないものとしていたのは、恋愛の文脈においてだった。LGBTQ、それぞれいろいろな名前が付いているが、恋に落ちたらそんなことは関係ない。ただ心に従うべきだ。一方、意味のあるものとしていたのは、性転換者が呼ばれる名前だ。マーンヴィーが性転換する前の名前はマーナヴで、愛称はアーユシュマーン・クラーナー演じるマンヴィンダルと同じ「マヌ」であった。性転換後、彼女は「マーンヴィー」を自称するようになる。だが、家族をはじめ、性転換前の彼女を知っている人々は「マヌ」と呼んでしまう。そしてそれがマーンヴィーを傷付けていた。終盤、マーンヴィーの性転換をもっとも認めていなかった母親が彼女を「マーンヴィー」と呼ぶシーンがある。感動シーンの多い映画だったが、このシーンがもっともホロリと来た。そういえば、マンヴィンダルもマーナヴもマヌも「人間」という意味になる。男性、女性の前に皆、人間であるという主張がこれらの名前に込められている。

 また、少し前は性転換手術というとタイが有名だった。インドのトランスジェンダーたちはタイへ行って性転換手術を受けるというのが一般的だったと記憶している。だが、現在ではインドでも性転換手術が盛んに行われているようで、メディカルツーリズムの一環として、外国人も手術を受けにインドに来ているようである。数十万ルピー掛かるようだが、多くの先進国に比べて格安の値段となる。

 「Chandigarh Kare Aashiqui」は、ボディービルダーの男性と性転換した女性の間の一風変わったロマンス映画である。まだまだLGBTQに対する偏見の根強いインドにおいて、性同一性障害や性転換のことについて、かなり詳しい解説を含んだ、涙なくしては観られない作品である。LGBTQ映画として、そして純粋に娯楽映画として、傑作と断言していいだろう。